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名もなき四枝の詩編

全体公開 1 16177文字
2020-05-07 14:43:55

ムゲンWARS、透輝の勇者さまのおはなし。
以前別のタイトルで断片的に出していた奴を加筆して決着をつけました。何年越しやねん!

***


「へんね。よいものなら、どうして涙なんてお名前にしたのかな」

 わたしならすてきでかわいいお名前にするわ、と呟いた妹に、姉がいう。

「いいえ、きっとなにか秘密があるのだわ。たとえば、昔の悪い王様が泣いてしまってこの土地に住む人もイイことが起きたのかもしれないもの」
「おとぎばなしの王様は、いつもお姫様や王子様にきびしいものね!」

 そうよ、きっとそうにちがいないわ、と妹がはしゃぐ。

 少女たちが子供向けの書を囲んで勉強しながら、真面目な顔で拙い議論を重ねていた。冬の静かな夜だった。しかし、乾燥地帯が広がるこのあたりで商業に成功して裕福になったこの家は、日干し煉瓦の床にふかふかの絨毯が敷かれていて、土竈に火が灯り湯が沸いている。彼女たちの父母はすでに寝所に下がっており、乳母がつくろいものをしながら微笑ましそうにその様子をみていた。寒い日ではあったが、暖かな風景である。

「おや、ずいぶんと楽しそうだね。お兄さんにもお話を聞かせてくれないかな?」

 奥の出入り口の影から、男が少女たちに微笑みかけた。
 男は、旅人であった。今朝がた砂漠を渡る途中で、大きな砂嵐を予期したので泊めてほしいとこの大きな家の主人に願い出た。主人はこの土地に長く住む一族であり、砂漠の気候に精通しており、特徴的な砂嵐の前兆があるわけでもないのに不吉な予言をするこの男をいぶかしがった。しかし、なにか事情があるのだろうと鷹揚にもこの男を迎え入れ、そして念のため男が正しいことを言っていたときのために、砂嵐の備えを固めた。

 夕方ちかくに砂嵐が、旅人の言う通りに本当にやってきたことで、旅人は主人にとってどこか胡散臭い浮浪者から知恵ある賢者に変わったらしく、あらためてゆっくりと逗留してくれるようにと歓迎されている。

 名乗ることこそしないが、彼の名は透輝の勇者。透明にして輝くもの。旅をして、人を助ける勇者だ。魔術に長け、多くを知る賢者でもある。主人の判断は正しい。


「旅のおじさま、『王の涙』という言葉をご存じかしら?」
「いま、おねえさまのお勉強のご本に出てきたの」

 少女たちは知ったばかりの知識をさっそく披露した。旅人はそれをからかうこともなく、優しく相槌を打つ。

「このあたりの、洪水の時期でないときに降る、季節外れの雨のことかい?」
「やっぱり物知りなのね。『王の涙』は、ここの植物にとっても私たちにとっても良いものだ、と書いてあるのだけど」

 どうして涙というのかしら、と2人は期待に満ちた目で旅人を見た。

 旅人は少女たちの様子をみて少し思案すると、彼は一言で説明するのは簡単だけれど、少し勿体ないとも思うんだ、と、荷物から一枚のスクロールをとりだし、広げた。

 砂色の巻紙に青いインクで複雑な魔法陣が描かれている。その中心に、懐から小さな石を取り出して置く。赤く輝く、三日月のような形を模したガラス細工だ。

 そうして、立てかけていた自分の杖を持ってきて、くるりと回す。すると、赤い光が魔法陣と呼応するように輝き、その光の中でスクロールの上に湧き出るように虚像が生まれた。砂と水と大地、そして小さな人の営みが動き出した。少女たちは感嘆の声を上げて、夢のような光景を見つめた。

「そうだ、この土地の楽器をお持ちではないかい?」
「わたしのラバーブでいいかしら?」

 旅人の言葉にはっとした姉が、慌てて部屋に戻った。そうして、9弦を棹に張ったこの地域に特有の弦楽器を持ってくる。男は一番高い音の弦をはじくと、満足そうに笑った。

「ああ、懐かしい。あのころとは少し形は違うけれど、まぁ弾けないこともないかな。冷えるだろう、もう少しこっちへおいで」

 胡坐をかいた男は、自分のケープの中に少女たちを招き入れると、ラバーブを爪弾き奏で始めた。少女たちには馴染み深い、この土地の誰でも知っている、しかし誰が作ったのかもわからない、伝承を語るときの曲だ。

「可愛らしいお嬢さんたち、少し時間をくれるかな。私が君たちの知りたいことを語るために。さて、王の話をするとしよう」

〇〇〇

 古王国時代の「罪と罰を司るネメス神の業の顕現」の意の名を冠した賢君ケフネメース王には、正式に認められているだけで8人の子供たちがいた。当時の都では太陽神殿に8柱の神々が信奉されており(そう、勉強熱心な君たちは知っていると思うけれど、昔は神がたくさんいたと信じられていたんだよ!)、子どもたちの数は大変縁起がいいとされていた。そして彼らはいずれも賢明で、王の心を安からしめる子供たちであった。そのこともあり、ケフネメース王の治世は人々に祝福されたものであった。

