@ayame0601s
あるじ、と声がした。
あるじ、あるじ、と、様々な声がする。
それらは全て温かく、親しみのこもった声で
『あるじ』
彼が呼ぶ。その声はいつだって柔らかく、優しいものだった。
それなのに──
コトン、と炭の落ちる音で、目が覚めた。
ひやりと冷たい空気が頬を撫で、思わず身震いする。
ここはどこだろう。そう疑問に思い、そういえば囲炉裏の前でうたた寝した事を思い出す。
知らず知らずのうちに横になっていたらしい体を、ゆっくり起こした。火はいつの間にか消えてしまったらしい。吸い込む空気は肺を刺すように冷たく、すきま風に鳥肌が立つ。
──ん?
ふと鼻を掠めた香りに、顔を上げた。
お香のような香りだった。
辺りを見渡すも、その元となるものは見当たらず、香りももう感じられない。ほんの一瞬だけだったため、気のせいだったのだろうか。
それよりも、火の元が無くなって寒かった。一体どれくらい寝ていたのだろう。髭切さんはまだ帰ってきていないのだろうか。
そう思っていれば、廊下の音が微かに耳へと届く。それはだんだんと近づいてきて、部屋の襖を開ける音へと繋がった。
「ただいま」
現れたのは髭切さんだった。彼は先ほどのきっちりした服装とは違い、ジャージ姿に温かそうな袢纏を羽織っている。
「あれ? 電気ついてる」
部屋を見回した彼は、数回瞬きして言った。そういえば鶴丸さんも同じような事を言っていたな、とふと思い起こす。
「ごめんなさい。電気、勝手につけてしまいました」
この家は、電気をつけない習慣があったのかもしれない。その思いから謝れば、「ああ。いや、いいんだけど」とさらりとした答えが返ってきた。
「久しぶりだなと思って。電気、通り始めたんだね」
「え? あ……元々通ってなかったんですか?」
それなら、鶴丸さんや髭切さんの反応も頷ける。鶴丸さんも「電気が通り始めた」と言っていた気がしなくもない。
行灯の明かりだけだったのは、単純に電気が通っていなかったからか……そう納得していれば、髭切さんは予想通り「うん」と頷いた。
「本丸は、審神者が居る事で成り立っていたからさ。審神者が居なくなって、電気も何もかも止まってしまってね」
「さにわ?」
「そう。この本丸の、主だった人」
髭切さんは淡々と説明する。部屋に入ってくると、よいしょ、と言って隣に座った。
「君が来て、霊力が供給されたからかもしれないね」
にこやかに説明してもらうも、頭がついていかなかった。
さにわ、だとか、あるじだとか……そういえばこの本丸の主になってほしい、と、確かそう言われていた。
それでも、私が主になった事と電気が通った事の繋がりが、さっぱり分からない。
「私は、その……霊力なんてないですよ。元々霊感もないですし」
自分で言って、何故か胸がつきりと軋む。霊力、と心の中でもう一度復唱した。
この、胸の嫌なざわつきは何だろうか。霊力、主──どこかで聞き覚えがあると思えば、それは確か夢だった。
動物のシルエットが、ぼんやり脳裏に浮かぶ。
昨日見た、あの夢だ。
「此処に入ってきた時点で、多少霊感はあるんじゃないかな。そうじゃなきゃ、自ら入ってこれないはずだし」
髭切さんはそう続ける。例えそうだとしても、それと電気の繋がりがやっぱり分からない。
混乱している私をよそに、髭切さんは「はい、これ」と手に持っていた物をずいっと渡してきた。
木を薄く削ったような包み紙でくるまれ、紐で縛ってあるそれを受け取る。中を見れば、頼んでいた牛肉だった。
「今夜はこれで足りるかい?」
中身を確認していると、髭切さんから質問が飛んできた。
「はい、ありがとうございます。この世界にも、お店あるんですね」
疑問をそのまま口にする。ちゃんとした包み方は、どこからか買ってきた物のように見えた。
髭切さんは私の言葉に「あるよ」と肯定する。
「万屋みたいなのがね。そこには僕たちが欲しいものは、ある程度揃ってるかな」
「万屋……」
「行きしなに、長い階段があっただろう。あの先」
行きしなに、長い階段。
