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翡翠は見ることなく

全体公開 10305文字
2020-04-12 20:26:39

WARSの世界での話ですが、中の人に無許可の個人的な妄想です!カガチが探検するだけ。

ザーと水面に降り注ぐ雨が、あたりを白く染めている。
視界は弾かれた水が覆い、緑も木もかき消されそうになっていた。
ぽちゃりと水たまりに足を入れた男は、そのまま己の汚れた足元の中まで浸食されたことに気づいた。足先はずいぶんと冷えていたと思っていたが、そうでなかったようだ。じわりとしみこむ水の冷たさに、じくりと痛みのような寒さが足先から這い上がってくる。
「ほんとうに、ここまででいいのかね」
船の上から心配そうに視線を投げられ、カガチは小さくうなずいて返した。
「雨の中すまなかったな」
いいや、と老いた男は首を振った。
「これぐらいしか、できることもないでね。お気をつけなされよ、旅のお方様」
細い、骨に皮がついたような手が、祈りの形を見せた。
がりがりとしていて、しわの刻まれた手は、死人に近い。それほどに細かった。この老人は病に侵されていたのではないかとカガチは足を止めて見やった。
ざあざあと降りしきる雨に冷えた体をまさぐり、硬貨を取り出す。先払いのほかにと手を差し出すと、老人は苦笑して手を振った。
「旅のお方様、それ以上は身の程を上回りますよ」
「だが、」
あればあるほどよかろうと、カガチが手を引っ込めずにいれば、老人はひひ、と笑った。
「お優しいお方だねえ・・・。ああ、ああ、十分ですよ、十分ですねえ。なにせ、手伝ってもらったのはこちらのほうでね、そうだろう、なあ」
ひひ、と笑う姿に、カガチは黙って硬貨を戻した。
菅笠のはしを水が伝い、涙のように流れていく。着こんだ油紙も水を弾ききらず、じわじわと体に水が染みてきた。
「ああ、ありがたいことだねえ・・・。お帰りは、お気をつけなされよ、旅のお方様よ」
行きのみの駄賃は安く済んだものだと、カガチは改めて法衣の襟を肩にかけなおした。
謝礼を言われるようなことはしていないと、カガチの口の端が歪に曲る。
だがそれでも、伝えられる言葉はあるだろうと、そらした視線を戻した。
「・・・俺は、あなたたちの女神とは異なる神を奉ろう国のもの」
申し訳ないと、カガチは手を合わせて詫びた。
「あなたの神に、あなたのことを祈れなくて、すまない」
カガチはすでに国を捨てた身だ。だが、たしかに違う神を信仰していた国のものだった。カガチたちの奉ろう神は女ではあったが、勇者と言われるものに資格を与えるものと伝え聞く姿が違う。
カガチの神は黒い髪に、黒い眼をした、ひとを愛し、ときにひとを攫う母のような女だ。ひととは違う摂理と違う愛で、ときにひとの命を奪う貴きもの。
金の髪をするという、やさしい姿のそれとはちがう神だ。
カガチは国から追放された身で、信仰心はどこへ行ったか分からない。
道中、生きながらえてここまでくる間に、置き場などとうに忘れ、泥水さえすすって生きた。
見えぬ祈りなど米一粒ほどの価値もないと、国をでて歩いたカガチはよく知っている。祈ったところで腹は満たされず、のどの渇きは癒せなかった。
だが、カガチが国で学び、国で尊んだそれらと、同じように尊ぶものがある人への敬意の示し方は覚えていた。
信仰心も、学びも、どこへ行ったか分からなくても、使い方は覚えている。
くそくらえと心の底から思ったこともあったが。
たとえ異なる文化であろうとも、尊ぶものがある。
その心はどこでも生きるもので、残るものだ。
カガチが国で祈りをささげることはなかろうと、祈るものと同じでなかろうと、この老人が尊ぶものを貶すどおりはない。
「ひひ」
やさしいお方だ、とざあざあと降りしきる雨の中へ言葉が消えていく。ぎし、と岸から船が動いた。ぎいぎいと木を揺らして、川べりから消えていく小さな姿を見送る。
(・・・俺は)
カガチは少しだけ、信仰心の置き場を忘れたことを後悔した。
川辺の白い雨の中で、ここまで歩いてきた日々をふと振り返ってしまう。
