@toasdm
寝過ごした部屋は夜だった。身を起こした寝起きのかすかな記憶に、スマートフォンのアラームを止めた動作が紛れ込んでいて、これはいけません、と慌てて手元のライトを灯す。ライトを灯さなければならない時間に起きることは、クリスにとっては珍しいものではなかったが、今日に限っては絶対に、寝坊などするわけにはいかなかった。
だったらなぜ自分は前の晩、論文をしっかり読み込んでしまったのだろうか、と枕元の紙束をちらりと見てくすりと笑い、クリスはルームウェアを脱ぎ捨てる。シャワーは帰ってきてからでも問題ないでしょう、と連泊の部屋から飛び出すのに必要な最低限の衣服に着替えて、しんと静まり返ったホテルの廊下、クリスはドアノブに「清掃不要」の札をひっかけてエレベーターへと向かった。
「……おっと」
カーテンで遮られていたせいで気が付かなかったが、東の空は既に白み始めている。ざぱん、と遠くで波の音がして、クリスは白み始めた空の方へと駆け出した。明るくなり始めた空の端は、白波の立つ水平線の上にある。
「はぁっ……」
なんとか間に合ったようですね、とひらけた視界の中央に、クリスは岩礁と飛び出した岩の聳え立つのを捉える。細く長くまっすぐに立つそれは、さながら突き刺したペンのようにも見えたが、ここらでは別な呼ばれ方をされている。今日はその「別な呼ばれ方を完全に理解する」のにまたとないチャンスだと聞いて、クリスは三連休を事務所に申請していた。
「よい、しょ」
ごつごつとした岩礁を、ひらり、ひらりと長い脚が渡っていく。着地の危うさも距離もなんのその、クリスの足はしっかりと、不安定な岩場をとらえてベストポジションへとクリスを運んだ。寄せ返す波の音、海鳥の鳴き声、吹き渡る潮風はクリスの長い髪をふわりと揺らして巻き上げて、東の海に朝が来る。
「ここなら……!」
細長く聳え立つ岩の付け根が、キラ、と光る。それを皮切りに波は次々と、昇陽のきらめきでクリスの視界を灼くように埋めていく。
「ふ……ッ」
濃紺が東雲色に、東雲色がオレンジ色に。日の出の海は何度も見てきたが、何度見ても美しい。昇る朝日を見るたびに、クリスは思う。まるで背中を押されているようだ、と。ゆっくりと昇る朝日のかけらが、徐々に塊になって姿を見せる。水平線の僅かなアールが教えてくれる地球の丸さ、岩の中ほどまで日が昇れば、オレンジ色は徐々に輝度を上げて白へと近づいていく。
「……今、ですね」
取り出したスマートフォンをさっと構えて、クリスは岩の先端にまで到達した朝日の一瞬の輝きを何枚も何枚も写真に収める。ベストショットで埋め尽くされていく写真フォルダの中をクリスが確認できたのは、細く伸びた岩の先端から、昇りきった朝日が海辺を昼光の白に染め始めた頃だった。
「……ふふっ」
潮が満ちてくる前に、とクリスは浜辺に舞い戻る。砂浜に足跡をつけながら、クリスはもう一度振り返る。海に突き立てられたペンに戻った「ろうそく岩」からゆっくりと、今日の朝日は今日の角度で、あたりをしっかりと照らしていく。
「おはよう、ござい、ます、と」
三スクロール分もあったベストショットの中からベストオブベストショットを一枚選んで、クリスは彼女に朝の挨拶と共に送信する。
私は、あなたにこれを見せたかったのですよ。
まだすやすやと眠っているであろう彼女の夢に灯を灯すように、クリスは「ろうそく岩」の先端で輝く朝日の写真をそっとひと撫でして目を細める。
あたりはすっかり、朝だった。