あんまり風が強くて眠れないのでキレながら書きました。無許可です。名前は出ていません。
@san_ph7
風の強い夜に
地表を見えざる巨大な手が撫でさすり、大気が揺れ動いた。地を広く、荒々しく風が吹き渡る。雲が千切れ、忙しなく月光は遮られた。吹き寄せられた雲が雨を呼び、しばしば地上を乱暴に洗い流す。自然の脅威は、まさしくこのような夜にこそ人々の中に畏れや不安、ときに寂しさを呼び起こすものだ。猛る風の声は子守唄にはならず、したたかな雨の音がさらに眠りを妨げ、そして風の強い夜は自然と長くなるために。
夕刻より降り始めた雨は、ここ北方の地ではしばらくした後に強風を伴った。粗末な山小屋は至るところ隙間だらけで、単に雨露をしのげればよいとだけ考えていた旅人ふたりは、その考えが甘かったことを身を以て思い知った。その上この晩は、初冬に相応しい寒さになった。
とはいえ他にいくあてもない。彼は雨に叩かれた重い衣服をひとまず脱ぎ、急ぎ暖炉の火をおこす。彼はいいのだが、同行者が風邪を引くかもしれない。薪の量は心許なかったが、彼とて少ない燃料で火を長く保たせる術を知らぬわけではない。こういうときのために、魔法はある。ただし、彼のはいささか古めかしく、時間のかかるものだ。そのうちに背後から衣擦れの音がした。意識的にそちらは見ないようにする。
暖炉に火が点っても、一向に小屋は暖まらなかった。隙間風が入り込み、暖炉の周辺以外ではほとんど屋外に等しい気温になる。よって、ふたりは共通認識として、状況は全くもって不可抗力である、という結論を出した。毛布やそのあたりにあったボロ布何枚かで体をぐるぐる巻にして、彼らは身を寄せ合っている。
「……貴方、体温低いんじゃないですか?」
同行者が小さな声でそう呟いた。抗議にもとれる。それはどうやら、寒さに対してだけではないらしい。彼は肩をすくめた。
「僕に……そういうのを期待するのはよくないよ。天使は冷血動物かもしれないじゃないか。それに、もうどうしたって仕方ない。『この道の先に旅人が勝手によく使う山小屋がある、このルートを通るなら使うといい』。それが全く、こんなボロ小屋とはね」
「“親切な人間”もいたものですね」
「本当にね」
言いながら、彼は目を細めた。本当にそうなのだろう。冬期の移動は、他の季節に比べて危険が伴う。夜をやり過ごすための適切な場所が限られてくるからだ。そしてどんな生き物も、冬を越えるために蓄えておかねばならない。人間も───この場合は野盗だが───例外ではない。寒さにエネルギーを奪われるために、必要最小限でもって“狩り”を達成する必要がある。頃合いをみて、この小屋に襲撃でもかけるつもりなのだろう。森に仕掛けた罠を見に行く狩人のように。非人道的な手段ではあるが、それでも生きるためだ。無論、彼には狩られてやるつもりなど毛頭ない。
ぼんやりしていると、肘で小突かれる。隣を見やると、眉間に皺を寄せた同行者と目があった。雨に濡れた黒髪は中途半端に乾いたためかぺたりとしていて、猫のように少し吊り上がった竜胆色の美しい瞳には明らかに不審と、抗議と、若干の怒りが浮かんでいる。彼女はどうやら、彼が人でなしで、彼が事あるごとに「僕は天使、かもしれないよ」と嘯いてきたことに、ある種の信頼を寄せていたようである。
天使どころか。
彼はどう誤魔化そうか迷ったが、観念して「わざとじゃないんだよ、本当に」と白状した。要するに、今回の事態は偶発的なもので、彼のミスなのだ。ある意味では、己の無能さを示す敗北宣言だ。未来視は使えないが、その片方の瞳でもって小狡い人間の思惑を見抜くことができてもよかったはずだ。何しろ本当に様々な人間を見てきたはずなのだから。ただ、そうした思考を彼女に悟られるような真似はしない。
“人”の良い天使だって騙されることはあるのさ、何しろ人が良いからね、と悪びれると、彼女はぷい、と視線を逸らした。何も言わないところを察するに、一方的に彼だけのせいにするつもりはないらしい。彼女はお人好しだった。
