@kyuri_akita
がたがたと揺れる動きが心地よくて、カガチは菅傘を顔に置き、うとうととまどろんでいた。あたたかな日差しは肌を焼くほどではなく柔らかだった。菅傘で見えない青空がまぶしいほどだ。うららかな日差しは眠りへと誘い、歩く必要もない場所の上であることが余計、起きていることを邪魔する。
「旅人さん、旅人さん!」
声をかけられて、カガチは菅傘を頭にのせて上半身を起こした。
馬車の先頭にいた男は、馬の綱を離すことなくこちらに視線を向けていた。
眠気に誘われたまま、ぼけっとした締まりのない顔で見返すと、御者の男に苦笑された。しかし目が開ききらず、重たい瞼は半分降りたままだ。
「ありゃ、余計な時に声をかけちまったかね」
「いや、あまりにも綱さばきがうまいもんでね、こんなにいい天気だと余計にさ」
カガチは眠気に誘われたぼんやりした頭でも口調を変えることは忘れなかった。愛想のよい顔を作り、にこやかに応じる。
「いやあ、ほら、王都に行く予定だと言っていただろう。それが、ちょいと寄り道をさせてもらっても構わないかね」
男の言葉に、カガチはもちろんだとうなずいた。
「こちらは乗せてもらってありがたいくらいだよ。この国は、想像以上に広いもんだったからさ」
とても歩ける国じゃないな、とつぶやくと、はは、と口を丸く開けて笑う男が、そうだろうと誇らしげにうなずいた。
「すべては女王陛下のおかげさ」
何度聞いたかわからない言葉に、カガチはあいまいに笑った。
上機嫌に前を向いてしまった男の背を見やり、カガチは再度体を横たえた。
(女王陛下か・・・)
大量に積まれた干し草の端で、カガチは横になって、積み荷とともに運ばれていた。
がたがたと揺れる荷車を馬が引いている。そのがたがたとする揺れがどうにも心地よい。干し草のおかげで衝撃はあまりないし、草から香る緑の匂いは、カガチにはよい香りだ。
新緑の香りは命の匂いで、包まれていると穏やかな気持ちになれる。
大きな道は土で固まっているが、舗装はされていない。馬車が時折すれ違えるほどの道は、この国の広さを表している。左右にはいまだ青々とした穀物の絨毯が、一面に広がっている。時折穀物の中に交じって、背の高い植物が生えているのが、見渡せるほどの地平でわかる。
荷台から見上げる空は、雨の気配の見えない青空だ。干し草の上から雲の散る青い空がのんびりと流れていくのを見ていると、なんだか夢を見ている気分になった。
こんなにいい気分は久しぶりだ。カガチは酒をいくら飲んでも酔う体質ではなく、酩酊感は体調不良以外で経験がない。いい気分、というのはこういう穏やかな心地以外に覚えがないものだった。
(・・・まあ、女王サマとやらに万歳三唱してもいい気分にはなるな)
くあ、とあくびをして、菅傘を腹に置き、ぼんやりと目を細めた。
カガチは相変わらずの法衣合羽で、菅傘に薬箱のような木箱を背負っている旅姿だ。
この姿は聖界を歩いていると人目を引く。カガチの国は独自文化を大きく伸ばしたと歩けば歩くほど思う。
だからどの国にせよ、国に入る前は気をつけねばならなかった。
だが、この国はそんな心配は杞憂だったようだ。
宗教者の姿であることは格好から間違えようもない。と思うのはカガチの価値観のみの話だ。この姿は聖界で広く信仰される女神教のものとは違う。
国によっては知識人がいると差別されたりするものだが、大多数の民は、これが宗教者の姿であるとわからなかった。それは情報があまり出ていかない故国の良いところだと常々思っている。
カガチの見た目は奇異に映るかもしれない。異文化に対する最初の印象は、奇異だ。
それでも聖界の大部分の民は旅人に寛容だった。
