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2019年アニメ振り返り(話数単位で選ぶ、2019年TVアニメ5選+α)

@nomu1214
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2020-01-04 11:24:22

今年は土日が後ろにくっついてるから実質セーフだよね!!!(んなわけあるか)

改めまして、あけましておめでとうございます。有言不実行・原稿落とすマンと化している僕ですが、これからも無理のないペースで呟いたり、文章を書いたりしていきたいと考えておりますので、今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、昨年に引き続き「新米小僧の見習日記(http://shinmai.seesaa.net/article/472570555.html)」さん主催の「話数単位で選ぶ、2019年TVアニメ10選」のフォーマットをならいつつ、今年も5選に限定して、2019年に僕が見たアニメを振り返る記事を書いていきたいと思います。

ルール
・2019年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

① Bang Dream! 2nd Season 第11話 「ホシノナミダ」

 バンドリプロジェクトはソシャゲのガルパを経て大きな広がりを見せ、多くの人気を獲得することとなった。他方で、そうした拡大する世界の中で、何もない所から2年間道を切り開いてきたPoppin'Partyの歩み、および癖の強い(笑)1期のアニメの物語は次第に埋没していった感があり、第1回ガールズバンド総選挙の結果などを見ても若干の後ろめたさを感じるようにもなっていた。そんな状況で始まったアニメ2期は、拡張した作中世界の中にあらためて1期の物語を接続し直し、ポピパとはいったい何なのかというのを示すという課題に正面から取り組んでいたように思う。
 この回、ポピパの中でも最もガチ寄りな花園たえのRAS移籍騒動に揺れる中で、香澄は花園に対して「そういう未来」の可能性も受け入れた上で、ポピパはポピパであること、この5人が集まればいつだってポピパであること、いつまでも帰れる場所でありホームであり続けることを告げる。そして、その宣言を裏付けるかのように、1期の物語においてこの5人で初めて演奏された「STAR BEAT!~ホシノコドウ~」にのせつつ1期の物語がハイライトされる。脳内きらきら星に脳内ロックンロール、引きこもりに引っ込み思案に大人ぶった諦観者。一人じゃ生きていけるか怪しい孤独なクセ者たちのホームにポピパがなり続けてきたことを、そのラストカットが雄弁に語る。
 こうして、ポピパが結局のところどんな存在であるのかが明確に示され、かつ、その答えにたどり着くにはあの変テコな1期の物語が絶対に必要だったのだと示される。プロジェクトの先駆者として損な役回りを負ってきたポピパと1期アニメを全力でサルベージした2期アニメに、僕は心から拍手を送りたいと思います。

② キャロル&チューズデイ 第1話 「True Colors」

 本作の最終回は評価が難しい。身内しかいない劇場でライブを行い、外に出しているようで実は見たい人しか見ないメディアであるネットでしか放送をしないミュージシャンたちの姿勢。他方で、本当に楽観的な物語としたいのであれば社会問題を全て解決してのハッピーエンドまで描くことも可能だったにもかかわらず、その後のことについて一切語らずにオープンエンド。それはまるで制作陣自身が音楽で世界を変えることに疑念を抱いているようにも見える。
 しかし、そうした疑念に対して応答しうるものもまた本作の中にはしっかり存在していると思う。それがこの第1話である。家出したあげく都会の洗礼を浴びて心細く街角を歩く少女と、誰も自分の存在なんて気にかけてはいないことを自覚しつつもそれでも都会の片隅でピアノを弾き歌い続ける少女が出会い、足りないものを埋め合わせるかのように1つの音楽を徐々に作り上げていく。その過程が表現豊かに描かれるこの回はその後の物語を起動するに十分な力を持つ鮮やかなエピソードであった。
 結局のところ、「1つの音楽が世界を変える」みたいな大上段の理想がもはや信じられないのだとしたら、それはむしろこの回で描かれたようなミクロな場での音楽を通じた奇跡に賭けるしかないのではないか。「誰かの音楽が誰かを変えること」を世界の各地で実現していくこと、世界のいくつもの片隅にいるThe lonliest girl(もちろんgirlだけに限られるものではない)の「乾くことのない涙」に寄り添うこと。こうしたありふれた奇跡を促す媒介としての力は音楽にはまだ残っていることを力強く示したエピソードだとも言えよう。

