@toasdm
ふわふわと、意識ばかりが夜を漂う。目が冴えて、頭も冴えて、眠りはどこか、遠い場所にあるようだ。事務所においてきちゃったかな、帰りの電車で忘れちゃったかも、交番に届いてたりしないかな、と迷走する思考はまとまりがなく、さりとて眠れるような気配もない。眠れない時にベッドいるのは得策ではない、と、確か昔、ネットニュースの記事かなんかで読んだ気がする、と彼女はもそもそと、隣で寝ている雨彦を起こさぬようそっと抜け出した。
はず、だったのだが。
「どこいくんだい?」
「ぁ」
ごめんなさい、と引き止められた手首に、彼女はびくりと肩を揺らした。この男を起こさないようにベッドから抜け出すような芸当など、自分にはそういえば、到底できっこなかったのだということを痛感させられて、それと同時に、嘘もまるっとお見通しだということも思い出す。
「ねむれないのか」
「はい……ちょっと、なにか温かいものでも」
「ふとるぞ」
「うぐ」
彼女の言う「温かいもの」が、砂糖たっぷりのミルクココアを指していることなど、雨彦にはお見通しだ。それ言わないでぇ、と顔を覆った彼女の後ろで、雨彦はむくりと上体を起こしてブランケットを引き寄せる。
「冷えるだろう、ほら」
「ん、ありがとうございます」
「んっ……は、ぁ」
軽くのびをした雨彦は眠い目をこすりこすり、彼女の隣に腰掛ける。冷えるな、とカーテン越しの窓の向こうが、雨彦にはもしかしたら、見えているのかもしれない。北国では雪の便りもあったと聞いたが、そろそろこちらにも、冬が降りてくる時候だろうか。フローリングの床にぺたりとつけた足の裏から、ひんやりと、その知らせを感じるようで、彼女はぶるりと身震いをした。
「眠れないなら」
すっかり覚醒した口調の雨彦は、すっと立ち上がりバッグをがさごそとやっている。なんだろう、と訝しむ彼女の隣に戻ってくると、雨彦はベッドサイドのライトをオンにしてまたベッドに転がって、隣をぽんぽん、と叩いて彼女を招く。
「なぁに?」
「眠れないお前さんにはこいつが効くかと思ってね」
ブランケットを羽織ったままの彼女を寝かせて、雨彦は肘枕で横向きになる。片手でひらひらとやって見せたのは、ふんわりとしたパステル画の三日月が描かれた一冊の絵本だった。
「絵本……?」
「懐かしいだろう?」
片手でぱらりと表紙をめくると、雨彦はゆっくりとした、落ち着いたトーンで語りかけるように読み始めた。
「三日月の浮かぶ空に、きらきら。きらきら……」
優しい声と、程よい明るさ。声のゆりかごが彼女の全てを、あるべき眠りの場所へとゆっくり誘う。
「ここは、あったかくて、優しくて……眠るには、ぴったりだ」
雨彦の声の手が、彼女の胸を優しくトントンと叩いている。雨彦の声の手が、彼女のまぶたをゆっくりと閉じさせる。
「ぁふ…………」
「ねえ、起きたら、何をしようか?」
ぼんやりとした視界に、三日月が語りかけてくる。ぱら、とページを繰る音すらも、彼女の頭をゆっくりと、おやすみモードへと導いていく。
「そう、いいこだね。おやすみ」
「…………ぅん……」
最後のページを読み終えて、ふ、と雨彦が彼女の顔へと目線を落とせば、すっかり落ち着いて規則正しい寝息を立てる、彼女のあどけない寝顔がそこにあった。
「……お前さんはいい子だな」
眠る頬に唇を寄せて、ぱたん、と雨彦は絵本を閉じた。
「おやすみ」
パチンとライトをオフにして、絵本を脇へと置く。彼女に優しく布団を掛けなおしてから、雨彦もまた、同じ布団に潜って目を閉じる。
おやすみの読み聞かせは無事成功、と小さな満足に胸をくすぐられながら、彼女の手をそっと握った雨彦は、小さなあくびと一緒に夢へと赴いた。