@ayame0601s
此処は人ならざるもの、魑魅魍魎の世界であり、人の子が生き抜くには少々厳しいものがある。
君が此処にいる間は護衛を務め、元の世界へ帰る手助けもしてあげよう。
その対価として、自分たちを祀り直してほしい。
囁くような落ち着いた声色で提示された条件は、頷く以外の選択肢が見当たらなかった。元の世界に帰れない事は、橋から出られない事で証明されてしまったのだから。不安がないと言えば嘘になる。けれどこの世界で一人きりになるよりは、充分良い条件のように聞こえた。
腹を括るしかない。
喉元までせり上がってくる不安を呑み込むように頷き、付喪神である彼と約束を交わした。
「祀り直すには、具体的に何をすればいいんでしょうか?」その問いに彼は、うーんと唸った後「君たちは神を祀る時、供物を捧げるだろう? 米と塩と水、それと酒で。それと同じ感じだよ」と答えた。
「でも米だけ、塩だけ捧げられても困っちゃうから、料理を作ってくれればいいよ」と。
にこやかに提案されたその内容は、少々拍子抜けするものだった。もっと、大変な事を要求されるのかと……それこそ、この身を捧げる覚悟も必要なのではないかと、不安が大きかったのが本音だった。
『きみは、いつから喰ってないんだ』
白い和服の彼が言っていた、その言葉が脳裏を過っていた。彼の言っていた真理は分からない。けれど髭切さんが料理で良いと言うのなら、それで良いのだろう。
料理を作るくらいなら私にもできる。そう簡単に思っていたけれど、実際には困難が待ち受けていた。
本丸へ戻れば、まず厨房へと案内された。この屋敷は、相変わらず暗い。空は、今朝出発したよりも更にどんよりとした重い雲に覆われ、昼間のはずが夜のような暗さだった。
屋敷の中も電気はついていない。厨房も行灯の明かりと囲炉裏の火の明かりだけという、随分と古風な傾向らしい。
「必要な物があれば見繕ってくるけど、何かあるかい?」
薄暗い中で目を凝らしながら厨房を見回していると、髭切さんに声をかけられた。
必要な物、と言われてもすぐに思いつかず、考え込む。
「何を作るかまだ決めてないので……決まったらお願いしてもいいですか?」
「うん、いいよ。僕はその辺にいるから、必要なら声かけて」
そう言って、彼は肩にかけたジャケットをはためかせて厨房を出ていった。
何とはなしにその後ろ姿を見送ったあと、もう一度室内を見渡す。
すぐそばで、囲炉裏からパチパチと火のはぜる音が鳴っている。木質の床から一段下がったその先は、土間だった。
土間があり、そこにかまどがある。
かまどだ。実際に目にするのは初めてだった。写真でしか見たことがない。
まさか──そう思い、辺りを見回すもその『まさか』のようで。
料理をする手段は、どうやらこれしかないらしい。
じわじわと絶望感が押し寄せる。これは、どう使えばいいのだ。
かまどの近くには薪がある。その薪に火をつければいい事は分かる。けれど、火加減はどうやるのだろう。お米を炊くには? かまどでご飯を炊いた事なんて全くない。そもそも、お米はどこにあるのだろうか。
如何せん、部屋が暗かった。どこに何があるのか把握しにくい上、あまりに暗くては気が滅入る。
光源は他に無いのかと天井を見上げれば、照明はきちんと取り付けられてあった。昨夜寝泊まりした部屋で電気がついた事を思い出しながら、照明に繋がる紐を引っ張ってみる。かちり、と音が鳴った。
「つくじゃないか……」
思わず独り言が溢れる。ジジジと数回点滅したあと、照明の明かりが部屋の隅々に行き届いた。
電気は通っているのに、何故つけないのだろう。そう疑問に思うも、明かりが行き渡った事にホッとしながら探索を再開した。
探索の結果、お米と野菜類、調味料はある事は分かった。どれも比較的新しく、普段から使われているらしい。自分たちで料理をしていたのだろうか。付喪神といえど、お腹は空くのかもしれない──そう思い、最初はスッと納得したものの、よくよく考えるとそれも妙な話だった。人の姿をしていても、彼らは人ではない。ますます、彼らがどういう存在なのか分からなくなる。
