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女体化あかまゆその後の話③前編

全体公開 2 21152文字
2019-11-29 22:14:08

健全デート回のはずなんですけど、ぜんぜんデートしてない。
みゆみゆの熱愛報道を受けて発狂してる宮地清志がいます。


黛はしかめっ面で駅のホームに降り立った。
時刻は11時前。
約束の時間より、少しだけ早い。
けれども、相手がすでに待ち合わせ場所にきていることは分かり切っていたので、進む足は無意識に早くなる。

エスカレーターに乗り、駅舎を歩き、改札口へと人波を避け、黙って歩く。

改札手前で、少し歩みを止めてしまう。
駅校内の柱に背を預けた待ち合わせ相手が見えたからだ。

腕を組んで、他人を寄せ付けないような空気を放つ待ち合わせ相手を、周りの人間が遠巻きに眺めている。だいたいの視線が好奇の目。

やけに綺麗な顔立ちをした青年が険しい顔をして立っているものだから、気になってしまうのだろう。

しかし、険しい顔は、一変した。

こちらに気付いたらしく、赤い瞳は嬉し気に細められ、口元は柔らかく弧を描く。

花が綻ぶような笑みを向けてきた後輩は「黛さん」と楽し気に声を弾ませた。

周りの人間の視線がこちらに注がれる。

何事か、誰が来たのか、と言わんばかりの無遠慮な視線。
好奇の視線の大半が、侮ったような物に変わる。
あの程度の女が来たのか、と言わんばかりの。

恋人のふりをしてから慣れきった、非常に不躾な周りの反応。
それを受けて、黛は思い切りため息をついた。






昨日の不本意な出来事から一夜明けて。
黛の目ざめは最悪だった。

深い眠りについていたところに、電話がかかってきたのだ。
不躾な着信音に眠りを妨げられた黛が、瞼を開けて、最初に思い返したのは、昨日の痴態だった。

ただただ快楽を追ってしまった昨日の記憶は経った一夜では消えてくれず。
未だに脳にも体にも刻み付けられている。

「あんな風に

気持ち良さを味わって、赤司の眼の前で快楽の頂点に上り詰めた。

その記憶を思い出しかけて、ぐっと腕を掴む。そうして、きゅっと眉根を寄せ、なんとか昨夜の記憶を追い払う。

昨日のことなんて思い出したくもない。

少しだけ心臓が早まったのを誤魔化すように、液晶の名前の表示を見ず、黛はスマートフォンを取った。

「誰だこんな朝早くふざけ
「お前、今日の朝、時間あるか?」

こちらの悪態を遮った声に、きょとんとする。今の声は、宮地のものだ。何故かやけに暗く沈んでいるので、いつもみたいな鋭利さが声には乗っていない。
けれど、友人の声を間違えようもないので、黛は首を傾げて尋ねた。

「なんだその声。今にも死にそうだぞ」

不審げに眉をひそめていると宮地は「時間あるのかないのかどっちなんだよ」と少しばかり声に険をのせた。

「ない」

時間はある。
しかし、呼出に応じる元気はないというかのが、本音だった。

だって、正直にいうとゆっくり休みたい。
ここ一週間、精力的に動きすぎて、金曜の時点でもはや体力はゼロに近かった。
だというのに、思い出すのも恥ずかしい昨夜の行為で、止めを刺され、一歩も動きたくない気分だったのだ。

「あぁ、そう。つうか、お前もしかしてまだ知らないのか?」
「は?なにを?」

キョトンとして問い返せば、宮地が舌打ちをした。「お前は」と血が滲むような声の後。

「まぁ、いい。じゃあな」

ぶつっ、と。
通話はそれで切れた。

黛は唖然とした。

宮地清志と言う人間は、決して今みたいに失礼な態度はとらない。

顔と口調があまりにも凶暴じみているが、根は相当な優等生なのだ。
早朝に電話をかけ、約束を取り付けれないとわかるや、早々に電話を切る、なんて不躾なことはしない良い子ちゃんなのだ。

何かあったのか

不審に思いながらスマートフォンを眺める。

宮地とは長い付き合いだ。
大学の講義で顔を合わせて以来、宮地が所属しているストバスチームの集まりや飲み会やらに頻繁に誘ってくれる仲ではある。
決して黛に対してやましい気持ちを持って誘ってるわけでは、ない。
理由は単に、黛がみゆみゆに対してそうとうに知識を持っているから、その話をしたいだけなのだ。

黛はアイドルに興味があるわけではない。出来ればいらない知識なんて蓄えたくはない主義である。
けれど、宮地とみゆみゆに関しては、負い目のような、申し訳なさのような感情が芽生えて、無下には出来ないのだ。

大学一回生の五月。
黛は悩んでいた。赤司が黒子のことを好きなのかもしれない、と。
そんなときに一般教養の授業で宮地と出会い、そこである計画を立てたのだ。

宮地に取り入り、緑間と連絡をつけてもらい、そうして最終的に黒子と接触を持って赤司のことを応援でもしてやろう、と。

宮地に取り入る際に使ったのがみゆみゆだ。
みゆみゆの話を振るだけで、安易に宮地は心を開いた。
なんというか、こちらが申し訳なくなったくらいに容易かった。血も涙もない黛でも、心が痛むくらいの純真さだった。

結局、黒子の件は勘違いで、やけに赤司を怒らせてしまったのだけれど、問題は宮地とのその後だ。

最初にみゆみゆの話を結構ふったせいで、宮地は黛のことをみゆみゆが好きな人間だと認識していた。

今さら、嘘だったなんて宮地に言えやしない。
だって、宮地はみゆみゆの話に対しては、やけに純真なのだ。その見た目に反して。

みゆみゆは好きじゃない、ただお前に取り入るために利用しただけだ、と言ったとして。

怒るだけならまだいい。怒りをぶつけられた方が反省も出来る。
けれど、もし悲しまれたらちょっと申し訳なさでご飯が喉を通らないかもしれない。
それくらいの良心は、流石に黛も持ち合わせていた。

だから、黛は口を引きつらせながらもアイドルの話に付きあった。
口喧嘩も多かったが、宮地は概ね黛のことを気に入ったし、黛も乱暴なようで繊細な宮地のことはそれなりに仲の良い友人の部類に加えた。

しかし宮地はそうとうに真面目な人間だった。
黛千尋は赤司征十郎の恋人だときちんと認識し、学校外では二人きりでは会わず。

けれどもみゆみゆの話をもっとしたいから、ストバスチームの集まりに呼ぶ、という謎の悪循環が出来たのだ。
おかげでStrkyの面々は黛がみゆみゆのことを好きだと思っている節がある。
やけになって、きちんとみゆみゆの番組をチェックし、雑誌を見せてもらい、それなりに知識も蓄えて応戦したのがいけなかったのだろう。
けれど自身の行動を後悔したときには、遅かった。
いくらみゆみゆのことは好きじゃないと主張したとて、周りは完全に宮地と同類に見たのだ。