異国人だからと差別されることもあれば、好奇の目で見られることもある。だが旅人はそんなものだと受け入れる層が圧倒的に多い。
そんな警戒心で大丈夫かとも思うが、カガチには都合がいいので口にはしない。たまにカガチもうっかりとか、あるいは仕事とかで村を滅ぼしてしまうときもあるからして。
うごうごと体に潜む蟲たちがいい具合にあたたかくて、ふわりと風が吹いても気にならない。むしろ土と草の香りを強くするのはカガチにとっては心地よいばかりだ。
こんな牧歌的なところなら、蟲を出さないでほかの何かで儲けようとカガチはまどろんだ。
カガチは毒と呪いを売る仕事だが、薬を作ることもできる。毒が作れれば薬も作ることができるのは当然だ。
(いや、なんか使えるものがないか見て回って・・・別に儲けなくてもいいか・・・)
金が急いで必要なわけではないし、とすっかりただの旅人か、観光客にでもなった気分で、そう考える。
ぽかぽかとした陽気に、まどろむような時間が幸福だった。この幸福が、移動中でなければもっといいのになと考えがよぎる。
(うん・・・一度、帰るか)
捨てた国ではなく、カガチはいくつか拠点を持っている。
ひだまりで、それも自分の寝床でこうして寝られたら最高だろうな、と思う。だからこのあたたかな国から、次は自分の寝床に帰ろうと決めた。
(百重城は暖かくないから・・・森か、静かな国がいいか・・・)
暖かいところでまどろみたいなあ、とこの状態のまま考えていると、がたがたと揺れていた道から急に振動がなくなった。
カガチは思わず体を持ち上げて、走る荷台の下を眺めた。きれいに石で舗装された道に入ったことに、御者台を振り返る。
「・・・さあ、旅人さんよ、街についたぞ」
大きな門の左右に、鎧をまとった兵が立っていた。街の周りは建物で覆われているが、壁のようなものは見受けられない。
街へ入る前に、兵士が御者を呼び止めた。
荷台にいるカガチは旅人だと説明すると、あっさりと街へ入る許可がでる。
「・・・ここが寄り道かい」
兵士との話の合間を縫って問いかけると、そうさと男がうなずいた。
「南で隣国が攻め入ってきたらしい。だから女王陛下が赴かれると」
その言葉に違和感を持ったのは、カガチだけだったようだった。兵士はその言葉に異を唱えることはなかった。
「ああ、あんたも陛下を見に?」
兵士が会話に混ざったことで、カガチは口をつぐんだ。
「もちろんさ!途中で街を通ると聞いてね」
「だったら急いだほうがいいかもしれないな。もう街にはついてるはずだ」
「休まれては行かれないんだな。俺は見るために寄っただけなんだ。本当は王都へ行く予定で」
「ああ、じゃあ、門で馬車を預かろう」
ありがたい、と言う男が、背後を振り返り、首をかしげた。
「あんたはどうするね、旅人さん」
「・・・俺もせっかくだから、女王陛下を見ていきたいなあ。ついでにこの町も見て行ってもいいかね」
にこりと愛想よく笑うと、ああ、じゃあ、一日ばかりこの町で休んでいくかい、と男が言う。
「女王陛下がお通りなら祝い酒だろうさ」
兵士が笑い交じりに言い、とんとん拍子で明日の朝にまた集合ということが決まる。
カガチはあっさりと男たちと別れ、教えられたとおりに大通りへ向かった。
(隣国が攻め込んできた程度で、国の首魁が動くのか)
菅笠を背負った箱へしまい、布を深くかぶる。
水も弾かない布ではあまり旅では意味がない。だが、街の中では菅笠自体が目立ってしまうため、布を深くかぶっていることが多かった。
街は、露天が広げられ、果実や食べ物が所狭しと広げられていた。わいわいと人が行きかい、物を買っていく様は祭りにも似た狂騒を帯びている。
「すごい人だね。お姉さんさ、これを三つおくれ」
カガチは途中で果物の屋台の前で足を止め、そこにいた女に、三つを買い求めた。
