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井宿奪還大作戦の夜の話

全体公開 3 6 3083文字
2020-03-30 01:51:42

とるてさんの問答と都ちゃんの形見の話に触発された張宿クラスタの小話
2020/4/4改

Posted by @satomi8429

二年前に初めて顔を合わせた宮殿の朱雀廟で、再び集った朱雀七星士たちは一様に暗い表情でぽつりぽつりと会話をしていた。ひとり欠けているだけで、こんなにも空疎な空気になるのかと、誰もが思っていた。
井宿の不在。そして、豹変してしまった井宿という事実は、全員の胸を押し潰していた。
不安と心細さからか、誰からともなく車座になって敷物の上に座った。枯葉を散らす秋風から体温を守ろうとするように、互いに庇うように身を寄せ合う。

「井宿が、やて……?」
信じられないという表情で翼宿が言った。
「本当に井宿だったのか」
軫宿も遠慮がちに呟く。
「あれは間違いなく井宿よ。ただ、人格が全然違っちゃったようだった」
「結界が破られ、いつもの井宿の気が消え、そして奴らが現れた。それに」
星宿が袈裟の上に畳まれた井宿の僧服と錫杖、バラバラになった数珠を示した。
服はさっき柳宿が、無言で丁寧に畳んでいた。
「その井宿と一緒にいた奴ってのはなんなんだよ」
「知らないわ。敵方の一人だと思うけど……」と柳宿が言い淀む。
「なんやねん」
「井宿さんと、とても親しそうでした」
張宿が後を引き取った。
……井宿さんと親しい人物、それも、一朝一夕の間柄ではないと思います」
しゃべると涙が出てしまいそうで、とっさに唇を引き締める。深呼吸して言葉を継いだ。
「とにかく、手がかりがありません。井宿さんの交友関係を知っている方はいませんか?」
「自称、流浪の旅人だったからなぁ」
「少なくとも旅の間は、親しい人間はいなさそうだったわよね」
「昔の話はほとんど聞いたことがないな」
張宿は暗澹とした気持ちになって俯いた。
僕は、僕たちは、井宿さんのことを何も知らないのだ。
知ろうともしなかった。その優しさに、指し示す方向の確かさに、甘えていただけだった。
「あたし……聞いたこと、ある」
美朱が思い出したように呟いた。皆の視線が美朱に向いた。

親し気な会話。朗らかな笑顔。あけっぴろげで、完全に気を許している間柄の。ここでは見せたことのない。
――やはりあの男は、美朱の言う「親友」で間違いないのだろう。では黒幕は彼なのか。それとも他にいるのか。
あまりに衝撃的な豹変は張宿の胸中に混乱の嵐を吹き荒れさせた。あれは井宿なのか。まったく別の何かなのか。それとも。いやな想像を振りきるように口を開く。あれが本来の井宿なわけ、ない。
「井宿さんはおそらく、何者かに術をかけられたかなにかして操られているのだと思います。……糸を引いているのが誰なのかはまだわかりませんが、その『親友』の可能性もありますね」
思い出しながら話す脳裏に、井宿のさっきの笑顔がよみがえる。それから、自分たちを見下ろした氷のような視線が。
術で操られているのか?それとも乗っ取られているのか?かつての自分のように?
もしそうだとしたら、本当の井宿さんは今どうしているのだろうか。
胸がざわざわし、張宿は片手を胸に当てた。浅く早くなりかけた呼吸を手で押さえる。隣に座っていた軫宿が、黙って背中をさすってくれた。


日はとうに暮れ、朱雀七星士たちは朱雀廟を出た。
何らかの理由で井宿が豹変している。仲間として、井宿を傷つけることはできない。そして恐らく、強大な力を見せつけた井宿に敵う見込みも少ない。本来の井宿に呼びかけ術を破ることを試みつつ、井宿を操っている者がいるのなら、それを見つけて叩くのが良いだろう、という結論だった。
張宿は星宿とともに井宿の不在を埋めようと努めてみたが、やはり井宿不在の話し合いは締まりが悪く、ここでも井宿の気づかいや指導力を思い知るのだった。
手がかりのない今、夜が明けるまでは動くことは得策ではないということで一致した一同は、以前使っていた居室へ戻ることにした。


