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百重城で迷うとある勇者と炎

全体公開 10165文字
2020-06-14 00:31:18

けっこうエーくんでてきてる・・・でもこれはエー君嫌いという話ではなく、エーくんもそれなりに勇者だって話です。

「くそ・・・」
ぬと、と体から血が滴る感覚に、カガチは顔を歪めて、足を動かした。
血を止めたくて押さえた腹から、無意味だと言いたげに体液があふれる。生暖かい腹を抑えて歩く間もじわじわと汗がにじみ、早くどこかで休まないと、と焦りが募った。
だが、止まれば追いつかれるかもしれないと思うと、足が止められない。
(失敗した・・・)
百重城に入る前に、難癖をつけられて絡まれた。それ自体はよくあることだ。
だが、絡まれた相手がよくなかった。
絡まれた相手が魔族だった。
彼らは力も強い。逃げようとしても足も速いものも多く、言葉も通じないことも多いから、適当なことを言って逃げるのも容易いことではない。
逃げそびれ、剣を突き付けられ、腹に穴が開いてしまった。指先もよじれ、関節が折れる方向とは反対側へと曲がっている。
相手が人間だったらこんな事態にならずに済んだのに、と歯がゆい思いで足を動かす。適当な『蟲』をばらまいて逃げたが、彼らはあらゆる身体能力に優れている。血の匂いをかがれて追ってこられてもおかしくはない。
あまり血が抜けすぎると歩けなくなる。早い段階でどこかで休まないといけないと思っていると、あの、と声をかけられた。
誰だこんな時に、とカガチは眼を鋭くして相手に目を向けた。
「ひっ・・・あ、すいません・・・でもその、大丈夫かと・・・おもって・・・」
だんだんと声を小さくしていくのは、金色の髪をした少年だ。額あてをつけているというのに戦士らしさも、剣士らしさもまったくない。
カガチの視線の怯えながら、それでも血を滴らせる姿を見て、緑の眼に心配を滲ませている。
百重城の人間ではないなとすぐに思った。
良くも悪くも、この城の住人は無関心だ。他人というものは、金にならぬ限り興味がない。他人がどこで死のうが関係はなく、訳アリに見えればめんどうだと放っておくことだろう。
「・・・・・・いや、大丈夫だ」
カガチは迷ったものの、大丈夫かと心配をくれた少年を巻き込んでしまう危険性を考え、そう返した。
百重城の住人ではなくこの城のルールに馴染みがない。
そんな来たばかりか、迷い込んだような少年を関わらせてしまうのは可哀そうに思えた。
他人に声をかけるだけの優しさを持っているのは当たり前だ。
そしてその当たり前といえる善性を持っている少年が、けがをしてしまうかもしれないのは気分が悪い。
顔をそらして足を進めようとすれば、見つけた、と低い声が聞こえた。
思わず振り返ると、豚のような、それでいて角をはやしたような巨漢と、それと人間との交じりや、獣人などがいる。それらは一様に薄く笑い、逃げられた獲物を見つけて喜んでいた。
「ずいぶん逃げ足のはえー人間だなァ、おい」
お前らが遅いんだ、という言葉を飲み込んで、鋭くにらみつける。
「・・・金目のものならくれてやっただろ」
何人かは蟲で殺せたようだが、獣人や魔物交じりは毒にも耐性がある。
倒しきらなかったことにくそ、と悪態をつきたい気持ちで、カガチはうっすらと笑った。蟲だってタダではない。
どれだけあれが高価なものだと思っている、と口元を歪めた。
かさかさと放った蟲たちが体に上ってくる。蟲は殺すことも消すことも容易いものではない。だが、弱りはする生き物だ。
「あぁ?」「ふざけんなてめえ」「何人殺した!?」
罵倒とともに剣が抜かれる。
カガチはぞろりと再び体の下で蟲をうごめかした。たらりと垂れるカガチの血に群がり、敵に対して殺意を向ける。
魔法は詠唱に時間がかかりすぎる。唱えている間に死ぬな、と思うと、手持ちの武器になりそうなものを思い起こす。
「や、やっぱり、大丈夫じゃない、でしょ・・・」
ざ、と金色の髪が、カガチの前に立った。
「おい、なんだガキィ」