黛は宮地と同じく、みゆみゆが好きなのだ、と。

なんで俺がアイドル大好きみたいに見られなきゃいけないんだ、と憤慨しつつ。
黛は赤司からの一声を期待していた。
恋人が男ばかりのところに顔を出すのは外聞が悪い。
とかなんとか赤司が言ってくれれば、黛の方も宮地達に言い訳が立つのだ。
赤司が嫌がるから、お前らの集まりにはもう行かない、と。

だというのに、後輩は止めはしなかった。
それどころか「黛さんに気の置けない友人が出来るのは俺も大歓迎です」とあざ笑ってきたのだ。

そこで黛は気付いた。
赤司側からしたら、黒子のことが好きだ思い違いをしたのが相当に気にくわなかったのだろう。
変な勘違いをして、雑な計画を立て、安易な嘘をついたら、こういう面倒な目に合うんだぞ。
という教訓を黛に教え込むために、宮地達との交流を放置したとしか思えないのだ。



黛はスマートフォンを握って、しかめ面をした。

宮地からの電話。よほど急を要する案件なのかもしれない。
だって、宮地清志はまともな思考の人間だ。
恋人と同棲している人間を、朝っぱらから呼びつける非常識な人間ではない。


不安になって、電話を折り返す。
呼び出し音が鳴り、すぐに不在着信へと変わる。

三度くらいそれが続いて、誰かに電話をかけているのだろうと推測した。

躊躇っている時に、扉を叩く音が聞こえた。

「黛さん」

その声に、体が強張った。
声をかけられ、けれど動くことも、喋ることも、黛は出来なかった。

赤司には言いたいことがたくさんある。
昨夜の件で罵倒だってしたい。

けれど、声を聞いただけで、身動きが取れない。声も出せない。
昨夜の件を思い出して、羞恥で顔も体も熱くなり、鼓動が早まる。

わけの分からない自身の心に混乱しながらも、所在なげに扉を睨んだ。

寝ているふりでもするか。そうして落ち着いてから、何食わぬ顔で部屋の外に出よう。
心の準備ができていないときに顔を合わせても、良いことなんてない。きっと、余計なことを口走ってしまう。

そう決めて、黛はゆっくりとベッドに寝転ぼうとした。

のだけど。

「電話してたでしょう?起きてるのは分かってるので無視はやめてください」

ため息とともに吐き出された赤司の言葉に、黛はうぐっと唸った。

気付かれてるなら仕方ないと言わんばかりに「何のようだ?」と威嚇音のような声を出す。

「俺は、昨日のことをまだ根に持っている。なにか申し開きでもあるのか?」

自身の内心の怯えを隠すように尊大な態度で扉に向けて声をかける。

すると、赤司は意外にも「昨日の俺に正当性はない。だから、申し開きもできない」と下手に出てきた。

「昨日は軽率に過ぎたと、反省してます」

やけに素直な反応に、黛は面喰った。
途中までこちらも乗り気でキスしていたから、責められるかとは思っていたのに。

黛が聞く姿勢に入るのが分かったのか、赤司はそのまま続けた。

「あんなに性急に進めるべきじゃなかった。
気持ちよさそうにしているからと無視をしましたが、きちんと黛さんの言葉と気持ちを汲み取るべきでした」

沈んだ声音。その声は本当に反省しているかのようだった。
しかし、それが本心かどうかは分からない。

もしかして、反省したふりをしているのかもしれない。

ドアを開けたが最後、また昨日のようにぺろりと平らげられてしまう可能性もあるのだ。
そういう騙し方を平気でするのが、赤司征十郎と言う人間である。

訝しんだ視線を注いでいると、赤司はため息を落とした。

「世間一般の恋人がやるようなことを、ふりとは言え、俺と黛さんはだいたいやってきた。
キスだってもう済ませたから、あと残っているのは性行為くらい。
だから、もう先に進めても良いだろうと。
そんな傲慢な考えを、俺は持っていた」

淡々と続く言葉を取り落さないよう、黛は真剣に耳を傾けた。

「けれど、黛さんの方はそうではないということは理解しました。
きちんと段階を踏んだ方がいいということも」

堅苦しい言い方で、しかし、真面目に、誠実に赤司は語り掛けてきた。

「好きか分からないから先に進めない。
それならば、デートしましょう」
……え?」
「普通の、付き合いたてのやつを、今日。いや、今日だけじゃなくて当分は普通のデートをしましょう」

赤司の提案に、驚きの声をあげる。

デート?普通のって?しかも今日?

狼狽えていると赤司が少しだけ沈んだ声を出した。

「そうやって時間を積み重ねていく中で、俺のこと好きかどうか考えてください」

赤司はそのまま時間と待ち合わせ場所を告げた。

そうしてためらった後で「もし嫌だったら来なくても大丈夫です」と言ってから、扉の前から去っていった。
遠く、玄関を開ける音が響く。
恐らく外に出たのだろう、と気付いて、黛はようやく部屋の扉を開けた。

廊下には赤司の姿はない。
玄関に行くと、赤司の靴もなく。

黛は立ち尽くした。悔しさで唇を噛む。

赤司が言った通り、ふりとはいえ、恋人として当たり前の行為はすでにほとんどこなしている状態なのだ。
手を繋いだり。軽く抱きしめたり。スキンシップの類は済ませているのだ。

あと残っているのはそれこそ体を繋げることくらい。

それなのに赤司は認識を改める、と言った。普通のデートから始めよう、と言ったのだ。

思わず、黛は唸る。

赤司は自分が一方的に悪いように言ったけれど、昨夜のことなんて、瑕疵の割合はお互いさまだ。

気持ち良さに蕩け切って止めるのが遅れた黛。
そうして遅れた静止に対して、無視をした赤司。

どっちもどっちなのだ。

それに赤司は自分には正当性がないと告げたが、正当性なら黛の方こそない。
思わず下唇を噛む。

昨夜の行為。
頭がふやけていたとは言え、ショーツに指が忍び込むまで、静止の言葉はついぞ出なかった。
それどころかキスを受け入れ、舌を絡ませ、胸を触られては善がった。

嫌だなんて、微塵も感じない態度だっただろう。
だというのに絶頂を味わった後、理不尽に怒って、平手打ちをして、部屋に引きこもって、朝になっても尊大に怒りをぶつけた。

