『かみさまといっしょに。』サンプル

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2020-01-19 09:24:19

第七回文学フリマ大阪初版。
「かみさま」がテーマの短編3作を収録しています。

Posted by @meno_fish


『楽園は未だ滅びず』


 2019年4月25日。平成最後の木曜日、俺は神様と出会った。

 その場所の存在を知ったのは、国内の廃墟スポットについて書かれたマイナーなブログだった。朽ち果てた様々な建物の写真が掲載されている中、その場所について書かれた記事には一枚も写真が無く、カテゴリも「噂話」となっていた。
 記事によると、その場所はバブル絶頂期の頃に建てられた巨大なリゾート施設だか宗教施設だとかで、民家から離れた山の中の広大な敷地を使い、宿泊施設や温泉リゾート、さらに巨大な鳥居や信者たちの住むマンションまで建てられていたらしい。しかし、バブル崩壊と共に経営は破綻。温泉リゾートは解体され、母体となった宗教団体も今は存在していない。そして山奥には、その当時の建物がほぼそのまま放置されているのだという。
 ……と、そのブログにはここまで書かれていたが、当の執筆者は実際に現地には向かってはいなかった。なにしろ場所がN県とG県の県境の山中で、その場所は近くまで車で乗り付けたとしても、そこから一時間ほど獣道を歩かないと辿り着けないらしい。ネットでしばらく情報を探すともう一件、その場所に行こうと試みた廃墟マニアのブログが見つかったが、そのブログ主も車を降りて少し歩いてはみたものの、四方を草木に覆われた道らしい道の無い場所で途方に暮れてすぐ引き返したと書かれていた。
 つまり、この場所に行った者は、まだ誰も存在していない。
 これはチャンスだと思い、情報を知った俺はすぐさま身支度を整えて、良く晴れた四月二十八日の朝に現地の山の中へと向かった。俺も廃墟スポット専門のチャンネルを開設していたものの、どこも有名スポットの後追いばかりでいまいちパッとしていない。もしこの場所を発見して動画を上げれば、再生数もうなぎ上りになるだろう。
 二つのブログで書かれていた通り、その場所に続く道は腰まで草木が生い茂り、もはや自分が道を歩いているのかどうかすらも分からない状況だった。勿論目印はつけて歩いているし、幸か不幸か俺は未婚で両親も既に他界しているため、俺に万が一があっても困る人間はいない。いるとすれば、唯一この計画を打ち明け、丸一日連絡が無かったら警察に通報するようにと伝えた、大学時代の悪友くらいだろうか。一応熊除けの鈴だけをナップザックに付けているが、それだけという我ながら心許ない装備で俺は森の中を進んでいった。
 一時間、いや、二時間ほど歩いただろうか。突然、足元の感触が土からコンクリートへと変わった。そこから十分も歩かないうちに、目の前に巨大な鳥居が現れた。
「すげぇ……
俺は思わず声を漏らした。小学生の時、修学旅行で東大寺の南大門を見たが、それに匹敵するような迫力だった。長い年月で色は褪せて、あちこちが崩れてボロボロになっているが、それでも山中に突然現れたこの鳥居には、まるで興味本位で来るものを拒むような威圧感があった。
 その威圧感に飲まれまいと、俺はゴクリと唾を飲んでカメラを構える。そして意を決して鳥居をくぐった。
 鳥居から先は石畳の通路が続いており、左右には巨大な建物が軒を連ねている。どうやらホテルのようだがその外観は異様で、宮殿のような豪華な装飾が施されており、見た目も中華風、アラビア風、ヨーロッパ風と統一感が無い。しかし、ガラス張りの窓から見える内部は荒れ果てており、ソファやテーブルがひっくり返り、段ボールやよく分からない紙類が散乱していた。
 俺はぼうぼうに生えた草をかき分けながら進んでいく。俺の足音と熊除けの鈴だけが嫌にハッキリと耳に入り、他には虫の羽音と時折聞こえる鳥の鳴き声しか聞こえてこない。浮世離れした風貌の両脇の建物からまたしても静かな威圧感を覚え、俺は足早に通り過ぎた。
 ホテル街を通り抜けると、眼前にまたもや巨大な建物が現れた。それは神社の本殿のような建物で、相も変わらずため息を吐くほどの迫力だった。
……おそらくここが宗教団体の総本山なのだろうが、そういえば、ここの宗教は一体どの系統なのだろうか。入口の鳥居やこの建物は神道のようだが、道中には仏像のようなものがいくつか散乱していたし。まあそもそもこんな現実感の無い廃墟で、細かい事は気にしたら負けかもしれない。
 俺は中に入ろうと建物に近づく。正面の入り口は閉ざされていたが、回り込んでみると勝手口のドアが開くことに気が付き、俺は中へと侵入した。
 段ボールや調度品が散乱した部屋をいくつか通り過ぎると、ひときわ広い場所へと出た。そこは、体育館ほどの広さがあるホールだった。板張りの床は歩くたびにきしむ音を立て、俺を不安にさせる。見上げるほど高い天井には、何やら天井画が書かれていたが、薄暗いのと長い年月で掠れたのか、何が書かれているのかは分からない。正面には体育館のステージのようなスペースがあり、そこは祭壇のようになっていた。大量に並べられた調度品はどれも倒れておらず整然としており、背後の壁には天井と同じような絵が描かれている。そして祭壇の中央には巨大な台座が備え付けられていたが、その上には何も置かれておらず、ただ台座だけが鎮座していた。
