@acbh_dmc4
私は死の瞬間、その時がついに来たのだと、自身の終わりを確かに悟った。
温かな日の射すフィレンツェの街中で、愛する妻子が和やかに買い物する姿を見つめて逝けたのは、これまでの己の人生を顧みても、これ以上ない幸せな最期だと満足感すらあった。
残して逝く者達に対し、申し訳ない気持ちもほんの少しだけあったが、もうこれで置いて行かれる事はないのだという安堵が私を包み込んだ。
何と酷い伴侶だろう。
ソフィアはこれ以上ない幸せを齎してくれたというのに、私はその幸せの少しでも返せていただろうか?
遠のく意識の中、心配そうに私を呼ぶソフィアの美しい顔を眺めて、私は無にその身を委ねた。
しかし、私は今「目覚めた」。
フィレンツェの自室のベッドの上で、とても心が凪いでいた。
柔らかく差し込む日の光と、僅かに開かれた窓からふわりと吹き込む風に、レースのカーテンが揺られている。
転寝していたベッドからその身を起こし、窓際へ寄って外を眺める。
日は中点を少しだけ超えて、今はおやつ時と言った所だろうか。
和やかに笑い合う群衆を眺めて、呆として佇んでいた。
コンコンと軽快なノックの音が部屋に響く。
反射的にどうぞと入室の許可を出せば、フェデリコが悪戯っぽく顔を出した。
「おいおい、エツィオ。お前気を抜くとすーぐ老けるよな。それとも夢見が悪かったのか?」
「ああ、私が死んだ時の事を夢に見てな…だが、気分は悪くない。それで、何かあったのか?」
「クリスティーナ嬢とカテリーナ女史とソフィア嬢がお待ちだぞ。早く行ってやらなけりゃ玄関先で戦争が起こる。早く身支度を整えるんだな」
「ああ、大変だ…またソフィアにどやされる…」
「クリスティーナはともかく、カテリーナもいい加減諦めればいいのにな。モテる男はつらいね」
フェデリコがにやにやと意地悪な笑みを見せ、私をからかう。
私は今よりも少し若い、40代の頃の見た目まで若返ると、寝乱れた髪を整え、皴になってしまった服を着替えてから玄関へ向かった。
玄関前には麗しい女性3人が、剣呑な空気を醸し出し、互いの間に火花を飛び散らせていた。
特にクリスティーナとカテリーナが一触即発で、今にも掴みかからんばかりの喧嘩が勃発しそうだ。
正直その中に進み出るには勇気が要ったが、ここで引いては彼女たちを失望させてしまうと、何食わぬ顔をして進み出た。
「そもそも貴女は結局エツィオとは結ばれなかったのでしょう?何故今更彼を追っかけるのかしら?」
「わたくしは彼の為に身を引いたのです。あの時、私の存在は明らかにエツィオの邪魔にしかなりませんでしたわ。
まぁ、その後頂いた未練たらたらの手紙の数々には少しばかり失望もしましたが、彼より素敵な男性は中々いらっしゃらなくて」
「私だってエツィオから何年もの想いを受け入れていれば、今頃は私が彼の妻だったのよ。誰よりも愛されていたもの!」
「まぁ。アサシンである彼について行く気概もない貴女にエツィオの相手が務まるとは思えないけれど。その点はソフィア様は見上げたものですわ。
ですが、魅力的な夫の火遊び位容認する懐の広さも持ち合わせていてくれると良いのだけれど…」
「…エツィオ、私彼女たちはちょっと無理だわ…」
ソフィアがドン引きした様子で2人から距離を取る。
私は迷いなくソフィア傍へと進むと、クリスティーナとカテリーナの刺すような視線が突き刺さった。
視線で人を殺せるのなら、私は既に八つ裂きにされて絶命している事だろう。
だが、あまりフラフラ余所見をしていては、ソフィアにも愛想をつかされる。
内心クリスティーナもカテリーナもどちらも甲乙つけがたく愛しく思うが、今の私の心はソフィアにある。
すまなそうな顔をしつつも、ソフィアの腰を取ると、二人の女性は悔し気に視線を落とした。
「貴方のお兄さんから、貴方がここへ来た途端、色んな女性が列をなして押し寄せたって聞いたけど?」
