@toasdm
街並みが、チョコレートブラウンに染まる二月。ハートとリボンに縁どられたディスプレイや高級そうなチョコレートも、最近では意中の人に贈るものと同じくらい、仲のいい友人やお世話になっている人、または年に一度の贅沢とばかりに自分用に買い求める人が多いとも聞く。
別に、特別な意味なんて、ないけれど。
苦くて甘いバレンタインに、彼女は自分の理由を重ねてうまい言い訳を探していた。
お世話になっている人になら、義理チョコってことだと思うけど……。一番馴染みのあるその言葉は、彼女の納得を引き出せない。義理じゃない、でも本命と言うのは憚られる、箱の中に閉じ込めておきたい特別な気持ちは、ここ最近ずっと彼女を悩ませていた。
いい年こいた大人が、チョコレートひとつで右往左往。みっともないな、と胸をちくちくと刺す甘い痛みに、悪い気がしないのもたちが悪い。どうせ、さらっと渡せばさらっと受け取って、その他大勢の中のひとつに紛れ込めるんだし……別に、買ったものでも、いいよね?と比較的凝ったパッケージのチョコレートを手に取って、彼女はそれをひっこめた。
自分の気持ちくらい、自分が大事にしてあげないと、だめじゃないかな。
そんな風に思える程度には、彼女はその、自分の中に秘めておきたい大切な思いを大事にしていた。さんざん迷った挙句、彼女はそれを棚に戻して手作りコーナーへと向かった。作るくらいなら学生時代からちまちま作ってきたから大丈夫でしょ、という余裕と、いやいや相手が相手だぞ、と身構える気持ちとがぶつかり合って、スマートフォンで検索した「ちょっといいレシピ」を参考に材料を買い揃え、彼女は帰宅する。
贈る相手は、製菓のプロだ。
これでいこう、と決めたレシピとにらめっこをしながら、彼女は試作を始める。餡子は使ってないから苦手ってことはないでしょ、と思い浮かべた顔は、想像の中だというのに全く読めない表情をしていた。
東雲さん、何が好きなんだろう……?
贈れればそれでいい、という比較的低めのハードルを、彼女は自分で引き上げる。別にどうこうなりたいわけじゃないし、自分だけを見てほしいなどという思いはほとんどない――ちょっとは、あるけど、と巡る思考に乙女らしい横槍を数センチだけ入れて、彼女は理由を曖昧にする大人らしさを発動する。どうせ贈るなら喜んでもらえるものを、という密かな願いは、今の彼女の、プロデューサーとしての立場をギリギリキープできるものだと思えた。
色々な理由とチョコレートをこねくりまわして、彼女は東雲に、探りを入れることにした。
「お疲れ様です」
事務所に二人きり、自然に会話ができる雰囲気、今を逃すと一週間で全てにケリをつけることは難しい。意外と早く訪れた彼女にとっての絶好のチャンス、あくまでも普通に、自然体で、彼女はさらりと東雲に聞く。
「そういえば、もうすぐバレンタインですね」
事務所の屋上に社長が置いたという謎の鉢植えが突如知らせたバレンタインの話を皮切りに、彼女は何でもない風に話す。
「ええ。毎年作り甲斐があっていいですね」
ああ、やっぱりこういう人だよね、という苦笑に、何笑ってるんですか、と東雲は穏やかに突っ込む。東雲さんらしいです、と続けて、彼女はごく自然に話を繋いだ。
「チョコにも色々ありますけど、もらうんだったら東雲さん、どういうのがお好きなんですか?」
「私が、もらう側なら、ですか……」
ちょっと不自然だったかな、と若干肝を冷やしながら、彼女は東雲の考えが出てくるのを待つ。そうですね、と顎に手をやり考え込む東雲の横顔に高鳴る胸は、恋心というよりもむしろ、気づかれないようにこっそりと遂行しているミッションが通るか通らないかのハラハラが原因のように感じられる。
「正直、なんでもええですよ」
「なんでも」
それ一番難しいやつじゃん!と彼女は脳内でビシィッ!と東雲にツッコミを入れた。いえ本当に、と苦笑しながら、東雲は続けた。
「学生の頃はそうでもなかったんですけど、この職業に就いてからは河童に水練、と遠慮されてしまうんでしょうね」
「あーー……」
なるほど、それなら納得だわ、と彼女は膝を打つ。確かに製菓のプロに手作りものはハードルが高いだろうし、既製品でも、余程珍しい限定ものか日本未発売のもの――とにかく、東雲にスイーツを贈るというのは確かに、河童に水練だ。ですから、と穏やかな笑みにある種の挑発めいた意図を含ませて、東雲は彼女にきっぱりと言う。
「好きな人が気持ちを込めて作ってくれたものなら、なんでも嬉しいです」
探りを入れたことだけではなく、一番バレてはいけない気持ちまでバレてしまったような気がしたのは、おそらく、彼女の気のせいではないようだ。へ、へぇー、と雑に流して濁しながら目を逸らした彼女の前にわざわざ回り込んで、東雲はにんまりと唇をきれいな形に歪める。
「何作ってくれはるん?」
「……」
なんでも嬉しいんですよね、と言ったのは彼女の精一杯の防衛ラインだったが、作ってくれはるんならなんでもええですよ、と東雲が答えた時点で、両想いは確定事項だ。義理じゃないやつ期待してます、と満足そうにレッスンに出かけた東雲を喜ばせられるような手作りチョコレートを用意できる気は全くしなかったが、同時に、自分にしか用意できないのだということは、彼女にはもう、全部わかってしまった。なんでもいいなら適当に作るわよ、と開き直った彼女は、レシピサイトを片っ端から検索する。
期限はあと、一週間だ。