確かに、暗い森の中で続いた砂利道の終わりに、長い石畳の階段があった。両脇に置かれた灯籠は一段一段を照らし上げ、滲む朱色の明かりの先に佇む、大きな鳥居の存在。
暗闇の中で照らし上げられていた存在感は神秘的でもあり、圧倒されるものがあった。
「ああでも、君は行かない方がいいよ。人の子だから」
え、と髭切さんの顔を見る。髭切さんは笑みを乗せた目元を、ただ細めるだけだった。
「そうだ。それと、これも」
思い出したように続けて渡されたのは、彼が羽織っているのと同じ、袢纏だった。彼のグレーの物とは違う、紅色の物だ。
「本丸は冷えるからね。良かったら使って」
「あ、ありがとうございます」
思わずどもりながら、手渡された物を受け取る。綿のたっぷり入った、見るからに暖かそうなものだった。
袖を通せばふんわり軽く、着心地がとてもいい。
「暖かいです。ありがとうございます」
不意な優しさにもう一度お礼を言えば、彼は「どういたしまして」と笑った。
囲炉裏の火をつけ直してもらい、「弟を呼んでくるよ」と言って部屋を出ていった髭切さんは数分後、膝丸さんを連れて戻ってきた。
膝丸さんも部屋に入るなり電気がついている事に驚いたようで、微かに目を丸くしていた。かくいう私も、明かりの下で見る彼の髪色に驚きを隠せなかった。それはそれは、綺麗な薄緑色だ。
膝丸さんも昨日の服装とは違い、黒のジャージに藍色の袢纏を羽織っている。
「米の炊き方が分からないと聞いたが」
一通り室内を確認した後、彼はこちらへ視線を向けた。露になっている左目が、真っ直ぐ私を見下ろす。微笑むわけでもなく、かといって不機嫌なわけでもなさそうだった。ただ真顔で、事務的な雰囲気。放たれた抑揚のない口調とこちらを見据える瞳は、体を畏縮させる圧がある。
「あ……はい。すみません、かまどを使った事がなくて」
無意識のうちに、しどろもどろになってしまった。膝丸さんはそんな私をじっと見た後、「そうか」と呟く。
「まず米を研いでぬかを落とす。それくらいは出来るな?」
「え? ええ」
「研いだ米は羽釜に移して水を入れ、しばらく浸した方がいいな。焚き付けには細い薪を使った方がいい。その上に太い薪を置いて、火が移るまでしっかり引火させてある程度火が大きくなったら──」
膝丸さんは流暢に手順を説明してくれた。唐突に始まった講義は一から順を追うもので、言葉がすらすらと彼の口から零れ落ちていく。それを必死に耳で拾い、なんとか頭に叩き込もうとした。けれど一を聞いて十を知る、なんて聡明さはあいにく持ち合わせていなく、段々とついていけずに頭は混乱し始めている。
「──といった具合だ」
「は……い……」
結局ついていけぬまま、説明は終わってしまった。
どうしよう。聞いたのに半分覚えられたかどうかだ。
もう一度最初からお願いします、だなんて言ってもいいのだろうか。何かメモを取れば良かったと今さらに後悔する。私を見下ろす膝丸さんは、私が理解していない雰囲気を感じ取ったのだろうか。彼の片眉が怪訝そうに、く、と微かにつり上がった。
「今日はさ、お前がやりながら教えてあげたらいいんじゃない?」
すぐそばから、助け船が入る。立って会話をする私たちとは違い、髭切さんは囲炉裏の前で胡座をかき、火の加減をしながら話した。
「ついでに僕も教わろうかな」
そう言った彼は、私たちを見上げる。黄金色の瞳とふと交われば、にこりと微笑んだ。
「兄者は炊けるではないか。俺が教えなくとも……」
「まあそうなんだけどさ。僕はお前と違って大雑把だし。ついでついで」
にこやかに話す髭切さんに対し、膝丸さんは些か腑に落ちない様子だった。けれど結局「分かった」とため息混じりに頷くと、「では早速始めるか」と土間へ降りていった。
「この季節の米研ぎは、水が冷たくて辛いよねぇ」
髭切さんは独り言のように言いながら立ち上がると、膝丸さんの後に続く。
彼はきっと、私を気遣ってくれたのだろう。
袢纏といい、最初に感じたどこか冷たい印象とは違う、見えにくい優しさに不意を打たれた。
本当は優しい人なのかもしれない。
彼に着いてきた事は間違いではなかったのかもしれない、と、少しホッとしながら私も彼らの後に続いた。