そんな自分と、きちんと謝罪をして誠実な提案をしてきた赤司。

どちらが大人かを見せつけられ、黛はぐうっと唸るしかなかった。

言いたいことはたくさんあったろう。
不満や、不平。
黛が持っている分だけ、赤司も当然のように持っているはずなのだ。
だって、お互い悪いのだから。


しかし、それらすべて押し込めた赤司は、単なるデートの提案をしてきた。

先に進みたいだろうに、健気にもこちらの気持ちを慮ったのだ。

流石にこの流れで誘いを断るほど、自分も子どもではない。





「行き先は水族館だ」

待ち合わせ場所に現れた黛に、赤司は弾んだ声で言った。

人が多く入り乱れる駅の地下施設を抜け、水族館までの道のりを歩いている間も、赤司は普通だった。
昨日のことなんてなかったかのような態度に黛は口を尖らせる。

言いたいことがたくさんあった。
けれど謝まられ、昨夜のことはなかったかのような態度をされては、混ぜっ返しも出来ず、黛は少しだけ不満だった。

水族館の中も人でごった返していた。
休日だから子供も大人も多く、すぐにはぐれそうで。

そう思っていると、赤司がぎゅっと手を握ってきた。

赤司の手つきは、優しく、怯えさせないように苦心したものだった。

しかし、黛は肩を振るわせた。
赤司の手が触れた瞬間に、思い出してしまったのだ。
昨日、赤司がどんなふうに自分に触ったのか、を。

……嫌ですか?」

不安そうな赤色が尋ねてくる。いたたまれなさに苛まれながら、首を振った。
嫌ではない、嫌ではないのだが。

心臓がやけに不安定な音を上げ、手のひらは今にも汗が吹き出しそうで。
やけに動揺している。昨夜の責めあげられた記憶がぶり返して、今すぐに逃げ出したくなる。

そんな自分の心境に気付く、黛はため息をついた。

「嫌なわけないだろ。いつも繋いでるんだ」

赤司にはこちらの動揺なんて気付かれている気がする。
それでも、つんと澄ました態度を取った。だって、ここで手を振り払えば赤司が気に病むかもしれない。

突然、触られて昨日のことを思い出しただけ。
冷静になれば接触くらいどうってことない。

そんな表情で笑うと、ためらった後で手を引かれた。

水族館の中は、外同様に寒く、それゆえに水槽の青がやけに幻想的に見える。
大きな水槽はトンネル状に魚を見れる仕組みになっている。優美な魚が泳ぐ様、小魚が群れを成して大きなうねりを見せる。
初めて見る人間は目を奪われるような亜空間。

けれど、黛は物珍しくもない態度で、水槽を眺めた。

理由は簡単。この水族館に来るのは十二回目なのだ。

いわばここは、赤司とのデートで使い古されたコース。

展示が変わることもあるが、大抵の水槽は前に来た時と同じで。
だから黛は、前と変わらず綺麗だな、と言う感慨深い気持ちは持てども、真新しい感動はなく水槽を眺めた。

けれども、黛は水族館が割と好きだった。
息をしながら、海に潜って優美な魚を見ているような気分にさせられる。
真新しい感動はなくとも、存分に非日常空間を味わえる水槽を、楽し気に眺めた。

そこで黛はハッとした。
自分は水族館が好きだ。
幻想的な雰囲気に相まって、郷愁に駆られ、胸が切なくなるこの空間はお気に入りで、だからこそ十二回もデートコースに組み込まれていたのだ。

しかし赤司は違う。
水族館は別に好きでも嫌いでもない、と前に言っていた。

退屈であろう。
だって、十二回も来ているのだ。それならもっと他の場所に行こうと提案すればよかった。
赤い瞳が退屈そうに魚を眺めている姿を思い浮かべると、胸が痛む。

焦りながらも隣に視線を向けた。
退屈だろうから今からでも違うところに行こう、と告げようと思ったのだ。

しかし、視線を向けた先の赤司は、退屈そうにはしていなかった。

赤い瞳はやけに楽し気に水槽を見上げていて、口元は緩く弧を描いている。

水槽の青が反射して、赤い色に影を落とす。
それなのに嬉しそうな顔には一切の陰りも見えない。
見惚れそうになって、黛は慌てて首を振った。

「お前、やけに楽しそうだな?何回も来てて、つまらなくないの?」

冷たいとも取れる言葉を投げかけると、赤司が顔を向けてきた。
きょとんとしてから、苦笑して「だって」と口にした。

「初デートなんだから、嬉しいのは当たり前でしょう」
初デート?」

言われて、こちらもきょとんとしてしまう。
デートなんて腐るほどしてきただろうという心持だった。
そんな黛の心境を見透かしたのか、赤司が笑った。

「今までは恋人のふりとして回数を重ねる事務作業みたいなデートだった。
けど、今日は違う。
俺の気持ちを伝えて、黛さんも少しでも俺に寄り添おうとしてくれてる状況で。
俺からしたら、今日が初めて、黛さんとのまっさらなデートなんだ」

苦笑しながら、教え込むように赤司は優しく語った。

「初めてのデートで、浮かれないわけないだろ?それがたとえ、よく来ているところだとしても」

照れたような笑い。
黛は言葉の意味を取り落しかけ、丹念に脳内で精査して、顔を赤くした。

本当の意味でのデート。確かに付き合い始めてから、初めて、デートをしている。

昨日のホテルでの食事や今までのデートは、恋人のふりや、婚約者役としての、いわばお仕事に近い。

けれど、いましてるのは、正真正銘のデートだ、と。

そう赤司は感じているのだ。

うぐぅ。

黛は思わず呻いた。
そこまで考えていなかった。初デート。これ、初めてのデートなのか。

デートの類で行っていない所はない。
水族館に動物園、美術館や映画館。デートコースはだいたい回った。

けれど、本当の意味で。
黛が赤司のことを意識し、赤司も黛に対しての好意を隠しもしない。
ふりでも、義務でも、周りへの牽制でもなんでもない、本当の意味でのデートは、これが初めてで。

だから何度も来ている水族館でも嬉しい、と赤司は言っているのだ。

「黛さんは、嬉しくないんですか?」

こちらの動揺を狙いすましたかのような、赤色が悪戯っぽく煌めく。
青い差し色が入り、一層に輝きを増すその瞳は、本当に綺麗で、人を魅了する。
卑怯だ、と黛は眉間に皺を寄せる。

そんな風に言われて。
そんな風に笑われて。

嬉しくない、なんて言えない。

黛が肯定しようとした時、赤司の顔が一瞬だけ歪んだ。

「あれ?赤司君?」

黛が不思議がるのと、その声がかぶさってきたのはほぼ同時だった。
声の方を見ると、女子数人が立っていた。
その中の取り分けて目立つ顔立ちの女子が先頭にこちらに歩み寄ってくる。