③ 八月のシンデレラナイン 第4話 「分かれ道に立っても」

 高校野球の試合展開を思わせる不安定な作画が話題になった本作であるが、そうしたカットの微妙さや動作の不安定さは、作中でも中野君がカメラを回していたように、本当に高校生が自ら撮影した記録動画を想起させ、高校部活青春モノとしてのリアリティとノスタルジーを意図せず増していたように感じられる。他方、以上が高校部活青春モノ作品全般に共通する雰囲気の話だとすれば、作品の独自性を創り出すのは各々の題材をどのように扱うかにかかっていると思う。この点で、本作の題材の持つ可能性・射程を最も明確に示したこの回を取り上げたい。
 全国有数の野球選手だった有原と東雲は中学→高校のタイミングに存在する男子・女子野球の分かれ道に直面する。有原はこれまで共にプレーしてきた仲間ともう同じ舞台で戦えないという現実に一度足を止め、その後、女子野球のプレーヤーとして1から再出発することを決心する。他方で、東雲は同じ土俵で戦えるわずかな可能性にしがみつき、そしてついに高い壁にはじき返され心が折れかけるが、一度は足を止めた有原からの「自分の野球を精一杯続けてほしい」という声援を受け、「終わりは私が決める」こと、この分かれ道を自身の野球の終わりとさせないことを決意する。こうして、かつての野球エリートである彼女たちが、男子・女子野球の分かれ道という形で外部から押し付けられる終わりに抗い、それでもなお「女子野球」としてプレーを続ける意味をこのチームで探していくという主題がビルドインされる。
 その延長線上には、男子野球が真の一流の野球であり女子野球は二流のお遊びに過ぎないという認識(それは野球エリートゆえに有原も東雲も共有していたことが上記の経緯から読み取れる)をこの青春の日々を通して覆していくという物語が見えてくる。それは奇しくも放送と同時期に開催されていたサッカー女子W杯のムーブメントとも共鳴するものであり、そうした一流選手の華やかなムーブメントの根底にあるだろう、何にも劣らない女子スポーツの青春の日々の重要性を想起させるエピソードであったようにも思われる。

④ 荒ぶる季節の乙女どもよ。 第10話 「穴」

 2019年の個人的ベストキャラクター賞は本作の須藤百々子に授与したい。露骨で最悪な「TRAIN-TRAIN」(笑)から始まった本作が穏やかで繊細で前向きなラストを迎えられたこと、特に文芸部5人組の中でも一番シャレにならない問題を抱えていた菅原新菜がそうしたラストにたどり着けたことに対して、須藤百々子が果たした役割は決定的なものであった。この点に鑑みて、本作の物語の最大の転換点となったこの回を挙げたい。
 この回、文芸部の同胞たちが深淵に繋がる穴を覗く中で、生理的現象としての性と社会的現象としての性の複雑怪奇な関係性があらわとなる。勃ってるからといってしたいわけではない。勃っていないからといって大切に思っていないわけではない。好きな彼女がいるからといって他人に勃たないわけではない。大切にしたいからこそ変な気を起こしたくない。そして何より、勃つモノがないからといって好きにならないわけではない。杉本のキムタクムーブに対して性的にときめくどころか生理的な嫌悪感を露にした百々子は、杉本に触られた腕を菅原氏に触れて消毒したい、菅原氏が好きなのだと新菜に伝える。そして、その告白は、男女間の生理的現象としての性に実は誰よりも囚われていた新菜の認識を大きく揺り動かす。
 こうして、文芸部の誰よりも性を理解しているように見えて、誰よりもステレオタイプな性に対して諦観し、知った気になっていた新菜もまた性のあり方にまつわる数多の色の存在を知っていくこととなり、最終回では他ではない百々子だけの色を見つけたいと奔走するに至る。青に覆われる季節を経てそれぞれの色を見つけていくこと。性に振り回されるのではなく、また性に諦観するのでもなく、各々が各々の性のあり方を穏やかに知っていくこと。本作のメッセージを最も明確に体現していた菅原新菜の物語と、何よりその中で決定的な役目を果たした須藤百々子に対して、盛大な拍手を送りたい。

