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淵 another side

全体公開 2 5308文字
2020-06-06 23:55:25

都ちゃんの過去作品 淵1~3 を拝読していたら張宿視点がうわっと湧いてきてしまったため、都ちゃんに許可いただいて三次創作させていただきました。都ちゃん、ご快諾ありがとうございました!!

Posted by @satomi8429

都ちゃんの過去作品「淵」はこちらです。
1(http://blog.livedoor.jp/miyako20121/archives/23753059.html
2(http://blog.livedoor.jp/miyako20121/archives/23867069.html
3(http://blog.livedoor.jp/miyako20121/archives/23867529.html

…………………………………………………………………………………………

井宿の術によって祖国へ帰還した七星士たちは、宮殿の廊下を進んでいた。
口を開くものはほとんどいなかった。

張宿の身体は、翼宿が背負っていた。
美朱は張宿の冷たい背に手を添え、その脇を鬼宿が歩く。
三人のあとに、井宿と軫宿が続いた。
張宿は、翼宿と自分の亡骸の横を歩いていた。

すぐ真横で、だらりと下がった自分の足が揺れている。
見上げると、見たことのない険しい表情の翼宿が、じっと前を見つめていた。
皆の足取りが重い。伏し目がちな周囲につられて視線を落とすと、懐かしい朱塗りの廊下が、自分の足元に透けて見えた。

(僕は、死んだ)

つい先刻、自分は箕宿諸共自刃して死んだ。
脈打つ激痛と遠ざかる意識が唐突に断たれ、すべてが闇に閉ざされた。
そうして、気が付いたらここに居たのだ。

話しかけてみても、声はまったく届かないようだった。
体を透かして景色は見えるし、触ってもすり抜けてしまうし、なにより自分の体がぐったりと背負われているのを見てしまっては、確信しないわけにはいかなかった。

(本当に、死んだんだ。僕は。)

悲しみは湧かなかった。
自分は死んだのに、なぜここにいるんだろう、と、ただ不思議だった。

「なぁ。星宿様はまだ知らねえんだろ。どうする」
鬼宿が、声を潜めて井宿に言った。
「二人の最期の気を、陛下も感じていらっしゃると思うのだ」
同じく小声で、井宿が答えた。

星宿様、と聞いて、張宿の胸はきゅうっと痛んだ。無意識に拳を握りしめる。
頼りにしている、と微笑んでくださった星宿様。
こんな自分に期待をかけてくださったにもかかわらず、何もできないまま死んで帰るだなんて。
申し訳なさに、張宿は顔を覆いたくなった。

七星士たちが謁見の間の前に着くと、皆はうなだれたまま、衣服の乱れを直し、埃を払った。
翼宿は背負っていた亡骸をおろすと、両腕に抱え直した。軫宿が、無言で翼宿に手を貸した。

扉を押した星宿は、青ざめた顔をしていた。
ひとりひとりの憔悴した顔を見、翼宿の腕に抱えられた張宿を見た。
張宿は、わずかに眇めた星宿の目を、見ていられずに俯いた。

星宿のはからいで、七星士たちが以前使っていた部屋に戻ることになると、翼宿は張宿の体を抱えたまま、自室には戻らず張宿の部屋に向かった。
皆がそれぞれの部屋へ散るなか、張宿は引き寄せられるように、翼宿のあとへ付いて行った。
足が自然とそちらへ向いたからだ。
理由はわからないが、どうやら『自分』からあまり離れることはできないらしかった。

*  *  *  

翼宿は、張宿の部屋の扉を開けると、扉の前でしばし立ち尽くした。

そういえば、張宿の部屋に来るのは初めてだった。
自分の使っている部屋と基本的な造りは同じだったが、寝台の横に巨きな文机が鎮座している。
旅の間も度々見かけた、机に向かって書き物をしている張宿が思い起こされた。
巨大な机に不釣り合いな華奢な少年が、結髪を揺らしながら筆を運ぶ後姿が幻のように見え、まばたきとともに消える。
現実の両手には小さな、けれどずしりと重い亡骸があった。
その固さ冷たさに、さっき散々流した涙が、また目の奥にこみ上げた。

張宿を寝台に横たえ、靴を脱がしてやると、翼宿は傍にあった椅子に乱暴にもたれかかった。
怒涛の展開に、まだ胸の中が整理できていなかった。
ここに横たわっているのは本当に張宿なのか。悪い夢でも見ているのではないか。

(お頭ん時も、こうやったな)