「おや、旅のお方かね。運がいい。今日は女王陛下がこの街をお通りだ」
赤い果実はあまり見たことがなく、大ぶりだ。売れた色に興味を持って、女が紙袋に入れるのを待った。
「・・・喜ばしいことなのかい」
「めったに姿を拝めるお方ではないからね。それに、歴代の王の中で、正真正銘の王さ」
ほら、と女はほかの小さな果実も祝いだと言って袋に入れて渡してくれた。
「正真正銘の王?」
カガチが引き換えに銀貨を渡すと、にかりと、それは嬉しそうに、誇らしげに笑った。
「ああ、何せ、女神さまに選ばれたお方だからねえ。これまでの王らは、女王陛下が現れるまでの、つなぎなのさ」
「・・・ふうん」
カガチは教えてもらった礼を述べると、早々に大通りを目指した。
(神に選ばれた王ねえ・・・)
そこまで言われると、余計に興味をそそる。
カガチはあたりを見回しながら、通りへ向かった。ほとんどの人間に困惑はなく、誰もかれもが、女王と言う存在に浮足立っている。
祝いだというほどに、愛されている王だというのか。人々の反応は、女王がこの街を通るだけとは思えない喜びに満ち溢れていた。
だがカガチは、通りへ近づけば近づくほど、その人の多さに辟易した。
この町がどれくらいの規模かはわからないが、街中のほぼ全員が集まっているのではないかと思う。
(人が多すぎないか・・・)
人混みが嫌いなカガチは、いっそもうあきらめるかと思うものの、一国の首魁などそう見る機会もない。それにこれだけの賑わいをみせる存在だ。せっかくだから顔くらいは覚えていきたいと野次馬根性を発揮した。
女王が通るという通りに近づけない。人が多すぎると顔をしかめたときに、近くの建物を見上げた。
ふむ、と悩んだのは一瞬だった。
人が集まっているからこそ、人気の少ない場所を見つけやすい。カガチは人のいない裏路地に身を滑り込ませた。
「シゲイ」
人のいない路地裏で、カガチは自分と供に行く魔物を呼び出した。
普段はほとんど声も出さない魔物は、ぞろりとその姿を一部だけ表す。黒い粒子にまみれた体は、普段は現れない空間の深淵からこぼれていた。
シゲイの顔の先端は顎と口であるが、それを支えるための骨はひどく長い。生前は細長い魚だったのだろうと推察できるものの、顔を縁取る四つの骨は、器の外殻のようだ。
顔だけをだした魔物は、その空洞に眼球を一つ浮かび上がらせて、その眼だけでどうかしたのかと問うた。
「俺を、上にあげてくれ」
建物の屋上を指さすと、やれやれ、と言いたげな呆れた視線が投げられた。
それでもシゲイは体の一部を顕現させ、上へと浮かんでいく。
カガチは骨の一つにつかまり、ふわりと体を浮かす魔物の力で地上から離れた。
カガチは魔物をこういう使い方しかしない。疲れた時の長距離移動とか、高いところへ行くためがほとんどだ。
この魔物に戦闘能力はないのかと言われるとそれは正直よくわからなかった。
戦ってくれと言えば戦ってくれるかもしれない。実際、カガチが攻撃されると助けてくれることは多い。
だが、カガチは戦いというものが好きではないし、シゲイも戦わなくていいと思っている。傷つくことに、好んで身を投じる必要はない。そんなことをするのは勇者と英雄と魔王だけでいいのだ。
世界を変える力も、誰かを救う力も、そんなものを必要としないのであれば、戦う力など必要ない。望まなければ、世界も人生も、平和で終わることができる。
(まあ、たまに選択できないのが瑕だが)
国を出たことに後悔はない。
だがカガチは、国を追放された末での旅路だ。正確には、追放命令ではなく、国にいられなくなったというほうが正しいのだが。
旅人はなってしまえばカガチの性根にはあったものだった。この生活はそれなりに楽しいものだ。
