@kyuri_akita
ロザリーは、うとうととまどろむ中で意識を浮上させた。いつもはひんやりとした生き物の感触に目を覚ますのに、それがないことで、かえって意識がはっきりとする。
「うにゃ・・・でーじゃぁあ・・・」
家主の気配がなく、ロザリーはうーうーと唸りながら起きようとあがいた。だめだ、起きられない、とあきらめかけると、起きなさいと言うように、ぺしりと頬に冷たい感触で叩かれる。腕をずるりと引っ張られ、ベッドから落ちそうになった。そこでようやく目を覚まして、ロザリーはベッドに腰かける。
家主の白い蛇は、幼子の腕ほどもある太い体をくねらせて、ロザリーを起こすと梯子を伝って半分屋根裏になっている二階へと消えた。
その様子に、あら、どうして二階にいくのかしらと思いながら、ロザリーはふらふらと洗面台へ向かって顔を洗い、口をゆすぐ。ぼやぼやとした頭で、体が習慣通りに動いて緑の眼に眼鏡をかぶせたところで、はっとした。
「で、デージャが二階に行った!?」
もう一人の住人の旅人が帰ってきたのだ。
慌てて梯子の近くに寄ると、小さなうめき声と寝言が聞こえた。〈夜刀の主よ、大蛇殿、ごめんなされ、これぞさらば〉、いや、それは魔法の呪文では?とロザリーは思ってしまった。ともかく、もう一人いる。確実に帰ってきている。寝言に聞き耳を立てている場合ではない。
問題は食料だ。冷蔵庫の中身を思い出して悲鳴を上げそうになった。ろくな食料がない。
「しまったわ・・・」
悩んでいる間に、りーん、とベルが鳴る。
白衣を着て慌てて玄関に出ると、すでに身支度を終えた姿のきれいな少女がパンの籠を抱えて立っていた。
赤いきれいな髪は邪魔にならないようにかおさげにされている。きちん整えられた身なりが、とはいっても別にドレスを着ているわけでもないのに、ロザリーはきれいだなといつも思っていた。
「おはよう、ロザリー!実は手伝っていたらパンを焼きすぎてしまったの!多めに買ってくれないかしらと思って」
にこやかな顔でそう困ったように言われ、なんてタイミングかしら、とロザリーは顔を輝かせた。
「ああ、アンジー、ベストタイミングよ!ちょうど食べ物が少なくて困っていたの。ぜんぶ買うわ」
奥から籠と財布を持ってきて、パンを籠ごと貰う代わりに、代わりの籠と代金を渡す。アンジーはにやりと笑って、緑の目を細めた。
「カガチさんが帰ってきたの?わざわざ多めに買うなんて・・・」
「ち、ちが、わ、ないけど・・・ほら、いきなり帰ってきたし、食べ物そんなにないのよ。別に、あの男のためじゃないのよ、量を食べるから・・・」
旅から帰ってきて、食べ物が足りなくてというのは可哀そうだと思っただけだ。
ロザリーも少し一緒に旅をしたことがあるから知っているけれど、旅をしている最中は、あまりたくさん食べられない。腐ってしまうからたくさん持ち歩けないし、その場その場で食料を入手することも少なくない。つまり食料が入手できないことも考えて、あまり食べれるわけではないのだ。
ふいに、アンジーが視線を外して奥に向ける。そして少し顔を赤くして、ロザリーに視線を戻して苦笑した。
「カガチさん、すごい格好よ。昨日は何してたの?」
小さく奥に向けて手を振りながら小声でそう言われて、ロザリーは振り返った。
そしてその姿を見てな、と口を開けて、目を見開く。
「なんてかっ格好してんのよ!」
ロザリーはじわじわと顔が熱くなった。
その男は気だるげな様子で、前を開いたまま首をかしげた。着物、というものを好んで着ているのだが、左右の布をクロスさせて、腰あたりで眺めの紐を巻いて留めるという格好だ。そのため上半身、腹やら鎖骨やらがよく見えるし、よくはだける。
今日ははだけた上半身に赤い跡が広がっている。何かに締め付けられたような跡は、腕と首に巻き付いた白い蛇よりも太い。そのせいでやたらと煽情的で、艶やかさに磨きがかかっている。
「寝間着だが?」