 このホールはどの扉も閉ざされていた為かそこまで荒れておらず、ホールの脇に大量の座布団が山積みにされている程度だった。室内なので鳥の声も虫の羽音も聞こえず、靴音と鈴の音だけが小さく響き渡るのみ。立ち止まってしまえば、完全なる静寂がこの場所を支配していた。
 まるで子供のころに見た夢のような、現実と幻想がごちゃ混ぜになった景色に俺は目を回しそうになる。これはとんでもない場所を見つけてしまった。早く撮らなければ、とカメラを構えて、天井からゆっくりとその景色を捉えていく。
暫しの長回しの後、俺は息を吐いてカメラを下ろした。ふと祭壇の方に目を向けると、一つの人影がこちらを見ていた。
 一見して、俺はそれを子供だと思った。華奢な体つきで丈の長い着物を着て、俺の方をじっと見つめている。髪は腰ほどの長さがあり、上等な絹のように透き通った白髪だった。
……こんにちはー?」
俺が何か考えるより早く、相手は口を開いた。明るいようでどことなく覇気のない声がホール中に響く。突然の状況に、俺はすっかり固まっていた。
……そこにいるのは人ですよね?」
ふと相手の雰囲気が変わった。低い声音で視線は真っ直ぐにこちらの双眸を捉えていた。その迫力に押されて、俺は思わず「は、はい」と声を上げる。しかし緊張感も刹那。俺が声を出した途端に相手の目が驚いたように見開き、笑みを湛えた。
「こちらへ来て話を……ああ、でもここは床が傷んでいて危ないですね……
相手は先ほどまでの雰囲気に戻り、独り言を呟きながら忙しなく動き回っている。しかし、何故だかこちらには足音一つ響いてこなかった。
「そこで待っていてくださいね。今そちらへ行きますので!」
ふと、相手が顔を上げた瞬間、放物線を描いてこちらへ跳躍した。紙飛行機が飛んできたようにふわりと目の間に降り立ったそいつは、妙に楽し気な笑みを浮かべていた。
 改めてそいつの姿を見て俺は驚愕する。華奢な体つきと遠目から見た雰囲気からてっきり子どもかと思っていたが、身長は俺とほとんど同じだった。男か女か、外見からは判別がつかない。ただ、笑みを浮かべる瞳は吸い込まれそうなほどの黒で、俺は何かに射止められたように動けなくなった。
 そいつは不意に両腕を伸ばしてきたかと思うと、俺の腰を掴んで一気に担ぎ上げた。
「わっ、重い!」
少しふらついたそいつは、床を軽く蹴り上げて飛び上がった。一瞬で煤けた天井画が目の前に迫り来る。俺の体はそいつと共に放物線を描いて、祭壇の台座を跳び越し、そのまま自由落下を始めた。
「ぶつかるぶつかる!」
俺は慌ててもがくが、担いだ両腕は俺をがっちりと掴んで離さない。そのまま壁に激突する、と思った瞬間、目の前の壁が突然こちら側に開いた。壁だと思っていたそこは両開きの扉だったようで、俺達は吸い込まれるように扉の向こうへと落ちていく。
 縺れ合って転げ落ちた俺達は、部屋の奥の何かに当たって停止した。俺は背中を盛大に打ち付けて、あまりの衝撃にそのまま動けなくなった。 一方、俺を拉致したそいつは大の字に寝っ転がり、けらけらと可笑しそうに笑っている。着物も盛大にはだけているがお構いなしだ。
 寝転がったまま部屋の様子を確認する。中は十二畳ほどの板の間で、物一つ置いていないがらんとした部屋だ。部屋の隅には今の衝撃で手から転げ落ちたカメラが転がっている。
 俺は先ほど背中を打ち付けた何かを確認しようと見上げると、そこには小さな祭壇があった。ちょうどホールにあった物の縮小版のようだ。ただこちらの台座は空ではなく、一体の銅像が鎮座していた。それは一見すると観音像のような様相だったが、それがよく見かける観音様ではないことは、仏像に疎い俺でも一目で分かった。右腕を天へと伸ばし、左腕は手のひらを上に向けて、まるでこちらに手を差し伸べているようだ。肢体は流れるように滑らかで、仰ぎ見るその横顔と、こちらを流し見ているような瞳は銅像と言えどもドキリとするような美しさだった。
 その銅像と瓜二つの容姿をした奴が、今目の前にいる。しかしその様子は銅像の神秘的な印象とはどうにもちぐはぐだった。
 俺は背中の痛みを堪えながら何とか起き上がる。すると、目の前のそいつも急に起き上がり俺の手を取った。
「よくこの地に戻ってきてくれました……!」
そいつはどこか熱情的な声色で囁くと、そのまま俺を抱きしめた。その力の強さに俺は「痛い痛い」と思わず声を漏らす。
「外の世界は大変だったでしょう? ここでゆっくり休んでいってください」
「おい、何だ急に!」
俺はもがきながらなんとか目の前のヤツを引き剥がす。ふらふらと離れたそいつはキョトンとした顔で俺を見つめている。
「私の顔を覚えていませんか? 怖がらなくても大丈夫ですよ」
そう言って軽く笑みを浮かべているが、俺には何のことだか分からない。ただ電波な言動を繰り返すそいつを前に、俺はじりじりと後ずさる。しかしそんな俺の様子を見ても、ソイツはなんでもないように破顔した。
……もしかして、新しい入信者ですか? ようこそ『現世の楽園』へ!」


