ゲーム、「魔法使いと黒猫のウィズ」のイベント、「黄昏メアレス」の二次創作小説。
オリキャラがメインに活躍します。華々しい「メアレス」の活躍の裏にあった、もう一人のメアレスの物語。文字数は約2万文字です。
@Fellen_Syawi
【黄昏メアレス 外伝 響音echoless】
――――――
【序章 黄昏】
――黄昏の空の下。流れる音がある。
低く深い重低音。それはゆったりとした響きを帯びて、橙色に染まる町に広がっていく。
楽を奏でるのは金髪の青年。耳の前から下がった髪が、左右それぞれで小さな束になっている。瞳は宵闇の空の紫。赤い羽根のついた薄茶色の帽子をかぶり、何よりも特徴的なのが背負った大きな楽器である。
ラッパのような形状。しかしそれはチューバよりも尚大きく、彼はその胴に身体を入れ、肩に担ぐようにして持っている。楽の音はそこから流れているようだ。
高い高い時計塔。そのてっぺんで、彼は時折、黄昏時になるとこうして楽を奏でていた。
ついた二つ名は〈黄昏楽師(ダスクノーツ)〉。高い時計塔の上、巨大な楽器を背負った彼のシルエットはよく目立った。
「綺麗なものね、あなたの音」
そんな彼に、かかった声がある。
淡い金色の髪に青の瞳、白のブラウスに緑のワンピース、髪には緑の薔薇のコサージュ。その瞳に苛烈な輝きを宿している彼女は、この町――〈ロクス・ソルス〉の有名人だった。
青年は演奏を中断し、穏やかな顔で相手を見た。
「初めましてだね、〈黄昏(サンセット)〉」
「私はあなたに名乗った覚えはないのだけれど」
「きみはこの町では有名だよ。ああ、一方的に名前を知っているのは良くないね。軽く自己紹介といこうか」
青年はすっと立ち上がり、軽く礼をした。彼の動きに合わせて、彼の服の中で何かが金属音を立てた。
「ぼくはジェイン。ジェイン・ターレイ。ターレイ音楽堂って知ってるかい? このロクス・ソルスにあったんだけど……潰れちゃって、ね。ぼくはその跡取りだったわけ」
ちらり、穏やかな笑みの中に悲しみが宿る。しかしそれは彼の中に宿る確かな強さに塗り潰される。
そう、と彼女は呟いた。余計な言及をするつもりはないようだ。
彼女は彼の方を見ず、ただ町の方にだけ目を向けて言葉を投げる。
「あなた、たまにここに来て音楽を奏でていくわね。私がいつもここにいるのは仕事の都合もあるわけだけれど、あなたの場合は何故かしら?」
そうだねぇ、と彼は少し思案してから、答える。
「ぼくには相棒がいるんだけどさ。シエンって名前の。そいつが、言うんだ。自分が生まれた町では、黄昏時に美しい音楽が流れるんだって。あいつさ、故郷を離れて寂しそうにしてたから……少しでも何かしてやりたくって。で、音楽家のぼくに出来るのはこうやって楽を奏でることだった、と。そういうわけさ」
「友達思いなのね」
「そうかもね」
うん、と頷いて彼は相手の隣に座る。そのまま何を話すわけでもなく。彼はマウスピースに口を当て、息を吹き込んだ。彼の背負った巨大なラッパ――スーザフォンから音が溢れだす。彼の指が踊るたび、それは重く深い音となって町中に響き渡っていく。
その日の黄昏は、何事もなく終わった。
最後の太陽が沈んだのを確認すると、二人、挨拶もなく自然に別れた。
◇
【一章 日常】
その日の黄昏時もまた、彼は時計塔にのぼる。やかましい相棒は連れてきていない。定位置に行くと彼女がいた。
互い、何も話さずそれぞれのことをする。彼は楽を奏で、彼女は町を見下ろして。
いつも通り、変わらない穏やかな日常――
だったはずなのに。
絹を裂くような悲鳴で、日常は乱された。彼は見る。見下ろした町の下、黒い影に襲われている人影がいるのを。
「ロストメアかッ!」
声と同時、彼女が高い時計塔から飛び降りる。
「――繋げ、〈秘儀糸(ドゥクトゥルス)〉!」
彼女の手から光輝く糸が伸び、骨でできた人形が何もない空間から引き出される。人形は彼女よりも先に落ち、下で飛び降りた彼女を受け止めた。
それを時計塔から見下ろしていた彼は、ひゅうっと口笛を吹く。
「これが話に聞いたアストルムの魔法か。すっごいなぁ」
彼女が黒い影――見果てぬ夢〈ロストメア〉に向かっていくのを見ると、彼も大急ぎで時計塔の階段を降りていく。その左足は不自然にも、引きずるような動きを見せていた。降りながらぶつぶつと呟く。
「んーと、ロストメアがあいつだけだったらもう終わりだけど……ぼくも一応〈メアレス〉の端くれだし。様子くらいは見に行かなくちゃ……」
みんな倒されちゃっても、魔力の残滓くらいはもらえないかなぁとぼやく。彼の背でスーザフォンに刻まれた魔匠が光った。
重い楽器を背負い、左足を引きずりながら走る彼を、追い越す影があった。
茶色の髪、純朴そうな青の瞳、素朴な生成りの衣装を着た少年が、文句を言いたそうな顔をしていた。彼こそジェインの相棒、シエンである。
シエンは言う。
「ロストメアの襲撃。複数。数体は熟練のメアレスたちが狩りに行ったけどまだ残っていたらラッキー? ジェインの広範囲攻撃、役に立つんじゃねぇの」
さあねぇとジェインは首をかしげる。
「きみはともかく、ぼくは楽器とこの足のせいでどうしても初動が遅くなりがちだからなぁ。ロストメアが来るタイミングを狙ってあらかじめ張っておかないと、狩るのは難しいかもね」
走りながらもそんなことを言う。うまく動かない左足に、忌々しげな視線を投げた。
おいおい、とシエンが呆れた顔をした。
「最初から諦めてどうするんだっつーの! 何回かこんなこと続いたらおまんま食いあげだし、実際、数日間何も食べられていない時期があったろーが! そんな能天気じゃマジで飢え死ぬぜしっかりしろ?」