ちらと赤司を見る。赤色の奥で、苛立たしそうな雰囲気が見えた。

あぁ、これは面倒な相手なのか。

赤司の表情から、黛はそう判断した。


赤司との恋人のふりにおいて。

黛の役割は基本的には女除けであった。
仲睦まじい恋人であることを赤司が吹聴し、実際に二人揃って会う時も、決して偽装だと悟られぬように寄りそう。
そうして、赤司のことを好きな女を牽制していたのだ。

牽制の仕方には、グレードがあった。

相手の女がまったく赤司に恋愛的な気持ちを抱いていない場合は、肩が触れる程度の距離で赤司は黛のことを相手に紹介する。仲睦まじい距離感で、いちゃつくなんて非常識なことはしない。

けれど、逆に相手が赤司に対して懸想している場合。
その中でも、アプローチを頻繁にしてくる相手には赤司は容赦がなかった。

見せつけるように黛の手を握るのは序の口で。
時には肩に手を回し、抱き寄せ、何事かを耳元に囁いたりするのだ。
まるで、自分のことを好きだろう女に当てつけるように。
根性が悪い。性格が悪い。人として根性がねじくれ曲がっている。
恋人と仲睦まじい姿を見せつけて諦めさせようとしてるのは分かるが、相手が傷つくとか考えないのだろうか冷酷な奴め。
黛は常々、思っていたが、基本的には赤司にされるがままだった。
赤司が女に囲まれるのを良しとしていない、と知っていたから。

「このあいだ、飲み会誘ったのにきてくれなかったよね?忙しいの?」

赤司相手に物おじせずにそう問いかける女はちらっとこちらに視線を移した。

一瞬、やっぱりと言うかなんというか、少しだけ嘲った色が映った。可愛い顔立ちに、恐らく多くの男を虜にしたのであろう自信が、その女子の顔には張り付いていた。

その女は、笑顔を向けて「彼女?」と尋ねてきた。
赤司はふと思いついたような顔をした。
そうして「そうだよ」と言い、自然な動作で、肩を抱きよせた。

そうされるのは分かっていた。
今まで幾度となく彼女のふりをしてきたのだ。
赤司がどういう行動に出るかなんて、手に取る様に分かるし、その後に自分がどういう態度に出ればいいのかも身についている。

なかなか諦めてくれない面倒な相手を前にしたら、赤司は絶対にこちらの肩か腰を抱く。やけに仲の良いカップルを演じ、相手を諦めさせようとする。

黛はそういった場面での自分の役割は分かっていた。
恥じらうふりをして、はにかむように笑う。
そうして赤司の話に合わせていれば、さっさと向こうは立ち去るのだ。
たいていの人間は、頭に馬鹿がつきそうなカップルと関わるのを嫌がるもの。たとえその片方が、好きな相手だとしても。

だから今回も、肩を抱かれて、ただ笑っていればいい。

のだけれど、赤司の指が肩に触れた瞬間、黛は思い出してしまった。
昨日のことを。
赤司の指先が、どうやって自分に触れたかを。

「っ……ぁ!」

急速に熱があがり、カッとなる。

パシッ、と。音が響く。

自分では制御ができない欲望が吹き出しそうで、思わず赤司の手を払いのけた。
赤い瞳が思い切り、見開かれる。

その赤を見つめ、黛は、あ、と口ごもった。

今まで赤司の恋人のふりをきっちりこなしてきた。
とても優秀だったと思う。
きちんと周りを騙せていたし、他人の目には相思相愛には映っていただろう。
容姿と大人しい雰囲気を侮られ、目の前で格下に見られる場面はいくつもあったが、赤司の恋人として、隙なんていっさい見せなかった。

だというのに、今の行動は、相当に不味い。

触られるのが嫌だ、と。そう言わんばかりに、赤司を拒否した。
赤司との接触を拒んだことで、目の前の女からは仲たがいしているように映ったかもしれない。

恋人のふりが、自分に課された仕事であり、使命。
しかし、いま、黛はそれを放棄するかのような行動をしたのだ。

赤司は黛にけっこう厳しかった。
恋人のふりとして、多くの制約や課題を課してきた。
けれども、制約や課題を忠実に守れば赤司はよく黛を褒めた。
期待通りに動いてくれたことが、嬉しかったのだろう。
嬉しさが滲む赤い瞳には、暖かな光さえ見えたのだけれど。


失望される。


まず頭に浮かんだのはそれだった。

大学の時に、黛はヘマをしたことがあった。
赤司の知り合いを思い切り罵倒したのだ。
政治家か何かの息子らしいその男は、罵られたことにとても驚いた顔をしていた。
そして、大人しそうな外見の自分が思い切り牙を剥いてきたのがよほど気に入らなかったのか「容姿を馬鹿にされたくらいで怒るなんて程度が知れる」と捨て台詞を吐いて立ち去って行った。
その時の赤司は明らかに戸惑っていた。
赤い瞳には困ったような色が刻まれていて、黛も流石にやってしまったと後悔した。

あの時、失望はされなかった。
というか、何も言われなかった。ただ手を引いて、その後は黙って家まで送ってくれた。
文句も何も、いっさい飛び出てこなかった。

俺の知り合いを罵倒するなんて恋人として失格だ。
そう苦言を呈されると思っていたのに、赤司はうんともすんとも言わなかった。

罵倒したことにはまったく触れず、ただ困ったような顔をして。
次に会った時には普通の態度で接してきたので、黛は安堵した。下手を打ったことへの御咎めはなしなのだ、と。


けれども、また恋人としてそぐわない行動をとった場合。
その赤色がどんな色を映すか考えるだけで背筋が凍った。
失望の色を濃く映す瞳を想像するのが怖い。

だって赤司は恋人としての立ち振る舞いに関しては、とても厳しく、注意をしてきたのだ。
それだけ厳しく指導していたのに、こちらが期待通りに動かなければ、怒り、失望もするだろう。

怒られるのは怖くない。こちらだってそれ相応の怒りをぶつけ返すだけの気概は持っている。

ただ、がっかりされるのが嫌だったのだ。
期待を裏切られた、と。お前だったらもっとうまくやれただろう、と。
そう、赤司に思われ、失望されるのが、なにより嫌だった。


黛は振り払った手を硬く握った。息を呑んで、赤司の顔を見つめる。

信じられない物でもみているかのような、赤い瞳。
それが一心に自分に注がれ、黛はサッと目を逸らした。

困ったような赤い色が、失望に変わるかもしれない瞬間なんて、見たくなかったのだ。

「っ、悪い、ちょっと気分が悪いから、先出てる」

いたたまれなくて、そう告げると、黛は駆け出した。
後ろから呼び止めるように「千尋!」と聞こえたが、止まらなかった。

失望されたくないなら、その場に留まるべきだった。
払いのけた手を握って「いきなりだったからびっくりした」とはにかんで、腕でも絡めれば、恋人としては完璧だったのだ。

