@toasdm
翔真が冬の羽織を使わなくなってしばらく経つ。湯上がりの翔真は藍染めの作務衣姿で爪の手入れをしていた。何してても絵になるんだよね、と作務衣の男らしさと翔真の中性的な魅力とのギャップにどきりとしながら、彼女は乾かしたての髪の毛をラフにまとめた。
「アンタもしてやろうか」
「へ?」
ソファにかけた彼女を手招きして、一通り手入れを終えた爪を検めながら翔真がそう声をかけてくる。
「爪」
「え、でも」
そんな手入れするようなご大層なもんじゃないですよ、と遠慮をすれば、飾りすぎないのと手を抜くのとは違うわよ、とたおやかにくすくすと、翔真は笑う。
「指先まで手を抜かない、ってのは大事だろう?」
「はぁ、まぁ……」
未だに渋る彼女の態度に業を煮やして、翔真は立ち上がると彼女を抱きかかえて膝に乗せた。ふわりと浮いた体は正直そこまで軽くないはずなのに、翔真の腕にかかれば赤子も同然、といった具合に軽々しく持ち上げられる。ひぃ、と小さく悲鳴をあげた彼女を胡坐の中に納めると、翔真はくるくると、彼女の爪の甘皮を処理しはじめた。
「せっかく別嬪さんに生まれたんだ、もっと飾っておやんなさいよ」
「そ、そんなこと言うの翔真さんだけですよ」
「嬉しいような悔しいような、複雑な気分だねぇ……」
職業柄、爪がどうとか言っていられるような立場ではない彼女は、たまにネイルでもしてみようかなぁ、と思って結局なにもしない、を繰り返してきた。もったいないわよ、と彼女の手を取る翔真の繊細な指先が、彼女の爪を一本一本、丁寧に処理していく。
「ほら、いい塩梅だ」
「あ……え、あれ、え、こんな?」
形を整えオイルを塗って、爪から指から手全体を、翔真の手技が包んでぱっと広げた時には、ただの手が魔法にかけられたキラキラの手に生まれ変わる。しっとりとした艶を湛えた肌のきめが整って見えて、嫌みのない程度に丸く整えられた爪の先には引っ掛かりもない。
「どんなもんだい?」
「なんか……えー……」
「アッハハハハ! なんだい、言葉もでないのかい?」
自分の膝の上でこくこくと頷く彼女を背中からぎゅっと抱きしめて、翔真は肩口に顎を乗せる。広げてあちこち確認しては、ほぇ、だとか、うわ、だとか声を上げる彼女の手の隣に自分の手を広げて並べて、翔真はくすりと笑って言った。
「アタシは毎日欠かさないわよ。ほら」
「……」
隅々まで手入れの行き届いた翔真の手は、男性らしいごつさを感じるのにどこか女性的な、匂い立つような色香すら感じるようで、彼女はまたどきりとする。そもそもが大きさの違いにドキドキする、っていうか翔真さんの手おっきい、と黙りこくった彼女の手をそっと包んで、翔真は今度は耳元で囁いた。
「……アンタ、アタシの手も好きなんだろう」
ぎゃあ、と叫びださなかっただけまだマシだった。小さく一度だけ頷いたまま黙った彼女を抱きしめたまま、翔真は嬉しそうにゆらゆらと左右に揺れた。
「な、なんか、いい香りしますね!」
苦し紛れに漸く出てきた言葉をぽんと投げれば、揺れたまま翔真は嬉しそうに言う。
「アタシと揃いのケアオイルの香りさ」
ピカピカに磨かれて整えられた手全体からほのかに立ち上るローズの香りは、確かに普段翔真から漂ってくる香りと少し似ている。すん、と鼻を近づけて嗅いでみたが、同じ香りのはずなのにどこか違うことに首をひねった彼女を、ぎゅう、と力いっぱい抱きしめて、翔真はゆったりと語りかけた。
「おんなじもん使ってたって、アンタとアタシじゃ体温も体臭も違うから、ちょいと違いがあるだろう?」
「あ、そうか……」
わかりやすい子、とくすくす笑って、じゃれるように翔真は彼女を抱きしめる。ふ、と息を吐いて、鼻先を彼女の首筋に埋めると、少し低めの声が作務衣越しに、胸板と背中とを伝って響いた。
「なかなか、全部アタシに染まっちゃくれないわねェ……」
その言葉の真意を訪ねる勇気は、彼女にはなかった。爪の色だけでもアタシ好みに染めちまおうか、とからかうように爪を撫でる翔真のさっきの言葉が、彼女の胸にぽつんとひとつ、翔真の色をつけたのを、翔真は気づいているだろうか。
今度お願いしますね、とその場はどうにかやり過ごしたものの、翔真の低い呟きはじわじわと、爪が伸びるくらいの速度で彼女の中に、翔真の色を今も広げ続けていた。