@toasdm
ストレス発散には何をするんだい?と話の種に振られた彼女は、そうですねぇ、と少し考えてから満面の笑みでこう答えた。
「大声、出します!」
「大声……?」
豪胆な御仁だとは思ってはいたが、ストレスの発散方法まで豪快だとは思わなかった。零れそうになるおかしみをかみ殺しながら、雨彦は尋ねた。
「車の中や風呂の中でかい?」
「んー、それもあるんですけどー……」
にま、と笑ってデスクで雨彦を見上げる彼女のストレスが溜まっているのが見て取れたからこそ振った話題に、雨彦はあれよあれよと巻き込まれてしまった。自ら蒔いた種とはいえ、発芽はあまりにも、早すぎた。
「やっぱりこれですよ!」
「なるほどなぁ……確かにここなら、大声出し放題か」
溜まっていた残業を明日の自分に任せて、彼女は雨彦をカラオケボックスへと付き合わせる。いつもは一人なんですけどね、と靴を脱いでソファに腰掛けると、彼女は選曲端末を慣れた手つきで操作する。
「俺はそいつとはなかなか馬が合わなくてね」
「お? 電モク苦手マンさんですか?」
「苦手マン……」
カラオケボックスの室内にいる彼女は、雨彦が少し面食らうほどテンションが高かった。ブーツを脱いで丁寧に揃えると、雨彦もソファに腰掛けた。
「葛之葉さん足長いですねぇ……」
「そうかい?」
まあ背が高いからな、と座る雨彦の足は確かに、ソファとテーブルの間で窮屈そうに畳まれている。不便そうですね、とそれ以上は興味なし、とでも言いたげに、彼女は選曲を済ませて端末の送信ボタンを押した。
「……んっ?」
「ふっふっふ……」
フードのメニューを見ていた雨彦は、聞き覚えのあるイントロに顔を上げる。不敵に笑う彼女がマイクを差し出して、挑戦的に言った。
「苦手マンさんの為に入れましたよ!」
「お前さんなぁ……!」
ひったくるようにそのマイクを受け取った雨彦は、フッ、と鋭く息を吐いて立ち上がる。
「北村の歌はキーが高いんだぜ」
「知ってまぁす♡」
どうやらお前さんのストレス発散に完全に巻き込まれちまったらしいな、と同じユニットメンバーのソロ曲を任されて、雨彦はそれでもなんとか歌いきる。わーい、とぱちぱち手を叩く彼女の賞賛を素直に受け止めていいものかどうか、苦笑しながら雨彦はまた座り、ウーロン茶をすすった。
「はぁ……お前さんは何歌うんだい?」
「んー、んーーー……」
今日はどうしようかなぁ、と悩んでいるふりをしているようだが、雨彦の目には彼女の僅かな動揺が見て取れる。ははぁ、さてはお前さん、俺の前で歌うのが恥ずかしいんだな?とにやついて、雨彦は彼女の手元から選曲端末をひょい、と取り上げた。
「あ」
「まあ、遠慮しないで好き放題歌ってみてくれよ」
雨彦の大きな手とは明らかにサイズ感の合ってない小さなタッチペンをなんとか操作して、雨彦は目的の歌を見つけてにやりと笑う。原キーをタップして送信し、モニタに映し出された曲のタイトルに今度は雨彦が不敵に笑い、彼女にマイクを差し出した。
「ご本人様の目の前で、大声張り上げて歌うってのはさぞかしいいストレス発散になるだろうな?」
聞き馴染みのあるイントロに、雨彦のつま先は自然とリズムを取り始める。ぶほ、と飲みかけていたオレンジジュースを吹き出しそうになった彼女がいくら恨みがましい目線で訴えかけても、雨彦はほらよ、と差し出したマイクを引っ込める気配はない。
「く、葛之葉さんの意地悪!」
歌えばいいんでしょ!とマイクをひったくった彼女が立ち上がったのは、雨彦のソロ曲のイントロが終わる寸前だった。
「よっ、待ってました!」
「葛之葉さんの意地悪ー!」
やけくそ気味の張り上げた声で歌い始めた彼女がその後、さらにおかえしとばかりに難易度とキーの高い曲を雨彦に歌わせ、事務所の他のユニットの曲で雨彦がそれに応酬する。そんな不毛なやりとりの間で、仕事のストレスなどあっという間に消えていく。
こんなに楽しいカラオケはいつぶりだろうか。
終了時間を知らせる電話に「一時間延長で、あとウーロンとオレンジひとつ」と答えた雨彦も、ソファで選曲端末とにらめっこしている彼女も、お互い目を合わせずとも同じことを思っているのはなんとなくわかっていた。それが楽しい、とすっかり消えたストレスと入れ替わりにやってきた対抗意識の延長線上にある楽しさを、二人はどうやらあと一時間ほど共有するつもりのようだった。