ただ、もうカガチは、国に戻ったとて、出奔前と同じような暮らしができる自信がない。
そのことを、少しさみしく思うときは、ある。
国いたほうが、今よりも平和で、傷つくこともなく生活できただろう。古き神を崇め、他を遮断する生活は、古きままの営みで成立していた。
この街の住人のように、王の存在を誇ることはもうない。それは紛れもない事実であり、『蟲』たちと毒を愛してしまったカガチの定めだ。
いつか違う国で腰を落ち着けたとて、それは生まれ育った国ではない。それゆえに、望郷の念はカガチの中から消えることはないだろう。
屋根の高さまですぐ登り切り、カガチは手を離して、ガシャン、と屋根の上に降りた。陶器でできた屋根が想像以上に大きい音を立てたことに慌てたものの、壊してはいないようだと知って、胸をなでおろした。
雨を流すために三角の形にされ、斜めにされた頂上に腰かける。陶器でできた屋根は、風雨にさらされた様子があまりなかった。
見下ろす通りは人が詰め合っている。最低限の通路を確保するために兵士たちが立っているが、それすらも押しのけんばかりの勢いだ。
上を選んで正解だな、と腰を落ち着けたカガチは苦笑いした。
上を見上げれば、シゲイはとうに姿を引っ込めていた。相変わらずの青い空は暖かく、布では少し暑さすら感じるくらいだ。
カガチは赤い果実を紙袋から取り出し、服のすそで拭った。
太陽のもとでみた赤い果実はきらきらと輝いている。熟れた様子に、うまそうだ、と口の中に唾液が広がった。
「なーんだ、先客かよ!」
かしりと、歯を立てたあたりで、そんな言葉を投げられた。カガチは果実を歯ですくい、しゃくりと音を立てながら咀嚼する。
甘酸っぱい実は、あっさりとしていた。てっきり赤さから濃厚なものかと想像していたが、そうでもないようだ。中は白く、赤い皮が意外と薄い。
「おい、あんた、聞いてんのか!」
声をかけられてようやく目を向けると、緑の眼をした金髪の少年が、斜めの屋根の上で立っていた。つり目の緑眼は、気が強そうな猫のような印象を与えた。
「・・・俺に話しかけたのか」
人好きのするような愛想を取っ払い、果実を食べながら問い返す。すると、そうだよ、と返ってきた。
「・・・先客だ。じゃ」
かしり、と歯を立てて、果実を頬張る。大きな割に、味が薄いということもなく、よく実が詰まっていた。土地が豊かな証拠だ、とカガチは咀嚼する。
「じゃ、じゃねーよ!人んちに勝手に上がりやがって!」
なぜか近づいてくる少年に、カガチは眼もくれず、果実をしゃくりと食べた。いい天気な空の下で食べる果実は別格だ。人もなく、ゆっくりと食べることができる。
「それを言うなら、少年もだろ」
「俺んちだ!」
これはカガチが分が悪いな、と早々に悟った。
たらりと垂れた果汁が、腕を滴っていく。べろりと手首を舐めると、ぱさりと顔の半分以上を覆っていた頭の布が外れた。
「・・・あんたどこの人?」
「東のほうだ。せっかくなので、女王陛下を見たくてな。これで許してくれないか」
同じ赤い果実を差し出すと、少年は目を丸くして、まあ、いいけど、と口の先をとがらせながら果実を受け取った。
そして、口を尖らせたまま、カガチの隣に座った。
「・・・あんたも見たいの?」
「まあな。俺の国に、女王はいなかった」
国に攻め込んだ敵がいるごときで国境まで行く国の王。そんな王はどんな王なのか。
気にはなる。
ただ、国民からの支持がすごいのが不思議だ。普通であれば、そんなことごときで出てくる王など愚王と言われても仕方がないだろう。
だが、この国の民は、そう考えない。
これまでの王はただのつなぎ。今の王こそ正真正銘の王。顔が見れるだけで祝い。喜ばしいのだと、少なくなくともこの街の住民はそう思っている。
