@toasdm
時間の流れはいつも変わらない。それでも、彼女はこのゆったりと流れる時間が何よりも愛おしかった。それは圭も同じのようで、このゆったりと流れる時間を特別だと思える幸せは、二人にとって何物にも代えがたい、何よりも幸せな時間だった。
「駅前から少し離れたところ、商店街のアーケードもそうでした」
「そう……ふふ、こっちに来る前を思い出すよ」
眠りに色があるのだとしたら、今、圭の声はそんな色をしているだろう。柔らかな眠りへの誘惑は、話すテンポ、トーン、間の取り方や柔らかさ。圭の声も話し方も、そんな優しい誘惑に溢れている。
「今度時間を合わせて、いってみませんか?」
「その商店街に、かな?」
「商店街だけじゃなくて、色々なところです」
寝る前の電話が習慣になって、どのくらいだろうか。グラデーションで色づいていった二人の関係の始まりよりも前から、おやすみなさいの挨拶はいつも、二人の間にあったように記憶している。話す内容はその日一日あったことや楽しかったこと、気になることなど様々で、正直内容などは寝て起きたら忘れているような些細なことばかりだったが、一緒に出かける約束なんかはだいたい、寝る前の些細な会話を元にしていることが多かった。今日は仕事帰りに立ち寄った商店街の、クリスマスの飾り付けについてだ。街全体がふんわりとした優しさに包まれるような、華やかながらも派手さを押さえた浮かれ具合が、彼女は好きだった。
「他にも、あるのかい?」
「はい、ちょっと足を伸ばしますけど、隣県ではクリスマスマーケットがあったり」
「それは……楽しそうだね」
出身地を思い出すのか、電話口の圭が目を細めて嬉しそうにしているのが、彼女には見えるような気がした。そっちもいってみましょうか、と水を向ければ、うん、と弾んだように答えた圭の声は、もう既に半分ほど、眠りに落ちているようだった。
「ちょうど明日、お休み重なりますし、いけるだけいってみませんか?」
「うん……楽しみに、しているよ……」
もうきっと、このまま電話を切るのと同時に眠ってしまうのだろう、と彼女はくすりと笑って、いつものように声をかける。
「おやすみなさい、圭さん」
「うん……おやすみ……」
彼女の名前をぼんやりと呟いて、電話が切れる。ほんの少し寂しい気持ちはあるものの、圭がぐっすりと眠ってくれるならそれは、彼女にとって幸せのひとつだった。
寒いね、とふわふわの髪の毛をふわふわのマフラーにしまってもこもことさせながら、待ち合わせ場所に圭はやってくる。駅前から少し離れたクリスマスの商店街を抜けて、次の駅まで歩いて電車に乗って、クリスマスマーケットに足を運ぶこれは、デートと言って差し支えのないものだろう。あちこちに散らばるクリスマスモチーフにインスピレーションを掻きたてられたのか、圭は時折立ち止まり、その景色を音符に起こしてメモをとったりもしていた。
「ごめんね、デートなのに」
「いえ、大丈夫ですよ」
デートとはっきり言われた喜びで多少声が上ずったが、彼女は別に気にしていなかったし、曲に取り組む時の圭の横顔が好きだった。一緒に見たこの景色がどんな旋律になるのだろうか、と想像するだけでわくわくもした。比較的空いている電車の中で二人並んで座って、申し訳なさそうな圭の手をそっと握りながら彼女はにっこりと微笑んだ。
「あの、もしかして」
その握った手の温かさと、そっと肩に乗せられた頭の重みとで、彼女は圭の眠気を知る。眠たいんですか、と聞けば、少し、ね、とおやすみの電話と同じような声が、二人の時間をゆったりとしたものに変えていく。
「昨日、少し早めに休んだのに、ですか……?」
柔らかく艶のある、緩やかなウェーブを描く圭の髪を優しく撫でて、彼女は目を閉じた圭に問いかける。少々の間をおいて、実はね、と圭は秘密を打ち明けるように小声でそっと呟いた。
「……電話、切れて、しまうのが……少し、寂しくて、ね……」
電話の後は寂しくて、眠るまで少し時間がかかるんだよ、いつも。
てっきりそのまま眠っているものだと思っていた圭の、そんな一面をこんなところで見せられた彼女は、ぶわ、と一気に顔が熱くなるのを感じて硬直する。
だから、少し、休ませて。
もぞもぞと、マフラーの中に顔を埋めて隠れた圭のことを、彼女は初めて、ずるい、と思った。