 この国の歴史にもっとも名高い、炎の神セへメトの魂の永劫たらんことを示す王名を持つジェドカヘメト王は、そのケフネメース王の子の1人であり、子供のころはニネチェルと名乗った。ニネチェルとは古ジョエ語で「神のごとくあれ」を意味する言葉だ。生まれた時から王であり、人よりも高きところにあるべしと運命づけられる。それを重たく、負担に思う者もいるだろう。だが、この王はそうではなかったのだ。彼は幼少にして強き全き力を持ち、見知った多くの人々を愛し、まだ見ぬものすら愛する大きな器と偉大なる才があった。

 ニネチェルに最も近き弟のリヒトールだけが、同じかそれ以上に強い力を持つ兄弟であった。しかし、リヒトールは多くの誰かを心から愛する者というよりは、多くの誰かから愛される者であった。特に力ある神々に強く愛されてしまっていたのだ。知恵ある彼はそれを良く知っていて、兄の望む玉座を自分も欲しがりはしなかった。

 ん?神々に愛されることと王になることに何の関係があるんだって?いい質問だ。女神様はいざ知らず、いまは去りし神々は荒々しい力を持っていたんだ。彼らに愛されることは、ときにその人や周囲に害をもたらす。もちろん王の血族としてニネチェルもまた神に愛されてはいたが、リヒトールほどではなかったのさ。力があり、神々の加護はありながら、神々の愛は弟に向いている。だからこそ、彼は誰よりも王にふさわしいわけだ。

 ま、愛されるほうの王子と今語っている歌は、関係あるといえばあるけれど。彼のことが詳しく知りたければ、また別の歌を歌ってあげよう。神に愛された王子が、ある人を愛する話さ!彼は誰からも愛されるからね。もしかしたら君たちも知っている内容かもしれない。

 さてジェドカヘメト王の話に戻ろう。

 王としての責務を得る前のニネチェルは、月の神殿で育てられた。ああ、月の神殿は今はもう遺跡だったね。都からはややはなれた、ここ、白き砂の地平に囲まれた清浄な場所だよ、わかるかな?この国の王の力はあまりに強大であるために、それが制御できるまではここで暮らすことがしきたりだった。

 だがニネチェルは、多くのものを愛する少年であったために、ある日神殿をおとずれた荷物運びの馬を黙って借り受け、飛び出したんだ。王の力は目に宿るといわれていたので、周りに気づかせぬために目は魔法をかけた布で覆って、下働きの召使の衣服を漁って。行き先はただの荷駄ながら賢い馬に任せ、念のため盲が持つ杖を持った。そうして辿り着いた先は、太陽宮のある王都だった。そう、当時から水清らかな、いまも活気にあふれ豊かな王都だ。彼の父が支配する町だが、彼はずっと神殿にいたものだから、そこを歩いたことはなかった。

 痩せ馬を曳き、杖を突きながら慣れぬ石造りの街を歩く少年は、ある乙女とぶつかったんだ。

 古き叙事詩ではこのように歌われる。

 月の光よりなお白く、日の焼く砂よりなお滑らかに。
 翻る裾の清らかさ。傾ぐ身体のたおやかさ。
 おお、鈴の音の声を持つ乙女よ、聖なる杉の森から来た巫女よ。
 若きニネチェルの熱き掌に咲いた小さな花。
 燃える火に寄せられたかそけき蝶。
 輝くまなこも赤き頬も、盲いた男の眼には映らぬ。
 男は聴いた、風に舞う砂より軽い足音を。
 また聴いた、神々の、乙女を囃すささやかな笑い声を。
 走る乙女を、男は追った。
 水面煌く川辺で、陽は白き花に差す。
 かくて運命は彼らに下り、乙女は男の腕に横たわった。
 永劫の幸せの祝辞か。滅びの定めの先ぶれか。
 空渡る雲が恵みをもたらした。


 ありがとう、ありがとう!いいリアクションだ。聴衆が良いと語り手も報われるというものだ。
 これが「王の涙」の由来かって?もちろんこれも由来のうちさ。しかしこの歌は物語の始まりにすぎない。

 さぁ引き続き、王の話をするとしよう。

***

 旅人の語りと共に、青く輝く川辺に、まるで人形劇のように、少年と少女が手をとりあい、抱きしめ合う姿が見える。その上に朱い火が灯り、小さな蝶がくるりと周りを羽ばたいた。牧歌的な風景に、子どもたちは目を輝かせた。

 幻想を描く魔術は、術者のイマジネーションにより大きく効果が変わるものでもある。はるか昔に滅びてしまった国の、あったかもしれない風景など、余人にはなかなか描けないものであることを、子供たちは知らない。

 この風景が、生まれた時から手足のように魔術を使う勇者だからこそ、なんの造作もなく再現できるということを、知る由もない。そして男は、彼女たちが知る必要もないと思っている。なにごとにつけ、できることならかっこうをつけていたいものだ。

