@toasdm
その物騒なものをしまってください、とたじろぐプロデューサーの前、雨彦はニヤリと笑って匕首を鞘におさめようとして、手を止めた。
「小道具サン、こいつを頼めるかい?」
はーい、と小回りの効く体が転がってきて、べったりと血糊のついた匕首は小道具係の手に預けられる。撮影の熱がまだ引かないのか、チェアにどかっと腰掛けた雨彦は長い足を大きく広げ、ただそこにいるだけで威圧感を発しているようだ。
「ふーーーーーーーー……」
「お、お疲れ様です」
「ありがとよ」
プロデューサーが差し出したミネラルウォーターのボトルをさっと受け取ると、雨彦はその半分を一気に飲み干す。派手なアクションシーンで乱れた前髪をざっとかきあげてまた一息ついて、雨彦はプロデューサーを見上げた。
「よくできてただろう」
「え、あ、はい」
「小道具もしっかりした造りだったよ。あと二回しか使わないのが惜しいくらいだな」
雨彦があの時手を止めたのは、血糊がついたままあの匕首を鞘にしまうと、だめになってしまうかもしれないと思ったからだろう。物にこめられた思いや情念を感じ取って、それを大切にする雨彦の姿勢に、プロデューサーは「よくできていた」と言ったのは雨彦の演技ではなくて、小道具の方だったのか、と理解した。
「葛之葉さんもよくできてましたよ」
「ん? 俺がかい?」
「ええ。本物の極道さんみたいでした」
「っははは……そうかい」
まんざらでもない、といった表情で、雨彦はサングラスの奥の瞳をすっと細めて残りの水を一気に飲み干す。匕首を振るっての大立ち回りは、屋外に用意された大掛かりなセットの中で撮影された。ミニテーブルのウェットティッシュを二、三枚引き出して、雨彦はその大立ち回りの熱演の残滓を拭って溜め息をつく。
「はぁ……血糊ってのは結構とれないもんなんだな」
「あ、ほんとだ」
匕首があれだけ汚れていたのだから、当然手の方にもそれはつく。親分の仇を討ちに来た対抗組織の鉄砲玉を「覚悟が足りない」と追い返すクールで些か残忍ながらも、胸に熱い思いと不屈の精神を宿した元締め役、という重責をこなす雨彦は、なかなか取れない手の血糊に苦戦しているようだった。
「あ、よかったらこっちの方が」
ごそごそとバッグを漁るプロデューサーが雨彦に手渡したのは、携帯用のメイク落としシートだ。もしかしたら使うかもしれないと思って、とはにかむプロデューサーに、用意周到なあたりがお前さんらしい、と苦笑しながら雨彦はそれを受け取った。
「お、結構落ちるもんだな」
「まあ、特殊メイクみたいなもんですしね」
綺麗になった手をひらひらと目の前に掲げて、雨彦はふとプロデューサーの方を見る。なんでしょう、と訝しむプロデューサーを手招きすると、雨彦は近付いてきたプロデューサーの手首をぐっと掴んで耳元に口を寄せた。
「お前さんのおかげできれいになったよ……ありがとうな」
まるで首筋にナイフでも突きたてられたかのような、ひやりとした感覚が背筋を降りていく。言葉だけを取ればそれはただの感謝のはずなのだが、役がまだ抜けきっていないような、ぞくりとする言い方はまさに、演技のプロのそれだ。ひっ、と硬直したプロデューサーの手首をぱっと離して、雨彦はその怯えっぷりにくつくつと喉を鳴らして笑う。
「お前さんがそれだけ縮み上がるんなら、セットも小道具も、俺の演技も上々ってところかい?」
「っそ、そーです、ねぇ……あはは……」
長い足を威圧的に組んで、頬についた返り血の血糊を親指でぐっと拭うと、雨彦はそれも丁寧にメイク落としシートで拭う。その仕草も今のプロデューサーには、「始末を終えた後の始末」に見えて心臓によくない。ばたばたと大道具係がセットを動かして、どうやらそろそろ次のシーンの撮影ができるようだ。
「これだけのお膳立てしてもらったからには、全力でやらせてもらうのが筋ってもんさ」
メイクの直しをしてもらうために腰を屈めた様子は見慣れた普段の雨彦となんら変わりはなかったが、よしいくかい、と立ち上がった雨彦の後姿は、白のスーツに赤の返り血を浴びた極道ものの後姿だ。姿勢も、立ち居振る舞いも、言葉も声も全てを注ぎ込んで、役になりきっているどころか役そのものの姿だった。
振り返り、サングラスを少しずらしていってくるよと呟いたその眼光の鋭さに、プロデューサーは心臓を射抜かれる。用意、アクション!の声と共にノースタントで立ち回る雨彦の姿を、プロデューサーは苦しくなった胸をぎゅっと押さえて見守る。
その物騒なものをしまってください、とは、今度ばかりは言えなかった。