◆◆◆◆


『トウゴウナリシカミ』

(本文前略)

2019年8月23日(金)

 ※※県の山奥に巨大宗教施設があるという噂を聞きつけた私は、早速情報を集め、山の中の有料道路を一時間程かけて車を走らせらた。
 共に聞いた宗教団体名で検索をかけてみると何件かの個人ブログはヒットしたものの、このご時世団体の公式サイトのようなものは見当たらなかった。そしてその個人ブログを漁っても、一体どんな活動をしている団体なのか詳細な情報は得られなかった。ブログの一つに駅前で信者から貰ったという名刺をアップしている者がおり、そこには団体名と電話番号、そして「人類の平和のために、ひとつになりましょう」というとてもありがちな一文が書かれている。それだけの簡素なものだった。で、試しにそこに書かれていた電話番号にかけてみたら、何とこれが大当たりだった。
 こうして本部への連絡が取れた私は、なんの紆余曲折もなく取材の許可をゲットしてしまい、そして今日私はその巨大宗教施設の前へと辿り着いたのだった。
 正に宮殿といって相応しい、白い壁の荘厳な館を前に、思わず足がすくんだ。駐車場から私を案内してくれた信者が正面の扉を開けると、目の前には案内の信者と同じ服装をした女性が一人と、白装束の男が立っていた。
「※※※様、遠路はるばるお越しくださりありがとうございます」
その男は異様な姿だった。白いフードを目深に被り、目元と口元は白い布で覆い隠している。落ち着いた態度だが、凛と響く声色やわずかに窺える肌の様子から、まだ二十代半ばの若者のように感じた。彼の言葉に案内の信者が深々と一礼をする。
「ワタシは司祭の※※※※と申します。簡単ではございますが、※※※様に当団体の理念や施設の紹介をさせて頂きたく存じます」
そう言うと案内の信者が下がり、司祭は側の女性と共に部屋の奥へと歩き出す。私も慌ててついていく。
 入ってきた場所はまるでコンサートホールのエントランスのようで、荘厳で穏やかな雰囲気が漂っていた。コツコツ、と大理石の床を歩く女性信者のヒールの足音が高い天井に響く。
「ワタシ達は『人類の幸福のために、我々が共にひとつになること』を教義として、二年ほど前から活動を始め、日々この場所で生活を共にしています。人類は誕生したその時から様々な欲に蝕まれて生きています。独占欲、支配欲、承認欲求……そしてそれらは即ち、自分が取り残される恐怖、誰にも認められない恐怖、死への恐怖……そんな孤独への恐怖から生まれてくるものです。つまり、この根源的恐怖を抑えない限り、人類に真の幸福は訪れません」
「そのためワタシ達は、互いに分け合い、互いを知り、共に過ごすことでひとつになり、その恐怖を抑え込む……。それがワタシ達の目指す未来です」
司祭の言葉に、隣の女性信者は時折深く頷いていた。司祭は普通に喋りながら歩いているが、視界が塞がれているというのに、何の介助もなしに歩いている。あの布は飾りなのだろうか?