人でもなく、鬼でもなく。おそらく神様でもない。
やっぱり、妖怪と呼ばれる類いのものなのだろうか……。
考えれば考えるほど深みに嵌まりそうだった。もうこれ以上思考しないように頭を振り、探索を続ける。
常温で保存できるものはあったけれど、お肉などのたんぱく質がない。冷蔵庫はあっても使われていないらしく、中は空だ。料理のメインにたんぱく質がないのは、いくらなんでも寂しすぎる。
とりあえず必要なものは決まったため、髭切さんを呼びに行こう。
そう思い、振り向けばそこに、人が居た。一体いつから居たのか、不意を打たれて心臓が跳ねる。
「へえ。電気が通り始めたのか」
部屋の入り口に佇むその人は、自身の顎に指を添えながらしげしげと天井を眺めていた。その視線を私へ移すと、よっ、と片手を軽く挙げる。
「一度、橋へ戻ったんだってな。また会えて嬉しいぜ」
音もなく現れたその姿に、こちらは驚いているというものの。人懐こく相好を崩すその人は、そんな私を気にかけるでもなく、部屋へと入ってくる。
やっぱり、今朝会った彼と瓜二つだった。明るい場所で見ると、キメの整った肌と真っ白な髪、和服のその白さが、より一層際立っている。
今朝の彼は、他の本丸の。目の前の彼は、おそらくこの本丸の。
そう自身に言い聞かせてみても、今朝の事が自分でも思った以上に尾を引いているようだった。どう見ても同一人物にしか見えず、緊張で体が強張る。それに元々、昨夜からの苦手意識もあった。
あからさまにしないようにと思うも、すでに態度に出てしまったらしい。私の心情を瞬時に読み取ったらしい彼は、肩を竦めて苦笑した。
「そんなに怖がらないでくれ。取って食いやしないさ」
眉を下げて笑う彼は、私の反応を気にしたらしい。その少し寂しそうにも見える笑みに、罪悪感にかられる。
「あ、すみません……その、少し人見知りなもので」
「いやなに。俺こそ、昨日は些か無礼だったな。すまなかった」
俺は鶴丸国永だ、と彼は片手を差し出した。求められた握手に、そっと自分の手を重ねる。手袋越しといえど、彼の手は随分と冷たい。
「鶴丸国永、さん」
「鶴丸でいいぜ」
「鶴丸さん。これからよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそ。ところで、きみの名は何て言うんだい?」
問われ、不意に緊張した。それは触れた手から伝わってしまっただろう。
鶴丸さんは微笑んだまま、僅かに目を細める。
「……そういや、今夜からきみが作ってくれるんだってな。楽しみだ」
少し間を置いてから話題を変えた彼は、ゆっくり手を離した。それが故意的な変え方だという事は、分かっている。黄金色の瞳は、私を見据えたままだ。
「今夜は何だい?」
何ともないように続ける彼は、これ以上、名前について追及してこないようだった。それでも居残る緊張感をなるべく出さないようにしようと、必死に平常心を装う。
「今夜は……まだ決めてないんですけど、鶴丸さんは苦手な食べ物とかありますか?」
振られた話題を続けると、鶴丸さんは「苦手な物か」と呟きながら、うーんと唸った。
「とくに無かった気がするが。何せ、久しぶりなもんでな」
「え? あ、そうなんですね」
久しぶりというのは、料理を食べる事に関してなのだろうか。そう疑問に思っても、緊張からか鶴丸さんへの苦手意識からか、質問するのを躊躇った。厨房は使われているように見えたものの、やっぱり付喪神に料理は必要ないのかもしれない。
「ところで、何か不備はあったかい?」
鶴丸さんに問われ、不備……と、今度はこちらが復唱しながら考え込む。
「あ、かまどの使い方がよく分からないんですけど……使ったことなくて」
「あー、かまどか。かまどねぇ。俺もしばらく使ってないからなぁ」
すっかり忘れちまった、と鶴丸さんはうなじをかきながら軽く笑い飛ばす。
「それなら、髭切か膝丸に聞いてみてくれないか? 彼らはまだ使っているらしいから」
「そう、なんですか。分かりました」
ん? と引っ掛かりを覚えるも、ここでもあまり深追いはしなかった。髭切さんと膝丸さんは厨房を使っている。という事は、彼らは食事が必要なのだろうか。鶴丸さんはそうでもないらしいのだけれど。