二人で口論しながら辿り着いた現場。
〈黄昏〉の凛々しい声が響き渡る。
「修羅なる下天の暴雷よ、千々の槍以て降り荒べ!」
生み出された光り輝く魔法陣。そこから放たれた雷が、今まさに人を襲おうとしていたロストメアを穿ち、貫き、消滅させた。
ジェインはひゅうっと口笛を吹く。
「おやおやラッキー。本物の魔法が見られたねぇ」
「そんなこと言ってる場合かこの駄メアレス! 他にもいないか探そ――」
「終わったわ。これで最後よ」
そんな二人の会話を聞いていたのか、彼女が物陰に潜んでいた二人に声を掛けた。
見ていたのがばれては仕方がない。そのまま出ていく。
彼女は感情を載せない声で、ジェインに言った。
「あなた、メアレスだったのね」
あはは、とジェインは頭を掻いた。
「まーだひよっこで初心者の駄メアレスなんだけどもねぇ。いやぁ、きみの噂は聞いていたけれどあれが魔法かい? すごいんだなぁ」
「…………」
彼女は何も答えず、そのまま去っていく。
冷てー奴、とシエンが文句を言うと、そんな人だっているだろうと返す。
「ま、今回も収穫なしか。相手が〈黄昏〉なら、どうせ魔力は持ってっているだろうし」
「はーあ。倹約しないと毎日黒パンと水だけの生活になるぜー」
「……それは嫌だなぁ。たまには真面目に働こうかなぁ」
「最初っからしっかり働けー!」
「はいはい」
シエンの文句を聞き流しつつ、彼は拠点に帰る。
途中で、シエンとは別れた。
◇
その前に。
いつも寄っている場所がある。
『巡る幸い亭』。美味しい料理を提供してくれる、メアレス行きつけの店だ。彼はお金にまだ余裕がある時はいつも、ここで夕食を取っている。
店の扉を開けた時。
「らっしゃーせー」
気の抜けた返事がした。その声には聞き覚えがある。
ジェインは相手の顔を見て、驚きの表情。
「やぁ……〈黄昏〉じゃないか」
「さっきぶりね」
彼女は片手にお盆を持っている。ここでアルバイトを始めたのかなとジェインは推測した。
そう言えば、と彼女はジェインに近づいた。
「あなた、メアレスなのよね。メアレスならば二つ名があるわけでしょ。良かったら教えてくれないかしら」
ああ、とジェインは頷いた。
「じゃ、改めて自己紹介だ。ぼくはジェイン。〈黄昏楽師(ダスクノーツ)〉=ジェインだよ。黄昏、ってところはきみと同じだね?」
「名前で呼ぶのは趣味じゃない。これからあなたのことはダスクノーツと呼ばせて頂くわ」
「華麗なる無視かい。いや……まぁ……いいけど」
苦笑し、彼は料理を注文する。
注文した料理を待つ間、彼は店の奥に引っ込んでスーザフォンを奏でる。重く深い音は店のバックミュージックとなって、人々の緊張をほぐしていく。
音楽が好きだった。楽器職人の父の影響で。
歴史に名を残す音楽家になることが夢だった。夢はとうに失ったけれど。
それでも、音楽を愛する気持ちだけは、変わらなくて。
だから音楽を奏でるのだ。夢を失っても、「好き」が消えたわけじゃないから。
そうしている内に、頼んでいた料理がついた。
「ミートパイ、お待ちどう」
無表情で料理を突き出す彼女にありがとうと礼を言い、ジェインは愛用のスーザフォンをいったん地面におろしてから、ミートパイを食べ始める。
この店のミートパイは絶品だ。かぶりついた時のサクサク感、続いてふわふわとした食感。ちょっと食べ進めれば肉汁溢れる中身に到達。その瞬間、幸せが脳内を支配する。
初動が遅いメアレスだから、いつも自分たちが狩る前に獲物は狩られているからあまりお金は得られないけれど。それでも、一日の終わりにこの店に来る。それは彼の小さな楽しみだ。
顔をほころばせてミートパイにかぶりついているジェイン。その様を、ある謎の人影がじっと見ていたことは誰も知らない。
人影はぼそりと小さく呟いた。
「……いずれお前に会いに行くよ、ジェイン」
その紫の瞳には、燃える決意の炎があった。
◇
彼の帰る場所は孤児院だ。潰れたターレイ音楽堂はまだそのまま残っていて、たまに戻ることはある。けれど、彼はそこに居てはいけない人間だから。
ターレイ音楽堂が潰れ、父はジェインを守るために自殺した。居場所をなくした、当時十歳のジェイン。父の遺した最高傑作であるスーザフォンだけを持ち、それを奏でて日銭を稼ぎ、夜はスラムの隅で身を縮めながらも眠り、ぎりぎりのところで生きてきた。そんな彼を救ったのが、
『――あんた。もっといい場所で生きていけるかもしれないぞ? 俺が案内できるが、どうだ?』
この町最強のメアレス、〈夢魔装(ダイトメア)〉=ラギトだった。
彼に救われ案内され、導かれたのは町の孤児院。周囲の子たちよりも年上な彼を、皆快く迎えてくれた。ラギトと〈戦小鳥(ウォーブリンガー)〉=ミリィというメアレス二人はたまに孤児院を見に行って、子どもたちにお土産をくれたり沢山の話を聞かせてくれたりした。家を失い家族も失い荒廃したジェインの心は、その穏やかな日々の中で癒された。
そういったことを考えながら、孤児院の戸を叩く。
「ただいま。ぼくだよジェインだよ。……帰ってきた」
もう時刻は夜だ。寝ている子供たちを起こさないように小さな声を出すと、顔なじみである孤児院の先生が戸を開けてくれた。
「……お帰り」
彼女の対応は素っ気ない。
彼にもわかっていた、自分が歓迎されざる存在であることくらい。
十八を超えても自分の新しい場所を見つけられない孤児。彼は孤児院に置かせてもらっているお礼として稼いだお金の一部を送ってはいるけれど、先生たちの本心としては、彼にさっさと出て行ってもらいたいようだ。ラギトとミリィの支援があるとは言え、大人を置いておけるほどの余裕は孤児院にない。メアレスたちの対処が遅れ、ロストメアが人を傷つけ、それで新しい孤児が生まれる。そんなのは日常茶飯事だから。