(本文中略)

 この場所はまずい。ここは宗教団体なんかじゃない。彼らは何をしていた。司祭は何者だ。あれは***************(以下一ページに渡り筆跡がかなり荒く判読不可)
 落ち着いて記そう。まだ足音は聞こえてこない。
 祈りの間に向かうと扉の一つが半開きになっていた。中を覗くと、広いホールに信者たちが座り、正面のステージに司祭が立っていた。皆手にあの「神水」を持っている。
「神は常に我らと共に。我らがひとつであるとき、我らは神とひとつになる。たとえ姿形が違えども、今この時我らはひとつであり、また神の一部でもあるのだから」
こんな調子の司祭の言葉が五分ほど続き、祈りの儀式は終わった。司祭がステージから捌けて信者達が動き出したのをみて、私は慌てて扉を閉めて近くにあったソファに腰掛けた。しかし待てども待てども信者達が出てこない。
「ワタシ達の祈りの儀式にご参加いただき、ありがとうございます」
突然背後から司祭の声が響いて私は飛び上がった。
「※※※様は『神水』をお飲みになったでしょう? なれば、儀式に参加する資格は十分です。どうぞ、ご案内しましょう」
 そう言って司祭は祈りの間に入った。いつの間にかステージの奥には三つの扉が並んでおり、まず一番左の扉に入った。司祭曰く、第一階層の儀式の間。入ってすぐに螺旋階段が伸びていた。二階分は昇っただろうか。不意に目の前に両開きの扉が現れた。
 司祭に続いて中に入ると、薄暗い部屋の中、子供たちや幾人の大人たちが手を繋ぎ、輪になって歌っていた。


◆◆◆◆


『お狐様JKコッコさん』

(本文前略)

