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あの子の旅

全体公開 4321文字
2020-01-15 23:32:34

犬飼さん(@7_24inukai)の素敵すぎるPV(https://nico.ms/sm36219248)に触発されて書きました!
動画の中で出会った順に、ムスメーリアちゃんが色々な旅人たちと出会っていきます。

Posted by @na_na_mi_p

 あっ、と何かに足を取られた感覚があった。
 気づいたときには、娘は地面に顔をしたたかに打ち付けていた。
 涙でにじむ視界に、ふっと影が落ちる。

「大丈夫?」

 低く、わずかに掠れた声が降り、目の前に手が差し伸べられる。
 娘が顔を上げると、声音から予想したよりいくらか幼い顔立ちの少年が立っていた。
 藍色の外套に身を包んだその少年の、晴れた空の色をした瞳には、困惑の色が見え隠れする。転んだ子どもに咄嗟に手を伸べてしまったけれど、どう接したものか迷っているといった様子だった。

「ありがとう、お兄ちゃん」

 少年の手を借りて立ち上がる。触れた指先が硬いのを、おや、と思う。娘のために時折、弦楽器を奏でてくれる母の手が、いくつかの指の先だけ硬くなっていたのを思い出した。

「どっか怪我してない? 思いきり転んでたけど」
「うん、ちょっと痛かったけど……平気だよ!」

 力いっぱい答えると、少年はなぜか、何かを伝えたそうに自身の右頬を指し示してみせる。
 不思議に思って娘が自分の頬に触れてみると、べったりと土汚れがついていた。
 慌てて手の甲でこすり、えへへと笑う。
 表情の変化に乏しかった少年の口元が、つられてわずかに緩む。それで娘は、一気にこの少年に親しみを覚えた。

「あのね、あそこに時計塔が見えるでしょ? 格好いいなぁって見とれてたら、転んじゃったの」

 そう言って娘は、街外れに立つ古い時計塔を指差す。
 少女の指し示す方に目を向けた少年は、しばし何かを思案する様子をみせた後、ぽつりと告げた。

「あの時計塔、中に入れるよ」
「えっ、本当?」
「本当」
「お兄ちゃん、この町の人?」
「いや、前に一度来たことがあるだけ」
「じゃあ、旅人さんなのね! わたしとおんなじ!」

 娘は弾んだ声音で話を続けた。

「わたし今ね、生まれて初めての旅をしてるんだ。こんなに大きな街に来たの初めて。見たことのないものがたくさんあって、にぎやかで、とっても楽しくて」

 大きな身振り手振りを交えながら話す娘を、少年は温かな眼差しで見守っている。
 ――その空色の瞳に時折、何かを懐かしむようなほのかな切なさがよぎることに、娘は気づかない。

「あっ、その竪琴!」

 少年の左脇に抱えられた小さな竪琴を見つけ、娘は声を上げた。
 古木でできたその竪琴には、ぽつりぽつりと小さな白い花が咲いている。

「お兄ちゃん、やっぱり楽器を弾くんだね。お花が咲いてるの、とってもキレイ! 昔、お母さんが話してくれたお話に出てきた竪琴みたい」
「どんなお話?」
「えっとね……世界のどこかに、神様のための不思議な竪琴があるんだって。その竪琴を持つ人は、ひとりぼっちの神様が寂しくないようにって、歌を奏でるの。そうして、神様がもう寂しくないよって笑ってくれたら、キレイなお花が咲くんだって」
……そっか」

 なぜだかほんの一瞬、少年が今にも泣き出しそうな顔をしたような気がして、はっとする。
 けれども次の瞬間には、穏やかな笑みだけがそこにあったので、きっと見間違いだったのだろうと娘は思った。

「それじゃあね、お兄ちゃん。わたし、時計塔に上ってくる!」
「ちゃんと前見て歩くんだよ」
「はーい!」

 元気いっぱいの返事をするや否や、娘は街外れの時計塔を目指して駆け出していく。


***

 干し草をどっさり積んだ荷馬車が、一面の麦畑を貫く細い農道をゆっくりと進んでいく。
 その荷台の片隅に、娘はちょこんと膝を抱え、規則的な揺れとともに後方へ流れていく風景を眺めていた。

「そういえば君、いくつ?」

 声をかけてきたのは、ルビーのような鮮やかな赤髪を短く切り揃えた少女だ。
 街道の外れで、自分の村へ帰る途中だというこの馬車の主が、同じ方向へ行くならついでに、と娘を乗せてくれた。少女は、そこで乗り合わせた先客だった。
 娘が自身の年齢を答えると、少女はくだけた笑顔でそっか、と相づちを打つ。

「あたしが旅に出たのも、ちょうど君くらいの時だったよ」

 そう語る少女の横顔にはまだあどけなさが残るが、娘の目には熟練の旅人のように頼もしく映った。

「お姉ちゃんは、それからずっと旅をしているの?」
「まぁ、特に行くあてもなくね。そっちの子も大体おんなじような感じで、今はなんとなく一緒に」
 
 そっちの子、と少女が指し示すのは、幻想的な意匠の青いローブに身を包んだ、どこか儚げな雰囲気の少年だ。
 こちらに背を向ける形で、馬車の進む方向をぼんやりと見つめていた少年は、金糸の髪を揺らしてこくり、と頷く。
 それきり、馬車の上には再び沈黙が訪れ、馬の蹄と車輪の音だけが響いた。
 そんなふうに、時折ぽつりぽつりと会話を交わすけれど、それぞれが物思いにふける静寂の時間の方がずっと長い。その静寂に決して気まずさはなく、この二人の旅人たちの間に元々流れていたであろう緩やかな雰囲気が、娘にとっても不思議と居心地よかった。
 なんとなく上機嫌になった娘は、荷馬車の縁から投げ出した足をぶらぶらとさせながら、小さく鼻歌を口ずさむ。
 しばらく歌っていると、赤髪の少女が再び娘の方を振り向いた。