「……ごめんね。うん、いずれ出ていくからさ」
「一秒でも早い出発を心から待ってます」
「……だろうね」
素っ気ない対応に溜め息をついた。
足を引きずりながら、孤児院の倉庫に向かう。そこが今は彼の部屋になっていた。
木材やら金具やらが置かれた、金属くさい狭い倉庫。そんなところでも部屋があるだけましである。それには感謝しなくてはならない。
ジェインは思い出す。孤児院に来る前の、スラムでの日々を。他の楽器は奪われてもこのスーザフォンだけは手放すまいと、必死でならず者たちに抗った日々。その日々の中で左足を負傷し、常に引きずるようになってしまった。
彼はスーザフォンを倉庫の壁に立てかけ、地面に敷いたわらの上に寝転がって天井を眺めた。
倉庫に忍び込む寒さと、それに連動して痛む左脚。それが、夢は失ったけれど生きているんだという実感を彼に与えた。
彼はしばらくぼんやりと天井を眺めていたが、やがて何かを思い出して立ち上がり、スーザフォンを背負っていずこかへ消えた。
「ん、やらなくちゃいけないことができたかも」
口調は穏やかだったが、目に宿る光は真剣だった。
◇
【第二章 襲撃】
翌日。
朝早くに孤児院を出て、マントの中に隠したリコーダーで曲を奏でる。相棒を呼ぶ時に、いつも決まって奏でる曲だ。ご丁寧に相棒の家の前でリコーダーを吹く。すると。
「……何だよ。用があるならそんなまだるっこしい方法なんて使わないで、ノックとかしろよー」
眠そうに眼をこすりながらも現れた相棒に、ジェインはそっと囁きかける。
「今日のロストメアはぼくらが狩るよ」
「いきなりどうしたよ……」
ジェインの紫の瞳には、真剣な輝きが宿っていた。
「いつまでも孤児院に世話になるわけにはいかないし。いい加減真面目に働こうと思ってね?」
「よーやく本気になったってのか」
で、策はあるのか、と問う相棒に、ああ、とジェインは頷いた。
「ちょっと色々、罠を仕掛けておいたんだよ。ふあぁ……ほとんど寝てないから……眠い……」
「お前身体弱いんだから寝ろ」
相棒の突っ込みにはあくびで返す。
はぁ、とシエンは溜め息をついた。
「ったく。俺がいないと自分の体調管理もできないんだからお前は。それでまたいつかみたいにぶっ倒れられたら困るんだけどな?」
「無理しないから。わかってるってば」
それでなんだけど、と彼は作戦を話し始める。ふむふむとシエンが頷いた。
「確かにそれは……俺みたいにすばしっこい奴がいないと駄目だよな」
「頼めるかい?」
「任せとけ!」
頷くシエン。
「じゃ、黄昏まで個人行動。黄昏が来たら個々に集合だ。オーケイ?」
ジェインの言葉に了解、と返し、シエンは町のどこかへ消えていく。
シエンは確かアルバイトをしていたっけ、とジェインは相棒に思いを馳せる。
若くて、健康で、障害もなくて元気にあふれてすばしっこい。そんなシエンは働き手として優秀だ。片脚が不自由で、身体も弱くて華奢なジェインとは対照的に――。
元気なシエンを見るたびに、ジェインはそんなシエンに憧れを抱く。自分もそんな風になれたら、と。しかしそれは叶わぬ夢だ。ちらり思ったことはあるが、夢と認識できるほどに強く願ったことはない。
「さぁて……ぼくはぼくで、戦闘の準備をしようかなぁ」
間延びした口調で呟きつつ、彼はターレイ音楽堂へ向かう。そっと秘密の鍵を開けて中に忍び込み、父の遺した楽器を幾つか持っていく。
「ぼくは……っと。うーん、無駄に体力使いたくないしなぁ。黄昏までここに潜んでいようか」
彼は外から見えない場所にあるソファに、スーザフォンを下ろしてからごろんと寝転がった。寝転がりながら、愛器を撫でる。
「今日はお前の出番だよ。しっかり働いておくれよねぇ」
そして黄昏が来る。
◇
りんりんりん。黄昏と同時に一斉に音が鳴る。
何の音だ、と顔を出す人々に、来ないで、とジェインは鋭く声を投げる。スーザフォンを背負いながら疾走、音の発信源へと直行する。
罠を張っていたのだ。ロストメアが引っ掛かったら、一斉に鳴り出すベルの罠を。魔匠を刻んだ特殊な楽器職人だった父を持つ彼は、簡単な魔匠くらいならば刻むことが出来た。それを店に残っていたベルに刻み、ロストメアが現れそうな各所に罠として張っていたのだ。
それが作動した。
「シエン!」
声を上げれば、任せろと相棒が走っていく。
上がった悲鳴、黒い影。りんりんりん、けたたましく鳴るベルの音。
罠を張った位置は把握している。あとは音からどの位置の罠が作動したか割り出し、直行するだけ。
ジェインは叫ぶ。
「孤児院前だ! 急いで!」
「先行ってるぜ!」
頷き、全速力でジェインを追い抜いていくシエン。
初動が遅いジェインでは緊急事態に対処できないが、あらかじめ罠を張り、相手の現れた場所がわかれば、あとは運動神経抜群のシエンに任せられる。
まともに動かない左脚に苛立ちながら、ジェインは自分のペースで孤児院へと向かう。
その先で見たのは。
「……ッ、シエン!?」
頭から血を流して吹っ飛ばされた相棒の姿と怯える子供。幼い少女の前、突き出されたロストメアの爪――。
「させるかァッ! みんな、耳塞いで!」
叫び、子供たちが大慌てで耳を塞いだのを確認すると、思い切りスーザフォンに息を吹き込んだ。
炸裂。爆音。凄まじい音が衝撃波となってロストメアを叩く。ロストメアの爪は間一髪のところで子供から逸れる。ジェインは息を切らしながら両者の間に割り込み、鋭い瞳でロストメアを睨んだ。