疑問に思っても質問できないのは、どうしても苦手意識が拭えないからか──それか、少し怖さもあるのだ。深いところに、触れてしまいそうで。
「必要な物とかあったら、遠慮なく言ってくれ」
鶴丸さんは気さくにそう言うと、それじゃあ夕餉でな、と言葉を続けて部屋を出ていった。そんな彼にお礼を言い、彼が出ていくのを見送った後、どっと体が重くなる。
張りつめた緊張の糸が切れ、支えていた重圧がのし掛かってくるような。疲労感だった。あんなに友好的な雰囲気であるのに、どうしても苦手意識が先行してしまった。第一印象を拭い取るのは、そう簡単ではないらしい。
ふぅとため息をつき、少し間を置いてから、とりあえず髭切さんを探そうと部屋を出た。
この広い屋敷の中、しかも廊下は、相変わらず行灯の仄かな光だけな薄暗い中、髭切さんを探すのは少々困難に思えた。けれど思いの外すぐに見つかったのは、彼も厨房へと向かう途中だったからのようだ。
出会い頭、「何か要るものある?」と問いかけた彼は、どうやらわざわざそれを聞きにきてくれたらしい。
「お肉があると嬉しいんですけど、お願いできますか?」
「いいよ、了解。何でもいいの?」
「え。……できれば牛肉をお願いしたいです」
本当は何でも良かった。しかしそう言おうとしたところで、ふと、彼らにとって『何でも』というのはどこまで範疇に入るのかと、疑問が過ってしまった。
『人』ではない彼らにとって、どこまでがその範疇なのか。けれど「人以外の肉でお願いします」なんて冗談を言えるはずもなく、結局とっさに出てきたものを頼んだ。
「牛ね。見繕ってくるからちょっと待っててくれるかい」
「ありがとうございます。それと、かまどの使い方も教えてほしいんですけど……」
「かまど? うーん、それは僕より弟の方が上手かなぁ」
髭切さんは首を傾げながら考え込む。
「あとで弟も呼んできてあげる。とりあえず、ゆっくりくつろいでてよ」
そう言って微笑んだ彼は、踵を返して歩いていった。鶯張りの廊下をきゅっきゅと鳴らして、遠ざかっていく。
そういえば、牛肉より豚肉や鶏肉の方が安かったと、彼の背を見ながら不意に思った。一人暮らしの癖のような思考だ。けれど訂正するには、もう随分と離れてしまっている。
そもそも見繕うと言っていたけれど、どこに、どうやって。この世界にも、店のようなものがあるのだろうか。
分からない事だらけで、考えるだけでも疲れてしまう。まだ、これからかまどの使い方を教わって、料理もしないといけないというのに。
髭切さんに言われた通り、少し休もう。厨房にあった囲炉裏で暖まりながら待とうと、暗くて寒い廊下を後にした。
日本家屋はとにかく寒い。体の芯から底冷えする寒さに、囲炉裏の前から動けずにいた。炎の明かりをぼんやり眺めながら、脳内では色んな思考が駆け巡っている。
なぜ、彼らは私の名を知りたがるのだろう。鶴丸さんとのやり取りを思い出しながら、疑問が湧いてくる。三日月さんの反応といい鶴丸さんの反応といい、彼らにとって私の名前は、何か意味を持つように思えたのだ。
それは、何となく察してはいた。髭切さんに名を呼ばれた時に感じた、あの不可思議な感覚。やっぱり安易に知られない方が良い予感は、身を持って感じていた。
『僕と君との間だけで、約束を交わしてくれないかい』
不意に、髭切さんの言葉が脳裏をよぎる。唯一、私の名を知っている彼に、提案された言葉。
髭切さんと、私との間だけで、約束を交わす。
それは何かが引っ掛かるような気がした。けれど何がどう引っ掛かるのか、上手く説明できない。
髭切さんは、私が元の世界へ帰る手助けをしてくれる。その代わり、私は彼らを祀り直す。
本当に、それだけなのだろうか。言葉の意味以外に、他の意図はないのだろうか。
囲炉裏の火を、ただ眺める。パチパチとした火花の音は心地よく、だんだんと暖まってきた温度に眠気が襲ってくる。
──少し、休みたい。
髭切さんが来るまで、少しだけ仮眠を取ろうと。瞼をゆっくり閉じれば、そのまま意識も静かに落ちていった。