「その歌、知ってるよ」
「本当? これ、お母さんがよく歌ってくれた歌なんだ」

 娘の言葉を聞くと、少女は首に提げていた深紅の笛を口許にあて、ひと呼吸してふっと息を吹き込んだ。
 風のような軽やかな音色が生まれ、娘が先程まで歌っていた旋律をなぞっていく。

「すてきな音!」
「ありがと。……ねぇ、エンデも弾ける?」

 ぼんやりと前方を眺めていた少年が、少女の呼びかけにゆっくりと振り返る。
 少年の瞳が左右で異なる色をしていることに、そのとき初めて娘は気がついた。

「うん、多分。えーっと……

 思案する少年の、星空色をした左の瞳に、いくつもの不思議な光が躍る。娘が目を奪われているうちに、少年の指先がぽろりぽろりと、抱えていた弦楽器を爪弾き始めた。
 それは見たこともない異国の楽器であるのに、どういうわけか、記憶の中の母が奏でていたものと同じ音色だった。
 嬉しくなって、娘は思いきり声を出して歌い始めた。
 少年が奏でる弦楽器の音色と、娘の伸びやかな歌声。そこに赤髪の少女が、歌の旋律を追いかけるように、笛の音を重ねる。
 行きずりの旅人たちのひとときのハーモニーを乗せ、馬車は麦畑の間を駆けていく。 


***

「そうなんですかー。それはとっても楽しい旅をしてきたんですね」

 柔らかそうな金髪を緩いおさげにした少女は、ほんわりとした笑みで娘の話に相づちを打った。
 娘の話に耳を傾けながらも、少女は膝の上に載せたスケッチブックに、さらさらと鉛筆を走らせている。少しの迷いもないその筆遣いは魔法のようで、娘の目はたちまち釘付けになった。 
 その傍らでは、濃緑色のカーゴジャケットを羽織った男が、木と布で作られた古びた帆船の玩具を黙々と直している。
 それは、娘がずっと旅路を共にしてきた大切な宝物だった。壊れて帆が張らなくなってしまった帆船を抱え、しょんぼりと肩を落としていたところに、この二人が通りかかったのだった。

「よし、できた。これで大丈夫かな?」

 しばらくの格闘の後、そう言って男が掲げてみせた帆船は、経年でやや黄ばんだ帆をぴんと張る、すっかり元通りの姿になっていた。
 娘の顔が、たちまちぱっと明るくなる。

「すごい! ありがとう、お兄ちゃん!」
「どういたしまして」

 男に手渡された玩具の帆船を、両手で大事に抱える。
 小柄な娘が持つと、それは一層大きなものに見えた。

「しかし、なんだって君はこんなかさばる物を持って旅を?」
「これはね、わたしのお守りなの」
「お守り?」

 こくり、と娘は頷く。

「わたしが生まれ育ったのは港町で、家からは海へ出ていく船の姿がたくさん見えたの。わたしもあのお船が欲しいって、ずっとベランダから眺めてばかりいたら、お母さんがお誕生日に作ってくれたんだ」

 すごいでしょ、と小さな帆船を嬉しそうに掲げてみせながら、娘はさらに続ける。

「お母さんがね、わたしが旅立つときに言ってたの。昨日から今日へ、今日から明日へ、旅は色んなものが目まぐるしく変わっていくから、あなたにとって一番大事なことを見失わないように、って。だからわたしは、ずっと大切にしてきたこのお船だけは一緒に連れて行かなくちゃって思ったんだよ。……やっぱり、ヘンかなぁ?」

 思い出すのは、幼い頃。およそ女の子に似つかわしくない武骨な玩具を、異性にも同性にも指をさして笑われた記憶。
 けれど男は藍晶石の色をした瞳を優しく細め、首を振る。
 小さな娘と目線を合わせるように膝を折り、彼は答えた。

「君のありのままの気持ちを、君にしか見えない世界を、そのまま大事にするといい。誰に否定されたとしても、いつかそれは君を、君にしかたどり着けない場所に連れていってくれるから」
「ふふ。クライスさんもそうやって、誰も気づかなかった精霊さんの歌を見つけ出したんですね」

 いつの間にやら絵を描き終えていたらしいおさげの少女が、ひょっこりと男の後ろから顔を出す。
 それから少女は、持っていたスケッチブックの一枚を破り取ると、娘の前に差し出した。

「はい、どうぞ」

 描かれていたのは、満面の笑みでこちらに向かって手を振る、色とりどりの花の首飾りを提げた娘の姿。

「わあ……! これ、わたし?」
「笑顔いっぱいの旅になりますようにって、願いを込めました。よかったら、こちらもお守りにしてくださいね」
「ありがとう、お姉ちゃん! えへへ、帰ったらお母さんにも見せてあげようっと」

 ふと、胸の片隅にほのかな寂しさを覚えた。
 帰る、という言葉をひとたび口にしてみれば、途端に故郷の潮の香りと、母の優しい温もりが恋しくなってくる。

「お兄ちゃん、お姉ちゃん。わたし、そろそろ行くね」
「次はどちらへ行くんですか?」
「えーっと……わたしが一番大好きな場所!」

 娘の言葉に、男と少女はしばし顔を見合わせた後、あぁ、と合点した様子で顔をほころばせた。

「きっと、とっても素敵な街ですね」
「道中気をつけて。無事に家の戸を叩くまでが君の旅だ」
「うん、ありがとう!」

 じゃあね、と大きく手を振りながら歩き出す娘に、手を振り返す二人は同じ言葉を贈る。

「「素敵な旅を」」


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