⑤ ロード・エルメロイⅡ世の事件簿-魔眼蒐集列車 Grace note- 第13話 「時計塔と日常と未来への第一歩」

 「聖杯戦争が終わっても人生は続くんだ。馬鹿馬鹿しいくらいにな…」というのはこの回の台詞であるが、基本的に聖杯戦争という超絶ビッグイベントを舞台に語られるfate諸作品において、本作はその外側に延々と広がっているこの世界の人々の人生と日々の営みをディテール豊かに描くことにより、シリーズの世界観の奥行きを大きく増すものであったと言えよう。その中でも、時計塔で繰り返される日常を最も情感豊かに描いた最終回を選出したい。
 魔術師だって人生があること。その人生の中のちょっとしたきっかけで人は変わっていき、色んな側面を持つようになること。聖杯戦争のマスターとしてのウェイバーだけではなく、それまでの19年間のウェイバーも、その後教師となって生徒を教導してきたロード・エルメロイⅡ世も、ロードの座を譲った後のウェイバーも、何にも劣らない重要な側面であること。グレイとメルヴィンの会話が示すように、ウェイバー・ベルベットは人生のハイライトたる華やかな聖杯戦争を終えても人生の旅を続けてきた。それは、先代ロードの背中には遠く及ばず、生徒を送り出し、彼らに追い抜かれる日々の繰り返しであり、人生の消化試合のような日々なのかもしれない。それでも、自身が育ててきた弟子たちの声を受けて、彼は聖杯戦争への執着を断ち切り、自身の戦場で戦うことをついに決心する。
 その果てに実現した夢の中でのライダーとの対面は…万感の思いであった。それは彼の脳・記憶が作り出した錯覚にすぎないのかもしれない。しかし、だからこそ、そこに居るライダーは、聖杯戦争のために毎回英霊システムから抽出される概念存在ではなく、彼の記憶に刻まれていたあの冬木の戦いをともに駆け抜けたライダーに他ならない。最後に個人的な話になって恐縮であるが、今年度限りでそれこそ『Fate/Zero』が放送されていた頃から続いていたひとつの日々に区切りを打つことがほぼ決まっている。そしてそれが決定的となったのが9月末であり、その直後に見たのがこの回であった。そのため、「楽しかったか?ここまでの旅は」という最後のライダーの問いかけは本当に胸に来たし、深く深く印象に残る回になりました。



 その他の作品では『まちカドまぞく』が全体の完成度としてはひとつ抜けていた印象があります。また、『ハイスコアガール』も最後まで見届けて万感の思いでございますが、他方でこの作品は1990年代の青少年の世界認識のあり方をかなり精密に復元し、それに基づいて物語が進行しているような印象もあり、ハルオたちよりやや下の世代の僕にとっては自身の同時期の経験との共通性と差異についても思索させてくれるような作品でした。ここら辺は『よりもい』なんかと比較して見てみると面白いのではないでしょうか。

 他方で、『天気の子』は、その公開のタイミングも含めて、おそらく一生忘れられない作品となるだろうと思います。そして、この作品に代表されるように映画作品が質・量ともに充実した1年となった(興行についてはまた別の話)一方で、TV作品に関しては、企画立案や製作・制作体制の構築といった根本の段階から明らかに無理のある作品が目立ったのも否定できません。年末には『星合の空』の色々な意味で衝撃的なラストも話題になりましたが、それは、巨大で強固で無慈悲になったシステム・世界に対して、自身が大切に思うものを守るために非常に暴力的に抗った行為だという意味で、『天気の子』の森嶋帆高の怒りとも共鳴するような感じがしています。
 そうした「怒り」の噴出は決してネガティブなものではなく、むしろ社会の変革を促すものとして必要不可欠なものだと思います。ただ、それゆえに、「怒り」を最終的な結論にしてしまってはいけないとも考えています。来年の今頃、「2020年はよい年であった」と振り返ることができるよう、2020年が皆にとってより良い1年になることを心から祈っています。

 最後になりますが、本企画を長らく主催されてきた新米小僧さんに対して心から感謝の意を表したいと思います。この企画は、僕がアニメ感想と出会った当初から毎年楽しみに拝読させていただいておりました。また、2017年以降には、僕のような新参者の、しかも毎年5選しか選出できていない出来の悪い記事も拾ってくださり、ブログにリンクを貼ってくださりました。記事の末尾になってしまい大変恐縮ですが、改めて、これまでの10年間、本当にありがとうございました。

※付録:本記事作成にあたっての下書き

https://twitter.com/i/moments/1209865040678932485


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