そんなことを、首都ですらない国民が口にするほどの徹底した教育。
ふうん、と少年は住民とは違った反応をした。
なぜか少し納得のいっていないような顔だ。
「・・・喜ばしくはないのか?」
「・・・俺は、あんまり」
へえ、とカガチは丸みを帯びた果実の芯にあたって、食べるのを終わらせた。この硬い芯には何があるのだろうと中をほじくる。
「なあ、旅人さんの国はどんなとこ?」
「・・・気になるのか」
まあね、と少年は遠くを見るように人々を見下ろした。
「俺、ここから出たことないから」
「・・・いい国だと思うぞ。ここは」
あたたかくてのどかで、空が青い。
人々は女王の存在に喜び、その存在だけで生を謳歌している。
戦い合うこともなく、荒れ果ててもいない。食料が豊かな、穏やか国だ。人々は笑い、喜びあっている。
「平和は、それだけで価値がある」
ぱきりと果実の芯を割れると、中には黒いような茶色いような塊があった。これが種か、と小さい袋を取り出して中に入れる。
「・・・そうなの?」
ああ、とカガチは小さくうなずいた。
隣の少年は首をかしげて不思議そうな顔をしている。
まさか、目の前にいる男の体には呪いと毒をカタチにした生き物がいるなんて夢にも思わないだろう。人を殺し、人を呪い、人が苦しみあえぐ毒たちを、その身に潜ませているなど、まっとうな人間の思考ではしない。
眼下で笑う人間たちを一瞬にして殺すことのできる凶器を、カガチは愛している。
カガチは、殺すことに意味がないことだとは思わない。
死んだ人間は、それだけで価値があるのだ。肉は肉として価値があり、生き物は死すればただの肉だ。人間も動物の一つとして、例外ではない。だから生存競争のように殺し殺されることは、生きるためには仕方がないことだ。
とはいえ、その狂うた愛に、さみしさとやるせなさがないと言ったらウソになる。
愛している。
どうしようもないほど。
だが、カガチの愛たちは、人を殺すし、人を犠牲にする。
「平和の価値は、他を見てから気づくものだ」
カガチが陽だまりの温度を恋しがるように。
退廃した空気になれた身でも、あたたかな日差しが差し込む窓辺で、木の揺れる音を聞きながら、うとうとしたくなる。
それは贅沢なことだと、今のカガチは知っていた。
「だが、それに気づいたときには、すでに何もかもが遅い。それでも、気づかぬままの幸福に浸り続けることも、きっとできない」
少年は隣で目を丸くしていた。
カガチは人々の様子を、静かに眺めた。
女王陛下、とささやかれる声の多さが、カガチには心地よい。人が押し合いながら、まるで宝石のように輝く目で、その存在を心待ちにしている。
王とは、かくあるべきだと、カガチは思った。
「・・・旅人さんは、手遅れだったの?」
「さあな。・・・だが、旅をするからこそ、ふいに気づいて、国を思うときもある」
それでも、カガチは国には帰らない。遠い場所で、遠い故郷を思うけれど、その方向に、足が向くことはなかった。
「帰らないの?」
「世界は、国より広いからな。帰っている暇がない」
世界のあれやこれやが、カガチを刺激する。世界はきれいで汚くて、見がいがあった。どれもこれも、面白いものばかりだ。
そしてカガチの愛は、故国の中では大きく育てない。
旅をするのは楽しい。見たことないものに出会うと心が躍る。
それでも国に置き去りにした同朋と家族の存在を想って、寂しくなるときもあった。
「・・・少年は、旅をしたいのか?」
乾いた空気の中で訪ねれば、少年は口を開きかけ、そして閉じた。うつむき、どうかな、とうっすらと笑う。
「俺、魔力がたくさんあるんだ」
「そうか」
「母さんたちは、国の騎士になって、女王陛下にお仕えしろっていう」