けれど、出来なかった。

赤司に触られると、過剰に反応してしまう。
嫌なわけではない。
けれど、どうしても昨夜の記憶が消えない。

あの指が、自分にどう触れて、欲を引き出したか。
優秀な頭は自身の痴態をしっかりと記憶に刻み付け、ふとした瞬間に思い出させる。

記録はしっかりとる優秀な頭のくせに、再生機能がポンコツなのだ。
なんで関係ない時に思い出させるのかもっときちんと働けこの役立たずの脳が、と怒鳴りたい気分だった。


大きなトンネル型の水槽を抜け、小さな水槽が並ぶのを横目に走って、着いたのは大きなホールのような空間だった。

ふれあいコーナーだ。ヒトデやら小さなサメやらを触れる空間。
頭の片隅で自分のいる場所を確認して、黛はようやく息をついた。

上がった息を整え、後ろを見やる。
赤司は追いかけてくる様子はない。

そのことに安堵した。
けれど数秒後に、さざなみのように不安が押し寄せてきた。

さっきの女。きっと、赤司のことが好きなのだと思う。
赤司の瞳の苛立ちと、行動から、それは間違いない。

そんな女の前で、赤司を拒否し、逃げてきた。
その危険性を今更ながらに省みて、ゾッとした。

もしかして、赤司はいま、言い寄られたりしているのだろうか。
だから、追いかけてはくれないのだろうか。
相手の女は可愛い顔をしていた。
愛嬌があり、自分の容姿にたいそうな自信を抱えている雰囲気が見て取れた。「彼女大丈夫なの?」と笑顔で心配するふりをして、今頃は赤司に近づいているのかもしれない。

そう考えた途端、ずきり、と胸が痛んだ。

嫌だ!赤司があの女にすり寄られてるとこなんて見たくないし、想像したくもない!

そう考えて、黛はうん?と首を捻った。

なんで、嫌なんだ。今まで赤司に寄ってくる女にそんな気持ちを抱いたことはない。

それなのに今回に限って嫌だ、なんて考えるのはー

「っあ!」

ウロウロと悩んでいると、唐突に何かにぶつかった。なんだ?壁か?

「大丈夫ですかって、黛!?」

聞きなれた声が耳に飛び込んで、黛は顔を上げた。
壁だと思ったのは、宮地だった。
その向こうに驚いた顔の樋口が立っている。先ほどの声は樋口だ。

近くには岡村も笠松も今吉もいて、なぜか目の前の宮地だけが暗い顔をしていた。

「なん、だ?お前ら、何してるんだこんなところで」
「癒されに来たに決まってるだろ」

笠松がぶっきらぼうに告げた。「癒されに?」と首を傾げる。
順々に顔を見回して、最後に目の前にいる金髪を見つめ、黛は思い出した。

そうだ、今日の朝、宮地が変な電話を寄こしたのだ。

黛は動悸を抑えつつも「なに?宮地がどうかしたの?」と端的に問う。

それに対して岡村が「黛はまだ知らんのか」と可哀想な物を見る眼で見てきた。

え、なに、なにが?
狼狽えていると樋口が近寄ってきた。

「いや、あのさ。宮地と黛が好きなみゆみゆいるじゃん」
「何度も言ってるけど、俺はアイドルは好きじゃない」

幾度となく繰り返している否定を笠松が「生年月日に好きな食べ物嫌いな食べ物、家族構成にペットの名前まで知ってるくせに、どこが好きじゃないだよ」と呆れ声て否定しにかかってきた。
黛は目を剥いて「それは、こいつが」と宮地を指して叫ぶ。

「延々にみゆみゆのこと話すから覚えただけで、ぜんっぜん、興味ないんだよ!」
「黛の興味ない!は大好き!の意だからなぁ」

樋口が呆れ気味に「高校の時、赤司に対しても興味ないって言いつつ、ちゃっかり恋人の座についたし、天邪鬼が過ぎるでしょ」と吐き捨てた。

赤司のことは否定もできないので放っておくとして、みゆみゆのは誤解だ!と心の中で叫びつつも否定が面倒になって「で?みゆみゆがどうしたって?」と口を尖らせる。

「えっとね、黛、心して聞くんだよ?みゆみゆが、みゆみゆが」

樋口が心痛な面持ちで語り掛けてくる。
その真剣さに黛は息を呑む。
先ほどまでの赤司の件を忘れるほどの剣幕だったのだ。

「みゆみゆにね、熱愛報道が出たんだよ」
……………はぁ?」

黛は大きく、そして呆れた調子で、首を傾げた。

なんだ、そんなことか、と言わんばかりにため息をつく。

「動揺するわけないだろ。そいつじゃあるまいし」

吐き捨てた視線の先には、先ほどから落ち込んだ表情の宮地。

そうか、みゆみゆに熱愛報道が出たからあんな風に電話をかけてきたのか。
人騒がせな。俺の心配した時間を返せよ。十分くらいは気が気じゃなかったんだぞ、まぁ、そのあとは赤司のことで頭がいっぱいだったけど。

呆れながら、黛は口を開いた。

「なんだ?それでお前らは雁首揃えて、落ち込んでる宮地を慰めに水族館に来たのか?」

場所のチョイスは誰がしたのかと呻く。もっと他に慰める場所はあるだろう。

「なんじゃ、黛はそこまで気にせんのか?」
「当たり前だろ。ただのアイドルの熱愛報道だ。落ち込んでたまるか」
「ただのアイドルじゃなくて、みゆみゆだ!」

ぴりっとした声が耳に飛び込む。
宮地が顔を上げ、今まで見たことがないような剣幕で睨みつけてきた。え、怖い。

「俺は、本気で好きだったんだ。昨日の夕方にあった熱愛報道をまったく知らなかったお前と違ってな!」
「なんだそれ!昨日は色々あって、みゆみゆどころじゃなかったんだよ!」

みゆみゆの報道は夕方だったと宮地は言った。
けれど、その時には赤司とともにホテルに向かっていた気がする。

だいたい昨日は一日ハードだったんだ。
昼前に起きて、赤司と昼食を食べて、将棋をして、夜にはプロポーズに、ちょっと人には言えないような事をしたのだ。
芸能ニュースなんて見れるタイミングなんて全くなかったといっていい。