当の本人は気にした様子もなく、知っているだろうと簡潔に答えた。男は、匂いにつられてか背後からロザリーの手の中を覗き込んだ。
ぼんやりとした黒い眼はどうせ、腹が減ったなくらいし考えていないのだろう。だが、この男はなんというか、色気の溢れる不思議な雰囲気を持っている。
あまり見かけない黒い髪がそうさせるのか。何を考えているのかわからない黒い眼がそうさせるのか。それともすべてを達観したような眼がそうさせるのか。異国の顔立ちがそうさせるのかはわからない。けれど、この男はよく整った顔立ちから想像に難くないほど人目を惹いた。決して、華があるわけではない。それでも男娼と言われれば納得してしまいそうな、顔だけで生きていると言われればその通りだと思えるような引力がある。
とはいえ、その見た目はどうにも中性的で、性別の判断がしにくい。黒い髪は伸びてしまえば男装をした麗人に見えるし、短ければそれはそれで青年のように見えた。
ロザリーは左右の襟を引っ張って前を隠した。
男は気にした様子もない。少しは気にしてと顔をしかめても、男はくあとあくびをしながら、ロザリーが持っていたパンを籠ごと受け取る。
そしてようやく肌に浮かんだ赤い跡に気づき、顔をしかめた。腰の紐を軽く締め直し、アンジーにおはよう、と挨拶すると、悪かったと言いたげに眉を下げて中に引っ込んでいく。
「まったく・・・」
悪いと思うなら最初から見た目を気にしてくれいないかしらとロザリーはため息をこぼした。
「恋人みたいね」
にこやかにささやかれて振り返ると、楽しそうに笑うアンジーの顔があった。顔を真っ赤にして止めようとすると、仕事があるから、と手を振って去って行ってしまう。
「飯にするだろ?」
ロザリーが言葉を探していれば、そんなのんきな声が聞こえてきて、ロザリーは無言でドアを閉めた。
「そうね、でも来た日くらい私が」
やる、と振り返ると、高い位置から面白そうに目を細める男と目が合った。首に巻き付いた白い蛇には角が二本生えていて、その角が顔にちくちくと刺さるのも気にした様子もない。
「料理の腕が俺より上達したというなら任せるが、どう思う?デージャ」
蛇に視線を流してそう問う。デージャがちらりとこちらを見てから首を振ったので、カガチはすぐに台所へ向かった。
「デージャ!」
ロザリーが思わず声を上げると、男は小さく笑った。
明るい日のもとで見る部屋はぐちゃぐちゃだ。いろいろな瓶に入った毒草、魔石、鉱物も多い。かろうじて食事をとるための机と椅子だけは確保されているが、相変わらずひとの生活感のない部屋だな、とロザリーは肩を落とした。
そこかしこに山積みにされている本と紙から、だって勉強は楽しいものね、とちょっと切なくなった。どう考えても年頃の女の子のする思考回路ではない。そんなことは、ロザリーが一番よくわかっている。
ちら、と本を開くと、思わず読みそうになってしまった。
「先に飯を食え」
ことりとテーブルに皿を置きながらため息交じりに言われて、ロザリーは慌てて本を閉じた。
すぐにスープとパンと目玉焼きが出てきて、思わず目を輝かせた。
「おいしそう・・・」
どうぞと手を差し出され、ロザリーは一緒に置かれたスープに手を伸ばした。
「あ、カガチおかえり」
言い忘れていたと顔を上げると、ふ、と目元を緩めて、ああ、と小さく答えた。
ただいまって言わないのね、という言葉をロザリーは飲み込んだ。いつものことだ。カガチは、ただいまと言わない。ここは、彼の帰る場所ではないのだと、ロザリーは知っている。
カガチは手を合わせてからパンに手を伸ばした。口を開けて食べる姿はなぜか上品に見えるから不思議だと、ロザリーもパンに手を伸ばす。
一人分多く作った目玉焼きはデージャの分らしい。カガチにどうぞと手を差し出されて、白い蛇は、ちろちろと舌を出しながら伺って、卵を丸呑みした。デージャは飲み込んですぐにカガチに顔をすり寄せる。
「デージャは、本当にあなたのことが好きよね」