 長い時間を、男はこの聖界で過ごした。その中で、どこにも居所を定めることなく、悲喜こもごも多くの事を感じてきた。観てきたものたちは、醜く、物悲しく、悲惨で、美しく、可憐で、優しくて、綺麗だ。それらを、まだ知るところが少なく、多くの豊かな未来にあふれた子供に語る必要はない。ただ、この土地に縁のある物語を、一夜の滞在の礼に気まぐれに語ってみせている。

 王の話とはいうが。言ってしまえば、この女神の統べる世界では失われた、名前のない物語だ。女神が盤上遊戯を始める前に在った大いなる力に「神」と名付け、それらに敬意を払って触れ合っていた旧い人々の住む砂漠の国。そして、大いなる力を捻じ曲げ多くの者を望みのままにすることができる特殊な眼を持っていたために、王として民の上に立っていたひとりの人間。男は彼について語るというより、かつて失われた多くのものをなかったことにはしたくない、という気持ちを、口からこぼしているに過ぎないのだった。

〇〇〇

 さて、ニネチェルは乙女と数日間、言葉を交わし、親密になった。ただの乙女とただの盲の少年として、互いに名を明かすことはなく、互いの顔を見ることもなかったが、街を歩いたり、川辺に座ったり、春風の匂いをかぐ。ささやかな日常を楽しんだ。

 乙女は豊かな糸杉の森からやってきたそうで、すぐに遠くに行ってしまうのだそうだ。それでもただ穏やかに触れるだけで、ニネチェルには彼女が、そう、見た目のみならず真実どのようなものなのかということは、生き生きと感じられたのだ。それは王のみが生まれ持つ「炎の目」による認識かもしれないし、私たちだってよく知る恋や愛による感動かもしれない。

 彼は乙女との出会いから、一層世界を愛するようになった。あらゆるものが色づいた。

 え、私にそんな経験があるかって?さあね、おませさん、もしかしたらそのお相手は君たちかもしれないねえ。ああまって、冗談だよ、お父さんは呼ばないで。

 さあ、ともかくニネチェルは、そのひと時を経て、永遠に幸せにいられるような特別な気持ちになったのだ。彼は神殿に戻ると、当然にこっぴどく叱られたものだが、彼の語った素晴らしい出会いと幸福の記憶は、神官たちに賞賛された。王は神のごとく、多くの者を愛することが善き心得だからだ。

 やがてニネチェルは、父たるケフネメース王の崩御をもって、ジェドカヘメト王となった。父王の死は、現在ではどうしてだったのか語られていない。とはいえ、そのときの状況を物語でない形で聞いたことがある。ケフネメース王の治世の末期、この国の栄華とともにあった大いなる川に水ではなく邪悪なる泥があふれ、清らかなる白い砂の大地の向こう側を、黒く染めるほどの魔物が現れたのだ。王の死が伝わっていないのは、この大変な戦いの中で、きっと戦い以外の場で亡くなったのだろうね。

 即位したてのジェドカヘメト王は、周辺の諸国と結び、自ら剣をとり、魔物たちやこの国難を狙う他国からの侵略を見事におさめてみせたといわれている。
 旧き戦勝歌ではこのように語られた。

 巫女よ歌え、天に問え、
 慈しみ深きリヒトール、汝の見立ては如何
 いずれの神ぞ、清らかなる地に魔を遣わしたるは
 地を這い嘆くシェカールチー、
 汝の幣帛の行方ぞ如何

 善き者の問いに応えるは溢れる水の母、ネイス女神
 切なる願納受けるは地を拓く矢、軍神ウェパーウェト
 
 民の王よ、人と地を肥やす者よ、
 ジェド=カー=セへメテス
 火の神の魂の永劫たらんことを示せ
 かの王の名を叫ばん
 善き神々の魂の永劫たらんことを顕せ
 あまねく世を愛し天晴らす笑みこそ王の剣
 英武明らかなる勇士らの猛き魂、
 火の目に熱く燃えたちぬ
 かの王こそ、あらゆるものを支配せん

 やあやあ、いい感じに上がってきたぞう!いいリズムだった、小さなお嬢さん、君には打楽器の才もあるね!床をたたくのはやめてお父さんから太鼓を借りてきたら?

 戦勝の感謝とさらなるこの地の発展を願い、彼はこの戦いの後、水の神の神殿のある都市から最初の妻を娶った。この魔物侵攻により引き起こされた人同士の戦いをしのぐ傍ら、各地で荒廃した大地を癒し、最大の版図に達したころには、都の川辺は麗しい白い花で覆われたそうだ。人々の涙は王の涙も同然だったが、それらは喜びで報われたのだとひとめでわかるような風景さ。

 これが王の涙の由来かって?もちろんこれも由来のうちさ。だが、彼の物語にはまだまだ続きが在るのさ。

 さらに王の話を続けよう。

***

 広げた紙面が黒く染まり、多くの街が黒い煙をあげて燃え上がった。語りが進むとそれらは陽光のような輝きにさらされ、美しく元通りの姿を取り戻し、青い大河のほとりが、白い花で一面に飾られた。歌と共に早回しに描かれる破壊と再生を、子どもたちは無邪気に床をたたいて喜んだ。

 ああ、正しい英雄譚の聴かれ方だ。そう男は、満足する。多くのおぞましい悲劇がきらきらとした英雄譚になるまでを、男は観てきた。そうした人の営みが、はかなくもあり、寂しくもあり、好ましくもあった。

