人非人の殻・津々

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2020-01-15 16:35:42

…………俺を軽蔑したか』
人非人の殻のちょっとした短編です。


※注意※
こちらの話は『人非人の殻:深打』に関する短編です。
本編のネタバレがありますのでご注意を。

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この話はタテで読めます。
ヨコが苦手な方はこちらからどうぞ!
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 ぱちり、と炭が弾ける音がした。
 眼を開けると弱い光源の元で火鉢の炭が崩れているのを見た。これはいけないと火箸を掴み適度に均していくが一向に熱は増さない。炭を変えなければと呟くと、やらなくて良い、と件の医師の声がする。はと前を向けばそこは夜闇に沈む彼の診察室だった。火鉢は部屋の中央にあり、私は患者用の簡易ベットから座ったままに炭を突いていた。対して医師は窓際の事務机に肘を付き外を睨み続けている。
 何か見えますかと訊けば参列と短い答えが返る。主語も何も無いがそれが何の参列かは知っていた。こうした最中――村が流行病で衰退する中でも新年を迎えたい意思はあるらしい。もしくは懇願か。私にはそれが判別出来ず同時に理解も出来なかった。少なくとも祈る時間があるのならば患者の介抱に充てたかった。
 遠くから聴こえる辛い咳声に立とうとするが医師の早さには敵わず座る事になる。更にはまだ交代は先だ寝ていろと釘を刺されるので大人しくする他無かった。それでもただただ患者の様子が気になる。水は足りているか温度は適切か空気は澱んでいないか――足元に這い寄る焦燥感に疲労ばかりが蓄積する。束の間の気晴らしと火鉢相手に時間を浪費していると不意に頭が重くなった。はと傍らを見れば医師が立っており何故か私の頭へ手を乗せている。何故だろうと相手を見上げれば早く寝ろと再度釘を刺されるだけだった。それに悔しさを覚え、半場無視をする様に火箸を動かそうとすれば、彼の手が頬の方に移動した。名前を不意に呼ばれ顔を覗き込まれる。鎮静剤が必要か、と。
 冗談だか本気だか分からない言葉に一先ず要らないと返そうとしたが、頬に伝わる手のひらの暖かさを自覚した瞬間、遣る瀬無さが込み上げた。血の通う体温を久し振りに覚えたという事実を。患者の症状が快復する前兆のあの暖かさに、もう久しく触れていないという事実を痛感する。想起する冷たさと今触れている温度の落差は息苦しさと安堵をない交ぜにし、その極端な違いが矛盾を孕み眩暈を起こす。眩めば自然、彼の手ひらへ頭を預けてしまう。重くないだろうかと思う頃には頬を包む温度しか感じ取れない。

 ぱちり、と炭が弾ける音がした。
 目を覚ませば橙の明かりの元で火鉢の炭が崩れているのを見た。これはいけないと火箸に手を伸ばそうとして――一気に冷や汗が流れる。脳裏に過る感情を押さえて周囲を見渡せば、ランプ、梁、柱時計、襖、畳、と四畳半の和室が目に写った。私自身はといえば中央にある炬燵に収まっている。頬が痛いのは木枠にもたれていたせいか。中のあんかに触れぬよう正座をする膝には誰かの足指が僅かに触れている。隣を見ればその主が――件の医師が、頬杖を付いたまま静かに寝ていた。
 そこでようやく気が確かになる。
 私は芥さんの自宅に居るのだと。
 もう既に村には居ない、と。

 件の村から出た後の数週間は互いに酷く慌ただしいものだった。端的に云えば伝手を駆使し移住先と職探しに翻弄した。そこから先の数ヵ月も忙しないものだった。探し当てた職に没頭し社会的な地位を固める為に働き積めだった。こうして週、月とくれば、更に年へ移行してしまうのではと危ぶんでいたが、自身の記憶と彼からの手紙が離別を止めた。初秋から届いた手紙はとつとつと交換が続き、二週間に一度来るという感覚を掴む頃には年末年始の予定を訊かれた。その手紙が届いた翌日の夜には空いているとの連絡を送った。
 そうして今に至る。