「そうか」
「俺なら、騎士の試験に受かるって」
「そうか」
「すごいことなんだぜ。国の騎士になる試験は難しくて、厳しくて・・・・」
途切れた声の続きを待てば、少年は大通りを見やった。
「・・・でも、それでいいのか、わからないんだ」
そうだな、とカガチは、少年にうなずいた。
「俺も、正しいのか、わからないでいる」
「旅人さんもか?」
ああ、とカガチはうなずいた。
どおん、と音がして、カガチは通りの先を見やる。通路が埋め尽くされるような流れに、ようやく目当ての女王がやってきたのだと知る。
「・・・正しいかどうかは、難しいことだ」
カガチはほぼひとりごとのようにつぶやいた。
カガチは国でさえ忌まれたし、差別を受けた。
どれだけ悪事を働いた人間を殺そうと、殺人はいいことではない。正しいことではないと言われればそうだろう。殺人は、人間の中での最大の禁忌だ。
悪事を働いていると言われればその通りだが、悪事を働く人間を100人殺せば英雄だ。英雄は人殺しだと非難する人間が、果たしているのだろうか。
どおん、と鳴る音が近づいてきた。
それに呼応して、わあ、と人々の歓声も大きくなる。
先頭を行く兵士は白銀の鎧をまとっていた。胸を張って歩く姿に、カガチは膝の上に頬杖をついた。
「もうすぐだ」
「女王が?」
うなずく少年に、カガチが目をそらさずにいれば、ぱか、と白馬にまたがる少女が、通りにやってきた。
『ああ、陛下!』『女王陛下万歳!』
歓声は最高潮に達し、花々が投げられて、祝福の声が上がる。
『正当なる我らの王!』『神に与えられし我らの陛下!』『偉大なる日輪!』『女王陛下の治世に幸あれ!』
カガチは、赤いドレスの上から、白銀の鎧をまとう少女を見た。
太陽に反射する金色の髪は編み込まれてまとめられている。白銀の鎧に、染み一つない白い肌は、まるで彼女自身が発光しているかのように輝いていた。幼さの残る顔立ちは、無表情ではあるが、まだ姫と呼ばれても差し支えないような年齢に見えた。
少女は周りからの、溺れるような歓声にも一切微笑まなかった。不遜ともとれる強さがにじみ出る顔に、国民からの不満はない。その横顔にすら、民たちからは美しい、凛とした強さ、と賞賛がほとばしる。
彼女は、声援にこたえることなく強い意志の宿る赤い眼で先を見据えていた。
『ああ、神よ!』『神は我らを見てくださる!』『偉大な陛下!』『大らかな日輪!』『この陽の祝福よ!』
少女が、ふいに視線をそらした。
すう、と視線が、カガチに突き刺さった気がした。
赤い、血のように赤い眼が、カガチを捉える。
(な、)
その目の硬質さに、ど、と心臓が爆ぜた。
(な、)
ぞわ、と背筋に冷や汗が滴る。
(なんて、目を、する・・・)
彼女の眼は、あまりにも年齢に不相応だった。硬い眼は、この国の国民を映してはいるが、ただ反射のように映すだけだ。鏡のように映す赤い血に、女王陛下と呼ぶ国民たちに向ける愛は見受けられない。まるで硬い金属板が一枚、その眼窩に入れられているように、受け入れているのに拒絶しているような色があった。
彼女がこちらを見たのは一瞬だった。
もしかしたら、カガチの錯覚かもしれない。
そう思うほど、彼女は変わらず、そしてこの世の地獄を映しているようだった。
『晴える勇者の陛下に、祝福を!』
(ああ・・・)
その声に、ぞわ、と悪寒が走った。
(勇者・・・あの子が勇者・・・)
年端も行かない少女に見える。普通であれば、あれくらいの年齢であれば、服に楽しみを覚え、着飾ることに熱を注ぐ年頃だろう。
だが、違う。
少女というには、あまりにも不釣り合いな顔をしている。
国の頂に立つ、支配者の顔だ。
地獄と絶望が、ないまぜになった、城壁のような眼。血の色なのに、ひとの体温のないような、冷ややかな色。