デージャは家を買ったときに、家にいた蛇だ。ロザリーははじめ、デージャに対してどう接していいか分からなかった。だが、デージャはただの蛇ではない。優しく、物分かりのいい精霊らしい。家を守るという縁起のいい種類のようで、実際、ロザリーも朝起こしてもらったりと、世話を焼かれている。
「相性がいいんだ、デージャは蛇系だしな」
カガチ自身もデージャが好きだから、デージャもそれを返しているんじゃないかしら、とはロザリーは口にしなかった。彼の中では、デージャを好いている自覚はない。デージャがどれだけぐるぐると巻き付いても、角でぐさぐさと刺すように頭を擦り付けても、甘ったるい顔で眺めていて嫌がるそぶりはちっともないというのに。
その姿を見ていると、ロザリーは少しうらやましくもあった。
「その半分くらい・・・」
わたしも構ってくれてもいいんじゃないかしら、と言うのは少し贅沢で、ロザリーはもご、と口にパンを入れたまま黙った。
ロザリーの国では、女性は学ぶことができなかった。読書は刺繍と恋愛小説がせいぜいで、専門書を読もうものなら、変わり者認定され、父親には激怒され、母親には嘆かれる。
ロザリーの国はそういう国だった。自身もそうして両親に怒られ、嘆かれ、きれいに着飾って、にこにこと笑って、男の機嫌を取っていればいいのだとこんこんと説かれた。
そのままだったら、ロザリーは少しいい家の出身だったので、家に有利に働くために、どこかの知らない男と結婚していただろう。そして子供を産んで、夫の機嫌をとるためににこにこ笑っていた。
ちっとも面白くもないのに。
『そんなことに耐えられるのかい』
と、家の庭にいた蛇にささやかれた。
そんなのは無理だ。そんなことを死ぬまで続けなくてはいけないなんて、と考えた末、ロザリーはすべてを捨てた。そんなのに耐えられる自信がなかった。
たまたま旅の途中で近くに来ていたカガチに無理を言って逃がしてもらうことになった。何も持たない箱入り娘のロザリーに与えられるものはそんなにない。お金もそんなに払えるわけではない。カガチにはロザリーの与えるものすべてを与えようと決めていた。
だから、ロザリーはてっきり純潔も何もかも奪われるものと思っていた。それぐらいは覚悟していた。
だが、カガチはあふれる色気に反して、紳士的だった。
『・・・それを売るのは、お前のそばにそれを欲するものが現れてからでいいだろう。俺はいらないし、困る』
そのあとぶつくさと、絶対にばれるし、人とできるならゆとりがあると思われてひどいことをされるとつぶやいていた。
それは眼の前の男の体に残る、赤い、締めつけられたような跡と関係がある。実はカガチは精霊につかれ易い体質で、夢でも蛇にうなされることがあった。おそらく朝の寝言はそれで、蛇の種類によっては体をもてあそばれるらしい。
そんなカガチに、ロザリーは返しても返しきれない恩がある。国から連れ出してくれたことを本当に感謝していた。学ぶことを制限されない図書の国に連れてきてくれて、自由に生活までさせてくれている。ロザリーはいくら本を読んでも、勉強しても制限されることはない生活が幸福だ。
十分幸福なのに、これ以上をねだるのは欲張りだ。
カガチに、好意をむけてくれないかしらと思うのは、身の程以上だ。
ぼんやりと考え事にふけっている時間が長かったせいか、どうした、とカガチは問いかけてきた。
「・・・べつに・・・」
もぐ、とパンを飲み込むと、カガチは呆れたようにため息をついた。
ロザリーの予想通り、細い割には筋肉がついているので、カガチはよく食べる。すっかりパンも減り、多めに買ってよかったわと安堵した。
「お前は考え込んだ末に爆発するとろくなことにならない。言ってみろ」
デージャが何を察したのか、するりとカガチの腕に移動した。
「で、でも」
ためらうロザリーに、カガチは少しいら立ったように目をすがめた。
「でももだってもへったくれもない。忘れもしないぞ、国を出たいと言ったときも、そのあとも逃げ込んだ森でいきなり俺に襲い掛かってきて、しかもぜん」