 雑司ケ谷の片隅にある彼の診察所。その裏面にある住家箇所は意外と狭いが過ごしてみれば存外慣れてしまった。その狭さこそ冬には良いものであるが熱源が冷めれば意味が無い。
 再度火箸に手を伸ばし、掴む。夢の中同様に炭を均せば結果もまた同じだった。変えなければと立ち上がろうとすれば、瞬間、裾を掴まれる。
「やらなくて良い」
 いつの間にか彼が起きていた。寒くなりますと言葉を返したが「いや、良い」とこちらも見ずに云うだけだった。夢の内容、もとい実際にあった出来事をなぞるような現実に少々辟易とし炬燵へ埋まる。柱時計は十一時を越え、遠くからは僅かに鐘の音が響いた。
 互いに黙る内に眠気が来たので軽く舟を漕いでいると、おいと呼び掛けられる。
「煙草を吸っても構わないか」
 大丈夫だと頷けば、相手は炭で火を付け吸い出す。充満する匂いは久しく触れていなかったものであり寂寞より安穏を覚えた。それにより更に眠気を重ねていると再度呼び掛けられ、こう訊かれた。
「俺は、重荷か」
 真意が掴めず首を傾げれば相手は一度紫煙を吐き、口にする。
……お前の事だ。今でも事ある毎に村を思い出し、要らぬ徒労を抱えている筈だ」
 反論しようにも先が浮かばない。泳ぎそうになる目を下に向ければ冷え付く視線に刺された。黙秘を止め、素直に、先程まで村での年末を……と白状すれば「全く、とんだ阿呆め」と忌々しく呟かれた。後、滾々と自己認知の説教を受けたが結論として、
「ともかく想起の原因が俺ならば云え」
 と睨まれる。つまりは、件の村の記憶が私を苛めている事、その記憶を呼び起こす原因が自分にある事を危惧しているらしかった。
「そうだとしたら、どうするのです」
「縁を切る」
 即答だった。
「連絡等も金輪際とする。お前もそうしろ、診察所に脚を向けてくれるな」
 その鋭さにぎょっとした。彼の言葉には芯があった。本統に私がそうだといえば直ぐ様に絶壁を築く意思があった。私にはこの鋭利な決意を直ぐ様に受け取るにも理解するにも甚だ未熟であり、一つ一つの言葉を反芻し意味を呑み込む間に無言を落とし続けた。それに思う所があったのか、彼は呟く。
「お前の重荷だけには成らない。成るなど――――……
 声に成らない声が、自身の意識に溶け込んだ。急に思考が鎮まり返り冴え切った視野には相手の煙草が映る。それは小刻みに震えていた。
 私は彼の名前を確かに呼ぶ。そうして居住まいを正しながら続けた。
「それは、成っていません。成りもしません。まずそうなら今此処に居やしない」
「気負った付き合いの名目があるだろう」
「私がそこまでの御人好しとお思いですか」
「自覚が有るとは恐れ入る」
 再度の説教を挟まれる前に「まず」と繋ぎ相手を見上げる。
「確かに村の記憶は凄惨なものばかりです。その殆どを貴方と過ごしたならば、……何であれ思い出さないのは不自然でしょう」
 物理的な傷もあれば尚更だ。鏡に映る自らと――血色が善くあれど右目の機能しない顔と――目を合わす度に過る感情は実際にある。
「ですが、構いはしません。私は、私の居る今に、貴方も居る事を嬉しく思っています」
 辛いか、と訊かれれば辛い。
 苦しいか、と問われても同様だろう。
 しかし。
「辛さや苦しさを上回るからこそ、構いはしないのです。……其れ程に大切な記憶――いいえ、私を象るひとつの経験です」
 そう念入りに否定した所、彼は何も返さず動かず無言を貫いた。それに彼自身の採決が分からずあれこれと問い質したが最終的には溜息を吐き顔を手で覆う始末だった。返答が聞けぬ場合の手段として沈黙は了解とする旨を伝えれば確かに頷いた。ついでに炭を変える旨を伝え、相手が動かぬ隙にその場を離れた。
 炭を持ち込み交換すれば冬の寒さが段々に立ち退く。時刻を確認すれば十二時を既に越えていた。明けましたねと伝えればそうかとだけ返された。震えと硬直化は治ったらしかった。互いの明日の為にもう床に就くべきかと考えたが、訊かねばならない質問が出来ていた。
「貴方こそ、どうですか」
「何がだ」
「私は重荷ですか」
 しかし云い終える前に断言される。
「考えた事もない」
 また違う理由でぎょっとする。火箸へ集中し無理に平常心を装っていれば、相手は事務的に「村に関しては同じ様なものだ」と補足説明をし始める。
「都に来た数日は夢見が頗る悪かった。似た患者を診ると不安は過る。ごく稀に急な吐き気も起こる。コロリに関する論文を読んだ後など無論だ。そうして思い出す、が、」
 不自然に言葉が止まった。特に進展の無い数分が続き紫煙の濃度が増した。少々気になり相手の方を見やれば偶然に視線が合う。が、彼の方が咄嗟に明後日を向く。その後頭部越しに昇る新しい煙を永遠と眺めていればようやく、
「お前よりも切羽詰まってはいない」
 と返された。訳も分からず「何故です」と生返事の様な返答をすれば相手は再度硬直に入った。先程と同じく何を訊こうと後頭部は無言を押し通す。勿論相手は医師であるからして幾度となく無情な経験に遭っている。しかしそれをことごとく呑み込み知識技術に昇華する才人だ。現に私はそれを(一例でこそあれ)直視している。であれば経験則かと訊くのはあまりの愚問であり訊かずとも承知の事実だった。その事実を含めての大丈夫な理由、もしくは言葉が途切れるような訳は考えられなかった。だからこそ余計に切羽詰まらない理由が気に掛かった。しかし思考は次第に途切れる。先に寝てやろうかと僅かに思ったが客人である手前行動は起こしにくく口にするのも躊躇われた。取り敢えず相手の手の赤さに「暑いですか」と炭に灰を掛けていると、不意に、唐突に、自身と相手の想起する記憶に微かな差があるのではないかと気付く。その導線の切れ端は先程断言されていた。
……私に、関係はありますか」
 云って、恐々と隣を見ればこちらを睨む彼が居る。
…………俺を軽蔑したか」
 相手の赤色が安易にも自身へ移る。口を空けては閉じるを繰り返し言葉を探るが上手く掬い切れずに霧散する。息を吸い込んだとしても紫煙が思考を無下にした。あまりの悔しさに火箸で灰を衝きながら半場呻き声の様に呟いた。
「それは、出来たら、どんなに、楽で――

 煙草が火鉢に捨てられるのを見た。
 彼の手が頬に触れた。


 了

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新年早々ひどいねつなら、
夜風当たるか炭出すか

寒中見舞い申し上げます。
こちらが令和二年の初書きと相成りました。相変わらずの縦文脈ですが、変わらずの御愛顧の程宜しくお願い致します。
ちなみに発端と致しましては、1月3日に明治村に行ったところ、清水医院に火鉢がありました。後は言わずもがなです。同行者の戦友は「なんか受信したな?」と言っていました。そうです受信しました、していました。よしなに。

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椎名林檎/野生の同盟
東京事変/スイートスポット

20/01/15 作品公開&加筆修正


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