 遥か昔、この戦勝歌の時代、魔物の襲撃が砂漠の帝国を度々悩ませていたころ。ちょうど男はこの砂漠と大河の地を踏んだ。彼はそのころにも、今と変わらず旅をしていたのだ。あらゆる記録に残らないほどに遠い過去、故郷を失い、安寧の地に身を落ち着けることが許されない呪いを受けていた。聖界をゆるがすほどの大きな戦争を経て、愛するという心の在り方をもしった。

 彼が行く先のない旅路でこの砂の国を訪れたのは、この地でおきた魔物の大群による襲撃が、彼の経験した大きな戦争の名残であることを知っていたからだ。別段、戦争自体は彼の責任ではなかったが、人が幸せに住まう国をあのとき戦った魔物たちが襲うのであればと、尻ぬぐいの気持ちで訪れたのだ。

 ずいぶんと拍子抜けしたのを覚えている。当初の死者や市街地の破壊こそ目を覆いたくなるほど甚大なものであったが、その後の対処と魔物の討伐は、赤い目の王と、彼に率いられた屈強な兵たちによって、あっけないほどにすぐに成し遂げられた。旅人にできたのは、怪我人の手当や町や村のこまごまとした手伝いくらいだ。

 旅人は、出来る事をする隙間に時間をつくり、太陽神殿で人々の前に立つ王の顔を遠目に視た。堂々たる体躯、上半身を覆う祝福の紋様の刺青。清らかな白い衣。権威を表す黄金の装飾。

 真実を見通す魔術師の目から見た王は、燃えたつ炎のようでもあり、容赦のない砂漠の日差しのようでもあった。その恐るべき光で、世界を動かす運命を、本来の枝分かれから自分の思う方角に力任せに追い立てる。川筋を干上がらせるほどの熱量は、なるほどこの砂漠と大河の国の支配者にふさわしい。

 それは、一面において、この男の魔術と似通った性質でもある。大いなる流れから、自分の望みにあう流れを見出し、その力を引き出すのが、この魔術師が得意とする魔術だった。多くを見極める力はいっそこの王よりもよほど強力で、注意深く流れにのれば誰よりも大きなものを動かすことができる能力があった。

 また、ある一面においては、王の性質はこの男の魔術と対極にある性質でもあった。大いなる流れに沿わない、世界が許しえないはずのものすら、愛する多くの人々のために是が非でも得ようとする圧倒的な熱量を、長く生きている男は半ば失いかけていたからだ。

 定住をすることのなかった男が、少しだけこの国の近くで様子を見ようと考えたのも、おもえばこの相似と差異があったためかもしれない。


〇〇〇

 王がはじめて戸惑うほどの喪失と、うろたえるほどの歓喜を覚えたのは、彼の治世の安定しはじめたころのことだ。

 娶って3年もたっていないその時分、王は最初の妻を病で失ったのだ。水の都から来た乙女は、商人のように鋭敏で官吏のように生真面目で、そのわりにひねくれたところや薄暗いところのない闊達な女性だった。豪壮な王とは大層相性が良く、実家筋とうまく協力して、戦後処理にあわただしい国政をよく支えた。子を為し、財を増やし、王の信頼を得た女性を疎み害する者はこの国にはだれひとりおらず、そんな彼女を唯一害したものが病だった。

 王は喪失に苦しんだ。このようなことは、はじめてであった。父の死は、彼にとって、父の死である以上に先王の死だったのだ。兵たちの死は、戦友たちの死であると同時に彼ら自身の選択の結果だったのだ。それに引き換え、彼女の死は、あまりに生活と身近なところで、彼女の望むところも彼女の役割も関係ないところに唐突に訪れた。

 盛大に執り行われる葬儀は国を挙げた祭祀であり、彼は心揺らがせることなく完遂したが、意見を求めようと何気なく見た隣席に彼女がいないということが、雨上がりの穏やかな涼しさを楽しむために外に出るとき横にならぶ人のないということが、ことさらに堪えた。

 この国では王に嘆きは許されない。王の力は炎の目に宿る。虚しさをこめて遠くをみれば木々は虚ろな灰にかわり、憎しみをこめて大地をにらめば土くれが堅い焦土と化す。寂しい、むなしい、悲しいと、その気持ちを認識することすら許されない男は、葬儀を終え、子どもたちや良き家臣たちの支えの中で、多くの政務と戦いを何と思うこともなく石の心でこなした。気づけば「冥府の眠りの節」……ああ、今でいうところの喪だね。それも終わっていた。

 その後、彼は一日だけ、魔術を施した布を目に巻いて街に出た。成長した彼にはもう、布など気休めにもならなかったが。ぼろぼろの衣服を身にまとい、念のために杖をついて、痩せ馬を曳いて石造りの街を歩いた。道は綺麗に整い、崩れた住居のひとつもなく、商人達は目を失い放浪する憐れな貧者のような姿の者に、ためらいなく食べ物を施した。以前よりも豊かといっていい、満たされて美しい景色の中で、王だけがその美しさを忘れたような顔で歩いていた。