あの目を知っている、とカガチは思った。
カガチが、戦場で出会う兵士や、飢え死にそうな子供がしている目だ。
この世を呪い、この世を恨み、この世を儚み、違う世界を夢見て、そしてあきらめ、死んでいく者たちの、絶望の眼。
(ああ、なんという・・・)
痛ましい少女か、とカガチは顔をしかめた。
彼女を愛し、彼女を敬愛する国民の多さに、彼女は女王をやめることができない。この国から出ることも叶わないだろう。旅人になるなどできない。
彼女は国で、国こそが彼女なのだ。
「・・・少女に幸よあれ」
カガチは思わず祈った。
彼女はどれだけ疲弊しても、どれだけ絶望しても、その頂からは降りられない。
仮に反抗勢力があったとして、彼女を愛する国民によって、無垢なる国民によって、それはつぶされることだろう。
国民は信じている。
王が正しい。
今世の王が正統だ。
女王がいる今世が、素晴らしいことだと。
通り過ぎて行った女王の一行を追う国民たちと、満足した国民の二手に分かれ、通りから人が消え始める。
カガチは大きく息をつくと、隣を向いた。
少年は眉根を寄せて、苦悩を露わにしていた。
少年の迷いも、カガチは少しだけ察することができた。女王のそばに行くことを選ばず、この国から出たら、裏切りものと糾弾されるだろう。他の人間にとっては、女王のそばに行くことが正しく、当然だ。
当然のことを選べない国民は、愛国心が、女王への敬愛がないとされてしまうのだ。
女王が意図せずとも。
彼女は、未来ある若者の芽を潰す。
選択の余地を奪う。
(・・・勇者とは、残酷なものだ)
彼女があれだけ絶望に身を置いていようとも、彼女を救うものは現れない。なぜなら、彼女自身が救うものだからだ。
いい国だと、カガチは思う。豊かで国民は王を愛し、政治に不安を覚えることもない。彼女は強いがゆえに、この国は平和だ。
彼女の犠牲を憐れむことはあれど、カガチはこの国を嫌いにはなれない。彼女の犠牲は尊く、ゆえに維持されるこの国を、カガチは愛せると思った。
愛国と敬愛という毒にむしばまれるあの赤い瞳を。
カガチは心底、美しいと思う。
どれだけ苦しもうとも、彼女はその場に立ち続けるのだ。
「・・・少年」
カガチは立ち上がり、悩ましい顔をする少年の顔を上げさせた。
「悩んで、よいと思うぞ。正しいか正しくないかを誰にも決める権利はないからな。迷い、そして後悔することは、間違いではない。たとえ間違いでも、間違うことを非難されるいわれはないだろう」
「・・・どうして?正しくないのは、悪いことだ」
「逆に問う。どうして悪い?」
少年は言葉に詰まった。
カガチは苦笑し、すまないと謝った。
「質問を質問で返すのは良くないな。けれど、あの日輪のごとき女王が、赦さないわけはないと思ったんだ」
ほら、と青空を背にして、カガチは口の端を持ち上げた。
「この空は、間違っているものだけを焼くのか?」
その言葉に、少年が目を見開いた。
迷った挙句、若者の選択が潰されることをあの少女は望まないだろう。たとえ彼女自身が知らなかったとしても、知らぬところでこれは繰り返される。彼女の責任だ。責任の数を少しでも減ればいいと思うことが、カガチの彼女への祈りだ。
十分、美しいくらいに毒に犯されたあの女王に、少しでも幸あれとカガチは願う。
「・・・そんなことは・・・いや、そうだな」
うん、と少年はうなずいた。
勢いよく立ち上がり、にかりと笑う。
「悩むことにする!」
「言い張ることじゃないな」
く、とのどを鳴らすと、いいんだよ、と少年は口の先をとがらせた。
青い空は晴れやかで、日のもとで笑う少年の顔を、輝かせて見せた。
カガチもつられるようにして、うっすらと微笑んだ。