翼宿は、椅子の上で片膝を抱え、張宿の顔を見ながら、頭の中で呟いた。
先代のお頭が亡くなった時も、翼宿はこうして亡骸のそばを離れなかった。
あまりに眠っているだけのような姿に、これは悪い夢なのではないか。待っていれば起き上がって、驚いたか、と笑ってくれるのではないか。そんなふうに思えて、いつまでも傍を離れられなかった。
そのうち仲間の誰かが、お頭、着替えさせてあげなあかんよな、と言い出した。
山賊の中でも、お頭に近い何人かが、固まり始めてしまった身体に苦労しながら、数人がかりで着替えをした。
翼宿はそれへ参加もできずに、皆がお頭を労わりながら着替えさせるのを、部屋の隅でじっと見ていた。

翼宿がじっと動かずにいると、そっと扉を叩く音がした。
黙っていると、静々と入ってきた侍者が、よろしければお使いください、と、卓に湯気の立つ桶と布を置いて、またすり足で出ていった。湯のたっぷり入った入浴用の桶だった。
そういえばさっき、湯の用意ができたと誰かが言いに来たような気がする。自分は、返事はおろか振り向きもしなかったが。

(そうや。着替え、させたらなあかんな……

翼宿はのろのろと立ち上がった。
鉛を全身にぶら下げているように身体が重く、翼宿はいまいましい思いで外套を脱いで椅子に放り投げた。首に下げた玉飾りも、わずらわしく感じて同じく放った。

湯で布を絞って身体を拭いてやる。
血まみれの衣服を脱がすと、傷はきれいに塞がっていた。
おそらく軫宿が、崩れ落ちる寺院の中で、とっさに傷だけ治してやったのだろう。柳宿の時のように。

腕や胸についた血を、温めた布で何度もこすり落とす。桶の中が紅く染まった。
……よう、頑張ったな」
ぽつりと、言葉がついて出た。ええ男やで、ほんまに。
吐息のように掠れたそれは、そのまま闇に溶け落ちた。
何事もなかったかのような元通りの身体で、それでもなお、もう返事をすることも動くこともない張宿を見て、再び奥歯を噛み締めた。

部屋にあった張宿の服を着せ終え、布団をかけてやると、本当にただ眠っているだけに見える。
断末魔の苦痛の表情は失せ、穏やかに目を閉じている張宿の、しかし頬は白くつめたい。
窓の外では、張宿の頬のように青白い丸い月が、鋭い光を地に放っていた。
月の光がうるさく感じて、翼宿は窓を閉めた。

薄暗い張宿の枕元に、床に直接腰を下ろす。
間近の顔は、寺院を駆け回っていた時、翼宿の耳元で胸の内を吐露した張宿と同じ顔だ。
ーーあれはたった半日前の出来事なのに。
そう思うと、悔しさとやるせなさで、腹の底から喉元までぐつぐつと煮立つように熱いものがこみ上げる。

なんであいつら死ななあかんかったんや。
なんで俺らこないに苦しまなあかんねん。

いつのまにか眠ってしまった翼宿は、悲しみ疲れて見る夢で、怒りに任せて吠えていた。

神獣を呼び出すのがそないに大事なことなんか。
張宿や柳宿の命より大事か。
何のためや。国のためか?
宿なんてまだ十三やぞ。
あいつらの命より国が大事か!


自分の身づくろいをしてくれる翼宿を少し離れて見ていた張宿は、翼宿が眠ってしまうと、そっと傍に佇んだ。
生前憧れていた翼宿の、日に焼けた逞しい大きな手。
いつだったか、細かいことは好かん、と言っていた。
その翼宿が、丁寧に着物を整えてくれる様子に、張宿は胸が一杯になった。
くすぐったく、嬉しいような照れくさいような中に、悲しさと申し訳なさが混ざって滲む。
腕に頭を乗せた翼宿の顔を覗き込む。暗く沈んだ顔色は翼宿らしからぬものだった。
険しい表情のまま眠る翼宿の隣に、張宿はそのままぺたんと座り込む。
すり抜けてしまう身体が、背を丸めた翼宿の身体を支えるように寄り添った。

* * *

どれくらいそうしていただろうか。
眠る翼宿の横で、張宿は目を開いたままぼうっとしていた。
生霊とか幽霊とかいうものがあるのなら、今自分はそういうものなのだろうか。
どうしたらいいのかわからないまま、ただこの場所を、離れがたくてじっとしていた。

扉が薄く開き、光が細く闇を照らした。
来訪者は星宿だった。

隣で翼宿が身じろぎする。
「すまぬ翼宿。起こしてしまったか」
翼宿は目を逸らして黙り、星宿は無言で亡骸の足側に立った。

『星宿様……
張宿は思わず立ち上がり、袖を合わせ、それから礼を欠くことも忘れて星宿の顔をまじまじと見てしまった。
手燭に照らされた星宿の顔は、別れた時の何倍も疲れているように見えた。
頬が痩せ、肩が落ち、目の下の隈が灯りのなかでやけに目立った。