膝丸さんに実演してもらいながらお米を炊き、慣れないながらも何とかおかずは一品用意ができた。普段、レシピ無しで料理をするという経験がなく、ぼんやりした記憶を頼りに肉じゃがを作る。けれど味見の時点で何か物足りなく、何が足りないのかも分からない。結局、不味くはないし、と仕方なくそのままお皿に盛り付けた。
食事は食堂で、皆で取るらしい。食堂があるくらいだ。やはり元々、此処は大所帯だったのだろうか。私を含めてたった五人にとってその部屋はあまりに広く、ずいぶんと寂しく思えた。おまけに席も、互いに離れ離れだ。
食膳を一ヶ所にまとめて配置したものの、各々の席があったらしい。それぞれお盆を手に取ると、三日月さんと鶴丸さん、髭切さんと膝丸さん、というペアに分かれるように離れた所で座り直していた。
仲が悪いのかな──
思わずそう思ってしまう。かくいう私はどこに座ればいいのか分からず、適度に距離を置いた場所に腰かけた。
「いただきます」
各々が手を合わせ、まばらに呟きが聞こえる。
なんとも寂しい光景だった。カチャ、と食器の擦れる音に、ぽつりぽつりとした会話が聞こえる。今日からお世話になる私の挨拶の場も、何もなかった。
今この場で、挨拶の一つはした方がいいのかもしれない。
けれどこんな閑散とした中で「はい、こっちに注目してください」なんて真似が出来るはずもなく。
おそらく全員には伝わっているのだろう。誰も何もつっこんでこないのだから。
それなら後で一人ずつ挨拶に向かおうかな……。
結局その結論に至り、ただ黙々と箸を進める事にした。
かまどで炊いたお米を初めて食べるも、あまりの美味しさに驚いた。膝丸さんの炊き方は一流らしい。
対するおかずの肉じゃがは、やっぱり何か物足りない。おまけに味噌汁も、何かが足りなかった。不味くはない、と思う。それでも、味に今一つアクセントがなく、美味しいと断言できるものでもない。
何が足りないのだろう。不足しているものを探すように咀嚼していれば、カタン、と椅子の鳴る音が聞こえた。
「もう行くのか」
ここから左斜め前の方角から、三日月さんの声がする。席を立ったのは鶴丸さんだ。彼は一言二言返事をした後、お盆を持ってその場を離れた。
この位置からお皿の中身は見えない。けれど、いくらなんでも早すぎる気がした。もしかして、彼の口に合わなかったのだろうか──。
あまりに凝視してしまったためか、鶴丸さんがふとこちらに視線をやる。目が合い、思わず肩が跳ねた。
「きみ、俺は街にいるから。何かあれば、誰か遣いにでも寄越してくれ」
少し離れた場所から、鶴丸さんは声を張る。「ごちそーさん」と続けた彼はお盆を軽く持ち上げて挨拶すると、そのまま食堂を出ていった。
この世界に、『街』なんてあるのか……髭切さんの言っていた『万屋のようなもの』も、そこにあるのかもしれない。
一瞬呆然とするも、もしかして口直しに行くのだろうか、とふと過った。料理があまり美味しくなかったから。完食するにはあまりに早すぎる。
そう思うと、申し訳なさと恥ずかしさとが混ざりあった感情がこみ上げ、途端に居たたまれなくなった。
穴があったら入りたい。とても味わって食べる気になれず、ただ機械的に箸を口へと運んだ。
鶴丸さんが出て行ってから黙々と通夜のような食事をして、皆が食事を終えてから、私も最後に食堂を出た。
食べたもの以上に、胃の辺りがずんと重い。何とも気の重い出だしとなってしまった。
明日からどうしよう。
思わずため息が溢れる。
お盆を手に厨房へ入れば、水の流れる音と共に食器の触れ合う音がした。誰かが洗い物をしているその音に顔を向ければ、薄緑色の頭が視界に入る。
「膝丸さん……」
ふとその名前を呟けば、彼は手を止めてこちらを振り向いた。
「ああ、君か。食べ終わったなら洗おう。こちらへ持ってきてくれないか」
膝丸さんは言葉を投げると、視線を手元に戻して皿洗いを再開する。彼の言葉に誘われるようにして、近くまで足を進めた。
「あの、洗い物代わります」