低い声で恫喝されれば、ひ、とおびえたように声をひきつらせる。小さな背中は震えながら、やめろ、と男たちに言い放った。
「少年、」
逃げろと声を上げそうになったとき、くら、とカガチの意識がくらんだ。
何かに引きずられるような感覚に、思わず眉根を寄せる。
何かが呼んでいる。カガチを昏い谷の底から呼ぶ声だ。カガチ、〈蛇血〉、〈蛇地〉と声もなく、系譜の先を呼び寄せる。
そばへ来い、これを見ろと見たくもないことを見させる。そしてこれを知れと知識を与える。夢見などというものではない。夜橋に立たせて、白昼夢で所かまわず知識の川を見せるのだ。
「どうして、このひとに剣を向けるんです」
何かあったんですか、という真っ当な言葉に、カガチは意識を戻した。
何も呼び寄せるのは今ではなくてもいいだろうと、蟲をぽとりと地面へ垂らす。
「あ?」「どうしてだと?」
その言葉に、男たちは失笑した。
「理由なんかねーよ」
「待てよ、俺たちの前を通ったからだろ?」
「そうだな、あと肉もありそうだしな」
品のない笑いをこぼす男たちに、カガチは少年を早く逃がすべきだったと顔をしかめた。
ここで、誰かを襲うのに理由などない。
百重城はそういうところだ。
前を通ったから。
気分がよくなかったから。
目の前にごみ箱でもあるように他人を蹴り飛ばして殴る。
実際カガチは肉屋に換金しに行く途中だった。
彼らからすれば、森の中で動物を見つけたのと変わりはない。
腹が減れば他人を襲ったとて、周りの人間は無関心だ。ここを歩く以上、それくらいは反撃できなければ死ぬしかない。
あまり力のないカガチが歩ける理由は、『蟲氏』としての名が通っているからだ。
百重城には、カガチの作り上げた至高の一品、キンギョがいる。水子を作って呪いを集約した毒人形は、カガチを好いていた。
キンギョの毒はすべて無差別だ。魔物も何も、苦しめて濃度を調節すれば殺せるし、呪いの力がすさまじいため、幻覚と悪夢で相手を再起不能にできる。百重城で物理的に力のないカガチが歩ける最大の理由はそれだ。
キンギョの作者という肩書は、カガチの安全を保障する。
時にはこうして無差別に襲われることもあるが、カガチを必要とする人間は少なくない。逃げ回っていれば、いずれカガチを襲う側が叩きのめされる。
それがわかっているから、カガチは逃げまどっていたのだ。
最悪、この先の肉屋に駆け込めれば、この男たちは肉と化して終わりだから。
「少年、逃げろ!」
腹を抑えて叫ぶと、小さな顔が振り向いた。
「・・・できません」
困ったような、怯えが浮かんでいた。
そんな、男たちから顔を背けて、カガチに振り向いたままの少年に男が剣を振り上げる。
思わず、うしろ、と叫ぶと、顔を戻しながら、少年は腰に下げた剣を抜きはらった。
がちん、と剣を受けて、少年はそのまま足を踏ん張る。小さく思えた体は、自分の倍はありそうな腕から放たれた斬撃を受け止めた。
「ああ!?どけぇ、ガキィ!!」
怒声に少し震え、けれど少年は顔を上げて、カガチの前に立った。
「怪我をするぞ!」
カガチの声に、大丈夫です、とやけにはっきり返した。
怯えるようなしぐさとその言葉が、妙にあっていない。
ちぐはぐだなと違和感を感じたとき、くらりと意識が途切れそうになった。
(しまっ・・・)
〈蛇血や〉
〈ややこや〉
〈さあ、天つ橋〉
ぐら、と意識が揺らぎ、気が付けば、暗い夜の中に立っていた。
ざざ、と木々がざわめく音がする。光もなく音もない中は谷底の川だ。ざあざあと木々がざわめき、水が流れていた。見えなくても、この暗がりがそれらを見せなくても、水の香りが鼻まで届く。
カガチが立っているのは、木でできた橋だ。朱塗りのかけ橋の上に立たされている。赤い橋には、同じほどの白蛇が巻き付きいていた。橋を握りつぶさんばかりの勢いで、どろりととぐろを巻いて、カガチを囲っている。
そして暗がりには赤い双眸が、爛、と光っていた。
大きな鬼灯のようにぼんやりと光る眼だ。まるで行き先の見えない先を照らすように、カガチのそばで赤い眼を光らせている。その灯りはカガチの背後から巨大な顔をのぞかせていた。
「主殿・・・」