仲間たちと別れ、張宿は懐かしい扉を開けた。
貸与されていた大きな文机はそのままになっていて、綺麗に片付けられてそこに在った。
初めて来たばかりのころ、なにかと気遣ってここに来てくれた井宿を思い出し、また目頭が熱くなった。

眠らなければ、と思えば思うほど、心がざわついて目がさえる。張宿は観念して起き上がると扉を開けた。
皆は寝静まったのか、廊下は静まり返っていた。引き寄せられるようにそろそろと歩いて、気づけば井宿の部屋の前にいた。
暗い扉を開ける。月明かりに照らされた寝台の上には、先ほどの井宿の荷物があった。柳宿の運んだものだった。
「明日になったら、けろっと帰ってくるかもしれないじゃない?」と言って弱く微笑んだ柳宿の気遣いに、絶望の底にいるような気分だった皆は、少しだけ救われる思いがした。

近づいて布を解く。
手に取った僧衣は、思えばいつも身近にあったものだった。北甲国でも、西廊国でも、張宿を気遣い、庇い、認め、元気づけてくれたのは彼だった。寝台にひっそりと置かれた袈裟の見慣れた模様がゆがみ、唇が震える。
張宿はゆっくりとひざまずき、そのまま寝台に突っ伏して、声を殺して泣いた。
胸が絞られるように痛む。嗚咽をしながら息を吸うたび、井宿の匂いがするような気がした。
ぽっかりと穴があいたように、井宿の不在が哀しかった。してもらっていたことばかりが浮かんだ。どれも今更気づいたことばかりだ。
そして安否が心配だった。不安を埋めるように、張宿は持ち主の居なくなった服に縋った。

井宿さんは、どういう思いで七星士として生きていたんだろう。誰にも言えない過去を抱えて、それでもあんなに優しい笑顔で皆を包んでくれていた。
本当は、嫌だったんだろうか、ここが。
本当は、こんなところではなく、今日のように朗らかに笑って、親友と居たかったんだろうか。
今、井宿さんはどうしているんだろうか。

張宿は以前、箕宿と戦った時の事を思い出していた。自由を奪われ、押さえ込まれ、自分の体で仲間を蹂躙され、なすすべのなさに諦観して茫然としていた自分のことを。
現実を直視するのは心が痛すぎた。少しでも抵抗しようと動けば、全身に激痛が走った。
もうこれ以上なるものかという必死の想いだけで、無我夢中で舵を取り返したけれど、その時の痛みは、実際に自刃した時の傷の痛みよりも壮絶だったように思う。

井宿さんはどう思ってるんだろうか。どうしたいと思ってるんだろうか。
もし今の井宿さんが昔の幸せだった頃に留まりたいと思っているのだったら。
そんなぬるくて苦痛のない場所で微睡んでいる人に、壮絶な苦痛を伴う可能性があることを知っていてなお、現実を突きつけ帰ってこいと言えるのだろうか。

空の高いところで吹く風が月を隠し、静謐な闇が部屋に満ちる。
張宿は泣き腫らした目を窓へ向けた。地上は凪いでいるが、上空はかなりの速度で雲が流れているらしい。今隠れた月が、また薄雲に覆われてぼんやりとした輪郭を覗かせた。
嗚咽を宥めて呼吸を整え、でも、と張宿は息を吸う。
過去を克服しなければたどり着けない場所がある。それを自分は知っている。
それになにより、張宿自身が井宿に戻ってほしかった。
「ごめんなさい」
大事な仲間で、大好きな人だから。
張宿は苦痛を伴うかもしれないことに、そして現実を突きつけられた後の井宿の、不確かな未来に詫びた。
「でも、僕たちが」
あの時あなたが、攻撃する自分に対して決して反撃せず、ひたすら呼びかけ呼び戻してくれたように。今度は僕が。
「僕たちが、必ず助けます」
張宿は両手で涙を拭って、抱きしめた僧衣にそう誓った。


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