自分たちが不在の間に、国政はどうだったのだろう。困ったことになっているのではないか。
張宿は出立前に危惧していた出来事をいくつも思い浮かべて、右手で包んだ左の拳を握りしめる。

「星宿様」
翼宿の低く掠れた声に、張宿は我にかえった。
じろりと睨むような翼宿の視線に、心臓が跳ねる。
今、来はったんですか、という翼宿の言葉には、怒りが滲んでいるように思えた。
「柳宿と張宿が死んだっちゅうのに」
……そうだな」
「星宿様はそんなに国が大事ですか。国のためいうて、俺らがどんなけきっつい目に遭うたか」
『翼宿さん!』
唸るように星宿をなじり出した翼宿に、張宿は自分の声が届かないことも忘れ、とっさに叫んだ。
しゃがんで翼宿の顔を覗き込む。
「こいつらがどんな風に死んでったか、あんた知らんやろ」
『翼宿さん、やめてください!』
二人の間に割り込んだ必死な声も姿も、しかし彼らには届かない。
「俺らかて死にかけたんやで。……張宿と柳宿を死にに行かせたんは星宿様、あんたや」
『翼宿さん!!』
両肩を掴んで気づいてもらおうにも、この両手はもう掴むことができない。
翼宿の言葉を止められない。
星宿が傷つくことも。
透明な身体で、なにひとつできない自分の不甲斐なさに、涙がこみ上げ、溢れ出た。

翼宿の気持ちも、わからないではない。
大切な人を亡くした時、人は理不尽を刃に変えて、何かを責めずにはいられないのだろう。
柳宿が死んだ時、張宿は刃を自分に向けた。
自分に向けなければ、何かに、誰かに向けるしかない。
でも、その刃を星宿に向けてほしくなかった。

泣きながら庇おうとする張宿の後ろで、星宿が哀しげに言った。
「国を離れるわけにはいかぬが……私は、お前たちが越えた試練を見ていない。朱雀召喚を命じたのも私だ。確かに、私が死に追いやったも同然だな」
『星宿様……
振り返ると、俯き食いしばった歯の隙間から、星宿が呻くように言った。
「私もどんなに。お前達とともに行ければと……
言い始めると、堤が切れたように抑えきれなくなった。
張宿は、星宿の孤独な戦いを想った。

先ほどよぎった嫌な想像は、思い違いであると、張宿はすでに悟っていた。
宮殿に着いてからこの部屋に来るまで、宮殿内の様子は出発前と変わりない様子だった。
ばたばたと走り回る役人もなければ、暗い表情でささやき合う役人もない。
遠くで談笑する侍者もあれば、活気に満ちた表情で闊歩する若い役人もあった。
星宿の様子から、国の危機は確かに迫っているのであろう。
しかし、それは星宿や中枢官吏の働きによって食い止められていたのだ。
他国からの侵略にも、内部での争いにも、辺境の飢饉や疫病にも、そのひとつひとつに手を打ってきたからこそ、宮殿内は以前の状態が保たれているのだ。
星宿の尽力の賜物だった。
星宿も一人、祖国で戦っていたのだ。

星宿が、張宿の亡骸に跪き、くぐもった声で仲間に幾度も詫びた。
言葉を伝えることも触れることも叶わない張宿は、それでも感謝を伝えたくて、畏れ多いことと躊躇いながらも、跪く星宿の背を抱きしめた。


窓の外で、夜が白々と明け始めた。
窓の隙間から洩れる光が朝の訪れを告げていた。

一睡もしていない星宿が、政務に呼ばれて出ていった。
ほどなくして、翼宿もーーじっと張宿の顔を見つめた後、しばし目を閉じてから何かを決意したように開いてーー何度も振り向きながら、部屋を出た。

ひとり残された張宿は、そっと自分から離れると、部屋の中を歩いてみた。
あれもこれもすり抜けてしまうことを確認してはいちいち小さく落胆し、最後に張宿は懐かしい机に向かった。
やはり椅子にも机にも触れなかったが、引き出しに手をかけると、物理的な感触があった。

(触れる……?)

引き出しの中に転がる巻物に手を伸ばすと、それも触れた。
ふと耳を澄ますと、扉の外から軫宿と井宿の話し声がする。次いで扉が小さく鳴った。

(まだできることが、あるかもしれない)

張宿は巻物を掴むと、表題がわかるようにして机の中央に乗せた。



(終わり)


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