 その時、彼はある女性にぶつかった。糸杉の森から来たというその人は、さる貴人からこの国の王への使者なのだ、とのことだった。客人への非礼を詫びるためといって、彼は自身の身分を明かさぬまま、太陽宮まで彼女を案内した。知らぬ振りをして帰らないこともできたが、街を歩いているには、少しばかり疲れたからだ。活力ある王には珍しいことだった。

 身なりを整え玉座に戻った王に、糸杉の森の使者は気づかないまま、用向きを告げた。それは同盟の申し入れと、新たな妻として最も尊い立場の女性をこの国に預けたいというものだった。

 糸杉の巨木は、船の建材として替えがきかない。古くから大河の上流にあったこの使者の国は、どの国からも狙われる資源を持つ場所であったといえる。これまでは、たゆまぬ外交努力と、神々の守護によって、幸運にも本当に攻め込まれるに至ることはなかった。だが、魔獣たちの大攻勢と、砂漠の国の王の対処によって、外交で調整したそれぞれの国との利害関係が崩れつつある。そこで、さらなる交流の深さを求めたいとのことだった。王に否やはなかった。乗り気とは言えなかったが、喪は明けていたし、国に大きな豊かさをもたらしていた水の都との繋がりが弱まった今、新たな妻を迎えるのは人々にとっても望ましいことだ。すぐにも日取りを決め、披露の段取りを整えた。

 一年のあらゆる季節、あらゆる日付の中でも最もめでたき日、大河には水があふれ、全天でもっとも輝ける星が夜明けとともに上る日、麗しく着飾った杉の森の巫女を妻に迎えた彼は赤い目で乙女の身体が丈夫ではないことを即座に見抜き、小さく誰にも気づかれないように気を使いながらため息をついて肩を落とした。その背をなぐさめるようにかけられた乙女の声を聴いて、彼は驚くことになる。唇から零れ落ちた言葉は、彼が少年の頃、世界の鮮やかさを教えた声と、話し方と、非常によく似ていたから。乙女は芳しい花を髪に挿した華やかな姿で、婚儀にふさわしからぬ哀しさに満ちた声で、表情ばかりは微笑んで言うのだ。

「ああ、みなに愛されるあなた。みなを愛するあなた。なんてお可哀想に」

 2人は見つめ合い、おさない頃に時間をともにしたのだと確かめ合った。そして、王はひそかに思った。一度の思い出であれば、ただの美しいものとして心に留め置くことができる。だが、その生を終えるまで傍らにいることが決まった時、ただ美しい可憐なだけのものとして愛でることなどできはしない、と。

 憂うべき哀歌(エレゲイア)にはこのように歌われる。

そろそろ愛の花を摘もう。
嗚呼、虚ろに冷えた魂よ、
炎のたえざる厭わしき眼よ、
若さの盛りのいまこのときに。
おお、もし、輝く陽光が
朝露に濡れたの花びらで輝くのを見ながら、
欲望に胸を膨らませぬ者がいるならば、
そのものは鉄の心を持っているにちがいない

摘めば萎れる花を愛そう。
黒ずんだ葉をみて狂うことを知ってなお、
願望のために惨めに横たわり、
神々の送りたもうた苦痛に骨まで突き刺され、
しかし伸ばす手を止めることなど、
ただ人にはできはしないのだ。

 ……おや、そろそろふたりは、おねむの時間だろうか。悪いね、悪いね。部屋まで送ろう。歌の続きはそうだな、また次の機会に。「王の涙」の答えは明日、雨があがったら話そうか。それまでに君たちの考えを教えておくれ。

 ん?この季節、雨など降らないだろうって?いいや明日は、きっと降るとも。私は良く知っているよ。


***

 こくりこくりと身体をゆらしていた少女たちを部屋に戻し、炉端に戻れば広げていたスクロールが、悲しげな藍色に輝き、月神殿の屋上で、夜明けの一等星を並んで眺める夫婦を照らし出していた。

 ここからの歌を歌うには、少々酒が欲しいところだった。子供たちはちょうどいいところで眠ってくれたといえる。くるりと杖を回せば幻想は消え去り、旅人はそこに残されたなんということのないスクロールを巻き取った。

 紙面においていた赤い三日月の石は懐にしまう。砂と大河の国には、かつて、少しばかり長めに滞在した。それらの一部を、バザールで買った安物の石に刻み込んだものがこれだ。今となっては市場価値はない石だが、それだけに路銀として売り払うこともないまま、少ない荷物の中に紛れ込んでしまっている。子供たちへの気まぐれな歌の披露には、役立った。石に刻んだ記憶をもとに幻術をつくるのと、ゼロから作るのでは手間が違う。

 返し忘れた九弦のラバーブを手に、荷物から酒瓶を掘り出して、男は外に出た。砂漠とはいえ水辺の近い豊かな集落をみわたせば、どこもかしこも灯りをおとし、静かだ。見上げれば満天に星空が広がっていた。砂嵐はもうあとかたもなく過ぎ去り、空気は澄んでいた。冬の空気は乾燥し、骨の芯まで身体を冷やす。

