@875108Express_
一番古い記憶は、殺風景な白い部屋で、延々と花瓶の花を貪っていた時の記憶。
ぱりぱり…。はぐっ!!ぐしゃぐしゃ。……ごくんっ。
花びらを歯で引き千切り、茎を奥歯で噛み締める。味とかよくわからなかったけど、あの息苦しい空間でとる食事と比べたら、こっちのほうがなにかとほっとする。
ざらついた舌触りと、しゃきしゃきとした歯触り。ふわりと香る花の匂いと淡い色合いが、私の胎内に花を詰め込ませようとする。
「財閥出身のご令嬢」という理由でふわふわの白いワンピースを着せられて、ヒステリックに叫び出しそうな衝動を食い殺すように、花を食んだ。一枚一枚、貪るように食い千切り、食い千切った後には、ごくりとそれを飲み込んだ。
そして、空になった花瓶を呆然と眺めていた。
花を食べ続けると、やがて自分自身が花になってしまうという話を、あなたは知っているだろうか。
一番新しい記憶は、緑の目をした男に首を絞められ、腕に注射器を打ち込まれた時のもの。中身は確か、開発段階のウイルス。
『アルジャーノン』というファミリーネームにふさわしく、実験用のマウスよろしく、抵抗する間もなくそのウイルスを打ち込まれた。
実験に使われたマウスは、その実験が終わると薬漬けにして安楽死させる…という話なら、聞いたことがある。だから僕も、このまま薬漬けで死んじゃうのかな…。
「やめて!!リズットまで巻き込まないで!!」
悲痛な叫びが聞こえる。
「黙れ小娘が!!意思を持って反抗したお前が全部悪い。お前の自業自得だ!ざまぁみろ!!」
耳元で男の声がする。
鬱陶しい…けど、そんなことよりも。
「僕のことはいい…怤藍、早く逃げろ…!!」
首を絞められながら、声を振り絞った。その時、注射器の針から注ぎ込まれたウイルスが、血に混ざり体内を循環する。
ドクドクと脈打つ度に、喉が塞がれるような感覚を覚える。それに続いて目眩や耳鳴りがして、冷や汗と痙攣が止まらない。体温も一気に上昇し、脳をひきちぎれるような痛みが襲いかかる。
「(助けて欲しい。どうか、どうか!!)」
そう叫ぶよりも先に、崩れ落ちるこの体。
耳鳴りだと思っていたものは、友人が泣き叫ぶ声だったことに気づかないまま、意識が途絶える。
「(…悔しい)」
なんて呟くことすら出来ず『花』は枯れる。
🚇
ガタンゴトンと揺れながら、線路の上を走る寝台特急。
気づけば僕は、その寝台特急内にある談話室のソファーで横たわっていた。
「…………?」
周りには誰もいなかった。その代わり、近くのテーブルには、錆びた色のランタンがポツンと置かれていた。
おもむろにそのランタンに手を伸ばすと、ランタンは自発的に明かりを灯した。それをみて僕は、思わず手をひっこめる。
『おや…?ビックリさせたようだね』
何処からか声が聞こえる。
『あぁ、そんなに怯えないで。ここだよ、ここ。ランタンに耳をすませてごらん?』
柔らかい声音で声が告げる。言われた通り、ランタンに耳を傾けると、中性的な声が聞こえた。
『ようこそ、ブーケエクスプレスの入社試験へ』
「は…………?」
現実ではランタンは喋らないし、入社試験だなんて心当たりが無さすぎる。己の耳を疑いながら、ランタンと物理的距離を置く。
『あぁ、そう怯えないでくれよリズット』
しかもランタンは『僕』の名前を呼んだ。
「どうしてその名前を…」
『おや?履歴書にそう書いてあったから、てっきりこの名前だと思っていたんだけど』
「履歴書…?」
するとここで、談話室のテーブルに一枚の紙が置いてあることに気づいた。それはさっきランタンが言っていた履歴書らしく、見慣れた字で僕の学歴や取得資格がずらりとかかれていた。
「紛れもなく僕の字だ…」
僕が呟くと、ランタンはふふっと笑った。
『自己紹介をしておこうか。私は日嘆メイズ、よろしく』
日嘆メイズとなのったそのランタンに、僕は目を見開いた。
「日嘆…メイズ…………?!」
思い出したのは、たった一人の親友の顔。
「あたしのペンネーム『日嘆メイズ』にしようと思うんだけど、どうかなぁ?」
なんてことをかつて問うた親友は、泣き叫びながらガラスペンを握り、文字の羅列を原稿用紙にぶつけていた。
「…ここは怤藍の物語の世界なのか?」
自分でも訳がわからないことを問うと、ランタンは『そうだ』とだけ返した。
「まさかこんな形で夢が叶うとは…」
僕の夢は、怤藍の物語の世界で旅をすることだった。
ここは寝台特急で、目の前には日嘆メイズがいて。
『そこまで察したのなら話は早い。君は【登場人物】として、このブーケエクスプレスにこれから訪れるであろう【搭乗人物達】を、案内する給仕係になってもらう』
「搭乗人物………?」
同音異義語を並べられ、少し困惑した。