「“黄昏楽師(ダスクノーツ)”=ジェイン、只今参上ってね」
悪戯っぽい声で笑うが、瞳は前を見たままで。
彼は片手で、マントに縫い付けたハープをかき鳴らす。流れる不協和音は聞いた相手の感覚神経を狂わせ、その後の対処をしやすくする特殊攻撃。音を操る彼は、どんな音がどんな効果をもたらすのか、熟知していた。
その特異性から、攻撃手段は限られる。だから彼は攻撃的な戦闘をするシエンと組まなければ一人前になれない。シエンはナイフを使ってすばしっこく立ち回るのが得意で、手数で相手を圧倒する。
が、そのシエンは今は気絶しているようだ。そしてジェイン一人では決定打に欠ける。ロストメアはジェインの音に縛られたのか身動き一つしないが、このままだとジリ貧だ。だからジェインはシエンを起こす必要がある。
「……動くなよロストメア?」
後ろに注意を向けながら、そっとジェインは倒れたシエンに近寄る。彼を起こすために特殊な音楽を奏でようとした、時。
倒れていたシエンの目が、ぱっちりと開いた。
「ジェイン、後ろだッ!」
緊迫した声。はっとなってジェインは身構えるが、避けるのは間に合わない。
咄嗟に、マントの中に仕込んでいたシンバルを右手に持ち、それでロストメアの突撃を受ける。じゃーん、と大きな音を鳴らし、シンバルが大きく震えた。
「大丈夫か?」
「きみもね」
身を起こし駆けつけてきた相棒に、涼しい顔でジェインは返す。しかしその額には汗が浮いていた。
相手の攻撃を受けた時、右腕に感じた激しい衝撃。右腕はぶるぶると震え感覚がなくなり、使い物にならなくなったようだ。普段は後衛を務めることの多い彼は、あまり感じたことのない激痛に余裕をなくす。
「ぼくの音が……効いていないのか? いや、でも最初の爆音は効いたよね……」
そんな状況にあっても冷静に戦況を分析しようとするが、痛みに頭が明滅し、それどころではなくなっていく。
下がってろ相棒、とシエンは額から流れる血を拭いながらもジェインを背中に庇った。
「音が効かないならあんたの出る幕はないだろ。俺はさっきこそ不覚を取られたがもう負けない。お前はさっさと他の凄腕メアレスに連絡してこい!」
「……無理だよ」
ジェインは首を振った。
彼は見る。孤児院の周辺に、他のロストメアが集まってきているのを。
ジェインの足ではそんな数を振り切って逃げるなんて無理だ。
そこで彼は気付く。
「こいつら……ロストメアじゃない」
「何だって?」
問う相棒に、見つけた答えを告げる。
「こいつらは……〈悪夢のかけら〉だよ。ロストメアが生み出した自分の分身。ロストメアよりもさらに弱く、意思もないただの悪夢!」
それがシエンを気絶させ、ジェインの音を無効化し、さらに集まってきている。
はぁ、と彼は溜め息をついた。
「ぼくも立つさ、この地獄に。そもそもぼくが『ロストメアを倒したい』なんて言ったからこうなった。自分の責任は自分で取らなくちゃだろ?」
そして目の前の相手を睨み、大きく息を吸い込んだ。それを見てシエンは耳を塞ぐ。そして。
爆音。
それを戦いの開始の合図としてシエンは跳躍。両手に持ったナイフで相手に切りかかるが、相手は〈かけら〉だとは思えないほどの反応速度でこれを迎え撃つ。そして。
爆音。
放たれたのは、〈かけら〉の口から。至近距離でそれを浴びたシエンは頭を散々に揺さぶられて昏倒する。
一撃だった。たった、一撃。
あのシエンが。強かったシエンが。一撃でやられた。
ジェインは眩暈を感じていた。強い、強すぎる。こんなのと戦ったって、足止めにもならないかもしれない。
けれどやる、やるしかない。だって自分は――
「〈メアレス〉だから、ねッ!」
音による攻撃が効かないのなら、物理攻撃で行けばいい。
鉄で作られた珍しいリコーダーをマントから取り出し、武器代わりにと、麻痺していない左手に持つ。
が、〈かけら〉は待ってはくれない。
突撃。防ぎ切れず、ジェインは大きく吹っ飛ばされる。
「かッ……はッ……!」
思わず吐いた血。胸が痛い。肋骨が折れたのかなとそんなことを考えるうちにも、視界は赤く染まり思考は激痛に塗り潰されていく。
飛びそうになる意識。そのまま手放したら楽になれるかもしれない。
そう思った、時。
「ジェインおにいちゃん! 助けて!」
子供の声がした。ジェインを襲った〈かけら〉は、標的を恐怖で足がすくんで動けない子供に切り替えている。その子とジェインは何度も話をした。その子はジェインの小さな友達だった。そんな彼に迫る命の危機。
「――させるかァッ!」
叫び、傷の痛みも忘れて飛び出した。ただ愚直に、子供と〈かけら〉の間に立った。
攻撃手段も防御手段も考えてはいない。盾代わりにしたシンバルを持つ右手はとうに使い物にならなくなったし、左手に持っているのは頼りない鉄のリコーダーだけ。彼は咄嗟にリコーダーを捨て、自分の最大の武器であるスーザフォンに唇を当てた。
メアレスはあまり長生きしない。戦闘ばかりの日々だから、いつ命を失うのかなんてわからないから。
そもそもジェインは長く生きたいとも思ってはいない。会社が倒産し、父が死んだあの日から。ただ虚ろに生きてきただけで、夢も目的もなくって。自分への評価も低くって。
それでも、守りたいものはある。恩人ラギトとミリィの孤児院。自分の新しい場所。そこにいる明るく無邪気な子供たちの、未来を守ってやりたいと思ったのだ。
(こんなぼくになんか、未来なんかないかもしれないけれど)
それでも、子供たちには確かにあるだろう、輝かしい未来を。
(守りたいと、思ったんだ。その為には、今ここで死んだって構わない!)
