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[雨P♀]献身

全体公開 1 2792文字
2020-01-20 17:20:39

「葛之葉さんっ……助け、て」

同業者Pさん最大のピンチと雨彦さんのお話です。

Posted by @toasdm

 彼女の方から、明確に請われたのはこれが初めてだった。いつも一人で「抱え込んで」、無茶をするなとどれだけ言っても、葛之葉さんなら大丈夫だって信じてますから、と信頼の下に彼女は雨彦に丸投げしてきた。伸ばされた手を既のところでぐっと掴んで、雨彦は確信する。見た目以上に重たい感触、浸食していく汚れの魔手から彼女を引きずり出しながら、雨彦はその重みを全身全霊で受け止めながらにやりと笑った。

 お前さんを護るのは、俺しかいないな、と。

 ダニを駆除する時に使う掃除用品がある。ダニにとって、人間の居住スペースよりも快適な環境をあえて用意することによって、そこに集まってきたダニを一網打尽にする商品だ。雨彦の同業者であるにも関わらず自分で汚れを祓うことのできない彼女は、自分自身を、その掃除用品のように使って汚れを集め、周囲に被害が及ばないようにすることで間接的に汚れを祓うことを覚えてしまった。
 そんな愚かな献身は、しかし雨彦にとっては悪手に見えた。確かに彼女の精神力は本物だったし、一か所に集まった汚れを祓う方が手間は省けたが、自分で勝手に集めておいて、葛之葉さん後はお任せします、という捨て身の攻撃は心臓に悪い。お前さん、俺が助けなかったらどうするつもりだったんだい、と何度聞いたかわからないが、葛之葉さんなら大丈夫だって信じてましたから、と言われた回数と同じだということだけはわかる。手間はかからないが手はかかる、困った御仁だ、と雨彦は彼女を祓いながらよく思ったものだった。
 俺はいつか、お前さんが憑り殺されちまうんじゃないか心配で仕方ないよ、と小言を言ったところで素直に聞くような彼女ではないことは、十分理解していた。だからこそ、普段から彼女の様子は気にしすぎではないかと思う程度には気にかけていたし、接触の機会も意図的に増やしていた。
 もしそうしていなければ、最悪の状況になっていたに違いない、と奥歯をぎりりと噛みしめる音は、雑居ビルの陰によく響いた。身の毛がよだつようなおぞましさが凝縮された汚れの塊は、今まさに、その最悪の状況の一歩手前で彼女を飲み込もうとしていた。
「くず、の、は、さん……っ」
「お前さん……お前さんっ!」
 緊張と怒りとで、雨彦の全身の毛穴が頭のてっぺんからつま先に至るまで一気にぶわっと開く。湧いてきた怒りの感情の根源に、雨彦は「俺のもんに手を出すな」という独占欲を感じ取ったが、今はそれに感けている暇などない。うぞうぞと蠢く汚れの触手が今まさに、彼女をどす黒い澱の檻に永久に閉じ込めようと範囲を広げている最中だ。
「っら、あッ!」
 御札がびっしりと貼られた雨彦のデッキブラシの長い柄が、七十四キロの体重に助走の重みを乗せて彼女の頭ぎりぎりのところに突き刺さる。化け物らしい咆哮をあげ一瞬ひるんだその隙に続けざま、突き刺さった柄を斬り上げるように空へ向け、ビシャ、と重たい水音を立てて飛沫がビルの陰に溜まる。
「っぷぁ、は、はぁっ、はぁっ」
 口と鼻とを塞がれる寸前でなんとか顔周りの汚れだけは退けたが、汚れの猛攻は留まるところを知らないようだ。ずぞぞぞと、引きずるような重い音を立てながら彼女の背後から盛り上がってきた新たな塊は、あっという間に再び彼女の顔を塞ごうとする。
「いちびんなやァッ!!」
 雨彦の荒い怒号が都会の片隅にこだまする。人目を気にしている場合ではなかったが、彼女は汚れに飲まれながら必死で目線で訴える。どうか、穏便に、と。
「知る、かっ!!」
 次から次へと、祓うそばからひっきりなしに湧いてくる汚れの「腕」の追撃は、とうとう彼女だけでなく雨彦にまで及んでくる。ずるり、とやけに湿っぽい音を立てながら雨彦の足首に巻きついた腕に、しまった、と思った時には強い力が素早く雨彦の足を掬っていた。
「んなろッ!」
 片足でバランスをとり、支点にデッキブラシをガッとついて、ぐるりとダンスのターンでもするように雨彦は無理やりその場で回転する。
「っ痛――
 ミシ、と足首が悲鳴をあげて、低く呻きながら顔をしかめた雨彦は、ついでとばかりに浮いた足で汚れの腕を思いっきり踏みつける。
(少し捻ったか……
 じわつく痛みを呼吸と気合とでやり過ごしながら、自由になった足首をかばうことすらせず雨彦は反撃に出る。
「お前さんッッ!」
「っ!」
 体重をかける度に血の気が引くような痛みが襲ってくる。知ったことかと踏ん張って、雨彦は汚れの乱打をデッキブラシで祓い去る。一進一退を繰り返す汚れの蠢きの隙間、かろうじて息を継げる瞬間に彼女は飲み込まれながら手を伸ばし、か細く、しかし力強く言った。

「葛之葉さんっ……助け、て」

 彼女の方から明確に助けを求められたのは、これが初めてだ。いつも独断専行で無茶をして、その尻拭いをさせるかのように雨彦に押し付けてきた彼女が、今、はっきりと、雨彦に助けを求めている。伸ばされた手を、再び深くまで飲み込まれる既のところでぐっと掴んで、雨彦は確信する。

 お前さんを護ってやれるのは、俺しかいないんだな、と。

「お安い御用、だっ!」
「っん!」
 見た目を裏切る重量感は、汚れが彼女を離すまいとまとわりついているせいだ。汚れの檻から引きずり出した彼女の体は、引っ張ったときほど重くはなかったが捻った足首にはえげつないほど重かった。
「っく」
「はぁっ……はぁっ、葛之葉、さんっ」
「無茶、するなって……ッ」
 尻もちをつきつつなんとか受け止めた彼女と、贄を奪われた怒りでボコボコと内部を沸騰させる汚れとの間で、雨彦はよろめきながら立ち上がり、立ち塞がる。
「こいつを」
 手首にいつも身に着けていた数珠ブレスレットをさっと外して、振り向きもせず彼女の方へ投げ渡し、汚れに向かって鋭く息を吐ききった。
「何もないよりはましだろう、そいつがお前さんを護ってくれる」
「葛之葉さん、足」
 汚れだけじゃなかったのかい、とばつの悪そうな顔をして、雨彦は捻った足首が立てた音を拾った彼女の耳を今だけは呪った。
「軽く捻った程度さ、何の問題もない」
「でも」
「まずはこいつをやっつけてから、な」
 いい子にしてろよ、とちらりと振り返った雨彦のウィンクに、彼女は確信した。

 ああ、この人は、私を全力で護る気なんだな、と。

 汚れに飲まれそうになりながら必死で抵抗したせいですっかり消耗しきった体力は、彼女の気力すらも奪うように全身に倦怠感をもたらした。もう、大丈夫なんだよね、と生まれた安心感に包まれるように、彼女はブレスレットを握りしめてフッと意識を消失させた。

 遠くで、おぞましい咆哮と雄々しい雨彦の叫びとが聞こえた気がした。後は、お願いします、と全てを託して、彼女はビル陰で地に伏した。


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