(俺は)
たまに、カガチは漠然としたさみしさに包まれて、足を止めてしまうことがある。
病に侵されていた老人に祈ることができない。幸あれと隣人を愛した日は遠く、歩き疲れた足で信仰心をどこかへやってしまった。
そんなものがあったとて、のどの渇きも腹の餓えも癒せなかったからだ。
菅笠をかぶりなおし、カガチは頭を下げた。
そして川に背を向け、目指す洞窟へと足を向ける。
己の足を使うのは、いつだって硬い地面を歩いた日々を忘れたくないからだ。足を使わず移動だってできるが、その利便性に頼ると、カガチは神を貶したことを忘れそうになる。
緑の中にいるとなおさらだ。
自然はカガチにはなじみ深く、その中で、古き生活をそのまま営む生活をしていた。
古き神を崇める国からでたのはもうずいぶんと遠い日のこと。
緑豊かな故国から、砂漠を越え、緑のない枯れ果てた高山を越えた。山にはカガチの国民が崇める神はいなかった。それどころか、生命の気配さえ乏しい岩肌が広がっていた。
暗い闇であるはずの夜、頭上に数え切れぬ星が輝いていた。
木さえない星空は銀をまぶしたようだった。精魂尽き果てるような疲労感と空腹の中、カガチは涙を流した。
記憶の中とは違う、それでいて国のように緑が茂る森の中を歩きながら、ずいぶんと歩きなれたものだと苦笑した。
国にいたころは、こんなに足の裏が固くなるとは予想していなかった。
ましてや、人を殺す生き物を作り出しながら生きていくことになるなど、想像もしていなかった。
ようやく目的の洞窟が見えて、カガチは足を止めた。
ぼたぼた、と水が流れを作り、滝のように入り口をふさいでいる。その洞窟の前に立ち、カガチは少し顔を上げる。
侵入を拒むようなこの滝を潜り抜けるのかと思うとげんなりした。だが、さっさと中に入ってしまったほうがよかろうと、覚悟を決めて目をつむった。
ざざ、と水をかき分けて洞窟の中へと足を踏み入れる。
ぼたぼたとふりかかる水の重みがなくなって目を開けると、奥のほうに緑に反射するものがあった。
菅笠を頭から外し、薬箱にかける。水を払い、法衣合羽の袖を絞った。
歩くのに便利だからという理由で選んだ、出奔したままの服の袖から目をそらす。
国から出た当時の服はとうにすり切れた。だというのに、どの服よりも着やすいという理由で、いまだに同じような服を着るのをやめないでいる。
もう無償で祈ることなどないというのに。
懐から、赤い石の入った鉄製の灯りを取り出した。赤い鉄格子でできたそれを手にし、小さく呪文を唱えると、ぼうと石が光る。
ふわ、と火のように光る石は、その大きさ以上の明るさを洞窟内にもたらした。
ざああ、と雨の降る音が先の見えぬ闇に反響する。暗い洞窟内は、黒い岩肌に覆われていた。じろじろと観察しながら、先へと足を進める。
蛇か毒虫くらいはでるかと期待したが、いくら足を進めても生き物の気配がない。
だが、洞窟の奥にあるはずの緑の石を見るまでは進まなければならないと、カガチは奥へと歩いていく。
進んでも一向に毒虫の一匹も見当たらないことに、カガチは肩を落とした。
服の中のあちこちに潜む蟲たちの餌の確保ができなければ、カガチは血をやらねばならない。
それは己の体力が削られ、ひどく億劫だった。血を分け与えた分、カガチも食うて寝て、体力を回復せねばならない。
服のあちこちに潜む蟲たちを思うとため息がこぼれそうになった。愛らしい呪いの塊は、愛した分だけ数が多い。体力も血も、ごっそりと減ることだろう。
蟲を作りだし、操るものを、カガチのふるさとでは『蟲氏』と呼んだ。
氏名として蟲がつくのは、呪いに対する恐れと、敬意の表れだ。国では忌む名として通ったものだが、国を出てしまえば知るものも少ない。毒と呪いと穢れを集めて作る『蟲』。その餌は、同じような毒と呪いに『穢れ』の類だ。
そしてそんなおぞましいものを作り出す『蟲氏』の血は、何よりも穢れている。
カガチがそうなってしまったように。
緑の輝きは宝石の類であることを願いつつ、カガチは岩壁を見回した。
宝石は欲を呼ぶ。その輝きはただ美しいだけではない。呪いもかかっているとされ、蟲たちの餌になる。