わーとロザリーは顔を真っ赤にして叫んだ。
「そ、その話はいいじゃないの!」
「言わないと続ける」
ぐ、と言葉に詰まると、びっくりした、まさか、と感情のない眼でカガチが続けるので、ロザリーは覚悟を決めた。
「そ、その、デージャの半分くらい、わ、わたしにー」
ここにいる間くらい構ってくれても、と言おうとしたとき。
「ロザリー!飯は食べたか!?」
ばあん、と玄関の扉が無遠慮に開き、男が一人飛び込んできた。
ロザリーは言葉を止めて無言でうなだれた。いつもこうなのだ。肝心なとき、たいてい邪魔が入る。
カガチは来訪者に目をやっていた。黒い瞳は何を考えているのか分かりにくいが、案外何も考えてはいないので、今も誰だろうと思っているくらいだろう。
入ってきたのは金色の髪に、青い眼をした青年だ。ローブを着こんではいるが、溌溂としており、魔法使いというよりは、騎士のような印象を与える。
「ロザリー、その男は、一体・・・」
来訪者が顔をしかめて問うてきても、ロザリーは答える余裕がなかった。せっかく勢いで、言ってしまえるいい流れだったのにと悔しさが消しきれない。
「・・・ロザリー、ドレスを着ろとは言わない。だが、恋仲の殿方がいるなら、せめて見た目には気を使うべきだろう」
観察を終えて妙な理解をしたカガチは、咎めるように眉根を寄せた。変な勘違いをしないでほしいと、ロザリーは思わず身を乗り出す。
「ち、ちがうの!ジルベルトはそういうのではないから!」
カガチの腕にいたデージャが首を上げて、不愉快そうに来訪者を見ていた。ちろちろと舌を出し、するりと体をくねらせ、カガチの顎の下に頭を擦り付ける。
「ああ、なるほど」
青年とデージャを見比べたカガチはうなずいて、手に巻いたままの数珠をじゃらりと掲げた。片手を祈るようにたて、ごくりと食べ物を嚥下する。
「〈邸を守るもの。里を巡るもの。郷を回るもの。この地の主殿に奉る。来訪は鐘を鳴らし、山焼きは希へ。名乗りなき山入りを認めず。谷地にまします、夜刀の系譜ぞ。希へ〉」
カガチがそう唱えると、うわ、と困惑した男の体が勝手に外に放りだされた。ばたりと玄関の扉が閉じて、カガチはこれでいいかとデージャを見やる。
蛇は喜んだようにぎゅ、と巻き付いた。ただでさえ残っている跡がさらに増えそうだわ、とロザリーは思った。
「何をしたの?」
純粋に問うと、カガチもやり直しをさせたと簡単に答えた。
「勝手に入ってきたことに、デージャが腹を立てていた」
ああ、とロザリーはうなずいた。
詳しいところまで理解しきっていないが、カガチは精霊の力を借りたり、世界に漂う魔力を使って魔法を使うタイプだ。今回もデージャの意向に沿う形で、デージャから力を借りたのねと察した。
「この家はデージャが主だものね」
家の中に何をいれるかは、家を守る性質のあるデージャに選択権がある。ロザリーもこの家に置いてもらっているという感覚があった。デージャは侵入者をよく排除しているし、気に入らないと、カガチの力がなくとも家からはじき出すことがある。
ロザリーの言葉に、カガチは小さく微笑んだ。
「ロザリー、恋人ができたら言ってくれ。俺はお前の好意に甘えているが、男が出入りするのはよくないだろう、恋人がいる女性の家に」
そうしたらこの男は別のひとのところへ行くのかしらと考えて、ロザリーはもやりとした思いを打ち消した。
「当分ないと思うわ。・・・私、恋ってよくわからないもの」
苦笑して、そろそろジルベルトを入れてあげようと席を立った。
政略結婚しか考えたことがないロザリーには恋というものが分からない。カガチに恋してるのよ、とはよく同年代の女の子たちから言われるが、これがそうなのかはよくわからなかった。
「それに、それどころじゃないもの。私、ポルターダの入学試験に受かったのよ」
「は・・・それはおめでたいじゃないか。ああ、何も祝いの品がないな・・・」
いいのよ、とロザリーは苦笑した。玄関のドアを開けると、困ったように立っているジルベルトがいる。