 コッコさんに手を引かれて歩く事わずか十秒。いつの間にか僕は見慣れない大通りの交差点にいた。
「今からお狐様の秘儀を見せてやる……いや、見られるのは困るな。儂の手を繋いで、いいと言うまで目を瞑っているのだ」
十数秒前にこう言った彼女は僕が反論する余地も与えず、僕の手を掴んで歩き出した。慌てて目を瞑って、歩く事十数歩。不意に車が行き交う騒音と「もういいぞ」というコッコさんの声が聞こえて目を開くと、白色のライトの光と飲食チェーン店が大通り沿いにずらりと並んでいた。
 何が起こったのか。状況をすぐに飲み込めず周囲をきょろきょろと見回していると、不意に肩を叩かれた。
「どうじゃ。これぞ稲荷神奥義、どこでもワープじゃ!」
振り返るとコッコさんは両手を腰にあてて、見事などや顔で僕を見下ろしていた。その顔つきに先ほどまでの悲壮な様子は感じられず、僕は少しほっとした。
「ところでここはどこなんですか? 一応校則的に校区外へ出るのはまずいんだけど――
「別に何かやましい処へ行くわけでもなし。細かいことは気にするな! 行くぞ!」
 そう言ってコッコさんは大通りに沿って闊歩していく。僕は置いて行かれまいと慌てて彼女の後を追いかけた。辺りはもう暗くなりかけていて、通りを走る自動車のライトが僕達を瞬間的に照らして通り過ぎていく。ライトに照らされたコッコさんの黒髪は眩しささえ覚えるほど艶やかに煌めいていて、彼女の存在が何処か現実離れしているような、そんな錯覚を覚えた。
 五分も歩いただろうか。コッコさんは不意に足を止めた。
「ここだ! ここが儂が求めていた店じゃ!」
彼女の視線の先へと僕も顔を上げる。目の前にはオレンジ色に光る看板に、筆で描いたようなシンプルな二重丸のロゴ。
「まんまるうどん……
全国展開の有名讃岐うどんチェーン店だった。
 いや、別に期待していたわけではないのだけど、でも稲荷神様がわざわざ気にかけていた店とはどれほどのものなのか、ちょっと気になっていたのはある。そんなどことない残念感を抱いていると、「行くぞ!」と傍らのコッコさんが声をかけた。
 しかし、様子を見ると彼女の方から動き出す気配が無い。
……入らないんですか?」
「い、いや! しかし龍樹、お主が先に入るといい」
声をかけると彼女は堅い笑みを浮かべて言った。あ、やっぱり実際に入ったことは無いんだ。合点がいって僕が足を踏み出すと、コッコさんが嬉々として付いてくる気配が背後からでも伝わってきた。
 店内に入ると、いらっしゃいませー! という朗々とした声がカウンター内から聞こえてきた。中を見渡すと夕飯時にはまだ早いからか、二、三名の客しか見受けられない。これなら食べてすぐに出れば、誰かに見つかるという危険もないだろう。
 入口に入って正面にはメニューが書かれた看板が置かれていた。中学生のお小遣いでも買えるリーズナブルさ。この後晩御飯も食べなくちゃいけないし、一番小さなサイズのを頼めばいいかな。そんなことを思いながらふと視線を逸らすと、メニューに顔を近づけて目を煌々と輝かせているコッコさんの姿が目に入った。視線の先は……わざわざ辿るまでもない。彼女の瞳からわずか数センチ先には「きつねうどん」という文字と、お揚げが乗ったうどんの写真があった。なるほど、流石稲荷神様。だからこのお店に行きたかったのか。
「注文決まった?」
「あ、勿論だ! いつでも進んで大丈夫じゃぞ」
 僕は近くに積まれていたトレイを手に取り、カウンターの方へと進んでいく。その後ろから同じようにぎこちない様子でトレイを抱えたコッコさんが付いてくる。カウンターにはえび天やかき揚げ、鶏のから揚げにおむすびとうどんのおともがずらりと並んでいたが、僕はこの後に夕飯が控えているし、いくら安いといってもあまり余計な出費をするわけにはいかない。貧乏中学生にとっては数百円程度でも貴重な財産なのだ。
 そんなことが脳裏によぎりつつ僕は足早にレジの方へと進んでいったが、ふと背後に視線を向けると、さつま揚げと揚げちくわの前で笑みを浮かべているコッコさんの姿があった。しかし、僕の視線に気づくと慌てたようにこちらへ駆け寄ってきた。
「食べたいものがあったら、あっちにあるお皿を使って取っていけば大丈夫ですよ」
僕はそう言ってトレイの横に積まれた四角皿を指さした。けれど、
「いいや、構わぬ。儂の目的はただ一つ。目先の誘惑に惑わされては、それを真に堪能することなど叶わぬ」
コッコさんは妙に深刻な表情でそう言うと、両手でしっかりとトレイを握りしめた。
 そんな誘惑の小径を通り抜けた僕達に、カウンターにいた店員が呼びかける。
「ご注文お決まりでしたらお伺いします」
「えっと、きつねうどんの小を下さい」
「あ! 儂――あ、えっと、わたしにも同じものを!」
「かしこまりました。きつねの小二つ入りますー!」
店員はそう言うと慣れた手つきでどんぶりに麺とお揚げ、スープを投入していく。それを待つ傍らにコッコさんの方を見ると、向こうも同じようにこちらを見てニヤニヤと笑みを浮かべていた。