カガチがこんな森の深く、洞窟にまで足を延ばしたのは緑の宝石が目当てだった。下流の川で50年ほど前から翡翠の石が取れるようになった。それも、原石ではなく、研磨されたガラスのような緑の美しい翡翠の石たちだ。
下流の村に立ち寄ったとき、そのことを尋ねれば、村人たちはひどく口が重かった。誰もかれも、それは不吉だと言って、とれれば幸運程度にしか捉えていない。
しかもそれを探しに行くことを誰もかれも嫌がっていた。売れれば大きな利益になるだろうに、むしろ利益につながることを恐れていたようだった。
「船頭から聞いた話で、分かろうものだが」
ぽつりとこぼすと、細い枯れ枝のような手首を思い出した。
カガチが目を伏せると、ぼとりと上から何かが落ちてきた。
思わず目を見開いて足を止めると、シャーと鎌首をもたげて牙をむく蛇だった。
見たことのない種類だな、と首をかしげていると、ずるりと袖の中からはい出る気配があった。
「ちゅう」
ずるり、と体の半分以上が蛇の尾になっている、ように見える、盲目のネズミが、するりと蛇の首元に噛みついた。本当はネズミの尻尾だけが蛇になっているのだが、あまりにもアンバラスで、体の半分以上が蛇に見えてしまう。噛まれた蛇は、音もなくびくびくと体を震わせた。ネズミは噛んだ相手の反応を少しも気にする様子はなく、ばりばりと頭から飲み込んでいく。
「毒蛇か」
『蟲』たちの餌が確保できたことに小さく息をつくと、盲目のネズミは、そのまま蛇の尾をくねらせ、光の届かない奥へと進んでいってしまう。
「おい、待て」
「ちゅう」
ばりばり、と奥の闇からまた音がした。
どうやら奥には毒蛇がたくさんいるのかもしれない。
「一匹くらいは、生きて捕まえたいが・・・」
ぼとり、と腹の大きな蛾が袖から落ちた。ふさふさとした体に角の生えたそれは、這いずるように盲目のネズミに続いていく。
次々に『蟲』たちがぼとぼとと袖から自主的に降りていき、奥へと進んでいく。
「・・・」
カガチは音もなくため息をこぼした。
「どいつもこいつも・・・」
自由なものだと、雨音から遠ざかるように、『蟲』たちの後へ続く。
しばらく歩いた先で、光が左右の壁を映さなくなった。
その先は崖か、と足元を照らすものの、地面は変わらず続いている。壁が消えたあたりを光で照らせば、先には広い空間があるようだった。
「ちゅう」
足元にするりとまとわりつく気配がして、ずるりと這い上がってくるものがあった。先に進んでいたはずの『蟲』たちが次々とカガチのもとへ戻ってくる。体を這い上がり、服の中でぞろぞろとうごめく気配に、眉をひそめた。
(先に何かいるのか・・・)
『蟲』たちは魔物に対して力を発揮できない。
一番力を発揮するのは、対人だ。
生き物を殺し、呪う力はあるものだが、人間の感覚によって強く存在を定義されるため、そういった概念を向けない野生の生き物にはあまり効かない。
とはいえ、毒の塊でもあるから、毒が効く野生の生き物に対しては有効だ。
だが、先にいるのが魔物だった場合は、あまり戦力としては望めない。
(シゲイはでかすぎるしな・・・)
カガチは魔物と言える生き物を使役してはいるが、その一匹はひどく巨大で、狭い洞窟内での戦闘には向かない。そもそも戦闘用というよりは、旅の供という存在なので、移動用くらいにしか使わない生き物だ。
(うう~ん・・・)
どうしたものか、と首をかしげた。うつむいて頭を悩ませていると、地面できらりと光るものがあった。
思わずかがんで、地面に明かりを向けると、それは緑に反射している。
砂にまみれたその欠片を指先でとり、明かりのもとで汚れを払う。
きらきらと緑に輝く透明なそれは、まるきり人工物のようだ。天然のものとは考えられないほどの、森のような緑に、カガチは目を見張った。
「翡翠・・・」
研磨する前の翡翠は狐石と判別がつかない、緑がかった石の塊だ。宝石になれるのは、石の中でも一握りの身だ。削らなければその輝きは見えない。
翡翠は研磨されたすべてが緑色になるわけではない。時にその色に白濁が混じることもあり、濁ったような色も多い。緑色だけというのはかなり希少だ。