黛の苛立ちに対して宮地は「みゆみゆ以上に大事なことなんてないだろ!」と勢いよく叫んだ。

あまりの形相に「いや、みゆみゆより大事なことあったんだが」と口を引きつらせて告げると、思い切り睨まれた。
黙れ、と言わんばかりの視線に、流石の黛も口を噤む。

黛が黙りこくったからか、宮地は辛そうな顔で続けた。

「本当に好きだったんだ。高校の時から見ていて、コンサートにも握手会にも行った。卒業コンサート後も、女優として頑張る姿を応援していた……なのにあんなくそみたいな男にかどわかされるなんて!」

宮地は悔しそうに「俺の方が絶対に幸せにできる」と悔しそうにつぶやいた。
それに黛は首を捻る。

「いや、なに言ってるんだお前。前にアイドルは偶像であり決して恋する相手でないって主張してたくせに」

好きだけれど、それはアイドルとして。女性として好きではない。
というのが、宮地がアイドルを応援するスタンスだった。

それなのに、今の発言は矛盾している。
まるで恋人にでもなりたいかのような発言。
いつもの宮地なら、みゆみゆのことも相手の男と幸せになってくれたらいいという温厚な回答を示しそうなのに。


「いや、別に宮地は彼氏になりたいとかそういうつもりで言ってるんじゃないんだよ。何に怒ってるかって言うとね」

黛に詰め寄る宮地を、樋口が必死に抑えながら、説明しようとする。
しかしそれを押しのけた宮地は、ぐうっと悔しそうに顔を歪め、黛の肩を思い切り掴んだ。

「あいつの!ファンは!みゆみゆのこと!めちゃくちゃに!貶めてるんだ!」

大きな怒声が、水族館に響き渡る。
周囲の目が、こちらに突き刺さるのを感じて、黛は口を引きつらせた。え、恥ずかしいからやめてくれない?

流石に笠松が「やかましい!」と背中を蹴りつけたせいか、声量を落としつつも宮地は続けた。

「相手は大きな事務所の売り出し中の人気俳優なんだが。
そのファンがこぞってみゆみゆのことを、演技もできない顔だけ女、体だけで芸能界駆け上がってきた、それで誘惑したんだ、とか死ぬほど不快な悪口言ってるんだよ」
「あぁ、そういう」

さもありなん、と言わんばかりに声を出す。

けれど、それは俳優側だけではないだろう、と思う。
俳優のファンと同じく、みゆみゆのファンも相当に悪口を並べているはずなのだ。

彼氏ができても応援しようという心意気を見せる宮地のようなファンもいるだろうが、その一方でそうとうに荒れてる一部のファンも少なくないはずで。恐らく、みゆみゆファン側も、その人気俳優に対しても「みゆみゆには相応しくない」といった内容がネットには羅列している気がする。

ファンにとって、金も時間も人生さえも費やしてきた芸能人なのだ。
だからこそ熱愛報道された相手が気に食わない、というのが道理な気がした。
不毛な、けれど切実なファン同士の争い。

それに黛はなんと口を出していいか分からなかった。

宮地が辛そうな顔をしているのを、少しばかり同情的に見つめる。

「しかも、あいつはそんなファンを嗜めもせず、SNSでみゆみゆとの報告もせず。荒れてるファンを放置してる」
「いや、報告しないのは、事務所と方針の打ち合わせでもしてるんだろう?だったら、何も言えないだろ」
「事務所はプライベートなことは任せてるって文言投げただけだ!」
……それは付き合ってるの意では?」
「そうだよ!だから俺は怒ってるんだ!」

宮地が鬼の形相でぎりぎりと肩を掴む。とても痛い。表情に出してないけど、めちゃくちゃ痛い。

「恋人なのに、みゆみゆが貶められていて、何で庇わないのかって怒ってるんだよ、俺は!
みゆみゆはそんな人間じゃない。それはもう努力をして、芸能界を駆けあがってきたんだ。それなのに、あいつは」
「痛い、暑苦しい、気持ち悪いからさっさと離れろよ」
「好きな女が、罵倒されてたら、普通はキレるだろ!それなのに、何にも言わないとかみゆみゆのことなんだと思ってんだあのクソやろう!」
いや、お前、冷静さをなくしすぎだろ」

ここに来て、黛は気づいた。

宮地は理性を失っている。よほど腹が立つ書き込みや呟きが多いのだろう。
ファンに腹を立て、消化できない怒りを溜めて。
声も届かないほどの怒りを、今、自分にぶつけている。

気付いて、黛は助けを求めるように、視線をずらした。
岡村が心配そうにおろおろして、笠松が額に手をやって完全に呆れている。その後ろでは今吉が口元を抑え、笑いをこらえていた。
樋口は割と真剣に「いや、それ黛に言ってもしょうがないでしょ、宮地」と止めにかかっているが、体格差もあるし、まったく宮地を引きはがせないようで。

他のメンバーはあえて間には入らないようだ。
宮地とは頻繁に口喧嘩をしている。そのせいか、樋口以外はこの言い合いを、いつものことと放置している節があった。

自分で何とかするしかない、か。

黛はため息をついて、宮地の腕を引きはがそうと努力した。けれど、びくともしない。
痛くて、不快で、顔をしかめて払おうとするも、ぜんぜん動いてくれないのだ。

馬鹿力が!と内心で舌打ちして、黛は眉をひそめながらも「あのな、そういう場面、庇うわけないだろ。馬鹿じゃないんだから」と告げる。

すると宮地が眉を跳ね上げた。
また怒りで何かを口にする前に黛は顎を逸らし、小ばかにするように宮地を見上げた。

「いいか。俳優の方のファンはな、みゆみゆがどういう人間かなんてどうでもいいんだよ。
ただ、自分の好きな俳優が取られて、気にくわない。それだけだ。
それを俳優の方も分かってるんだ。
みゆみゆを庇う発言なんてしたら、怒りに任せたファンが自分を攻撃する可能性がある。
だったら、放っておいて、そういうのは気にせず、熱が醒めるのを待つ方がいいだろ」

言い切ると、肩に置いた手に力が入った。
骨がみしっと音をたてるも、黛は痛さなんておくびにも出さずに鼻で笑った。

「そもそも、自分の恋人が悪口言われたからって、言い返す男なんて、俺はどうかと思うがな。
庇ったら、それだけ悪口を言ってきた相手はヒートアップする。
上がった熱は、男本人にいかずに、恋人の方に牙を剥く。
そういう悪循環も分からずに、愚にもつかない行動する奴なんて、馬鹿だろ。
俺は嫌いだな。
だったら恋人が何を言われても我慢して、無視してる男の方が良いとは思うがな」