「フェデリコめ…列をなしてと言うのは違うな。確かに昔ヤンチャしていた時の名残で、我が家を訪ねてくる者はいたが、円満にお帰り頂いた」
「で、約2名だけ円満に行かなかったってわけ?今後もヤンチャされるのは嫌だわ」
「勿論、君一筋だよ」
疑わしく睨まれて、どう言い訳…いいや、説得したものかと弱り果てる。
すると、ソフィアは盛大にため息をついて、仕方がないと言うように頭を振ってまた私に向き合った。
「貴方って絶対顔だけで生きてるわよね!もう、そんな顔されたら何も言えなくなっちゃうじゃない」
「ポーカーフェイスは得意だったはずなんだが、今そんなに顔に出ていたか?」
「ポーカーフェイスが得意なんて嘘でしょ?全部顔に出てるわよ」
すっかり夫婦の会話になってしまっていると、傷付いたようにクリスティーナが俯き、ぽつりと悲しそうに話し始めた。
「…エツィオはもう、家庭を築いたのだものね。私達の入り込む隙なんてないのよ」
「あら、今更良い人ぶっても手遅れだと思うわ。貴女には是非諦めて消えて頂きたいけれど、私はエツィオを諦めなくてよ」
逞しいカテリーナの発言にクリスティーナは面食らい、私も驚いて彼女を見てしまう。
私の視線に気づいたカテリーナは覚悟なさいと言わんばかりに、妖艶な笑みを浮かべて私を見返した。
思わず喉を鳴らしそうになったが、ピクリとでも反応を返せば、ソフィアからもカテリーナからも意味は反するが瞬殺されそうな予感がして踏みとどまった。
だがカテリーナはそもそも私を利用して国を取り戻そうとしていただけではなかったか。
甘く愛を囁き合った全てが嘘だったとまでは言わないが…強かな彼女にまた振り回されたくはない。
一先ず困っているとアピールするべく、眉尻を下げてみればクリスティーナが私を指してさらに追撃してくれた。
「貴女って本当に下品な方ね。エツィオだって困っているじゃない!」
「あの顔はわざと。ああやって困った顔してれば誰かしら助けてくれると思っているのよ。今の貴女みたいにね。その位も見抜けないならさっさと失せなさい?」
ソフィアがその言葉を聞いて私の顔を見上げてから「確かに振りね」と言うもので、今度こそ本当の困り顔なってしまった。カテリーナが私を指してドヤッとした顔になる。
現在はアサシンの生活から遠く離れているし、表情は出していく方が人生(?)スムーズなのだから、ポーカーフェイスが剥がれてしまっていても仕方がない。私はそう思う事にする。
遠い目をして現実逃避をしていると、さらに泥沼の第3波がやって来た。
急に入り口から差し込む日の光が遮られ、光を背に豪華なドレスの裾を揺らして一人の女が入って来た。
美しいブロンドを編み込み、毒々しいまでに真っ赤な紅をひいた唇を不敵に釣り上げている。強気なその面差しは、夜のような黒いシャドーできつめに飾り立てている。
もう少し化粧を控えめにすればいいのに…
そもそも晩年はアサシンとも関係を持っていたとはいえ、私にとっては好きようもない女、ルクレツィア・ボルジアがうんざりしている私に向かって高らかに言い放った。
「随分情けないお顔をなさっているのね!私が助けて差し上げましょうか?」
「では、解散で」
皆に手を振り、ソフィアの腰を引いて屋敷へと舞い戻ろうとすると、癇癪を起したルクレツィア・ボルジアが私の服をガッチリと掴んで引き留めた。
思わず舌打ちをしてしまうと、ソフィアから「そういう態度を彼女たちにもすれば諦めるんじゃない?」と言われたが、邪険に扱っているルクレツィアがめげる事無く突撃してくるのを鑑みるに、それも効果は薄そうだ。
それに彼女たちは憎からず別れた訳ではないのだし、邪険にするのは気が引ける。
こちらの世界へ来てからチェーザレ&ルクレツィア双方から絶えずちょっかいをかけられて、こちらとしてはいい迷惑だ。
そんなに私が大好きか。今度チェーザレが突っかかってきたら私の事が好きなのか?とでも言ってやろうか。面白そうだ。