研磨された石はあまり大きなものではない。けれど希少な石がこの先にあるのだろうか、と期待をさせるには十分だ。
カガチは立ちあがり、先へと進んだ。
そろ、と先へ進み、明かりを向ける。広い空間に潜む闇は明かりを食らい、視界を覆う。少しも見えない空間に、どうしようかと迷ったのは一瞬だった。
「あまり得意じゃないんだが、手持ちはそうないし・・・」
カガチは魔法をたしなむ程度に使うことができる。
ただ、それも国を出てから、己の使うものが世間では魔法というものだと知ったくらいだった。なので、カガチの持つ魔法はかなりの独自の変化を遂げている『術』ではあった。
手持ちに魔法具があったらそれを使いもしたが、手持ちの道具もそうない。
はあ、とため息をつきながら、カガチはじゃらりと丸い石をつなげた紐を取り出した。
地面に届きそうなほど長いそれは、カガチの国では数珠と言い、神に祈る時に使うものだ。宗派によっても変わるのだが、カガチはこれがなくてはうまく魔法を使えない。
魔法使いが触媒を用いて魔法を使うのと同じで、カガチにはこれが魔法を使うための触媒だ。詳しく学べばいろいろと幅が広がるのだろうが、カガチはあまり興味がない。
数珠をぐるりと手と腕に巻き、何度も口にして覚えた言葉を口にする。
「・・・〈陰りを拒む天つ日嗣。我らは天堤、贖罪をゆるがせず行う者ら。届き給う、聞き給へ、身につまされることと無下にせず、吾が日嗣、この闇を陰りとし、拒むらくば、まことの日嗣なれば〉」
〈・・・ィ〉
すぐにか、と上空で白い光の塊が輝く。
洞窟内をすべて照らすような光に、カガチはやりすぎたかと目をつむった。
まぶしさに目を瞬くと、がちゃ、と目の前で動く気配がした。
がちゃ、ぎしぎし、と動いた存在に光に慣れた目をゆっくりと開くと、緑の宝石でできた巨大な蛇が、シャー、と口を開けていた。
自分の何倍もある大きさにカガチは思わず目を丸くして見上げる。
(な、蛇!?)
改めて見回した広い空間の洞窟内は、一面に緑の宝石が覆っていた。地面には白骨化した人間の遺体もあり、麓の村人が疎んでいた意図もなんとなく分かった気がした。
「どう考えても、魔物だよな、これ・・・」
こちらに敵意をむき出しにしているのは、とぐろを巻いた体でありながら先端の尻尾をぶんぶんと振っていることからわかる。巨大なそれで叩き潰されたらひとたまりもなさそうだ。
(どうしたもんかな・・・)
服の下でざわめく『蟲』たちは緑の宝石の蛇に敵をむき出しにしている。だが、魔物相手に戦力にはならない。
宝石はあきらめて引き返すべきかと迷ったとき。
〈・・・ィ、ォオオオオアアアアアアーーーッ〉
低い咆哮が轟き、がしゃり、と音がした。
カガチが目を丸くして頭上を仰ぐと、光をもたらした洞窟内で、黒い、影と粒子をまとわせながら、骨が宙に浮いていた。
「シゲイ!」
先端は顎と口であるが、それを支えるための骨はひどく長い。生前は細長い魚だったのだろうと推察できるものの、顔を縁取る四つの骨は、まるで凶器のようにとがっている。
肉のない古びた体は老木のように茶色く、そして白かった。
体はすべて表しきっていないというのに、ところどころ空間からのぞく顔と、ヒレと細長い尾は、蛇のそれとよく似ていた。尾びれがなければ魚と判断することは難しかっただろう。
その顔の中に、ぎょりろと浮かぶ一つの眼。
美しい青い目は、緑がまじりあう水面のようだ。それは光に反射して、色をゆらりと変えていた。
〈・・・名、つ呵、じィ〉
ノイズのようにひび割れた低い声で、壊れた機械のように、魔物がつぶやいた。
わ、と音波のような咆哮を発し、『蟲』たちがざわめいた。
警鐘を鳴らすように体を震わせ、魔物を厭うようにうごめく。
〈菜、ツ化、地ぃ〉
「待て、シゲイ、落ち着け、ちがう。ここは国じゃない、天津日嗣はいない。ここは、俺たちは旅に」
〈簿ゥ謝ぁ〉
ぎょろりと浮かぶ一つ目が、何かを見た。カガチには見えないものを見る目は、緑の宝石の魔物を捉える。
〈ぼ宇ジャ〉
動かない宝石の魔物の体が、ぼろりと崩れた。地面に落ちて鳴る音もなく、ただガラガラと崩れて、消えていく。
(・・・幻?)
