@toasdm
アイドルとしてスカウトして、背中を押して寄り添った時、わからないことがあったらなんでも聞いてください、と、一緒に頑張りましょうね、を同時に言った彼女のことを、幸広は素直に「ありがたいな」と思った。素直に出てきた「ありがとう」を「どういたしまして」と受け取った彼女と、共に過ごす時間が増えて気がつけば、幸広のレパートリーに彼女専用のブレンドが増えていた。四葉のクローバーのシールを貼った彼女専用の紅茶缶から茶葉を取り出して、幸広はそんな「今の毎日の始まり」を思い出してくすりとひとつ、笑いをこぼした。
「……」
そんな幸広の背中を、彼女はぼんやりと眺めながらどこか浮かない顔をしている。オフの日の午後、陽光は、レースのカーテンを通して柔らかく、部屋を白に照らしている。
彼女には、幸広に聞きたくても聞けないことがあった。自分が幸せであればあるほど、幸広にとっての幸せとはなんなのか、と思ってしまって、じゃあ聞けばいいじゃないかと思いはするものの、それはあまりにも、重たいような気がして言葉がうまく出てこない。
幸広の夢は、世界中に幸せを届けることだ。
そんな幸広を応援したい、と思いを一つにこうして一緒に暮らし始めて、私はは幸せだけど幸広さんはどうなんだろう?夢を叶えることが幸せだろうとは思うけど、そうじゃなくて――と小さく頭を振って、彼女はため息をひとつこぼす。
――幸広さん、私と一緒で幸せですか?
愛されている自覚はあったし、それと同じくらいの均衡で自分も幸広を愛している。愛がある幸せは日常に、それこそ漂う紅茶の香りと満ちた陽光の白のように、今ここにまさしくある。自分ばかりが幸せなのではないかという不安が、そこに影を落としているだけだ。
聞きたい、聞けない、でも聞きたい。
もやもや顔の前に運ばれたいつもの紅茶は、自分の分と幸広の分、二つ分の温もりをテーブルに増やした。
「どうぞ」
「ありがとう……」
受け取ったカップから立ち上る、いつもの香り。言葉がひっかかって出てこない口に、優しい味が含まれる。ほっとする、安心感。あたたかさと幸福を飲み込んで、彼女は思わず、ほぅ、と幸せのため息をついた。
「なにかあった?」
「へ……?」
「ここ、シワが寄ってるけど」
「うぅ」
そんなわかりやすいですか、とぐりぐり押された眉間をさすりながら、彼女は緩んだ気持ちでとうとう、ぽつりと漏らしてしまった。
「幸広さんにとっての幸せって、なんですか?」
「え?」
ほどよく紅茶であたたまった喉から口は、言葉のひっかかりがなくなるくらいにゆったり広げられていたようで、一言目が出てしまったあとは、するすると、言葉が続く。
「幸広さんにとっての『幸せ』って、なんか人生の命題、みたいな感じがしておいそれと聞けないっていうか、重たい話題かな、って思っちゃってなかなか聞けなくて……」
彼女の眉間のシワの原因を、神谷は上手に捕まえる。聞きたいけど聞けなかったんだ、でも本当は、その問いかけの奥に色々あって、だからあんな顔してたんだ、と神谷はカップを彼女にみせて笑って言った。
「あはは、そんな大それたものじゃないよ。このカップ一杯の紅茶と同じ」
「カップ一杯の、紅茶と、同じ……」
くせのないまっすぐな、いつもの紅茶の優しい味。舌に馴染んだ味わいと、ほっとする感覚。これと同じだと言うのなら、それはとてもシンプルだと彼女は少し納得した。見つめたカップに口をつけて、ほぅ、とまた丸いため息をついて、彼女はぽつりと呟いた。
「おいし……」
幸福感が緩めた頬に、幸せ色の笑みが浮かぶ。そうだね、とその幸せ色の頬をふわりと包んで、幸広は本当に幸せそうに笑った。
「うん。こんな風に当たり前に幸せがあることが、俺の幸せだ」
ちゅ、と二人の唇にキスが降る。細められた目は彼女を見つめて、実に幸せそうに揺れている。
「こんな当たり前の幸せを、当たり前にみんなに届けたい、っていうのが俺の人生の目標だし、笑わないで聞いてくれて、そばで応援してくれて……プロデューサーさんがいてくれて俺は幸せだよ」
不安も悩みも、角砂糖のように溶けていく。言葉でも態度でも、俺は幸せだよ、と教えてくれる。私と一緒で幸せですか?なんて聞かなかったのに、どうしてわかるの、とカップを置いて、彼女はゆっくり幸広に抱きついた。
「これであってたかな?」
「あってます……」
「そっか」
抱きしめ返してくれた腕の中、彼女はまた幸せを見つける。いてくれて幸せ、のシンプルな幸福論に引き寄せられて、少し顔を上げた彼女は今度は自分から、幸広の唇にちゅっと触れる。
「ふふ……紅茶味」
「いつもの味の、紅茶味だ」
「うん……へへ、幸せ……」
これが私の幸せ、は、確認作業を経た今は、これが二人の幸せ、になる。ソファにゆったり身を沈めて紅茶を飲みながら、二人は幸せを抱きしめあった。
オフの日の午後、幸せは、カップ二杯の紅茶と共に二人の部屋に広がっていた。