だから。
「凶夢ッ! 未来を奪いたいなら――ぼくを倒してからいけよッ!」
叫び、スーザフォンに息を吹き込もうとした。そんな彼を嘲笑うように、鉤爪は彼の身を引き裂――
「――ブラストウィールッ!」
……かなかった。
ややかすれた炎のような男の声と同時、降り注いだ光の雨。それは今まさにジェインを切り裂かんと迫っていた〈かけら〉に孤児院の周辺に群がる他の〈かけら〉に突き刺さり、一瞬で消滅させた。
駆けつけてきたのは、燃えるような赤髪の特徴的な男だった。炎を連想させる赤い髪、強い意志を宿した黄金の瞳。黒のジャケットに赤いシャツ、白いズボンに黒のブーツ。胸元に赤い飾りのついたペンダントを下げ、まるで機械のように複雑な仕組みの、赤い弓を持っている。
男は子供たちの無事を確認すると、地面に片膝をついて、苦しそうに洗い呼吸を繰り返しているジェインに近づいた。
「大丈夫か、怪我はないか? ……いいや、見るからに重傷だな。診療所まで連れていく! 立てるか?」
そっと差しのべられた、黒いグローブをはめた右手。
その手の持ち主を、ジェインは知っていた。彼もまた、この町で有名なメアレスの一人だったから。
「……〈魔輪匠(ウィールライト)〉」
相手の名を呼ぶと同時、肺の中で血が溢れ、血を吐いた。思い出した苦しみに思わず悶えそうになるが、相手の腕がしっかりとジェインを支えた。
「……無理そうだな。俺が背負っていく!」
「待っ……て」
ジェインは必死で声を上げた。
救世主の登場のせいで気が抜けたのか、愛用のスーザフォンは背中から落ちていた。ジェインはそれを指し示す。
「あれ……ぼくの……相棒……」
言われ、魔輪匠がどちらを運ぶべきか困った顔をした時。
「来てみたが……もう戦闘は終わったようだな?」
やってきたのは、全身に異形を纏わりつかせた青年だった。
淡いブロンドの髪、黄金の瞳。整った顔立ちをしているが、その全身は赤紫色の外骨格に覆われている。
丁度良い、と魔輪匠は男に説明を開始した。成程と男は頷き、「ならば俺が彼を背負う。お前は楽器を持って行ってくれないか」と言って、ジェインの身体を背負いあげる。
大した力だった。楽器がなければただの華奢な青年であるジェインは、軽々と背負われた。男は男なりに気を使ってくれているらしく、ジェインの傷に響くような運び方はしなかった。それを見つつ、魔輪匠は楽器を背負う。
「お前は良くやったよ、ジェイン。……強くなったな」
ねぎらうように声をかける男の名を、ジェインは飛びそうになる意識の中で呟いた。
「ラギト、さん……」
それだけを呟き、意識は落ちる。
夢を見た。
◇
それは、ジェインが孤児院に来てから二年は経過した頃のことだろうか。ジェインは十四歳になっていた。
その日、ジェインは孤児院の子供に誘われて、〈門〉を見に行っていた。
ロストメアはこの〈門〉を目指す。〈門〉を抜けた先は現実世界、そこに至った〈見果てぬ夢(ロストメア)〉は叶うことができる。ロストメアの存在意義は叶うことだ。だから彼らは必死で〈門〉を目指す。
〈夢失いし者(メアレス)〉たちがロストメアを止める理由。それは、彼らが叶うことによって起こる災厄と、危険な夢の存在にあった。ロストメアが叶うと現実世界に災厄が起こる。実際、過去にそれを止められなくて、逆さまに滝が流れるようになってしまった場所もある。
失われた夢は必ずしも良いものとは限らない。世界征服の夢や死者蘇生の夢。もしもそんな危険なものが叶ってしまったら世界は大変なことになる。そういった理由があるから、世界を人々を守るために、メアレスはロストメアを狩るのだ。
そんな〈門〉に、危険な門に。一日の中で〈門〉が開く唯一の時間である黄昏時に、子供たちは近づいた。
そして、出会った。
今まさに〈門〉を越えようと全力疾走する異形の影を。その背を誰かが追っている。
「あれ、何かやばくない? 逃げようよ!」
異形の影に怯え、子供たちは〈門〉の周辺から逃げ出す。しかしその時から脚を怪我しており、重いスーザフォンを背負ったジェインは逃げられない。異形の影は、〈門〉の前に立って竦んでいるジェインを邪魔と言わんばかりに切り裂こうとした。
反射的に、息を吹き込んだ。父の遺した最高傑作である、魔匠の刻まれたスーザフォンに。
こんな使い方をする道具ではない。スーザフォンは、低く美しい音を奏でるための楽器だ。わかっていた、わかっていた、けれど。
反射的に奏でたのは、爆音。
誰かを感動させるためではなく、目の前の脅威を退けるために奏でた、音の衝撃波。
それは目の前のロストメアを打って――。
しかし致命傷には至っていなかったようだ。ロストメアは確かにひるんだが、消滅するほどではない。怒り狂ったロストメアはそのまま幼いジェインに向かう。ジェインは反射的に、いつも持っていたシンバルを盾代わりにして一撃を防いだ。痺れた腕。しかし彼の頭は高速で思考を続ける。
やらなければやられると、彼の本能が叫んでいた。ぶかぶかのマントの中に隠し持っていた様々な楽器の中の、ジェインは反射的に何かを掴む。それはシンバルを叩くためのスティックだった。
先端はやや鋭くなってこそいるものの、武器としては頼りない。しかし今のジェインにはこれしかない。スーザフォンで不協和音を奏で相手をひるませながら、タイミングを見計らう。
「――やぁっ!」
狙い澄ました一撃。シンバルのスティックが相手の身体に吸い込まれる。楽器を武器として使った攻撃。呻き声をあげるロストメア。しかしジェインの必死の攻撃は、相手をさらに怒らせただけで。
シンバルのスティックはそこまで長くはない。その一撃で相手を仕留められなかったら、相手からの反撃をもろに食らってしまうだろう。仕留め損なったジェインのすぐ前にロストメアの口があった。駄目だったのか、ごめんね父さん、とジェインが諦めようとした刹那。
「――横槍を叩きこませて貰うッ!」
異形の拳がロストメアに突き刺さり、そのまま消滅させた。
自分を助けてくれたその人物は、いつか自分を救い、孤児院という居場所を与えてくれた人物。自分と二つしか歳が違わないのに、立派に町を守っている人物。
「怪我は……ないな? まったく……。こんな時間にここに来たら危ないぞ」
「ラギト……さん」