「いらっしゃい、ジルベルト」
招き入れる分には、デージャは機嫌を損ねない。きちんと呼び鈴を鳴らして、名乗りを上げていればこんなことにはならなかったのにねとジルベルトを招き入れて、玄関の扉を閉めた。
「紹介するわ、カガチ。こちらはジルベルト、司書をされているんですって」
「初めまして、ジルベルト殿。俺はカガチ」
ロザリーはジルベルトに席を勧め、お茶でも飲むかしら、と尋ねた。ジルベルトはカガチをいぶかしげに見ながら席につき、よろしくと挨拶を交わす。
「・・・俺は、締め出されたと思ったが」
ああ、とカガチは立ち上がり、苦笑しながらすまないなと謝罪した。
「デージャが不作法に、納得をしなかったので」
首をかしげたジルベルトに取り合わず、カガチはお湯を沸かし始めた。お茶でもいれるのねと算段をつけて、ロザリーも苦笑する。
「ごめんなさいね、ここの屋敷守りさんは、不作法が嫌いなのよ。カガチがしなくても、きっと今日は追い出されたわ」
ああ、とジルベルトはそれで納得したようだった。ジルベルトの持ってきた朝食用の食べものを受け取り、テーブルに置く。
「精霊か?珍しいな、言うことを聞かないのか。契約はしてるんだろう?」
いいえ、とロザリーは首を振った。
「契約はしてないわ」
「では、あの男が?」
「カガチは旅に出てめったに帰ってこないわ」
ジルベルトは不思議そうな顔をして首をかしげていた。
ロザリーは先にカガチの考え方に触れたので、ジルベルトの困惑は通過しなかった。しかし、精霊と契約もせず、共存するあり方が、世間では特異にみられるとすでに学んで知っている。カガチの文化圏の考え方なのだと知ってから、ロザリーはのめりこむようにそれらについて調べた。
「古い時代の考え方なの。古いと言っても、古代からもさらに古い、失われた神話の話だわ。神が数多おり、地には神の作ったものと人間がともに生きていたの、そういう時代があったのよ。ヨハンニティウス・イツハークはご存知でしょう?あの方が研究しておられる分野の、時代で言うと、あのあたりの考え方なのよ。それと同じで、私はデージャにこの家に置いてもらっていて、一緒に暮らしているの」
は、あ・・・と、納得していないような、困惑の声を上げるジルベルトに、カガチはお茶を差し出した。
「魔法にはあまり興味がないので、詳しく解説できず、申し訳ない」
「出身はどちらですか?」
ううん、とカガチは困ったように苦笑した。
「東のほう・・・とはいっても、かなり森の奥にあって、ほとんどこちらとの交流もないようなところから来た。こちらの共通言語、いわゆる大陸語でも言葉が変換できないようなところだ」
ああ、とジルベルトはうなずき、ロザリーに視線を向けた。
「ヨハンニティウス殿は、確か著書で、東のほうの少数民族に触れたと書いていたことがあったな、そのあたりだとするなら、まあ・・・。たしか、君はポルターダにその研究分野で入学試験を受かったのだったか」
ええ、とロザリーは微笑んだ。
「ポルターダの入学試験は難しくなかったわ。だって、好きなことを好きなように主張して、それで総合得点で合格すればいいのだもの」
ある程度、基礎分野の学問と魔法はできないとだめだが、それ以上に自分の得意分野で試験官に好きにアピールしていい。それが大量に加点されるので、ポルターダ学院は、研究者にはそう難しくはない入学試験だ。
「それが一般人は相当難しい壁なんだがな・・・」
「学べば誰であろうと門を開いてくれる、その機会を無駄にはできないわ。ジルベルトもその門を通り抜けてきたのでしょう?」
まあ、と言葉を濁したジルベルトから視線を外し、デージャを指先にまとわりつかせたカガチに視線を向ける。
「試験に向けて、図書館に遅くまでいたものだから、ジルベルトが声をかけてくれたのよ。おかげで飢え死には免れているわ」
「・・・ロザリー、お前には使用人を雇ったほうがいいか?」