 あの頃、王は愛する人がいなくなる絶望を知りながら、いずれ抑えることも出来ず世界を呪うであろうことも知りながら、それでも自分の世界を変えた人に手を伸ばすことをやめられなかった。そのうえで、自身の絶望は民にとっては災厄だと認識し、民を守るために何をすべきか、模索し始めた。

 男はそのとき、ただの魔術師として砂漠の帝国に滞在していた。居つくつもりはなかったが、だんだんと豊かさを増す町並みを善いものとして眺めていた。王がそれほどまでに、悲しみと絶望を知っていたということも、自身という災厄を消すための手段を血眼になって探していたことも、知らなかったのだ。

 ある日、男の宿を盲の貧者を装った王が訪れたときに、ひと目で厄介事だとわかった。布をとった先に輝く赤い目は、魔術師を逃がさないという明確な意思に満ちていた。もちろん、旧き力ある魔術師の精神を焼き焦がしてしまうほどのものではなかったが、その目を見て伝わるものがあった。

 魔術師にも、たしかに愛した人がいた。そして、大切なものを失ってしまったとき、絶望にかられ世界をうらめしく思ったときに、自分にできることが余りにも多すぎるという悲劇を知っている。そう、我々は、力あるものは、「世界を恨むことだけはしてはいけない」。

 だから、王の気持ちは暗がりに光る燭台の火のようにまばゆい。愛することを諦めず、愛することで必ず自分を侵すであろう苦痛を避けず、愛することで他人に強いる犠牲を防ごうという決意は、多くの人間に影響を及ぼしてしまう力や立場を持っているからこそ、切実で、健気で、泥臭い。なにより、暖かく輝かしい。

 ああ、ただの人間には無縁だが、ただの人間ではとうてい選び得ない困難の道だった。その道を歩む杖が欲しいというのであれば、長くひとところに留まれない身であっても、力になってやりたいと思うくらいには、男には情があった。そして幸い、旧き魔術師には費やせる年月が豊かにあった。

「お前の魔術は、便利使いするには強すぎるようだ。ちょうど匙が欲しいときにスコップを差し出すような。多くの王が好む性質ではない……。だがおれは今、スコップで飯が食いたい気分なんだ。余のもとに仕える気はないか?悪いようにはしない」
「やぁ、なんと変わり者の雇い主だろう。ひどい話だ」

 そう、本当にひどい話だ。恋物語にはハッピーエンドが好ましく、王の歌には栄光と勝利が必須だというのに、最初から最後まで見届けさせておいて、それを許す気はないのだから。

 彼は酒瓶を傾けて身体を温めながら、気まぐれに弦を爪弾いた。それは形式だった歌というよりは下品な俗謡のようで、ときおり節を外しながら、だれも聞きとることのできない古い言葉で、夜通し歌われ、響いていた。

***

 朝焼けと共に砂漠の集落はいっせいに目覚め始める。冬の日は短いため、さまざまな雑事を早回しに済ませてしまおうと、庶民や召使たちが洗濯場や炊事場にたち、立場あるものたちは筆を執り、子供たちはそれぞれのできることを探す。

 豊かな家に暮らす少女たちは今朝、すこしばかり寝坊をした。普段よりも遅くまで旅する賢者から勉強のために古い歌を聴かせてもらっていたのだ。両親も召使たちもそれは心得ていて、遅起きの叱責は苦笑まじりの小言に留める。

 旅人は、昼前には発つとのことであった。昼を食べるころには冬とはいえ気温もあがる。その頃合いで出ていくのがよいのではないか、と家の主人が問えば、旅人は微笑んで答える。

「お気遣いは大変有難い。ですが、今日はほどなく雨が降りますので、待っていても大して気温はあがらないのです。雨があがった頃合いに出るのがいいかと思いまして」

 その言葉に、子どもたちは昨晩の約束を思い出し、色めきだつ。

「ならおひるにはおねえさまのお勉強の答え合わせね」
「それまでにかんがえておかなくちゃ」

 彼女たちの午前中の勉強の内容は決まったようだ。主人はそれを善いことだと思いつつも、雨が降るという言葉には半信半疑でもあった。砂嵐の予言はあたったが、この時期に雨はさすがにありえまい。出立の機会を逃し昼時を我が家で過ごしてしまってもいいように、昼の準備は多めに召使につくらせようと考える。

 男は荷物を家におき、杖ひとつ引きずりながら集落の周りをゆっくりと歩き回った。活力のある集落だった。水辺が近く、麦も果実も作ろうと思えば作れる。水辺には生き物も集まるが、魔物は衛兵や流れの冒険者によってきちんと駆除されているようだ。キャラバンが多くとおり、遠くのものが日常的に齎される。大きな倉庫を持った裕福な家にはいつも商人が出入りし、この寒さでも御者たちが軒下で陽気な会話を交わしている。貧者も、そうした豊かな人々にないがしろにされることなく、施しをうけ、温かい毛布を受け取っていた。いい風景だった。強き王が自らの受け継ぐ目の力に苦しみながら人々を守らずとも、過酷な地にあってこうして幸せを享受するものたちがたくさんいる。涙がでそうなほどに、良い時代といえるのかもしれない。