ぽんぽんと頭を撫でてくれた彼。思わず涙が零れた。
死を覚悟した。もうどうにもならないと、心のどこかで諦めていた。それなのに助けられた。深い安堵感が全身を包み、脱力させた。
がくり、落ちる膝。力の抜けた手からシンバルのスティックがすっぽ抜ける。ラギトはそれを拾うと、ジェインに肩を貸した。
「ほら、立つぞ。怪我はしていないのだろう。孤児院まで、帰ろう」
優しく笑うラギトに肩を借り、力の抜けた身体を叱咤して孤児院に帰った。
帰った先では、皆がジェインを心配してくれていた。
この日、ジェインは、誓う。
メアレスになろうと。自分もラギトみたいに、誰かを助けられる人間になりたいと。
音を武器として使う方法を覚えれば、何とかなるかも知れないと。
それを夢と呼ぶのだと知ったのは後のこと。だからジェインは再び、夢を捨てた。
「音楽家になる」夢、そして「ラギトのように強いメアレスになる」夢。捨てた二つの夢はいつしか、ロストメアになって人々を襲うのだろうか。
その時にはそれらを狩れるほど強くなろうと、そう、彼は誓った。
夢は捨てたけれど目標はある。「一人でロストメアを狩れるほど強くなる」という目標が。
平和な日々の中で忘れかけていた目標だけれど、胸の中から完全に消えたわけじゃない――。
◆
「ラギトさん、怪我人っすか?」
満身創痍のジェインを抱え、診療所へ向かうラギト、そしてジェインの楽器を背負う〈魔輪匠(ウィールライト)〉=レッジに掛けられた声がある。
明るい桃色の髪を大きな二つの三つ編みにし、頭には青いベレー帽。赤い瞳は純粋な好奇心を宿し、服は白のブラウスに青のワンピース。ワンピースには赤いネクタイが付いており、どこか学生服を思わせる。彼女はラギトたちと同じメアレス仲間、〈戦小鳥(ウォーブリンガー)〉=ミリィだった。
「何か見覚えのある顔……ってえええジェインくん!? ジェインくんじゃないすかなんかすっごい怪我してる!?」
「〈悪夢のかけら〉と戦っていたが負けそうになって、ウィールライトが助けたらしい」
「戦っていた……ってことは、ジェインくんもメアレスに?」
「だろうな」
複雑な表情でラギトは頷いた。
メアレスは決して楽な仕事ではない。なりたくて皆、メアレスになったわけではなかった。状況が、どうしようもない狂った運命が、彼らをそうならざるを得ないようにしたというだけで。レッジも、ミリィも。血の涙を流しながらも自分の夢を捨ててメアレスになったのだ。ラギトは少々特殊な例ではあるが。
ミリィはラギトの背で眠るジェインを見た。その顔が心配げに曇る。
「うーん……何か……苦しそうな顔っすねぇ。何かしてやれたらいいんすけど」
「診療所に着いたら道具がある。そんなに心配ならば手伝ってもらうぞウォーブリンガー」
困った顔をしたミリィに、レッジが鋭く声を投げる。
うん、とミリィは頷いた。それにしても、とその目はどこか遠くを見る。
「いつか助けた子がメアレスになった、かぁ……。何だか複雑な気持ちっすね」
音楽家になるという夢を捨てたジェイン。でも音楽が好きだという気持ちには変化はなかったみたいだから、それを生かした仕事に就くと、ラギトもミリィも思っていた。だが現実。彼がなったのはメアレスだった。
「血反吐の吐き合いとか当たり前な戦場っすよ。優しいジェインくんには似合わないと思うんだけどなぁ……」
ミリィの呟きは、眠るジェインには届かない。
◆
目が覚めた。最初に目にしたのは診療所の天井だった。
身体が弱いくせに無茶ばかりするジェイン。何度も運び込まれたっけなぁと暢気に回想する。
「起きたのか」
ややかすれた声がした。身を起こそうとして感じた激痛に呻き、そのままベッドに倒れ込む。
「まだ起き上がるな。当分は安静にしていろ」
視界の端に、燃えるような赤い髪が映った。
「肋骨が数本、折れていた。それに右腕も骨折しているようだ。随分無茶な戦い方をする」
その言葉を聞き、ラギトさんに似たのかな、とぼんやりと考える。
ジェインの憧れていたラギトはいつも、無茶な戦い方をした。いくら身体がぼろぼろになろうと、動く限りは戦えると、無理をしながら町を人を守ってきた。
夢は捨てた。ラギトへの憧れから抱いたもう一つの夢も。けれど身体は無意識に、ラギトの真似をしていたのかも知れない。
そう思い、心の中で笑う。またシエンに「無茶するな」って叱られるな、とまで考えた、時。
電撃のように浮かんだ思考。
「〈魔輪匠〉……さん」
「何だ」
問いかけに、律儀に返してくれる相手。
忘れていたことを思い出し、ジェインは問う。
「相棒が……一緒に倒れて、いなかったかい……?」
「相棒? 何のことだ?」
「茶色の髪に青い瞳で……ナイフを使ってた」
見ていないな、とレッジは首を振る。
「一緒に戦っていたのか? 心配ならば捜すが……」
「ジェインー! 運ばれたの見たぞそこにいるんだろ相棒!」
突如響き渡った大きな声。あは、とジェインは笑みを浮かべる
「申し出……助かるよ。でも……その必要は、ないみたいだねぇ」
ばーんと開いた扉、顔をのぞかせた茶色の癖っ毛。
頭に包帯を巻いてはいたが、元気そうなシエンがそこにいた。
彼はジェインを見るなり、その顔に喜色を浮かべる。
「相棒! 生きてたか相棒! 良かった……本当に心配したんだからな!」
「怪我人だぞ。無闇な接触は傷に触るのでやめておけ」
思わず相棒に抱きつこうとしたシエンをレッジが制する。
レッジを見て、シエンは歓声を上げた。
「あ、あんたってまさかあの〈魔輪匠〉? 特殊な仕組みの弓を操る凄腕メアレスだろ?」
「ああ。それがどうかしたか?」
「いやぁ、会えて嬉しいなって」
シエンは満面の笑みを浮かべた。凄い人物に出会えて興奮しているようだ。
「俺は〈閃刃(スパークルエッジ)〉=シエン、ひよっこメアレスだ。このジェインの相棒をしてる。これからよろしくな?」
「ああ、宜しく頼む」
真面目なレッジは真面目に答えた。
◇
【第三章 対峙】
〈悪夢のかけら〉が現れたということは、その本体であるロストメアがどこかにいるということだ。
そして〈かけら〉にすら苦戦したということは……。
「……今回のロストメア、ぼくたちじゃあ無理だねぇ」
ジェインは溜め息をついた。
息をするたびに肋骨の折れた胸が激しく痛み、苦痛に顔を歪める。