カガチが眉を下げて呆れたような顔をするので、ロザリーは慌てて首を振った。
「大丈夫よ!最近はデージャがいろいろ教えてくれるし、それに最近、庭に出るようになった犬も、いろいろ食べ物を持ってきてくれるのよ。ただでさえ、私はあなたに養ってもらっているのに、余計な出費は・・・」
ロザリーは一文無しでこの国まで来たため、生活の費用はすべてカガチが持っていた。入学の費用も生活費も何もかも、カガチが定期的に金を置いていくからできることだ。
無一文でこの国に訪れるものは珍しくない。そのため、図書館で申請すれば、最初は働き口と住む場所を斡旋してもらえる。最初は家賃も取られず、給料をもらえるという破格の待遇を受けられる。いつだって巨大な図書館は人手が足りないので、犯罪者も労働による刑罰がほとんどだ。
ロザリーが犯罪者と一緒に働くことになることをいやがったカガチが、家を借り、そこに住まわせる代わりに宿代わりにすることを条件とした。そのほか、カガチはロザリーのもとを訪れるたび、どうやって稼いだのかよくわからない大金を置いていく。
おかげで人並みに生活する分には困ったことがないが、カガチに頼りっぱなしで申し訳なく思っていた。
「君たちは、夫婦なのか?」
ジルベルトの不思議そうな言葉に、な、とロザリーは声を上げて顔を赤くした。
違う、ちがうけれど、否定するのはなんとなくもやりとするわ、と言葉を探すうち、カガチはデージャをなでながら、小さく笑った。
「・・・〈糸星毒〉、見つけてしまったからにはなくては生きていけぬもの。ヘテプケセムラドの末裔は、誓約を破ってはならぬという定めなんだ。これは、一族の、俺の生き方の問題で、ロザリーにいろいろするのは気にしなくていい。宗教の違いだ」
ジルベルトとロザリーはその言葉に首をかしげた。カガチの言っていることが、ロザリーはちっともわからない。そもそもそのヘテプケセムラドとは誰なのかしらと思う。また本で調べてみましょうと決意する傍ら、ジルベルトは宗教の違いという言葉に納得したのか、とりあえずうなずいている。
「ところで、ジルベルト、何か用があったのではなくて?」
う、と言葉を詰まらせたジルベルトが、そっと視線を外した。
「・・・その・・・きみが・・・」
「なあに、どうなさったの?」
向かい側のカガチとデージャが、なぜか同情的にジルベルトを見ていた。デージャに至ってはするするとこちらに近寄ってきて、腕からするりとまきつき、やめてやりなさいと言いたげにぺちぺちと腕をはたく。
「きみが・・・きみのいえに、見知らぬ男がいたと・・・」
耳が赤い気がしたけれど、きっと気のせいね、とロザリーはぺちぺちと叩くデージャに気を取られた。なにをやめろと言いたいのかしらと首をかしげて、ありがとうとお礼を述べる。
「心配してくださったのね、大丈夫よ、カガチとは深い仲なの」
ぺちん、とひと際大きくデージャが腕を叩いた。どうしたのかしらと首をかしげると、向かい側で薄く笑うカガチが見える。
「ふかい、なか!?」
付き合いが長いことをそういうのじゃないのかしら、とロザリーは同年代の女の子たちに言われた言葉を思い出す。カガチのことを異性に伝える時はそういうべき、と4軒先のカフェのセシルが言っていた。何か間違えたのかしらと、と不思議に思いながらうなずく。
「ロザリー・・・」
「ええ、そうよ。カガチがいないと困ってしまうもの、大事なひとなの」
生活も立ち行かないし、という意味を込めた言葉に、ジルベルトはがたりと席を立った。
「お、俺は・・・・俺はッ、今日は!失礼する!きちんと食事をとってきちんと生活するんだぞー!!」
涙声になりながら、ジルベルトはばたばたと出て行って、ばたりと玄関の扉を閉めてしまった。デージャが心なしか憐れんだようにしゅるりと舌を出して見送り、そのあとすぐに切り替えたようにロザリーの首に巻き付いた。
「どうしたのかしら・・・」
