「頼むから、忘れてくれるかい? 今どんな顔をしていいのかわからない」
初のお部屋訪問でめっちゃ緊張してとんでもなく可愛いことになってしまった雨彦さんのお話です。
@toasdm
直径数センチのカメラレンズに暴かれるなど、思いもよらなかった。参ったな、と苦笑した雨彦は、ドアを開けてくれた彼女の様子から、自分の恥ずかしい行動が筒抜けだったことを知る。
恰好ばかり取り繕ったところで、どうせボロが出ることは予想がついていた。似合いませんね、と笑われるのも気恥ずかしかったし、そもそも似合わないことはわかっていた。だから雨彦は、初めて彼女の家を訪れる自分の身を包む服は「気合の入りすぎない普段着」をチョイスした。めかしこんでスーツなんか着ようもんならお前さんに笑われるのは目に見えてるからな、と言い訳は済ませたが、いざ彼女の部屋の前に立つと、決心が揺らいだ。
普段通りの恰好で、お前さんをがっかりさせたりしないだろうか――。
ドアの横にあるインターフォンのカメラレンズに映り込んだ自分の顔をまじまじと見つめて、雨彦は右を見て左を見て、髪の毛の乱れを確認する。見慣れた自分の顔のはずなのに、嬉しくて、楽しみで、それは随分とにやけているように見える。
こら、はしゃぐなよ。お前さんもう三十路だろう?
にやける頬をぺちぺちと叩いた右手で一応念のため、と髪の毛をかきあげ後ろへ撫でつけ、雨彦はフッと鋭く息を吐く。緊張するな、と「ちょっとした手土産」を後ろ手にもって隠して、雨彦はインターフォンのボタンを押そうと人差し指を伸ばした。
「……あ」
いや待てよ、と雨彦はもう一度、カメラレンズをのぞき込む。相変わらずのにやけ顔が映り込んでいるが、そういやさっき耳の横の髪の毛が跳ねているかどうかを確認しそびれたな、と念入りにそこを撫でて、よし、と今度こそ、指はインターフォンを押そうとした。が。
「……い、いらっしゃい、ませ」
「…………あ、ああ」
押す前に開いたドアから、愛しい彼女の香りがふわりと外に漏れだしてきて、どうにも意味深な笑顔と態度で、雨彦は全てを悟った。
「見て、たのかい?」
「だ、だってなんかなかなか、インターフォン押さないし」
「……あぁ」
穴があったら入りたいとはこのことだ、と雨彦は自分の顔がカァッと一気に熱くなるのを感じて静かに身悶えした。なんなら、今ちょうど手ごろな穴が見当たらないから掘って埋まるか、とまで考えて、ギロリ、と罪なきインターフォンのカメラレンズを睨んだ。お前さんのせいだぜ、と八つ当たりをされたカメラレンズの方はどこ吹く風と涼しい顔をして、ボタンなんかはまるで「あ、今日は仕事なしですか!」といっそ清々しい顔をしているようで腹が立つ。
インターフォンのカメラレンズの本来の役割は、彼女の部屋の前で身なりを整える鏡の役割ではなく、訪問者の様子を確認するためのものなのだ。参ったな、と苦笑した雨彦は、彼女にバレてしまった一部始終の恰好のつかなさに立つ瀬がなくなる。
「だったらこいつも、バレてたのかい?」
「わ、お花……!」
気障なことをして笑いを取って、ついでにお前さんの笑顔でも引き出せればよかったんだが、と選んだ真っ赤なバラの花束は、訝しんだ彼女がインターフォンの液晶を覗く前に後ろに回していたせいで、サプライズとしては大成功だったようだ。
「……今の雨彦さん、このバラくらい真っ赤ですよ、耳まで」
「言うなよ」
「んっ……!」
これ以上恥ずかしいことを言われちゃたまったもんじゃない、と雨彦はドア陰で彼女の唇を唇で塞ぐ。そのままするりと玄関に入り込んで、雨彦は空いた後ろ手でドアの鍵をかちりとかけた。
「頼むから、忘れてくれるかい? 今どんな顔をしていいのかわからない」
本音を吐露した玄関に、彼女の笑い声がひとしきり響いて、ぎゅう、と抱きついてくる。可愛かったから忘れてあげない、と笑うお前さんの方が可愛い、と言い返すには、今の雨彦は随分と説得力が欠けていた。