「龍樹もきつねうどんが好きなのか?」
「そんな特別好きって訳じゃないですけれど、美味しそうだったので」
僕は先ほどのメニューを熱烈に見つめるコッコさんの姿を思い出していた。あれだけの情熱を間近で見たら、そりゃあ興味だって否応なしに湧いてくるものだ。
「うむうむ、実に殊勝である。あれほど美味なるものは他になかろうて」
コッコさんが満足げに頷いていると、僕達のトレイの上にきつねうどんの小が置かれた。
「えっと……一人ずつの会計でお願いします」
「かしこまりました。ではお一人様三百二十円です」
……龍樹よ、これで足りるだろうか?」
僕が財布の中の小銭をあさっていると、コッコさんが不安げに小声で尋ねてくる。彼女の手には、皺一つない一万円札が握られていた。
……全然大丈夫ですよ」
「そうか! すまぬな」
そう言って屈託のない笑顔を浮かべる彼女。その時一瞬財布の中身がちらりと見えてしまったが、手にしていたようなお札が数枚、財布に詰まっているのが見えた。
 ……改めて「彼女」は何者なんだろうか。もしや、あのピン札は実は木の葉で出来てたりして。それはどちらかと言うと狐じゃなくて狸の専門分野っぽいけれど。そんなことを思いつつ僕は会計を済ませ、セルフサービスの水を取って窓際のカウンター席に座った。
「いただきます」
隣の席のコッコさんは座るや否や挨拶を済ませると、即座にお揚げにかぶりついた。瞬間、零れ落ちるような満面の笑みを浮かべる。
……久方ぶりの妙味、まっこと至高である!」
感激の声を上げた彼女は、凄い勢いで麺をすすっていく。その食べっぷりは思わず拍手を捧げたくなる程だった。もはやこちらの方など気にも留めていない。
「僕もいただきます」
ずっと彼女をガン見しているわけにもいかないので、僕も手を合わせてお揚げを一口齧ってみる。厚揚げに染み渡った甘味が口いっぱいに広がり、可もなく不可もなくという味だ。特別絶賛するほどの事でもないけれど、安定感のある味。ここのうどんは久しぶりに食べたせいか、僕も自然と橋を進める手が止まらなかった。
 ……ふと、視線を感じてちらりと横目で見ると、コッコさんが目を見開き、もどかしそうな表情を浮かべていた。彼女のどんぶりはもうほとんど空になっており、僕のどんぶりに視線を戻すと、半分ほど残ったうどんと三口齧ったお揚げが浮いている。
……あげましょうか?」
僕は橋でお揚げを指して聞いてみる。
「なんと! 良いのか?」
彼女に狐耳と尻尾がついていたら物凄い勢いで振れているのが見えただろう。そんな勢いで彼女は歓喜の声を上げた。そして僕からどんぶりを奪い取ると齧りかけのお揚げをそのまま一口で頬張ってしまった。
「うむうむ、やはり美味! 龍樹は実に殊勝である」
「話には聞いてましたけど、本当に油揚げが好きなんですね」
口いっぱいにお揚げを頬張って満足げな表情のコッコさんを見て、僕はふと声を漏らした。
「昔は供物として献上する者もいたがな。ここ最近は社もすっかり廃れてしまって、供物はおろか訪れる人間もほとんどおらん。しかし、最近の油揚げは実に美味であるのぉ……
コッコさんはそんな話をしてくれながら、汁の一滴まですっかり飲み干してしまった。空になったどんぶりに向かって満面の笑みで手を合わせる彼女を見て、僕は何とも不思議な気分だった。昨日合ったばかりの人(?)とうどん屋で肩を並べている展開の速さと、最初に見かけたクールな印象とはほど遠い様子の彼女。正に狐につままれたような気分だ。
「おっとそうだ、忘れておったわ」
すっかり箸を置いて食器を片付けようとしていたコッコさんが突然声を上げた。そしてカバンの中を漁ると、淡い水色のスマホを取り出し、何か真剣な顔つきで操作を始めた。
 誰かと連絡でもしているのかな。そう思いながら彼女の様子をぼーっと見ていた僕だったが、突然彼女がスマホをこちらに向けたと同時に、カシャリというシャッター音が響き渡った。
「え!?」
「おお、ちゃんと撮れているな。これで儂も一人前のじぇーけーだな」
呆然とした表情で固まっている僕の前に、コッコさんはスマホの画面をこちらに向けてきた。画面には首をかしげて、細目で焦点が合っていない、何となくけだるげな表情の僕が写っていた。
「きつねうどんを食べるというのも目的だったが、もう一つ、これも大事な任務だったのでな。すっかり忘れるところじゃった」
……それ、悪用したりしませんよね?」
常に突拍子もない言動をするコッコさんに今更この行動の意義を尋ねようとは思わなかったが、でもやっぱり聞いてはおきたい。
「勿論じゃ。別にばらまいたりなどはせぬ。儂たちが個人的に使わせてもらうだけじゃ」
「怖いなあ……
そう言いながら僕は自然と笑みを溢していた。コッコさんは僕を見下ろしながらニマリとからかうような笑顔を浮かべた。


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