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[雨P♀]ガトーショコラ

全体公開 2413文字
2020-02-14 13:15:59

……ちゃんとした、ガトーショコラ、だな」
オーブンないのにガトーショコラリクエストされたPさんと、羊羹でも食ってろって言われたのにガトーショコラねだった雨彦さんのお話です。

Posted by @toasdm

 さて困ったぞ、と彼女は腕を組み、考える。チョコレートを溶かして固めてなんとかしようと思っていたところに飛び込んできたリクエスト――雨彦はにんまりと笑って「ガトーショコラが食いたい」と言ったのだ。
 顔が和風なんだからそんな洋風の小洒落たケーキなんて要求しないで黙って羊羹でもおねだりしてくださいよ!と八つ当たりをしたところで、事態は変わらない。てっきりいつもの調子で「お前さんが作ってくれるならなんだっていいさ」と言われるかと思っていたところに、急にこれだ。まったく、飄々としていて読めない恋人だとは思っていたが、ここまでとは……と珍しく指定の入った雨彦の要求に彼女が悩んでいる理由は主に三つ。
 ひとつ、既に生チョコを作る材料をそろえてしまったこと。
 ふたつ、今日はバレンタイン当日だということ。
 みっつ、彼女の家には――

「大好物だけど……オーブンなしでガトーショコラは無理ですってば!!」

 ケーキの類で焼けるのはホットケーキかパンケーキに限定される彼女にとって、オーブンを使ったガトーショコラは難易度が最高クラスに跳ね上がる。あと四時間もすれば雨彦が、ガトーショコラをたかりにくる。これから爆速でオーブンを買って作るという力業は無理だし、さりとて、買ってきたものを「手作りですけど?」のような顔をして出すのは気が引ける。炊飯器で作れると聞いたことはあるが炊飯器は現在使用中だ。これから寿司飯になる予定の少し水分を減らした米を、早めに言ってくれたなら鍋で炊くなりなんなりして炊飯器ガトーショコラに挑戦できなくもなかったが、時すでに遅し。遅しとお寿司ってなんか似てるな、といい色に煮付けた稲荷寿司用の油揚げをちらっと見て苦笑してから、いやいや、そんなことやってる場合じゃないって、と彼女はレシピサイトを片っ端から読み漁った。
 せめて、ホットケーキ感覚で作れるレシピがあれば……作る予定だった生チョコレートの材料とよく似たガトーショコラの、オーブンなしレシピを見つけて作るまでの時間は、あと三時間半だ。

「邪魔するぜ」
「あ、お疲れ様です」
「たかりにきたよ」
 玄関でブーツを脱いでいる雨彦のところへ、彼女はぱたぱたと歩み寄る。エプロン姿の彼女が料理の真っ最中であることが見て取れたが、雨彦はブーツをきちんと揃えて脱ぐなり、ぎゅっと彼女を抱きしめた。
「んっ、ちょ、雨彦、さんっ」
……なんか、いいな。こういうのも」
 なんですか、と腕の中で不思議そうに見上げる彼女の額に軽くキスを落として、雨彦は心底幸せそうに笑って言った。
「結婚したくなるような幸せがある気がしてね」
「けっ、けっこん」
 思わずひらがなで発音した彼女の反応に気をよくして、雨彦は軽くぽんぽんと頭をたたいて部屋へと上がる。途端に部屋中に立ち込める香ばしい香りとかぎなれた香りに目を細める雨彦の幸福度は、目に見えて上昇しているようだった。
「直前のリクエストで迷惑じゃなかったかい?」
「迷惑、とは、違うんですけど」
 あの、と彼女が差し出した一口サイズのガトーショコラの皿に、雨彦は目を見張る。
……ちゃんとした、ガトーショコラ、だな」
「ちゃんとってなんですか」
 不思議な反応に一瞬気が緩みかけたが、彼女は雨彦に、一言言ってやりたいことがあったのを思い出す。どうぞ、とフォークを添えて出す前に指でつまんで口に放り込んだ雨彦に、彼女は複雑な表情をしながら言う。
「味もちゃんとしてる」
「うち、オーブンないのでちゃんとしてるかどうかわからないですけど、今度からリクエストはできるだけ早めに」
「は?」
「え?」
 一瞬の間をおいて、雨彦は喉を詰まらせる。慌てた彼女に差し出された水を受け取ってなんとか体制を整えて、雨彦は驚き彼女を見つめた。
「いや、オーブンなしで作れるもんじゃないだろう? 電子レンジにオーブン機能はなかったのかい?」
「うち、レンジないの知ってました?」
「お前さん、そういうことは先に言ってくれよ」
「雨彦さんがガトーショコラがいいって言ったんじゃないですか!」
「事情が事情なら別なもんにしたさ」
「だいたい電子レンジはどこのご家庭にもあるという前提でリクエストするから」
「いや、違う、けんかをしにきたわけじゃない」
 テンポよく進む会話の間、オーブンなしでどう錬成したのか不明なガトーショコラが、ちょこん、と居場所がなさそうに鎮座している。雨彦はそれをまたひとつ指でつまんで、今度はフォークまでもが、所在なさげにテーブルで鈍く光る。
「こんな」
 もぐもぐと、口の中でとろける食感に、雨彦は目をいっそ糸ほど細めて頬を緩ませる。
「しっかりした、ちゃんとしたもんを、お前さんどうやって」
「フライパンで」
「フライパンで作れるもんなのかい?」
……めっちゃ、調べました」
 目をまんまるにする雨彦と、ちょっと照れくさそうにする彼女とが、沈黙を破ってどちらからともなく笑いあう。
「お前さん努力家だなぁ」
「雨彦さんのためならなんのその、ですよ」
「そうかい」
 俺は果報者だな、と満足げな雨彦に、彼女は今度はコーヒーを差し出す。きっと合うと思って、と気に入りの喫茶店でいつも飲んでいるコーヒーの豆を分けてもらったというその一杯は、確かに、フライパンガトーショコラにぴったりの、芳しいコーヒーだ。
「今度から、できることとできないことは前もって教えてくれよ。俺も直前のリクエストは控えめにするさ」
「控えめよりもゼロがいいなぁ」
「っははは、わかった」
 おなかすいてますよね、と自分で詰めた稲荷寿司を並べて、あっという間に空っぽになった皿を片付ける。気まぐれのリクエストの理由を問い詰めながら、二人はバレンタインの晩餐会を始めた。

 雨彦はただ、彼女の好物がガトーショコラだと知っていただけだった。


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