それを見て、喋るなよ相棒、とシエンが返した。
「どーせ俺たちにはどうにもできねーよ。今回は諦めてゆっくり休みな。生きてることに感謝だよ」
「うん……」
だが、運命は待ってくれない。
それから三日後のことだった。ジェインの前に、とんでもない人物が現れたのだ。
◇
その日の黄昏時。不意に、診療所に現れた人物は。
「よう。元気しているか?」
黄金の髪に宵闇の紫の瞳。ぶかぶかのマントを羽織り、そこから垣間見える楽器の数々。明るく悪戯っぽい笑みを浮かべたその人物は――
「父、さん……。まさか、あはは、まさか、ね。父さんは死んだんだよ。この目で見たんだからさぁ」
「正確には、その『夢』だ。お前を偉大な音楽家にするという、ね。……久し振りだな、我が自慢の息子よ」
『父の夢』を名乗るその人影は――ロストメアは、驚くジェインに、言うのだ。
「メアレスを辞めろ、ジェイン」
あくまでも優しく、慈悲のこもった、口調で。死んだ父と同じ声で。
ジェインと同じ宵闇の瞳が、ジェインの瞳を射抜く。
「なぁに、無理して命まで賭けて〈門〉へ行く必要なんてないんだ。今ここでお前がメアレスを辞め、俺という夢を叶えようとしてくれればそれでいい。それで俺は叶うのだから。下手なリスクを冒して他のメアレスに狩られるよりは、ずっといい」
「ちょっと待てよこの凶夢ッ!」
ジェインに悪魔の囁きをするシエンを、『父の夢』は制する。
「邪魔者には退場してもらおうか。これは親子の対話、関係ない人間にはお引き取り願うよ」
穏やかに言って奏でるのは、魔性の音楽。
マントの裏に縫い付けたハープが不協和音をかき鳴らすと、音に縛られシエンは身動きできなくなった。
これで水入らずで話せるね、と『父の夢』はにっこりと笑う。
「ジェイン、我が自慢の息子よ。メアレスの仕事は怪我が多い。死ぬことだってあるのだよ? 今回は大怪我で済んだけれど、でも次は……」
「……その怪我を負わせたのは、あんたじゃないか」
ジェインは相手を睨んだ。
「あははぁ……ぼくを懐柔しようったってそうは行かないよ? あのねぇ夢よ。ぼくは自分で望んでメアレスになったんだ。死んだって構わないって思ってメアレスになったんだ。夢はない、そんなものは捨てた。でもぼくにはぼくなりの……」
ジェインは痛む身体を無理して起こし、近くに置いてあったスーザフォンをゆっくりとした動作で背負う。馴染んだスーザフォン、父の遺したスーザフォンは彼に安心と、確かな力を与えた。刻まれた魔匠が光り輝く。
「――意地があるんだから、ねぇ」
馴染んだ帽子を頭にかぶり、震える脚を叱咤して立ち上がり、夢と向かい合う。
他のメアレスが来る前に決着をつけなければならない。この夢は、自分と深く関わる夢だから。
消えなよ凶夢、と苦痛に顔を歪めならも、言葉を発する。
「父さんは死ぬ間際にお前という夢を捨てたんだ。『自由に生きろ』、それが父さんの最期の言葉だった! お前なんかにぼくは説得できないさ――誰にも望まれなくなった、そんな夢なんかに!」
「黙れッ!」
優しげだった『父の夢』の形相が一変する。狂ったような執念をその目に宿し、どうしようもない思いを抱えて。
『夢』は叫ぶ。
「黙れ黙れ黙れ黙れェッ! お前は何も知らないくせにッ! 願い主の期待、俺という夢を抱いた経緯! 俺も願い主もお前の為にィッ! お前の幸せを願ったというのにどうして認めないどうして俺を捨てたッ! メアレスを辞めれば傷付かないで済むというのに、どうして頑なにメアレスにこだわるんだ息子よッ!」
「あのね、父さん」
諭すように、ジェインは言う。
「父さんには父さんの人生があったように、ぼくにもぼくの人生があるんだよ? あなたの誕生した経緯なんてどうでもいい。ぼくはぼくの生きたいように生きるだけ」
憧れのメアレスがいたんだよ、とどこか遠い目をする。
「その人は誰よりも強くて、優しかった。困っている人がいたら真っ先に助けに行ったし、いくら自分が傷ついたって、ひたすらに無理をして戦い続ける人だった。ぼくはその人に救われて、その人みたいになりたいという、夢を抱いた」
その夢は捨てたけれどね、と悲しげに笑う。
「でも目標が出来た。強くて優しいメアレスになる、という目標が。憧れのあの人には届かないしぼくみたいな弱小メアレスの活躍なんて、誰にも見られないかもしれない。でもそれでいいと思った。それがぼくの選んだ生き方だから」
ぼくは変わったんだよ、と相手をまっすぐに見つめる。
「父さんの背中を追うことしか知らなかった、幼いあの自分から。あなたはそうなる前のぼくしか知らないのだろう。そんなぼくをそれでも否定するつもりなら」
決着をつけようじゃないか、とスーザフォンのマウスピースに自分の口を近づける。
「〈かけら〉なんて使わないで、今度こそ正々堂々。いいよ、相手になってやる。でもその前にシエンの拘束を解いて。ぼくの武器たる楽器を幾つか、取りに行ってもらわなくっちゃ」
「……いいだろう」
耳障りな不協和音が止まった。シエンは弾丸のように飛び出してジェインに迫ろうとしたところで、ジェインの大怪我を思い出して急停止、何をすればいい、と必死で問い掛ける。
ジェインは相棒に指示を与えた。
「ぼくの、マント」
やや離れた場所にあるマントを指し示す。
「愛用の楽器、たくさん入ってるんだ。悪いけど……着せてくれる?」
立つので精いっぱいの彼には、自分から離れた場所にあるそれを取りに行くほどの余裕はなかった。
頷き、それを着せてくれた相棒に礼を言い、さぁ始めようかとジェインは笑う。
「相棒、ぼくがどうなろうと手出しは無用だよ。自分のけじめは、自分でつけるさ」
不安そうな相棒に声を掛けて。
対峙する。
『父の夢』は嘲笑う。
「倒せると思っているのか俺を? 俺の生み出した〈かけら〉にすら苦戦していたくせに。メアレスとしてのお前の実力はゼロだ。お前は俺の望むとおり、音楽家になって一世を風靡するんだ!」
「……どうだか」
薄く笑うジェイン。傷付いた胸にそれでも精一杯息を吸い込んで、愛用のスーザフォンに送り込む。スーザフォンに刻まれた魔匠が、宵闇の紫に輝く。
爆音。
それは戦いの始まりの合図。