 女神の信仰のもと、人々は多くの神々を忘れ去った。そして、女神と人々がもっと近しく、もっと感謝しあえていた美しい時代のことをも平等にわすれさった。多くの人の幸せは遊戯盤の上の均衡のもとに営まれ、力あるものたちはその均衡の維持を巡って生まれ、戦い、死んで、生き返る。天使や長命の勇者ですらその中で多くを得て、多くを失い、変化していった。最も古く変わることのない悲しみをそのままの形で共有するのは、いまや女神と邪神だけだった。それを、単純に「良い時代」だと言っていいものなのかということまでは、この旅人には判断できなかった。

 男は杖を引きずりながら、旧い言葉をつぶやいた。かしこみかしこみ、申し上げる。ぐるりと町を囲むように線をひき、願いをこめて運命を引き寄せる。男の目からみれば、この時期に珍しい雨を齎すことは、世界の大きな運命の流れからさほど離れたものではない。難しいことではない。

 だがあの頃、妻を失った王が失ったものの大きさを嘆くために涙を流すことは、大いなる運命を大きく捻じ曲げるものだった。王が「世界から色が失われた」と認識すればそのように、「どこにも彼女はいないのにどうしてこの世界が存在する意味があるのか」と問えばそのようになる流れが無理やりにでも生まれるからだ。炎の目は支配の目、彼の嘆きと同じ嘆きを民が共有し、そのひととき大きな運命を狂わせ、世界に災厄がおとずれる。そしてそれが本来の流れに戻ろうとするとき、再び大きな変動がおこる。

 旅人がその国で過ごして数年が経った頃、杉の森から来た王妃は病に倒れた。医師も、神殿の司祭たちも、善き人たちは誰一人としてまだあきらめてはいなかったが、王は王妃の死の運命を予見した。

 その時分になると、旅人は親しみをこめて魔術の申し子(ヘカー)と呼ばれ、多くの民に愛されるようになっていた。地道に魔術師を手元において都を連れまわした、王の策略であった。もうこの国を放ってどこかに行ってしまうことは、情の深い魔術師には難しいことだった。そして王は、その名で彼を呼んで、男に請う。

「ヘカー、おれの目をえぐってしまってくれ」
「次の洪水の時期まで、彼女はもつまいよ」
「おれは彼女の死を嘆きたいのだ。嘆かずにはいられない。そして、余の立場としてはそうするわけにはいかないのだ」
「水は豊かさと活力をもたらす。木々は安らぎと愛をもたらす。だが、炎は破壊をもたらすのだから」

 魔術師は、拒むことができなかった。月神殿の巫女たちと相談し、彼の目を取り除いた。美しく赤くどの宝石よりも輝く彼の目が永遠に失われたことを、王妃と王弟は王に隠れて嘆いた。大切にしている家族が傷ついて悲しまないものは稀だろう。それは王妃であれ、王弟であれ、王であれ変わらないのだ。

 だが、火の神の魂が永劫である、ということを真に知ったのは、王妃が身罷ったその日であった。

 ……と、男が追想するころには、集落をぐるりと一周してしまった。線と線が繋がると、冷たい風が吹き抜け、黒い雨雲がどこからともなく寄せてくる。集落の人々がざわついた。路上の貧者が木々の下や親切な人の軒下に重たい身体を引きずる。戸口をくぐれば、信じられない物を見るように、家長が旅人を出迎えた。

 旅人は笑顔で、子どもたちに声をかけた。

「ごらん、王の涙が降る」

〇〇〇

 さて、君たちは王の涙がなぜその名でよばれるのか。答えはみつかったかい?

 ほうほう、きっと王様は2人の王妃様の死で哀しみを知って、愛する民の笑顔で元気をだすために、魔法で慈しみの雨を降らせた、か。なるほど、いい観点だ。誰かの笑顔は元気の源だね。そして、歌を聴いて思ったことを活かして新しい意見を考えたのはとてもいいことだ。

 おや、きみは違うの?うんうん、きっと王様はとても悲しい思いをして、それでも王様が泣くとみんなが悲しんでしまうから泣けなくて、お空に魔法で代わりに泣いてもらっているのだ、か。それもいい見方だね。最初に君たちがたてた仮説を、歌の情報をもとに修正したかたちになる。そうやって勉強は積み重ねるべきだ。

 喜劇ではこのような形で笑われる。

「おお、愚かなる王よ!なにゆえ民を守る目を失うか!」
「おお、愚かなる王よ!なにゆえ敵を退ける目を失うか!」

「愛する民よ、心して問え」
「愛する民よ、火の神の魂は永劫である」
「火の目は単にその表れにすぎぬ」
「悲しみ嘆くは油を注ぐのみ」

「では愚かなる王よ、それならばなおさらに、目を失いたるはなにゆえか!」
「愚かなる王よ、その目がなくばこの地を守る光なし」
「愛する民よ、臆さず聴け」
「愛する民よ、愛ゆえに余は嘆かずにはいられない」
「火は我が身を焼き、民を焼く」
「そのさまを見るのは余りに忍びない」