何もこんな時でなくていいだろうと、カガチは白蛇に苦言呈す。聞いているのかいないのか、のそりと首を上げて、その先を眺めていた。
天と地をつなぐ橋。橋はこちらと向こうをつなぐもの。見たくもないものを見せてしまうものだ。一本橋がまっすぐと伸びて、その先を開く。蛇は天であり地であり、そして間をつなぐ。これは虹のその先にあるものだ。
巨大な大地の守護者は、これがいるのだと、説明もなくカガチを連れ去る。それがいつかなど関係がない。地を這い、野原にまします大きな神だ。
山入りは名乗りがなければ許さず、気に入らなければすべてを丸呑みにしてしまう。
いと貴き神は、カガチの言葉など聞きはしない。だからカガチの状況など知ったことではないのだ。
彼らは彼らがしたいときにするし、したいことしかしない。
神とは気まぐれだし、そういうものだ。
「大丈夫ですか!?」
そう声がして顔を上げると、こちらを見つめる少年の姿があった。
だが少年は、こちらに顔を向けてはいるが、カガチを視界に入れてはいない。何か別のものを見て、声を上げている。
ああ、体は置き去りにされたのだとカガチは思った。放っておいたら、好き勝手にされてしまう。早く戻らなければと、ぼんやりとした頭で思った。
〈遠き羽々之国〉
〈夜見の国ぞ、いざ参れ〉
しゃん、と鈴を振る音がする。
もしや死にかけているのだろうかと思うと、カガチは一気に憂鬱になった。
ここがどこかは、カガチにはわからない。ただ死にかけていようがいまいが、時折強制的に連れてこられる場所だ。夢を見ているような不思議な場所で、落ちるように連れてこられる。
戻りかたがはっきりとしているわけではない。それでも今はすぐに戻りたい。戻る方法はいくつかあり、その方法は確立していなかった。
ここがどこかはカガチにはわからない。ただ、地上より深く、死に近い場所だ。それだけはわかっている。
キンギョは降りてはこないだろうか、とカガチは途方に暮れた。
キンギョは人間の死体を使われた、死に近いものだ。きっとここまで来ることができるだろうと思うものの、来てくれる保証はない。
「あの・・・!」
「大丈夫だ」
少年の声にそう返すものの、カガチの声は届いた様子はない。
かなり血が出ていたし、死ぬのだろうかと考えた。
死んだらどうなるのか。カガチには想像もつかない。そのまま死の国へと行くのか、あるいは、こうして神の国を彷徨うことになるのか。それとも本当に消えてなくなってしまうのか。
死が終わりであることは理解している。死にたいと思うことも長くあった。死にかけることも多々ある。終わるならば早く終わってくれと、苦しみに耐える日がないわけではない。
死んだら悲しむ人間がいるのだろうかと思う。そう思ってしまうほどには、カガチから他の人間に執着を返したことはない。
この目でもっといろいろなことを見たかった、と願うのは己の欲だ。夢も目標もないカガチはそんな望みしかなく、それはいつ終わっても仕方がないものだと割り切ってはいる。
〈ややこ、吾子や〉
ずるり、と蛇の体が動いた。
漠然とした不安のようなものを感じ取ったのか、大きな目がカガチを覗き込む。
〈吾らの子〉〈愛い子〉〈はよう、そばへ〉〈はよう〉〈はよう〉
その言葉をカガチは返さない。
うなずいたらだめだ。うなずいてしまえば、連れていかれる。辛うじてつながっている橋から、戻れなくなる。その予感だけはする。
「返事をしてください・・・!」
少年の声にカガチが顔をしかめたとき、ごう、と暗い中に、明かりが見えた。
ぶわりと何もなかった空間から現れたのは、赤い炎だ。じり、と少年を覆いつくように、炎がひとりでに大きくなり、どんどん威力をます。小さな体は炎に覆われ、顔もよく見えなくなってしまう。
燃え盛る炎の威力はすさまじい。蛇よりも強欲に飲み込むことを欲し、犬よりも強烈にかみ砕こうと口を開いている。灼熱の地獄が口を開いて落ちることを望んでいた。
なんだ、とカガチが目を凝らすと、ぎょろりと炎の中に眼球が見えた。
「なんだ、オマエ?」
炎はわずかに顔の形を形成しようとしているのか、鋭い目つきの眼球が炎の中に浮かぶ。そして髪のようにゆらりと揺れる火は、鋭い牙をむき出しにして笑っていた。