『そう。搭乗人物たちは、この物語の世界…ブーケエクスプレスに乗り込んできた人々のことだ。ここでは君に、彼らをハッピーエンドに導いて欲しいんだ』
「ハッピーエンド…」
呆然とその言葉を繰り返すと、日嘆メイズは重々しく告げた。
『単刀直入に言うと…搭乗人物たちの命と、怤藍の人生はこの物語にかかってるんだ』
その言葉に、僕は耳を疑った。
『この物語の世界の様子は、現実世界で終始傍観されていてね…。この物語が評価されないと、搭乗人物たちと怤藍に未来はないんだ』
「どういうこと?」
『それはだな…』
僕が問うと、日嘆メイズは歯切れが悪くなった。しばらく沈黙が続いた後、彼女はため息をついた。
『…搭乗人物たちは皆、余命宣告を受けているんだ。リズット、君が最後に打ち込まれたウイルスのことを覚えているか?実はあのウイルスが、あの後世界中にばら蒔かれて、それにより多くの死人が出た』
「え………え?なんだよ、それ……まるでバイオテロじゃないか……。………まさか」
ここで僕は、最後に僕の腕にウイルスを打ち込んだ男の顔を思い出した。
「…あいつのせいか」
苦虫を噛み潰したような表情をすると、日嘆メイズは黙りこんだ。
「…よくわからないけど、何をしたらいい?手ならいくらでも貸す。だから、一人で無茶するなよ…怤藍」
『…ありがとう』
日嘆メイズはぽつりとそう呟いた。ランタンを手に取ると、僕は自分の部屋として用意された場所に向かった。そこには案内人としての制服らしきものがおいてあって、今着ていた白いワンピースと、履いていた黒いヒールを脱ぎ捨てた。
パリッと糊が聞いた制服に身を包むと、僕は部屋を出ていった。
『もうすぐ“彼ら”が目を覚ます。扉を叩いて、迎えに行ってあげて』
「…わかりました」
この世界では、僕が案内人であり給仕。そして、日嘆メイズが車掌。
何が起きるかわからないけど、全てを一人で背負う彼女の助けになるのなら。
僕はこの命をくれてやっても構わない。
ブーケエクスプレスでの仕事に慣れて、あと少しでカルカタッタに辿り着くという時に、どうやら僕の意識が何処かで途切れたらしい。目を覚ますと、あの忌々しい声で『リサ』と呼ばれて虫酸が走った。
ヴァルコフ様が轢かれかけて、姫羽様はアバターで、エマニュエル様は怤藍が雇ったプログラマーだった。意識が飛んでた間、どうやら色々あったらしい。
それでもこの物語は終わらない。カルカタッタに着けば、僕の仕事は終わり。そう思っていたのに、僕は親友のことがよくわからない。
そもそも、途中で彼女本人が乗り込んでくるとか、聞いていなかった。
けど、彼女の世界で旅をしているのに、彼女がいないと意味がないと思ったのもまた事実だった。実際彼女のお陰で、人を信頼することと、誰かを愛することを学べたのも事実で。
それなのに、彼女は一体今から何をしようと言うんだ。自分の相棒を、鵠間様に託してまで、また一人で無理をするつもりなのか。
「しかも、代わりにカルカタッタで観光しろと言われてもなぁ…」
カルカタッタに着くなり、僕は列車を追い出されて途方に暮れていた。ぼんやりと色のないこの街を散歩していると、色が無さすぎて不穏な気持ちになる。
「白い色は嫌い…」
ぶつぶつと呟きながら、街の中央にある花壇にやって来た。花にも色がついていないようで、一つ一つ観察していると、ふととある花に目がついた。
それは花弁が五つに裂けた、ライラックの花だった。
「ねぇ、知ってる?ライラックって花弁が四つに裂けてるのが普通なんだけど、五つに裂けてるのを誰にも言わずに飲み込むと、愛する人と永遠に過ごせるって言い伝えがあるらしいよ!」
かつて何気なく怤藍がそう言ったことを、ふと思い出した。
そして気がつけばその花に手を触れ、それを躊躇いなく飲み込んでいた。ごくりと飲み込むと、程無くして笑い声のような耳鳴りに襲われた。
割れるような頭の痛み。しばらく花壇の前でうずくまっていると、通りすがりの神父様に声をかけられた。「大丈夫ですか?」と問われて顔を上げた途端、風になびいた自分の髪が白くなっていたことに気づいた。
色を奪われた、と皆は言った。けれども、実際は色を奪われたのではなく、僕が『エゴ』のために、自分の色を代償にしてしまったのかもしれない。
そうやって、この街は生きているのかもしれないと、何処かで思ってしまった。
花を飲み込んだことを誰にも告げず、一人カルカタッタを散策していた。どうせ僕が消えても、他の皆が生きていればそれでいい。それが僕と、怤藍にとっての幸せで___
『本当にそう思うか、リズット』
ふと、脳裏にそんな己の声が響いた。
『愛する人と永遠に過ごすための代償が、己の喪失だ?矛盾がすぎる、烏滸がましい』
どんどんと色を失う自分の体。
この体が消えて、皆の記憶からも消えて。
そうなったら、何が遺る?