「愚かなる王は民をみたくはないと仰せである」
「なんたること、おぞましいこと」
「傍らの巫女は王をとめることすらできなんだか!」
「傍らの寵臣は王をとめることすらできなんだか!」
「ああ、愛しい人々よ、あなた方の道行きに祝福在れと願うばかり」
「ああ、麗しの国よ、健やかに平穏であれと祈るばかり」

「愛する民よ、よく見るがいい」
「火の神の魂は永劫である。王と共に大地を焼く」
「火の目がなくとも土を焼く。火の目があっては泣くこと能わず」
「王の涙で濯ぐべし。焼けたる大地を濯ぐべし」
「汝らの笑みは水面に映り、木々に迎えられるだろう」
「火の目がそれを見るは不要である」

「かくして火の目は王より失われ、王は炎で身を焦がし」
「その火で地を焼く前に、涙で地を潤したのである」
「なんと愚かしいことだろうか!笑わずにはいられようか!」

 うーん、まぁ風刺喜劇の笑いどころなのだけど、まぁ今どきの感性だとちょっと笑えないのはお兄さんにも解るよ。お兄さんも少しばかり複雑だもの。

 でも君たちの考察は、おおよそアタリに近かったんじゃあないかな。強い人は、泣きたいと思っても泣いてはいけないことがあって、それでも人の幸せと両立するように、大きなものを手放すことがあるのさ。そうして齎された慈しみが、いつしか雨の名前として、人々に感謝されたんじゃあないかな。

 ほら、雲間が晴れて光が差してきた。冬の日差しは低いから、綺麗に虹がかかっているね。綺麗な話として終わらせることも、時には悲しい出来事のなぐさめになるのさ。

 歌を聞いてくれてありがとう、可愛らしいお嬢さんたち。貴方たちの道行きに祝福を。この家の皆さんが健やかで平穏でありますように。

***

 男は虹のかかる空を見上げながら、砂漠の集落を旅立った。水場はそう遠くまで続いてはいないが、さしあたりはこの小さな川辺をたどっていくのが便利だろう。

 本当は、王の話はもう少し優しく、もう少し醜い物語なのだ。王を愚かだと非難するものはだれもなかった。王の目は神の力を宿していることを民は信じていたし、王が運命の乙女をこの世の愛する多くの者よりももっとも愛していることは誰の目からも明白だった。

 そして王は、その嘆きを感じれば世界を壊してしまうが、感じなければ自分は善き王で居続けることは難しいという建前ばかりでなく。もうただ、愛しい人が亡くなって、そのままではいられないという確信と、記憶や心を魔術で弄るのはいやだというわがままで、ずっと仕えてくれた巫女たちと、傍らで呆れるしかなかった魔術師と、よくできた国民たちに甘えたのだ。

 降りしきる季節外れの雨の中、魔術師が王妃の死の報をきいて馳せ参じたときには、王は心を嘆きに囚われないよう、支配の力の暴走を抑えんとして、虚ろな眼窩から血を吹き出し、身を走る力に皮膚を裂きながら、魔術を制御していた。力が人々の精神と自由を侵す前に、人々の立つ大地と空に力を散らし、無害なものとなるように。あらゆるものを支配する力を無理やりに捻じ曲げ、砂の表面に走らせ塵芥を天にかきあげ、熱によって大河のしぶきを舞い上げ雲と為し、雨を降らせていた。

 魔術師はようやく傍らに侍り、彼を癒し、力を散らす手伝いをした。眼を取り除いたところで、血脈に受け継がれる支配の力は根絶しないだろうことは、想像がついていた。だが目論見どおり、目を取り除いたことで魔術師の手助けという、「支配」という概念には相容れない他者からの干渉を、身体が受け入れることができるようになっていた。

「火の神の魂の永劫(ジェド=カー=セへメテス)」の言葉を王号とした男は、永劫に力から逃れることはできない。本来、壊れて死ぬまで嘆くことなど許されない、呪われた、祝福された男だった。それをなんとかするために、王は魔術師を雇い入れた。魔術師はそのオーダーにきちんと応えた。ニネチェルでもジェドカヘメトでもない男は、絶望と、嘆きと、虚無と、悲しみと、無気力と、弱音と、全てが損なわれてしまったことからの逃避と、逃避ができない頭の働きへの苦悩に存分に浸り、自らの死まで消費するしかない王としての日常を凪いだ心で過ごす覚悟を手に入れた。

 思えば、魔術師の長い人生の中でも、そこそこの期間を王のために費やしたものだった。とはいえ、やったことは他の雇い主に対するものとかわらない。呪われた人の声に応え、助けた。人助けは習い性だ。

 なぜなら、彼の名は透輝の勇者。透明にして輝くもの。旅をして、人を助ける勇者だからだ。

 雨で湿った川辺の砂地に、白い花がぽつりと咲いている。冬らしくない雨に、冬らしからぬ虹がかかり、冬に似合わぬ花が咲く。とはいえ今は失われた物語ならば、このような場にふさわしいのかもしれない。

 誰も聞き取ることのできない旧い言葉を口遊みながら、勇者は再びあてどもなく歩き出す。軽い足取り、跳ねる抑揚に、アンニュイな気持ちは似合わない。

 さあ、次はどんな話をするとしようか。


END





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