「少年・・・?」
これは少年の中にいる何か、あるいはこの少年の本性なのか、と考えれば、外れだと言いたげに、炎が笑った。
「コレはプレイヤー」
俺もそう、とうなずく炎に、カガチは首をかしげた。
「大事な遊び相手」
だから邪魔をするなと言いたげに、炎の威力が増す。カガチを追い払いたいのか、少年を守りたいのか、意図はわからないが、近くによるなと威嚇する。
熱さは感じないが、ごうごうと燃え盛る火に、白蛇が嫌そうに首をもたげた。
「あの・・・!」
先ほどと変わりなく声を投げる少年に、カガチは一つの事実に気づいた。
この炎は、少年のとは別のものなのだ。
そして少年は、こんなものに、とりつかれてまとわれている。
ぞ、とカガチの背筋に悪寒が走った。
声をかけてきた少年がこんなものをまとわせている。声をかけてきたことは、本当に好意や善意だったのだろうか。こんなものに取りつかれている少年が、善意や好意で人助けをするだろうか。
関わり合いになってはまずいものが、声をかけてきたのではないだろうかと思った。すくなくとも、普通の少年がこんなものをまとわせるはずがない。取りつかれるはずがない。この少年は、普通に見えるように取り繕っていただけではないか。
こうなるだけの生きざまが、この少年にはあるのではないだろうか。ちぐはぐに見えたのは、この少年が、とてつもない力を秘めていたからではないか。だというのに、あまりにも普通を装うのに長けていたとしたら。
そう思うと、戻るのも気が引けた。
どうして声をかけてくるのか、カガチにはわからない。
放っておけばいい。むしろ放っておいてくれた方がカガチには安全なような気がしてならない。
ぎょろ、とカガチを眺めていた眼球が、少年に目を向けた。
「うわ・・・っ」
状況は劣勢のようだ。
少年が体を崩して倒れかけた。
こんなものを持っているくせに、どうしてそれを使わないんだと、カガチは顔をしかめた。
「・・・ここから、出たいカ」
ノイズがかかり、低く聞き覚えのいい声がざらつく。
「出れると・・・あなた様のようなものを抱える少年ののもとにか?冗談ではない」
この炎が何かはわからないが、力のあるものだ。ここではカガチの『蟲』たちもいない。目の見えぬものには目の見えぬものをぶつけなければならないのだ。
「お断りだ」
ぎたり、と炎が笑う。蛇が竜のように目を細め、気に入らないと顔を歪めた。正確な顔でなくとも、鋭い敵意が向けられる。
尊大で不遜な目は、上に立つことに慣れているものの顔だ。
まるで地獄の炎の王のようだ。何かを従えることに慣れきっており、一人で玉座に座ることに飽きている。無邪気に遊び相手をいたぶることが、暇つぶしだと言ってのけそうな顔だ。
「あれを助けるなラ・・・返してやる」
少年を助けるなら手出しはしないと言っているように聞こえ、カガチは顔を歪めた。
とんでもない少年に目をつけられた。
こんなものをあっさりと見えないようにしているあたりが恐ろしい。
少しでもこの炎を見やすくしてくれれば、と八つ当たりしたい気持ちがあふれた。しかし体が正直で、恐れを感じて体が動かなくなる。
しかたないとカガチは大きく息を吐いた。
今日は厄日かと目をすがめて、ひたりと炎を見据える。
〈大家、偉大なる谷地の主、天つ日嗣をつなぐもの、お力を給いたく奏上いたす〉
カガチは火と相性が悪い。地を這い、天をつなぐ系譜の血であり、それは水の守護者であるからだ。水が流れるように、大地を流れ、そして進む。大地を巡るのは水。
すべてを焼き、消しさる炎の灯りではない。
光を呼ぶことはできても、火を操るのはたいそう相性が悪くて手間だ。
光は天のもので、力を貸してくれと言えばそれでいいが、火はそうはいかない。
仕方がないか、とカガチはため息をつき、両手を合わせた。じゃらりと数珠を巻きつけ、すうと息を吸う。