「何も遺る訳ないだろ…」
そう呟いた時だった。
「リズ」
誰かが僕の名を呼んだ。
……
………………
幸せの音が鳴り響く。そして、この身が溶けていく。
この身が溶けて、左目に違和感を覚え、目を覚ます。
目を覚ますと、そこにはヴァルコフ様がいた。
どうやらここは現実世界で、仮死状態だった僕は、花宮先生のおかげで蘇生されたらしい。
そのあとエマニュエル様と合流したかと思えば、爆発が起きて、走って走って爆発から逃げた。
走ってる時に感じたのは、今自分はここでちゃんと息をしているんだってこと。
それから、僕の『旅』はまだ終わってないってことだった。
カルカタッタでネリネの花が宿っていた左目は、目覚めた時には抉れてしまって、どろどろに壊死していた。見るからにおぞましかったけど、こんなのどうってことない。
不思議なことに、体つきが前より筋肉質になった気がする。声も申し訳程度に低くなっていて、これならきっと、誰かの手を掴んだとき、そう簡単に離せないはずだと思った。
やっと自分らしく、生きていける気がした。
これから僕は、かつて窮屈だったものを全部振り払って生きていきたい。そのためには、目の前の壁を、ぶち壊すこと。
8月10日、蘇生した僕は産声をあげる。
📖
「……かわいい」
一人の女の子の写真をみて、あたしは呟いた。
「その子?あぁ、プロフィールには…軽音部のボーカル?って、書いてあったな…」
花宮先生が、あたしと並んで彼女の写真を眺める。
「こんなあたしと同じ年くらいの子まで…」
「あぁ…。本当にすまないことをしてしまった…。しかも、何やら阿久津さんは、物語を動かすために、皆のことを拐ってきたとか…」
先生は頭を抱えた。
「先生は悪くないよ。全部あたしのせいだし」
「そんなことはない!というか、そんなこと言ったらお互い様だし、キリがないだろ!…大丈夫、俺もこっちでやれることはやるから」
白衣を翻し、先生は一人ラボに向かう。あたしはそれを見送ると、ノートパソコンを立ち上げた。パスワードにしていた『Risat』という単語を打ち込むと、プログラミングソフトを起動させた。
「アイザックさんのやつ…見よう見まねで真似たんだけど…これでうまくいくかなぁ…」
ランタンのアイコンをダブルクリックすると、文字を打ち込むコマンドが現れた。
「…流石に親友の名前を、勝手にパスワードにしちゃうあたしって、なんかちょっとよくないかな…」
なんてことを呟きながら、キーボードで文字を打ち込む。
『ようこそ、ブーケエクスプレスの入社試験へ』
試しにそう打ち込むと、別のウインドウが開いた。そのウインドウ越しに、目を見開く親友の姿を確認し、思わず涙をこぼした。
「よかった……よかった……ごめん、ごめんね…リズット……」
拳を握りしめながら、あたしはさっきまで見ていた女の子の写真に視線を移した。
「あたしも、この子みたいに笑いたい…」
写真の中の女の子は、太陽のようにまぶしい笑みを浮かべていた。
「親友に…なりたいなぁ…」
気づけばキーボードの上に、ぽとりと涙が落ちた。
あたしは守崎怤藍。太陽に憧れた、太陽になりきれない女。
太陽になれないのなら、皆の手元から闇を照らすランタンになろう。この光が、皆の希望を守れるように。
迷宮のような物語の世界を照らすもう一つの太陽に、あたしはなりたかった。
だって、あたしの苗字には『守る』って字があるから。