唸る風と叩きつける雨の音には一定の波があり、ほんのひととき収まった瞬間に爆ぜる火の音にハッとさせられ、微睡みから引き戻される。そして、うとうと船をこぎ始めた頃に風雨が強まり、夢半ばで覚醒させられる。彼の同行者は、そうしたことを繰り返している。
眠りを手助けすることも出来なくはないのだが、彼は彼女がそれを望まないだろうと考えた。彼女は彼のことを、天使と嘯くよく分からない人物だとは考えていても、万能な魔法使いだとは思っていないだろうからだ。
これまでの道程においても、彼は彼女の旅を快適にするために干渉することは極力控えてきた。旅の同行者であり、助け合うことはあっても、それを一方的なものにするのは避けた。勇者とはいえ、彼女はこれまでだって危険な目に遭いながら、それでもひとりで旅を続けてきたはずだ。旅人にはそれぞれに流儀がある。ひとりでも何ら問題がない彼女との同行が許されているのは寛容によってであり、つまり彼は、彼女にとっての彼自身を非常に邪魔な存在だと考えている。
求められれば応じるつもりは、ある。ここへ着いて、暖炉に火を入れるときにだって魔法を使ったのだ。彼がある程度か、それよりもっとか、とにかく“出来る”ことを彼女は分かっているはずだ。それは、旅を始めた時点でも同じはずだった。それなのに、彼女は彼にそうしたことを求めたことはない。それは、彼女なりの流儀である、と彼は理解している。常に大きな借りを作らないようにしている、ようにも見える。
身の証が立てられぬ不審な“天使”に対しての最大限の警戒だったのかもしれない。同行を拒めばよいのではと思われるが、そうはしなかった。ひとえに、火傷まみれで倒れているよく分からない男の治療をしてしまう程度の、お人好しの勇者であったから。彼はそういう、お人好したちの寛容さへ勝手に乗っかっている自覚はあったし、だからこそ彼らの流儀を尊重するために、手助けは最小限に留めてきたのだ。
ところがどうだろう、そうした彼との距離感に気を配っている勇者は、疲れたのか微睡んでいるせいなのか、しばしば体勢を保てずにこちらへと寄りかかってくる。暖炉からの熱気に当てられて頬は紅潮し、眠たげに細められた瞳は潤んでいるのだ。そして彼の肩に心地良い重みを感じるたびに、多少の罪悪感を抱きながらも彼は悪党たちへと感謝した。要するにこれも不可抗力なのだが、寄りかかってもいい存在程度には許されているらしいことが、今はこの上なく嬉しかった。
しばし夜が過ぎる。くっついては離れてを繰り返すうちに、彼女はとうとう彼に体重を預けたまま寝入ってしまったようだった。彼はしばらく、強い風雨の音に注意を払って、そしてどうやらもう簡単には起きなさそうだと思うと、彼女の体を支えるために、腰に手を回した。これも不可抗力である、と心の中で唱えながら。
細い。
それ以上の感想を持つことは己に許さず、あとは彼女のための支えに徹することにした。ちらと寝顔を盗み見る。凍えてもいないようだし、寝顔は穏やかだった。
彼はあまり眠らない。肉体の疲労を癒やすためならば、静かにじっとしていれば、彼にはそれでよかった。それ故、彼にとってはいつも、夜は長いものだ。そのために、人の寝顔を観察する、人にはあまり言いたくない趣味があることも仕方がないことだった、かもしれない。大体、寝顔を見ていることを見られている機会なんてものは、彼にはそうそう存在しなかった。
少年のような顔だ。
造作を視線でなぞる。彼には審美はよく分からない。その形を持ったものが、ただそこにあるだけだ。尊ばねばならぬ命と魂があり、容れ物として肉体がある。輪郭より、そこに在るということを確かに感じられる“重み”としての質量の方が、彼に取り重要だ。造形に愛を感じることはない。そこに在ることに、愛はある。だからこそ、肉体を愛おしく思うために、輪郭をなぞるのだ。