「〈ほとほる。ほとほる。いざいざ穂村よ、枯れあくことぞ〉〈走れはしれ。ほとほる灯り、この深き谷底へ落ちてゆこうぞ〉〈ここは夜見の国、月照らさず、星輝かず、見ず泣き叫び、水着く詩の遠きこと〉〈羽々之国より、消ゆるまもなく苦しきあはぬ、嘆きや燃えわたらん、寒けくにはひとりなり〉〈時をおうてすべて忘るる思いなし、さめざめと泣きけるに、さりとて戻ることもなかりければ〉〈いざゆかぬ、谷の底、夜刀の主まします谷地よりも深き国〉」
じゃらりと数珠が鳴る。炎の中の少年を見据えて、カガチは手を伸ばした。
〈蛇血や〉
〈ややこや〉
そう呼ぶ声を振り払うように、カガチは炎の中に手を入れた。
〈遠き羽々之国ぞ、戻りてまいれ〉
「〈陰りを拒む天つ日嗣。我らは天堤、贖罪をゆるがせず行う者ら。邸を守り、里を巡り、郷を回り、言祝ぎの春にて君よかなしと思うことなかれ〉」
がしりと、少年の肩を掴んだ。じゃらりと音を鳴らし、カガチは橋を渡り切る。ここからでていくことに、寂しそうな視線が絡んだ。
けれどカガチはそれらを振り払う。
「えっ」
丸くする少年の眼を皮切りに、カガチの視界に色が戻ってくる。
目の前には橋に立つ前にいた男たちがいた。
剣でつばぜり合いをする少年の力を、カガチは無理やり引きずり出す。
「〈この世は泡沫。ほとほる。ほとほる。いざやいちど、君よかなしと思うても、時をおうてすべて忘るる思いなし。なればこそ、恋し君ぞとあわれぬ世など、儚きものと燃えされ〉」
ごう、と魔物たちに火がついた。
あと一押しがいる、とカガチは少年の肩を握る手に力を込める。じわりと手に伝わる彼の力を吸い上げるように、カガチは眼の裏にあの炎を思い起こした。
尊大で不遜な目は、上に立つことに慣れている赤色。まるで地獄の炎の王のようだった。何かを従えることに慣れきっており、一人で玉座に座ることに飽きている。無邪気に遊び相手をいたぶることが、暇つぶしだと言ってのけそうな顔を。
すう、と息を吸い、カガチは力を込めた。
「〈ここは煉獄。ここは地獄の釜焼きぞ。ほとほれ。走れ。燃え盛れ。今日を限りと君ぞ忘るるか、修羅と散ることもいとわぬ。ああ、遠き国の恋し君よ。焼け清め給え〉」
ごうと炎が男たちを包んだ。ぎゃあ、という声をあげながら男たちが逃げていく。カガチはそこでさらに押すか迷ったものの、くらりと視界が揺らいで、あきらめた。少年の肩を借りてかろうじて立つのが精いっぱいだ。
相性のすこぶる悪い炎をここまで引きずり出せただけでも十分だろう。
そもそもこの少年の力を引きずり出すにしても、こんなに手間をかけなければならないのかと思うと、少年はただ運が悪いのかもしれないなと思い直した。
彼は、神に愛されるように、理不尽に何かに愛されているだけなのかもしれない。
それでも、だからこそ、関わりたくはない。
「・・・はあ」
やりきって息を吐くと、カガチは少年から離れた。倒れそうにふらつく足で、壁にもたれかかろうとすれば、少年が目を丸くしながら慌てて手を出してきた。
「触るな」
拒絶をすれば、でも、と少年が心配そうにこちらを見上げる。
少年自身は悪くないのかもしれないとは思う。だが一度感じたおぞけは取り除くことができない。この少年が怖かった。あんなものに取りつかれているのに、平然と剣で相手をし、人を助けようとするさまがぞっとする。あんな力は使うまでもないのからこそ剣なのかと思うと、この少年が異形のように思えて仕方がない。
「・・・魔法使いだった、のか・・・」
少年は壁にもたれかかるカガチを気にしながら、助けられたと笑う。
「違う」
ひょっとして自覚がないのだろうかと、カガチは眉根を寄せた。
確かにカガチが口にしたのは詠唱に分類されるものだ。端からみれば魔法を使ったように見えるのだろう。
「・・・」
困った顔をして薄く笑う少年を、カガチは持て余した。
拒絶しきるには、あくどさが足りず、そして助けられたことは事実である。
「・・・助かった。だが、あれは、お前の力を借りただけだ」
「え・・・」
ずる、とカガチの体がかしぐ。しまったと思うのと同時、カガチ、と名前を呼ぶ声がした。
「少年、を助ければ、手を出されないと・・・」
炎がそう言った。そう伝える力はカガチには残っていない。カガチへの呼びかけが深い谷の底からの声ではないことに安心し、カガチはふつりと意識を手放した。