ぶん、とシゲイが尻尾をふるった。硬質な骨は洞窟の壁の一部をたたき割り、緑の中に白いものを見つけ出す。
〈蛇血〉
呼ばれて顔を上げると、ぎょろりとした青と緑の眼が骨の隙間から、カガチを見下ろしていた。
〈蛇知〉
悼むような、同情的な目をしている魔物は、カガチとともに旅をしてくれていた。かろうじてある意識で、カガチを助けてくれる。
「〈死鯨〉」
国の言葉で呼ぶことはほとんどなかった。死した亡骸に宿る古き魔物。かつての古い話さえ知っているだろうに、長い年月は、分かり合うための力を奪っている。
〈那つ、カし〉〈府ルき〉〈ト尾気〉〈度ウ灰〉〈同簿ぅ〉
「・・・」
ずず、とシゲイは空間へと戻っていく。
暴走したものかと焦ったが、そんなこともなかったようだ。姿を消していくシゲイに安堵したのは、カガチのもとの『蟲』たちだけではない。
「古き同輩・・・」
はあ、と数珠を握りしめて、カガチは頭を抱えそうになった。
じわりと湧いてくる思いには蓋をした。懐かしい言葉で呼ぶ人間はとうにいない。カガチの国の人間は外へ出るものが圧倒的に少なく、外の世界で同郷の人間に会うことはない。
うずくまりそうになる体を叱咤して、シゲイが壊した壁の一部へ向かう。
「・・・これが同輩か?」
きらきらと反射する緑の壁の中には、人間が埋まっていた。
青い髪は女のように長い。だが着ている服は男のそれだ。旅の戦士のような装備された服と傍らには剣をおいてた。
雨宿りのために眠っていて、そしてそのまま、この翡翠の宝石に埋もれたようであった。
男は、生きているのと変わらないように、腐りもしない白い肌と、長いまつげを伏せて眠っていた。石の中に閉じ込められたせいなのか、枯れることも腐ることもない。生きているのと変わらないようなきれいな状態だ。
シゲイが壊した壁は一部のみで、白い肌が露呈するにとどまっていた。
翡翠の宝石はいまだ守るように男の大半を覆っている。
「でも、服もそう古いものではないし、別に・・・」
カガチはこれがシゲイの言う古い同朋なのか、と困惑した。
そしてそっと手を伸ばして、その肌に触れる。
その瞬間。
「っひ、こいつ!?」
カガチは手を引っ込めて、思わず数歩、後ろへ下がった。
「こいつ、生きて、る・・・?」
触れた肌が暖かった。
その感触にぞっとして、カガチは目を見張る。
翡翠の宝石に覆われて、その中で眠る男。
そして宝石の中でなお、男は生き続けている。
宝石を村人が嫌ったわけ。
ここへ来ることを嫌がる理由。
青い髪に、女かと見まがう端正な顔。そして人並み外れた生き方をする人間の姿。
その姿を、カガチは伝え聞いたことがあった。
「・・・もしかして、これが勇者って、やつ、なのか・・・?」
ガチャ、と背後で音がした。
反射で振り返ると、緑の宝石の塊が、入り口付近で柱のように積み重なっている。先ほどまではなかったその柱に、カガチはなんとなく察しがついた。
「・・・古き同輩は、お前たちだな、宝石」
宝石が寄せつけないようにしていたのか。あるいは、寄せつけるようにして、この男を目覚めさせたいのか。
蛇の幻もおそらくカガチに連なり、なじみがあるから現れただけだ。カガチの血は、蛇と因縁のあるものが入っている。
宝石が何をしたかったのか、その意図はカガチにはわからない。
だがきっと、長い間、この宝石たちは、この男に対してこうなのだろう。
カガチは眉根を寄せて、歯を食いしばった。
「・・・なぜだ」
なぜ、と答えがないことをわかっていて、カガチは問う。
「なぜ、この男をここで寝かせた?なぜ、美しい姿でここに留めた?なぜ、お前たちは原石でなかった」
宝石からの、答えはない。
けれど、細い船頭の手首が、カガチの脳裏によみがえる。
「お前たちがここにいるから、村が一つ、滅びただろうが」
100年近い、前の話。
この洞窟の近くには、村があった。
勇者がいるとか、宝石が取れるとかそんな話がわずかに残っているばかりだ。野党か盗賊かの襲撃にあって、村は焼かれたと下流で聞いた。
そんな洞窟に向かってくれる村人は誰もいなかった。誰もかれも嫌がり、緑の宝石は忌むものだと口々に言った。
「お前たちのせいであるという確証はない。だが、お前たちのせいだ、俺はそう思う」
川辺で一人の、幽霊に会うまでは。