繊細な音で操ろうとしても、相手の能力なのか効果はない。ならば爆音を、物理的なダメージを与えれば少しは何とかなるだろうかとジェインは考える。
だがそれでも抵抗は止めない。マントの裏に縫い付けたハープで不協和音をかき鳴らし、耳障りな音で相手の感覚を奪おうと試みる。
「だから効かないっての!」
笑う『夢』は爆音をジェインに向ける。激しく頭が揺さぶられ、前にシエンが昏倒した時のように脳震盪を引き起こしそうになる。が、歯を食い縛ってそれに耐える。
相手は音を使うのに、相手にこちらの音は効かない。
こちらの圧倒的不利な状態。
『夢』はジェインを嘲笑う。
「勝てないよ? お前じゃ俺には勝てないんだよッ! 音しか攻撃手段を持たないお前にとって、この俺は天敵にも等しい存在。死にたくないだろ消えたくないだろ? ならば大人しく――音楽家になりやがれッ!」
「ならないッ!」
それでも、叫ぶ。心の中の、ありったけを。
捨てた夢、諦めた夢。もうとっくに決別したそれを、再び抱こうとは思わないから。
「ぼくにはぼくの――意地があるッ!」
叫び、これまでちまちまと貯め込んできた魔力を解放する。魔匠の刻まれたスーザフォンが、魔力による念動で彼の身体から離れ、宙に浮いた。
「何だ? 最大の武器を手放して。気でも狂ったか!」
「……楽器って言うのはさ」
ジェインは悲しく笑う。しかしその瞳には、父を失ったばかりの頃の彼とは明らかに違う、強い光が宿っていた。
「――ただ奏でるだけじゃ、ないのさッ!」
念動力で浮かした総重量十キログラムを超えるスーザフォンを、勢いよく相手に投げつける。楽器を、奏でるのではなく物理的な武器として、ただの金属の塊の鈍器として、相手に投げつける。それは「楽器は奏でるもの」という固定概念しか持たない『夢』には考えもつかない攻撃方法。
「メアレスってのは泥臭く生きる。相手を倒すためには手段を選ばないし、時には自分の矜持すらも捨てる」
あなたは侮っていたんだ、と笑う。その目に宿るのは悲しげな笑み。
教えてあげるよ、と彼は言う。
「――これが〈夢見ざる者〉、メアレスの流儀なのさッ!」
衝撃音。金属の鈍器と化したスーザフォンが相手にぶち当たる。ぐわーんと大きな音が鳴り、音に驚いた人々が駆けつけてくる。
「嘘だ嘘だ嘘だァッ! 俺は叶う、絶対にッ、叶うんだァッ!」
最後の最後まで叫び続けていた『夢』。しかし勢いよく飛んできた重量に押し潰されて――消えた。
やってきた人々が見たのは、息を切らしながらも辛うじて立っている少年と、衝撃で一部がひしゃげたスーザフォンだった。
「……さようなら」
それだけ呟いて、ジェインは昏倒した。
◇
【終章 安寧】
生まれて初めてたった一人で撃退できたのは、自分の父の夢だった。
それを思うと不思議な気分になる。
この戦いを経て、少しは成長できたかなと彼は思う。
あの後、真っ先に診療所に来たのは〈黄昏(サンセット)〉=リフィルだった。彼女はシエンからしどろもどろな説明を聞くと、魔法で生み出した光り輝く糸でジェインに応急処置を施し、無言で頷いて部屋から出ていった。その後も様々な人がこの病室にやってきてはシエンの話を聞いた。
無理をしたせいでジェインの傷は重くなった。ジェインは「三ヶ月は無理をしないように」とドクターストップを掛けられた。あはは、とジェインは力なく笑う。
「これでしばらくは、戦えないねぇ」
それに、愛用のスーザフォンがひしゃげてしまった。これを直すか新しい愛器を探すか、どちらかをしなければ戦えない。
そしてその日、彼を見舞いに訪れたのは。
「元気かしら、〈黄昏楽師(ダスクノーツ)〉」
「よくやったな、ジェイン」
「話聞いたっす! ジェインくんいつの間にメアレスになってたんっすねぇ!」
〈黄昏(サンセット)〉=リフィルと〈夢魔装(ダイトメア)〉=ラギト、〈戦小鳥(ウォーブリンガー)〉=ミリィだった。
ミリィはジェインに明るく笑いかけた。
「いやぁ、あのジェインくんがこんなになってたなんてびっくりっすよ! メアレスは簡単な道じゃない。それでも頑張るってんなら先輩として精一杯サポートしますんで! 何でも言って下さいっす!」
「これでしばらくはあなたの音楽、聞けないわね」
リフィルが呟きを洩らす。
「壊れたあなたの楽器。どうなるのかわからないけれど……でも私はあなたの音、嫌いじゃなかった」
なおったらまた聞かせてくれる、と問う彼女に、喜んで、とジェインは微笑みを漏らす。
「……お前は、よくやった」
ラギトがベッドに横たわるジェインに近づいていき、その頭を撫でた。
今のラギトは異形化していない。彼が異形を纏うのは戦闘の時だけだ。今はただ穏やかな顔をして、笑っていた。
憧れていたラギト。頭を撫でられ、いつかみたいに零れそうになる涙。抑えきれず、雫がひとつ、頬を伝う。
ラギトは何も言わないで、ただ穏やかな表情をしていた。
その日、ジェインは久々に、心の平穏を手に入れた。
これまで、どこか焦っていた。暢気な態度を取ってこそいたものの、心が休まることは滅多になかった。メアレスになってから知らず、心に張っていた見えない氷。それがこの日、確かに融けたのだ。
◇
「ロストメアだ、追いかけるよ!」
「了解! 先行してるぜ相棒!」
それから三ヶ月。
傷の回復したジェインは、壊れたスーザフォンを背負ってロストメアを追う。
スーザフォンは壊れていたが、息の吹き込み方を調整すれば、まだ何とか奏でられることがわかった。だからそのまま使うことにした。
もう迷わない、惑わない。捨てた夢になんか振り回されないし、ここで生きていくと、改めて決意だって固めた。
――ぼくにはぼくの道がある。
心の中で死んだ父にさよならをする。父の幻影は消え去った。
「何やってんだよ、置いてくぜ相棒!」
走っていくシエンに待ってよと声を掛け、動かない左脚を懸命に動かしてジェインは走る。
背負ったスーザフォンの魔匠が、黄昏の光を受けてきらりと輝いた。
まだ、道は続いている。
夢を捨て、夢に破れても。彼の人生はこれからだ。
〈黄昏楽師(ダスクノーツ)〉=ジェイン。他のメアレスたちに比べれば、あまりにも弱いメアレスだけれど。
それでも彼は、ここで生きている。これからもずっと、ここで生きていくのだ。
そんな彼を、時計塔の上から、黄昏の少女が穏やかな顔で見つめていた。
【完】