@toasdm
たった一週間、人の出入りがなかっただけで、事務所はひんやりを軽く通り越す。さっぶ!?と思わず叫んだ彼女の身震いは、デスクのチェアをがたがたと言わせて、さすさすと、手を擦る彼女の寒そうな様子に、山村は貼り付けるタイプのカイロを差し出した。
「はぁぁ……ありがとう、山村くん」
「いえー、僕も寒いので」
ほら、と捲ったカーディガンの内側、温もりの白い長方形は視認できただけで四つも貼り付けられていた。
「わー、重装備だねー……」
「寒いの苦手なんですよ」
「えー気が合うね私も大嫌いー!」
くすくすと笑いあう二人は、年始の仕事をやっつけるだけで午前の時間を食いつぶす。そろそろお昼行っておいで、と彼女に促され、山村は財布を持って席を立った。
「じゃあ、僕がいない間僕の代わりにプロデューサーさんをあっためてくれるように」
「わーい重装備ー」
お貸しします、と山村は着ていたカーディガンをさっと脱いで彼女に羽織らせて、もこもこのダウンコートを羽織って外へ出た。あの様子じゃ重装備は、あのコートの内側にもたんまりと貼り付けられているのだろう。くすりと笑いながら彼女も軽い昼食をとりながら、徐々に温まり始めた事務所の中でもりもりと仕事をやっつけていた。
「お疲れ……様」
「あ、桜庭さん!」
お疲れ様です、と振り返った事務所のドア、複雑な表情の薫が立ち尽くしている。新年のあいさつを軽く済ませてミーティングの資料を受け取った薫は、憮然とした態度でどかっとソファに腰かける。立ち昇る怒りのオーラにさすがの彼女も訝しく思い、あの、と声をかけたが返ってきた言葉はいつも以上に、冷たい一言だった。
「なんだ」
「何か、怒ってません?」
「……別に」
うーわめっちゃ怒ってるやつだこれー、とカーディガンを羽織りなおし、彼女は出方を考える。
渡した資料に不備はないし、挨拶も別に、不備はないはず……そもそも事務所に入ってきた瞬間から機嫌が悪かったように見えたから、私が何かしたってわけじゃ、ないっぽい……?
考えても特に思い当たることのない彼女の頭は、山村のカーディガンのカイロによって無駄に温められてパンクしそうだ。暑いかも、とそれを脱いでチェアの背もたれにかけるついでにちらりと薫の様子を伺ってみたが、驚いたことに薫の方も、彼女をじっと見ていた。
「……」
正確には、睨んでいた。ひぇ、と思わず悲鳴が出そうになるようなギロリに睨まれ、彼女は思わずカーディガンを取り落としてしまう。
「……使い捨てカイロ、か?」
「あ、はい……山村くんが、貸してくれて」
「……」
山村の名を出した途端に機嫌の悪化が目に見えてわかるが、理由まではわからない。ええと、と言い淀む彼女に、薫は溜め息交じりに目もくれず、吐き捨てるように言った。
「貼り過ぎだ。それでは体内に熱が籠る。背もたれに圧迫される部分が低温やけどを起こす危険性もあるし、体の前側、心臓付近に貼るなんてもってのほかだぞ。ひとつだけにするか、短時間にした方がいい」
不満を含んだというよりも、不満しかない、といった調子でそう告げて、薫は資料を読みふける。そうですね、山村くんに返しておきます、と拾い上げたカーディガンを山村のデスクチェアにかけると、心なしか、薫の機嫌の悪さが一段階改善したように見えた。
「君一人温めるくらいなら僕にだってできる……」
「え?」
小さな呟きは山村の席からはうまく拾えず、聞き返した彼女にしかし、薫からの返事はなかった。
まあ、ご機嫌直ったんだったら、いいか。
漸く人気が戻ってきた年明けの事務所では、山村のカーディガンがなくとも活動するには十分か、と再び仕事にとりかかった彼女の後ろ、薫は落ち着いた様子で資料に目を通していたが――ただいま戻りました、と拍子抜けするほどに能天気な声と共に山村が帰ってきても、薫はカイロの貼り過ぎを指摘することはなかった。