@niziirononanika
「……さて、僕の番となってしまいました。しかし■■■君のように美しく、■■■■■■君のように力強い言葉を語るほどの力量はないもので、僕の言葉は今からでは物足りなく感じるかもしれない。また、僕はあまりこういう場での語り口に慣れていないこともあって、聞き苦しい部分もいくつか出てくるでしょう。
よって、一つ、あらかじめお願いしておきたいことがあります。これからお話しする言葉においては、いつも僕が語るときの慣れた口調を使いたい。この場には相応しくないかもしれませんが、けれど、慣れない言葉遣いによって聞き苦しい思いをさせるよりはよっぽど良いことかと思っています。もしそれでよろしければ、お手を。
……ありがとう。
――なんと奇妙なことか。どうして人の快楽とは、こうも苦悩と近しいものなのか。君達は考えたことはあるかね。
一つ例を挙げよう。美味な食事と、暖かな寝床、華美な装飾を身に付け、日々満ち足りた心持ちで生きている者がいる。僕達は彼に出会い、哲学人としての役割に従い知を授けようとした。しかし彼は受け取らない。満足していると言った。故に何も要らないのだと。
何も要らないのならば、今あるものを全て失っても良いのかね。そう僕は訊ねた。彼は震えて、絶対に嫌だと言った。それでは生きていけないと。
それでは代わりに、彼に粗末な食事と、冷たい寝床と、端切れの衣服を与えると言った。それで生きていけるならば問題ないだろうと。それに対し彼はたいそう怯えたものだ。
人は快楽を得ると、同時に恐怖という苦悩を抱く。肉体に依存する価値とは、得ると必ず失う可能性が付きまとうものだからだ。そしてそれによって知恵を得る機会を失う。今あるものを失いたくないがために、更なるものを得られない。
しかしだね友よ、君達ならわかるだろう。魂が得た価値は失うことがない。そう、知恵は得ても失うことはなく、むしろ増えるものだ。何故なら知恵とは、持つ者が持たざる者に分け与えても、分け与えた側が知恵を失うことはないからだ。
質量を伴う肉体の快楽に比べれば、これは僅かに感じるかもしれない。けれどね、これは何より素晴らしいものだ。
善とわかりきった行為を他者に行うことは、善だということに異論はないね?
僕からここに宣言しよう。
僕達、智が形作ったもの、智そのものである哲学人は、君達智を愛し求める哲学者の皆へこの身そのものを差し出すべきである。そして君達も、それを受け入れるべきであると。善行とは行われるべきものなのだから。
その為の受け皿を、智を受け入れる純粋な魂を、研鑽の末に手に入れることが僕達の成すべきことであると!」
――呈する恵智の会創始の一人 哲学人【プラトンの対話篇】