次に目を覚ました時、カガチは豪奢な天井を視界に映した。
重い体を持ち上げると、贅をこらした寝床に寝かされていて、その華美さに目を細める。香がたかれた室内は重いような甘さが漂っていた。鼻がだめになりそうだと眉根を寄せる。
「あ、カガチ目が覚めたのね!」
明るい声でそう声を掛けられ、視線を向けると、キンギョがそばにいた。
癖のあるふわふわとした赤い髪を二つに分けて、鶴と亀が刺繍された着物を着ている。裾は膝上までしかなく、その下にふわふわとしたスカートのような、綿のようなものをつめているようにカガチには見えた。
「ダイジョウブ?」
こてりと顔を覗き込まれて、カガチは額を抑えた。
「ああ、・・・ここは・・・」
「リべローダだぜ。悪かったな、俺の家じゃろくな寝床もなくてよ」
そう声をかけられて顔を上げると、豊満な体つきの女が立っていた。胸ははちきれんばかりに布を押し上げ、くびれた腰から曲線を描いている。
彼女こそこの娼館にふさわしい体つきであった。だが、彼女は娼婦ではない。
間違ってそんな扱いをすれば、食肉に加工されて終わりだ。彼女は百重城に居を構える肉屋だった。それも自ら屠殺から加工までを行う肉屋だ。
「ショット・・・が、助けてくれたのか?」
ちがうと彼女はけろりと笑った。
「感謝しておいたほうがいいぜ。一緒にいた少年がポーション使って腹の傷ふさいでくれなきゃ、やばかったんだからな」
高価な回復薬を使ってもらったことに、さらに複雑な心境になった。関わりたくはないが、助けられてしまったという事実が重くのしかかる。
それでも助けてもらった礼をするために、あんな炎にもう一度出会うかもしれない可能性が恐ろしい。
「そうか、少年は・・・」
「もう行った。しかし、不思議な少年だったな・・・」
ショットの言葉に首をかしげた。
彼女は、生きてここを出て行ったんだからな、と肩をすくめて笑った。
「あんなに、この空気になじまないのに、そのまま生きて出られるやつも、不思議だろ」
「有名なのか?」
いや?と顔を傾け、ショットは歯をむき出しにして笑った。
「しばらくは噂になってたけどな。面白がって、ハメようとしたやつもいたんだぜ?だけどな、失敗はしても、落ちねエんだよ」
「・・・」
カガチはやはり気味の悪さを感じた。ちぐはぐさで、どこもかしこも、落ちろとささやく人間が多いこの城で、正気を保ち、そしてそのままの自己を維持していたことはある意味では異常だ。カガチやショットのように、すでに落ち切っているのならまだしも、そうでないのであれば、それらの誘惑に落ちないのはおかしい。ここはそう言い切れるだけの場所だ。
「メインの橋から落ちねえしな。なんつか・・・そう、致命的な失敗はしねえんだよ。まるで本能的にかぎ分けられるみてえに、ガチでやばいものには出会わねえし、深入りもしねえんだぜ」
「キンギョも会わなかったの」
会ってみたかったの、探したのよ、と口の先をとがらせる怪物に、カガチはやはり少年にこそぞっとする。
キンギョがそうであるように、百重城を闊歩する怪物に出会っていたのなら、それこそ余興とか、暇つぶしになぶられていただろう。
キンギョは毒人形で、触れば毒に苦しむはめになる。だが、他人が苦しむかどうかなど、この生き物自身は気にしない。触れるだけで他人を殺すことができるのに、この生き物は無邪気に人に近寄る。
「生きるのがうまい・・・という問題はないな。相当なものに取りつかれていた」
自身が見たものを思い起こしてそう答えると、ふうん、と興味深そうにショットは眼を細めた。
「そんなに面白い生き物なら、縊り殺して、解体してみたかったぜ」
「やめておけ。相当だった。俺が仕入れてきた肉で我慢しろ」
わかってねえなあ、と彼女は呆れたように息を吐いた。
「自分で殺して解体するのがイイんだろーが。それで食うのが最高にイイ」
「そういえばお前とは分かり合えないんだったな」
カガチは呆れたようにため息をついて、脳裏に覚えた少年ともう出会うことがないようにと祈った。


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