不思議に思って首をかしげると、くく、と向かい側でカガチが声を殺して肩を震わせていた。何がそんなにおかしいのかしらと首をかしげて、すっかりぬるくなってしまったお茶を飲む。
「・・・ッ、ロザリー・・・あれではお前・・・・」
「何か間違っていたのかしら・・・近くのカフェのセシルが、カガチとのことを言うときは、深い仲と言えば解決すると教えてくれたの・・・」
「・・・愉快な友達がいるようで、俺は安心だ・・・」
「ねえ、私、自分で言うのもどうかと思うけれど、箱入りなのよ。何か間違っている?そうなら教えてほしいの」
こればかりは生まれもあるため、どうしようもない。そういう部分はきちんと教えてくれとロザリーはきちんと伝えることにしている。
「自分で調べたらどうだ、〈糸星毒〉」
カガチは教える気はないようで、机に頬杖をついて、ロザリーの長い髪をひと房つまんで眺めている。
なんで教えてくれないのかしらと思いながら、これも聞いても無駄だろうな、と毎回答えてもらえない問いを投げかける。
「あと、その『イトォゥシ』毒ってなあに?毒って私のことよね?私の昔の呼び名だったらやめて頂戴って言っているでしょう」
「毒であった自覚はあるんだな、ロザリンド・エル・アレット・グランジャルデ」
今ではこの男しか呼ぶことのない名前に、ロザリーは顔をしかめた。
ロザリー自身に毒であった自覚はあんまりない。
けれど、たかが政略結婚と考えていたロザリーと周囲とは打って変わっていた。
今では髪もとかさずぼさぼさで、効率を考えて眼鏡をしているが、国にいたころは毎日使用人に髪をとかされ、緑の眼は視力が悪いためいつも濡れており、体のラインを強調させるようなドレスに身を包んでいた。ロザリーが周りに興味がないからこそ、貞淑といううわさも広まり、求婚者はあとを絶たず、女性からは疎まれ、男性からは奪い合いだったと聞いている。ときには、まったく関係がないのに、他人の心を奪ったとかで、修羅場に巻き込まれたこともあったわねえ、と思い出し、思わず遠い眼をする。
「過ぎればそんなこともあったわね、という思いね・・・やっぱり毒だったかしら?」
ひそやかに、誰をも虜にするロザリーに対して『毒花』というあだ名もつけられており、当然興味がないのでそんなことは知らなかったが、男は誰もがロザリーを射止めたがったらしい。
何度微笑んでいるだけでいいと言われたことか、思い出すだけでも辟易する、とロザリーは顔をしかめた。
「自覚がないところが素晴らしい。あの時は、お前で国が崩壊しそうだった。国内どころか隣国の王子たちまで、美しい花の取り合いだ」
見ているのも楽しそうだったがな、と笑う男に、ロザリーは冗談ではないわ、とため息をついた。
「それで崩壊した国で、にこにこ笑っていろというの?専門書も読めず?笑えないわ。私は、ヨハンニティウス・イツハークに、血族魔術は細胞に魔法陣が組み込まれているのではなくて、文化としての行動制限による制約が、強く影響をしていると主張したいの。彼の打ち立てた通説は倫理的に実証が難しいけれど、でも!文献からは、古代史における行動制限が多いのよ。あれしたらいけないとか、これはだめとか。そこも強く推していきたいわ!彼は、もっと各地域の歴史を比較してもいいと思うの!」
はいはい、と投げやりにうなずくカガチに、ロザリーは頬を膨らませた。
もっと細かく調べて、もっと詳しく言ったことでポルターダ学院に入学できたのよ、もっとほめてくれても、と口の先をとがらせる。
「・・・どうしてそこまで調べることができて、『深い仲』の意味は知らないんだろうな、この美しい毒花様は・・・」
カガチが目を細めて苦笑し、髪が痛んでいるから少し切るかと問うてくる。それにうなずき、ロザリーは気にかけてもらったことに少し頬を緩ませた。
「ああ、あと、本当に、きちんと『深い仲』の意味は調べておいたほうがいいと思うぞ。セシルという方には、俺も挨拶にいくが」
わかったわ、とうなずいたロザリーが、その意味を調べて叫び声をあげるのは、もう少し先のことである。