どんな人間でも、無視をされた方が、堪えるだろう。
何も反応せずにいれば、文句を言っても響かないんだと相当に傷ついて、いつしか悪口もなくなるだろうと思うのだ。

ふんと鼻で笑うと、今吉が思い切り吹き出すのが見えた。
なに、なんでそこで笑うんだ。お前の笑いの沸点はどこにあるんだ?
黛は今吉に対して訝しんだ視線を投げた。

すると、いままで笑っていた男はやけに楽し気な表情で近寄ってきた。

「赤司の恋人は言うことが違うなぁ」
……俺はいまこいつを罵るのに忙しい。話しかけんな。ご自慢の眼鏡を割られたくなかったら隅で一人で笑っていろ」
「いやいや、そんな強気な自分にちょっと教えたいことがあってな」

笑いながらも黛に話しかけ始めた今吉に、流石の宮地も怯んだらしい。
腕の力を緩め、戸惑ったように今吉を見下ろしている。

「うちに大学に赤司が入学してきた時、えらい騒ぎになったの前に言ったよな?」
「女子がけっこう騒いだって言ってたな。王子様みたいだって」

赤司家の子息で、顔も頭も良く、相当に優しい。それに運動の方も出来るときた。
そんな人間が入学してきたら、女が騒ぐのも無理はないだろう。
実際、赤司は入学から三ヶ月くらいは学内の女子から頻繁に遊びに誘われたようなのだ。
彼女がいるとアピールしたいからか、赤司はよく大学まで呼びつけてきたし、それで周りから好奇の目で見られることはしょっちゅう。
その中には、侮ったような視線も多くあった。

「自分もよく大学に顔出してきてたやん?
で、ある女子が赤司に直接、言うたんや。
『あの程度の女の子が良いの?趣味悪くない?』って。
まぁ、その後、黛の悪口が延々と続いたんやけどな」

隣で笑ってるだけで面白いことなに一つ言わないし、頭悪そう。顔も可愛くないし、あんなのと付き合ってたら低く見られちゃうよ。

女が言ったであろう言葉を、笑いながら並べたてる今吉は「普通、思っても口に出さんやろ?って引いたけど」と告げた。

大学の女が言ったであろう言葉に、黛は呆れただけだった。よくそこまで見知らぬ人間のことを悪く言えるものだ、と。

しかしそれ以外の感情なんてなかった。怒りも悲しみもまったく沸いてこない。知らない人間の評価なんて、あてにならない物なので、振り回されても仕方ないのだ。

黛は今吉の言葉には平然としていた。
けれど、肩を掴んでいた宮地が眉をひそめ「あぁ?こいつは頭良いし、可愛い顔してるだろ。その女、何見てんだ」と謎のフォローをしてきてせいで、思い切りたじろいでしまう。
そういうお愛想を言うくらいなら、肩に置いた手をどけてくれませんかね?と心の中で宮地に文句を言う。

「今吉。そういうの黛に聞かせるのやめてよ」

口を引きつらせていると、樋口が少し怒った口調で止めに入った。
恐らくだが、たじろいだのを見て、悪口に対して黛が傷ついたと認識したのだろう。

宮地のあほな発言に驚いただけなのだけれど。目ざとく注意するなんて、お前は気苦労してるな。

心配されたことに申し訳なくなったので樋口に向かって「赤司の隣なんて、誰がいても侮られるのは当たり前だろ」と安心させるように告げる。

「あいつが出来過ぎ人間なだけだ。
俺は俺のこと好きだから、他人に何言われてても気にはしない。
だから、お前も気にするな」

実際、黛は気にしていない。
というのも、直接に侮蔑の言葉を投げかけられたことはほとんどないからだ。
陰で何かを言われていたとしても、それがたとえひどい侮蔑の類だとしても、直接は言われていないのだから気にしても仕方がない。
怒りが沸いても、ぶつける相手は陰にいるのだ。喧嘩のしようもない。
だったら、気にしない方が心身ともに楽なのだ。

樋口に移した視線を今吉に戻す。

「で?それを俺に、しかもなんで今言ったんだ?」

まだ宮地に対して怒りが収まらない黛は今吉をきっと見据えた。
お前が退いてくれたら、もうちょっと正論で罵詈雑言を叩きつけてやるのに。

しかし、睨まれたというのに今吉は笑った。

「黛、知りたない?」
「何を?」
「恋人の悪口言われて、赤司がどんな行動に出たのか?」
「はぁ?」

黛は首を傾げる。
恋人の悪口を言った女に対して、赤司がどんな行動に出たかって。
そんなの考えなくても分かる。

「あいつだったら相手の女を軽く諫めて、終わりだろ。それ以外の何があるんだよ」

赤司は恋人のことをまるで溺愛しているかのように、吹聴していた。
好きで好きで、大好きで仕方ない、という風を醸し出し。
自分と恋人のあいだに入る隙なんてない、と周りに誇示していたのだ。

けれど、黛の文句を言う人間相手に、同じように黛を溺愛している風に見せるのは悪手だ。

相手は荒を探しているのだ。
赤司の恋人がどんな人間であろうと、小さな綻びさえもあげつらって、文句を言いたいだけ。
先ほどのみゆみゆに対して文句を言っていた俳優のファン同様に、ただ自分の好きな人間の恋人を貶めたいだけなのだ。

そんな人間に真っ向から言い返すのは得策ではない。自分の恋人がいかに素晴らしいかを語っても、初めから分かろうとしない人間に伝えてもしょうがないのだ。馬に念仏唱えてるみたいなもんだ。
だったら、みゆみゆを罵倒しているファン同様に、放っておくのが一番の薬だ、と黛は信じて疑わなかった。

しかし、今吉はさらに笑みを深めた。
まるで、黛の言ったことは違うと言いたげに。

チェシャ猫を思わせる顔に、黛は眉をひそめた。

「違うのかよ。じゃあ、あいつどんな対応して

黛が言い終わるより先に、後ろから手が伸びてきた。
その手が肩に乗っていた宮地の手を掴み、強引に引き剥がす。

赤色が目の前に躍り出てきて、黛は目を見開いた。

あ、と声をあげる間もなく、宮地との間に、赤司が割って入ってきたのだ。

「俺の千尋に何をしているんですか」

低い、苛立ちの混じった声に、肩が跳ねた。
怒ってる時の声だ。
瞬時に判断して、黛は狼狽えた。

もしかして、さっき置いてきたことを怒ってるのかもしれない。それなら早々に謝った方が、怒りは続かないかも。

そう思った黛は、息を飲んで「あ、あかし、さっきは悪い」と声をかけた。

が、何故かあっさり無視された。

「俺は、今まで千尋との交友に特に口出しをしてはきませんでした。
いちおう、宮地さんのことは、それなりに信頼していたんです。
けれど今みたいに掴みかかるなんて非常識なことをするなら、少し口を出した方が良いのかもしれない」