ここに居させてもらっているのだから、家事くらいはしなくては。その思いから申し出れば「大丈夫だ。もう終わるしな」とやんわり断られた。
「器はそこに置いといてくれ」
「あ、はい……ありがとうございます」
「今日は疲れただろう。もう休むといい」
カチャ、と食器の音がする。膝丸さんは目線を手元に落としたまま、こちらを見ない。
初対面での訝しげな視線や、彼の強い目力には体が強張るものの、今は視線が合わないからかそんな威圧感は無かった。むしろ気遣いの言葉をかけてくれている。
少々ぶっきらぼうであるけれど、冷たいわけではなく、ただ生真面目な性格なだけなのだろうか。お米の炊き方を一から淡々と、けれど事細かに説明していた話し方を思い出しても、彼の真面目さが窺えるような気もする。
「あの……」
意を決して、声をかけてみる。膝丸さんは手を止めることなく、ちらりと横目だけを向けた。
「なんだ」
「その、料理本とかってありますか? 明日から参考にしたくて」
「料理本?」
膝丸さんの横顔が、少し怪訝そうに歪む。思わずビクリとするも、彼は視線を手元に戻すと考え込むように唸った。
「書庫に何かしらあったと思うが。書庫の場所は兄者から聞いたか?」
「いえ、まだです」
「ならば明日案内しよう」
それは事務的な口調だった。こちらを見ずに、淡白な物言いだ。けれどわざわざ案内役を買って出てくれるのだから、面倒見はいいのかもしれない。
ありがとうございます、とお礼を言い、この場を離れようとした時だった。
「兄者から聞いたが」
新しい話題への切り口を、膝丸さんは口にする。離れようとした足を止め、彼を見上げた。洗い物をしている彼とは、視線が合わない。
「俺たちを祀り直すのだと。そう聞いているが」
淡々とした話し方は変わらなかった。けれど先ほどとは違い、その話題は緊張を促す。
キュッと蛇口をひねる音と共に、水は流れを止める。
周りの音が無くなり、それが更に緊張感を煽った。
膝丸さんは濡れた手を拭くと、私と向かい合う。
見下ろされた瞳と視線が合い、心臓が萎縮した。
「君は、俺たちを祀り直す気持ちがあるのか?」
静かに発せられた言葉に、意表を突かれた。視線は真っ直ぐ私へ落とされている。
目が離せなかった。視線に絡み取られ、体が動かない。何か答えなくてはと思うのに、言葉を返せずにいた。
──祀り直す気持ちがあるのか。
あるはずだった。そういう約束なのだから。けれど即答できず、沈黙が落ちる。
膝丸さんはふっと目を伏せ、同時に視線が外れた。
「……兄者との約束では、夕餉だけだったな。朝餉は各々で食べるから、準備の心配はしなくて大丈夫だ」
そう言うと、おやすみ、と続けて彼は厨房を出ていく。そんな彼に、ただ「おやすみなさい」としか返せず、出ていく背中を見送った。
祀り直す気持ちが、あるのか否か。
それは、上辺ではなく、という意味合いが含まれていたのだろう。
髭切さんと約束したのだから、祀り直そうという決意はしていた。けれどそこに、私の『気持ち』がきちんと込められていたかというと、答えを躊躇ってしまった。
人は神を祀るために、米などを捧げる。
私は彼らを祀り直すために、料理を作る。
そこにある本当の目的は『祀り直す』事であり、『料理を作る』事ではない。
それなのに、今日の私はどうだったか。料理を作る事で手一杯で、本来の目的を果たせていなかった気がする。
膝丸さんは、そこを指摘したのだろう。
私の料理を通して、私の『気持ち』が伝わってこなかったのを、感じ取ったのかもしれない。彼らは祀られる立場であるのだから。鶴丸さんが途中で食事を止めたのも、その理由からだろうか──。
きゅっきゅと、足元から鶯張りの廊下が鳴る。その音を耳に入れ、とぼとぼと歩きながら、夕飯の事を思い起こしていた。
外廊下の床はひどく冷たい。風は無いものの、冷えきった空気が頬を刺す。外は、月明かりで随分と明るかった。冬の乾燥した空気で、夜空が透き通っている。降り注ぐ月の光は、庭一面を青白く照らしあげていた。そのおかげで少々荒れ気味の庭園がよく見える。
明日から、庭の手入れもした方がいいかもしれない。