カガチも、そんなことは思わなかった。
川辺に佇む、がりがりにやせた老人の幽霊に何の心残りがあるのだろうかと話してみた。
生前は舟渡しだったという老人は、上流に送る代わりに、確かめてほしいことがあると言ったのだ。
「この男を心配した人間がいたんだぞ」
洞窟に送った旅人のあとを、どうなったか知りたいと。
いないのならばそれで構わない。死んでいるのなら悼んでほしい。
確かめてはくれまいか。
自分は、切られて川に捨てられ、川から離れられない。
それが心残りで、こんなところにいると。
幽霊がどうして幽霊のままなのか。
見える人間もいなければ、弔っても貰えないからだ。あの幽霊の老人は、あの世の川を渡る駄賃もなかった。
カガチ程度の祈りでこの世から離れられるかわからない。だが、あの老人は、がりがりに痩せた骨と皮だけの手で、この宝石の中に留め置かれた男を気に留めていた。
それも随分と、長い時間。
「村一つ消えることは、よくあるだろう。古いお前たちならば、よく見たことだろう。だが、そこの男は、村に住むような、人間を救う者じゃないのか」
非難しても、意味のないことだと、カガチにはよくわかっている。
「・・・」
だがそれでも、やりきれない虚しさを、老人の手を、その手を握ることはできない苦しさを消しきれない。あの男は、家族に看取られる未来だってあったはずだ。切り捨てられて、川に捨てられなければ、彷徨うように、洞窟にいる男を気に掛けることもなかっただろう。
「・・・俺は、この男を起こしはしない」
何もしないと、宝石たちに宣言する。
このままであれば、厄災を呼ぶかもしれない。
下流の村人は、この男がここにいる限り、流れてくる翡翠の石に戦々恐々とする。
カガチは勇者でも英雄でもない。どちらかといえばくそくらえと神をなじった人間だ。何かを変える力など、たかが知れているし、何かを変えたいと思わない。
何かになりたいと夢などなく、生きていくために必要だと割り切ることができる。カガチはそういうものだ。
夢などなくとも、人間は生きていける。
「〈・・・その男目覚めし折、村の消失あらん、男ぞ悲しびに〉」
だが、呪うくらいは、カガチもする。
それがなくとも生きていける。理不尽に抗う力などない。どうにかできない。できたはずがない。どうにかしたかったと、そう思うのはすでに遅くて今更だ。
それでも、もうなくなってしまったものを、悼む気持ちは、カガチにもある。
不幸あれ、いずれ苦しめと思うのは確かに呪いだ。隣人に幸あれと願うのと、本質的には同じこと。ただ願うだけは意味のないことではないのは、カガチはよく知っている。
祈ることで腹は膨れなくとも、他人を殺すことはできるし、不幸は呼び寄せることができる。だが、他人を害することを願うことは、生きていくのに必要ない。そんなものはなくても生きていけるのだ。
他人やこの世を呪わなくても、飢えが凌げれば生きていける。
カガチは担いだ木の箱を降した。足元に散らばる翡翠を拾い、箱に詰める。
怒りはあるが、それでもだからこそ、この宝石は希少以上の価値があるとわかっている。
カガチは呪いと毒と穢れを帯びた『蟲氏』だ。
勇者を慕う宝石なんてものは、カガチにしてみれば恐ろしくて、おぞましい。それは恐ろしければ恐ろしいほど、『蟲』たちの優秀な餌だ。
(お前たちは欲を呼び、それは破滅を呼びさえするのだろう)
かしゃり、と緑の宝石を手に取って眺めた。
洞窟内はカガチの魔法があるため明るい。だが、光がなければ、暗闇の中、宝石は徐々に広がり、男を眠らせ続ける。
宝石たちに悪意も害意もない。
しかし、『美しい』という一点が、ただあるだけで争いを引き起こす。
カガチは背負っていた箱に蓋をし、再び担ぎなおした。
老人との約束は、ただ確かめることだけだ。
カガチは来た道を、明かりをもって戻り始めた。目的が達成された以上、因縁をつけてしまうような長居は避けるべきだ。
入り口でこの魔法が消えるように同じように長い呪文を唱えなくてはいけないかと、カガチは小さく溜息をこぼした。
雨がやんでいることを願いながら、カガチは宝石たちに背を向けた。


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