怒りの声が静かに響く。
樋口が慌てたように「待って、赤司待って」と宮地と赤司のあいだに割って入る。

「違うんだって。宮地は、その、みゆみゆのことで気が立ってて。
黛も変に煽ってきたもんだから喧嘩になっただけで、宮地が一方的に悪いわけじゃないんだよ」
「そうそう。黛が火に油注ぐみたいに挑発したんや。
そういう性格なん、お前が一番よく分かっとるやろ?
だから、そないに怖い顔すんなや」

樋口は焦ったような声で、今吉はやけにのほほんとした声で赤司を止めにかかった。

お前ら赤司が出てくると全面的に宮地の味方になるの何なんだよ。どう考えても一方的に宮地が悪いだろ今回は。

とは思いつつも、黛は少しだけそわそわと赤い髪を見つめる。
怖い顔と今吉は言ったが、そんなに赤司は怒っているのだろうか。
女に言い寄られたのが不快で、腹が立って、それで宮地に八つ当たりしているのだろうか。

それなら早く怒りを鎮めないと不味い。
宮地と赤司が喧嘩なんてしたら、シャレにならない。

黛は冷や汗をかきながらも、後ろから赤司のコートを引っ張って「あかし」と声をかけた。

「悪かった。置いてきた事を怒ってるならいくらでも謝る。詫びでもなんでもするから、宮地に八つ当たりするのやめろよ」

盛大に意味のない言葉を喚き散らした宮地の味方をするのは癪に障るが、これ以上、大騒ぎにはしたくない。
だから、謝って終わりにしたかったのに赤司は「俺は千尋に怒っているんじゃない」と苛立ったように返された。

じゃあ何にそんなに怒ってるんだよ、と焦っていると、ため息が聞こえた。
宮地だ、と黛は赤司の背から顔だけ出して様子を伺う。
すると、やけにばつの悪そうな鳶色とぶつかった。

……いや、俺が悪かった。そいつに言っても仕方ないことで詰め寄ったのは事実だ。悪い」

素直に応じる宮地は多少の冷静さを取り戻しているようだ。
けれど、赤司の怒りは収まらないようで。
小さく「謝っただけで許せると?」と喧嘩腰に言葉を吐いた。

流石に様子がおかしい。というか、本当になんで怒ってるんだこいつは。

黛は面倒になって「あぁ、もう、お前は関係ないんだから、あっち行ってろよ!」と赤司の肩を押して、どかす。

そうして、開けた視界の先にいる、宮地を思い切り睨み付けた。

「宮地。俺に謝れよ。それで仲直りして、終わりだ」

本当はもっと文句を言いたい。掴みかかられて痛かったし、なんだかやけに不快だったし、一回くらい、いや十回くらいはぶん殴りたい。

けれど、赤司が怒っている以上、この場を収める方が先決だ。
自分も宮地を責め出したら、収拾がつかなくなる。

宮地は苦い顔で「お前はなんでそんなに偉そうなんだ轢くぞ」と吐き捨てた後で、ため息をついた。

「いや、今回ばかりは俺が悪かった。
お前に言われなくても、俺も分かっていた。みゆみゆを貶めてるファンを諫める方法は、放っておく以外何もない。
ただお前が、みゆみゆ好きなくせに全く関係ありませんみたいな態度したから、腹立って八つ当たりした。悪い」
「悪いと思ってるんだったら、今度奢れよ」

ふんと鼻を鳴らす。
宮地もばつが悪そうにしつつも「分かった。今度の飲み代は俺が払う」と冷静に返した。

こっちは終わり。あとは赤司の機嫌を直すだけ。

黛は赤司の方に視線を移した。
そこにはやけに不満そうな赤色があった。
たじろぎながらも声をかける。

「赤司、さっきの件だけどな」
「俺は怒っていない。むしろ、俺の方が配慮に欠けていたと思ってるくらいだ」
……それならなんでそんなに不機嫌なんですかね?」

怒っていないと言いながらも、不満そうな声をぶつけられ、黛は嫌味のように問い返す。
すると赤司が苛立ったように「気に入らないから」と端的に返してきた。

「何が気に入らないって言うんだよ!」
……ここで言う気はない」
「は?というかお前、なんでこんなに遅かったんだよ。あんな女放っておいて、さっさと追いかけて来いよ!」

女とともに赤司を置いてきたのは自分なのに、責めるような言葉を吐く黛。
それに、赤司のしかめっ面が固まる。
そうして、なにかに思い当たったのか、少しだけ口元を緩め。

黛は首を傾げた。
笑いをこらえているかのような口。眼はなぜか、少しばかり喜色ばんでいる。
なんだ?何に喜んでるんだよ。
赤司の表情の変化が不可思議で「なんだよ?何かあるのか?」と尋ねると、赤司は躊躇って「いや」と首を振った。

「それより、宮地さんと黛さんの喧嘩の原因は何なんですか?」

赤司は黛から視線を逸らして、樋口に尋ねた。
それに軽く、状況説明をする樋口。だいたいの説明を受けて「あぁ、それで」と赤司は納得して頷いた。

「宮地からしたら、みゆみゆ大好きな黛が、熱愛報道知らなかったことに腹立たしい気持ちが強かったんだと思うんだけどね」

樋口が取り繕うに告げると、赤司は「昨日は色々あったので、知らなかったのはしょうがないんです」と冷静に返した。
その台詞に樋口が首を傾げた。
何があったのかと問いたげな視線が自分と赤司に注がれる。

「なに?昨日、なにかあったの?」
「黛さん、誕生日だったんですよ。昨日」

淡々と赤司が言うものだから、樋口は一瞬だけ固まった。
そうして数秒してから「忘れてた」と小さな声が漏れた。

視線をずらすと、宮地は目を見開き、笠松と岡村もやってしまったと言いたげに口をあけていた。
全員、忘れてたんだな、と黛は呆れた。

樋口はすぐに立て直して、黛に顔を向けた。

「あ、いや、忘れてないよ!ほら、赤司に祝われるだろうから、あえて何も送らなかっただけで、あとでお祝いくらいは言おうって思ってたんだよ」

いや、おまえ、さっき忘れてたって言っただろ?
黛が呆れていると赤司が「それと、プロポーズを申し込んで受けて貰えたので、結婚します」とさらっと言った。

その自然さに一同がしんと静まり返る。
今まで楽し気に傍観していた今吉でさえも固まったようで。

「みゆみゆより大事なことだな、それ」

沈黙を破ったのは、宮地のぽつりとした声だった。
その声にはやけに反省した色がうかがえて、黛はため息をついた。

だから、最初からみゆみゆどころじゃなかったって言っただろ。何で聞き分けてくれなかったんだ馬鹿が。







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