そんな事もぼんやり思いながら自室へ向かう最中、ふと、進行方向の先で誰かが座っているのが目に入った。
三日月さんだった。髭切さんや膝丸さんとは違い、彼は狩衣姿のままだった。廊下の端に座り、月を見上げている。
足音で気付いたのだろう。三日月さんがこちらを振り向いたため、軽く会釈をする。
「月を見るなんて、随分と久しい」
私が近づくと、三日月さんは夜空を見上げながらそう言った。手に持つ盃を口元に持っていき、月見酒をしている。そんな彼につられて、私も月を見上げた。
「冬は、夜空が綺麗に見えますよね」
世間話を続けるために、思った事を口にする。満月に近く、明るい月夜だった。
三日月さんは「ああ、そうだったか」と呟く。
「もう長い間見ていなかったからな。どんなものだったのか忘れかけていた」
「そう、なんですか」
「おぬしが来たおかげであろう」
三日月さんは再び盃を口へ運ぶ。私が来た事と月が出た事の関係性が分からず、呆然と立ち尽くしていれば、彼はふとこちらを見上げた。
「注いではくれぬか?」
口元に笑みを漂わせ、彼は盃を軽く掲げる。
ハッとし、近くに腰を下ろすと徳利を手に取った。不意に緊張し始め、注ぐ液体が微かに震える。
「鶴も、この月夜を楽しめば良かったものの。あちらでは見えぬというのに」
「鶴……鶴丸さん、ですか? 街へ行くと言ってましたよね」
「ああ。街と言っても、所詮は人間の真似事に過ぎないが」
盃に液面が張ると、彼はお礼を言ってそれを口に含んだ。
静かにたたえた微笑みの裏に、どんな感情があるのか私には推し量れない。
「あの、これからよろしくお願いします。色々と、精進していきますので……」
会話が途切れたタイミングで、夕食時にし損ねた挨拶をした。
三日月さんは私を見る笑みを深めると、「ああ。こちらこそ」と柔らかく言う。
「そういえば、髭切から俺たちを祀り直すのだと聞いたが」
口調は柔らかいままだ。けれどその話題は、胃の辺りがぎゅっと縮こまるようなもので。
祀り直すという言葉に、はい、と何とか頷く。三日月さんは微笑んだまま「そうか」と呟いた。
「俺たちが何者か、おぬしは分かっているのか?」
「え……。刀の、付喪神だと聞いていますが」
「そうだな。まあ、それは間違っていない」
三日月さんは口をつぐむと、庭へと視線を向けた。
月明かりが彼の横顔を照らす。
作り物のようだった。長い睫毛も、スッと通った鼻筋も、整った唇も。それは神々しささえ感じる。
まるで、神様のような。
「『さても我ら、多年に渡り奉公の忠節を尽くせしに、さしたる恩賞もござらぬ』」
唐突に語られた言葉に、息を呑んだ。
唄うように紡がれた言葉。
三日月さんは庭へ視線を向けたまま、軽く口角の上がった唇で、続きを紡いでいく。
「『あまつさえ捨て置かれ、恨みの中の恨みにあらずや。つまるところ、如何にもして妖物となり、各々仇を報じようぞ』」
風で三日月さんの髪がなびく。まるで私の動揺を察したように生じた風は、冷たく頬を撫で、背筋まで凍らせた。
「……なんてな」
やっとこちらを向いた彼はにこりと笑みを深め、冗談めかして言った。
そんな彼に答えるべく同じ様に笑みで返そうとするも、頬は強ばり、心臓は胸の内を強く叩いている。
──妖物。
その単語が、ひどく耳に残る。
「古い書物の一文だ。それには、付喪神は妖物として書かれている」
三日月さんは微笑を崩さず、手元の液面へ視線を落とす。弄ぶように、盃を軽く揺らした。
「人々に祀られれば神となる。だが神も、人々に祀られる事がなくなれば、神ではなくなる」
静かに紡いでいく言葉を、相槌も打たず、ただただ耳に入れる事しか出来なかった。
心臓の音がうるさい。胸の奥は異様なほどざわつき、逃げ出したくなるほどの焦燥感が沸き起こる。
「俺たちを祀り直すという事は、そういう事だ」
三日月さんは手元から視線を上げる。
視線が絡まった瞬間、まるで臓腑を鷲掴みされたように体が竦んだ。
「よろしく頼んだぞ」
月の光が反射した藍色の瞳は美しく、けれど無機物のように冷たくも感じて。
彼の醸し出す雰囲気に圧倒されて声も出せず、ただ頷くだけで精一杯だった。