@toasdm
あんなこと言うんじゃなかった、という後悔は、彼女以外誰もいない事務所でむなしいため息と共に霧散した。なんであんな見栄張っちゃったんだろう、とため息をいくらついたところで、このコツコツとした、地道な作業は終わりが見えない。みんなこんなのよくやってられるよね、と針目を数えて、彼女は折り返し地点に到達してまた、大きなため息をついた。
「はぁぁぁぁぁぁ……これいつ終わるんだろう……」
冬馬の口から出た「一般論」という珍しい言葉につられて、つい言ってしまったあの一言の責任を取るためとはいえ、正直彼女には、こういう作業は向いていなかった。
「疲れたなぁ……」
ちょっとだけ、とデスクに突っ伏した彼女は、うっすらとくまの浮いた目を閉じてそのまま、すとん、と眠りに落ちてしまった。
「……まじかよ」
こんな時間に明かりが灯った事務所を訝しんで、恐る恐るドアを開けた冬馬の目に飛び込んできたのは、そんな具合にデスクで眠りこけてしまった彼女の小さな背中だった。起こそうかそのままにしようか逡巡して、とりあえず、と冬馬は彼女に近付いた。
「……って、まじかよ!」
思わず漏れた叫びで彼女が起きてしまったかもしれない、という心臓の高鳴りと、ホントに編んでやがる、という心臓の高鳴りとは、似ているようで少し違った。
「…………へっ、た、くそ…………」
編み目の大きさも違えば幅もがたがたしている、手編みのマフラーを摘み上げて、冬馬は思わず本音を漏らした。しかし。
「……んな、徹夜でやるようなことじゃねーだろ」
すっかり眠りこけている彼女の頭をそっと優しく撫でたその手と、見つめる瞳は優しく、そちらの本音は辛辣さはなく優しかった。
そもそもが、ファッション雑誌の特集記事の仕事が来た冬馬たちに見せた雑誌が原因だったように記憶している。打ち合わせが終わって雑誌をぱらぱらとめくっていた彼女の手元を覗き込んで、冬馬はぼそっと、いいよな、と漏らしたのだ。
「マフラー、ですか?」
「あ、いや……なんつーか……マフラー、っていうか、手編み、ってやつ?」
恋人の手編みのマフラーをメインとしたコーディネートを指差して、冬馬はそっぽを向きながらぶっきらぼうに言った。
「別に、俺が欲しいとかじゃなくて……い、一般論としてやっぱ、男の憧れっつーか」
「一般論」
なんでそこつっかかってくんだよ、と彼女を小突いた冬馬の照れ隠しにくすくす笑ってしまった彼女のせいだったのかもしれない。
「んだよ」
「私、編めますよ?」
「は?」
そんな風に思わず言ってしまってから、彼女は自分がそういうことにまるで向いていないということを思い出したのだが、既に事態は、引っ込みのつかないところまできてしまったのだ。
「あんたが? いや、ぜんっぜんイメージねーんだけど……」
「むっ……私だって編めますよ! マフラーのひとつやふたつ!」
「へ、へぇ……」
だったら編んでみろよ、の売り言葉に、上等じゃないですか編みますよ、の買い言葉。楽しみにしてるからな、いいですとも、とお互いに引っ込みのつかなくなったその日の夜、彼女は久しぶりにクローゼットの奥から毛糸玉と編み針を取り出したのだ。
「えーー、と…作り目って、どうやるんだったっけ?」
彼女が初めて編み物に挑戦した頃にはあまり浸透していなかった動画サイトの編み物動画を、何度も何度も繰り返し再生しながらなんとかひと目ずつ編めるようになったのは、その日の深夜と早朝の間くらいだった。
彼女がやっぱり向いてない、としょげながら、九割強意地で編み進めた不恰好ながたがたマフラーを、冬馬は目を細めて笑って眺める。
「……あんま、無理すんなよ」
俺のため、だよな、とこそばゆい想いに胸をくすぐられながら、冬馬は脇にあったブランケットをそっと彼女にかけてやる。
「やっぱ、向いてねーんだな、あんた……」
精一杯の思いやりをブランケットに委ねて、彼女を起こさないよう冬馬はそっと、事務所を出た。まだ貰っていない彼女の手編みのマフラーは、冬馬を温めるのに十分だった。