そうして、目を閉じる。肩はまだ心地良い重みの存在を伝えている。火の番をしていることをひととき忘れて、彼も彼女の横で微睡んだ。
さて、また少し夜が過ぎる。
破屋は一瞬激しい白光に包まれて、轟音と衝撃に包まれた。落雷である。付近の木にでも落ちたのか、ともかく凄まじい音にふたりは飛び起きた。飛び起きて、彼女は腰に手を回されていることに気がついて、これには声を上げて抗議する。しかし彼は瞬きを数度して、黙ったままじっと彼女の方を見つめた。
起きたときに、手を離せばよかったのに、そこに手がまだある。
「何か言ってください」
言い訳を考えていると、不安になったのか、彼女がおずおずとこう言った。もしや自分に非があったかと感じている顔だ。そうではないのだが、そうではないと言えば彼に問題があることになってしまう。しかし、心地良い重みを伝えていた肩は軽くなり、なんとも寂しいではないか。これ以上は手放し難い。そう思った悪党のように小狡い彼は、寝ぼけたそれのせいにして、頭の悪い言い訳をすることにした。
「不可抗力だ」
「は?」
「雷が、怖いんだ」
次に雷鳴が走ったのをいいことに、彼は呆気にとられている彼女を引き寄せた。ぽかんとしているだろう彼女の上で、彼は続けてこう言った。
「昔、雷に翼を焼かれて、空から落ちたことがあって。以来、あまり好きではないというか」
半分は嘘だ。
彼女は動かないでいてくれたが、配慮して熟考した上でだろう、それにしたって心底疑問であるという口調で彼に尋ねた。
「それとこの状況と、どう関係が?」
「怖いと……その、寂しくならないか?」
「……それで?」
苦しい言い訳だ。彼女の前だと、彼はどうも言い訳を作るのが大層ヘタクソになる。ヘタクソになるフリをしたいだけかもしれないが、そこまで考える余裕が彼にはない。
しかし、ちゃっかりと手は離さないまま、次はなんて言おうかな、なんて彼が考えていると、彼女は少し遠慮がちにこう言った。
「私、貴方に随分長いこと寄りかかっていませんでしたか?」
「え? ああ、そうだね。外はうるさいのに、よく眠っていたようだから、起こすのは忍びなくて」
「重かったでしょう?」
そうに違いない、と信じている口ぶりだったので、すぐさま否定したくなりはしたのだが、肩にかかる重さを静かに喜んでもいたりした彼であったので、返答にちょっと困ってしまった。その沈黙を是と受け取ったのか、彼女はもじもじしながら、続けた。
「その、貴方が迷惑でないなら……別に、今日ぐらいは」
借りを返す、とでも言うように。彼女にはそういう流儀があるのだということを完全に忘れていたかのように、彼は面食らった。面食らった瞬間にまた雷光が小屋の隙間から駆け抜けていった。一瞬だけよく見えた隣の彼女は、困ったような、怒ったような顔をして口を尖らせていた。自分の見ている彼女がどんな感情を抱いているのか、ひょっとするとそれは単なる寛容ではないのではないか。そういう期待を誤魔化すため、ついで雷が怖いフリを続けるために、今一度彼女をちょっと引き寄せた。それに対する抗議はもうなかった。
「でも今日だけです」
「わかった、ありがとう」
彼女は勢いをつけてほとんど頭突きのように彼に寄りかかると、目を閉じた。少しの痛みと共に、愛しき重さがまた帰ってきた。彼が少しだけ彼女に体重をかける。すると、不思議な均衡がふたりの間に生まれたような気がする。歓喜した心を気取られないように、彼は以降、朝まで黙ったままだった。
夜は彼にとっていつも長かった。その後は、彼女の眠りが妨げられぬよう、こっそり忍び寄ってきた野盗を追い払ったり、寝入って床に転がってしまった彼女を眺めたり、明け方近くになり風雨が和らぎ、山間にしとしと降る雨の音を聞いたりしても、尚彼にとっては長い長い夜だった。
そして長い夜が何故だか嬉しいことは、とても珍しいことだった。