「私は君の事は好きではないし、君にも君の兄君にも多大な迷惑を被っている。そもそも愛しのお兄様に再び逢えたのだから、そちらで愛を育めばいいだろう。巻き添えにしないでくれないか?」
「チェーザレはただシスコンなだけで私を女として愛していないことに気付いたの。それより貴方、死んだら姿が一番美しい時まで若返ると言うのに、私と出会った頃の姿なのだから、私にその気があるのでしょう?」
「この姿は愛しの妻からのリクエストだ。元の姿は老人だよ」
グッとソフィアの腰をより密着するように引き寄せ、頬に唇を寄せてラブラブアピールをする。
しかしそんな事はお構いなしに、ルクレツィアはズイズイと迫ってくる。
その鋼鉄の精神はカテリーナ並みだ。
「自由に年齢を変化させるなんて出来ないわ!出鱈目を言わないで!私の事が好きなら素直になればいいじゃない!今はもうアサシンだとか仇だとか関係ないのだから!」
「出鱈目を言っているわけじゃないし、君の事は純粋に好きじゃない」
「出来るものなら今すぐもっと若い姿になってごらんなさいよ!」
「駄目よ。もっと若い姿になんかなったらハーメルンの笛吹みたいに女の人がついて回るんだから」
ソフィアにぐいと腕を引かれて睨まれる。そんな風に念を押さなくとも、ソフィアのリクエスト以外で年齢を弄るようなことはしないのに。
だがその嫉妬した顔もまた美しくて思わず鼻の下が伸びてしまう。思わずニヤケて居たらソフィアから足を踏まれてしまった。
しかしボルジア家の者は自分に都合の良い言葉しか脳に届かないのだろうか。
どうしたものかと中庭の屋根で区切られている四角い空を見上げて居たら、バタンと勢いよく我が家の玄関扉が開いた。
仁王立ちの我が可愛い妹、クラウディアが腰に手を当ててツカツカと私の前まで進み出る。
いつまでも玄関先で生産性のない言い合いを行っているものだから、クラウディアが蔑み切った顔をして私を見下してきた。
「兄さま、いつまで玄関先で騒いでいらっしゃるつもり?さっさと片付けないと、本当にソフィア義姉さまにまで愛想つかされるわよ?」
「ああ、分かっている。だが、そもそも本当に彼女たちとは終わっているんだ。こちらに来てからも、誰かを口説いたりしていない」
「そうよね。どちらかというとその顔に寄って来た積極的な美人と気軽にイチャつく事の方が多いですものね?顔面で全方位口説くのお止めになれば?」
ドゥーチョでも見る様な目で見下してくるクラウディアに絶句していると、若干あきれ顔のソフィアが援護をしてくれた。
「そうね、エツィオ。貴方、もう少し年取って貰えないかしら。彼女たちだって、思い出深い姿の貴方じゃない方が諦めてくれるかも」
「致し方なしか。…しかし、20代の若々しい見た目のソフィアと並ぶと、祖父と孫みたいで複雑な気分だ」
ソフィアのリクエスト通り、先程目覚めた時の(死に際の)年齢に見た目を変えると、今度はいき過ぎだと呆れられてしまった。
気を抜くとこの姿になるので、この状態が一番楽なのだが、それはそれでお気に召さないらしい。
だが確実に虫よけにはなるのだから良いだろうに。ソフィアとクラウディア以外は皆しっかり引いているので効果は抜群だ。だがちょっと傷付く。
「私は出逢った頃の素敵なおじさまな貴方の姿が良いわ。その姿でも虫よけにはなるけれど、対等じゃないみたいで寂しいのよ」
「おお、それもそうか。とは言え、それでも父と娘のようだがな」
苦笑して50代の頃の姿になると、クリスティーナとカテリーナは私を品定めして「悪くないわね」と呟いた。
速攻で先ほどの老人の姿に戻った。
「駄目だわ、私が素敵なおじ様だと思うのだから皆もそうよね。エツィオの判断が正しかったわ」
「若くなりなさいよ!」
「さっきの姿でもよろしくてよ」
「ああ、もう埒が明かんな。ソフィア以外はみんな帰ってくれ。さあ、ソフィア、家へ入ろう」
逃げる様にして実家に入ると、暫くルクレツィアの喧しい抗議の声が聞こえていたが、数分もすれば外は静かになった。