むかし書いた話が出てきたので。
@fu_re_re_ra
<あらすじ>
鬱屈した雨の音が屋根を叩く夕方。今日は豪雨でどこにも行けない休日だ。珍しく仕事のない、というよりこの台風の影響で撮影が全てキャンセルになったⅣは、家で絶賛テレビタイムだった。
今日のチャンネル争いの勝者はⅣ。リビングのソファでイリスを膝に抱いて見ているのは動物もののホームドラマだ。
大切な大切な飼い犬、真っ白で大きなホワイトシェパード。余命の短いその犬は、最後、海に流された主人の服を懸命にかじって引き上げて、主人を助けて冷たくなっていく。主人との思い出の岸辺で永遠の眠りにつく犬に、イリスとⅣは揃ってベソベソと号泣していた。
ラストシーン。二人とも凄く感動していて、本当に良いシーンだったのに、途中で凌牙がテレビを消して大ブーイング。
ピッ、と赤いボタンを押せば
「「あっ!」」と声が揃う。
凌牙が消したのは、海で溺れていくシーンが地雷だったからで。
そんな中で、本当に些細な喧嘩だったのに、凌牙は「嫌なら出てけ」と言ってしまう。
口から飛び出たそれを、そのときは、まずい、と思った。せいせいする、とも言った。口の悪い凌牙の悪癖は、けれどいつものことだった。
すうっとⅣの表情が冷えて、けれど、そのあとはイリスの肩を軽く叩いて風呂に促して、いつも通りの夕食が始まった。
本当にそれはいつも通りで、夕食の後、早めに自分の部屋に上がったまま団欒に出てこないⅣに、拗ねているのだろうと、
だから、この家の取り決め。暗黙の了解。翌朝、朝食を作って、好物を作って。それで、謝る、その流れに沿って。
明日。謝ろうとは、思っていたのだ。
夜中、目が覚めた凌牙は、トイレに階段を降りながら、シンとした隣のⅣの部屋を見ていた。
階段を降りたら、とっくに寝付いたはずのリビングの隣のイリスの部屋の戸が、ほんの少しだけ開いていて。
スー、と眠るイリスの寝顔が、隙間から漏れていて
凌牙は。違和感を。
そう、それはまるで、一度寝付いたイリスの部屋の戸を、そっと開けて、寝顔の額をひと撫でしていったような。
リビングの飾り棚の上の写真立てが、一個、伏せてあることに気付く。
強烈な嫌な想像で、耳が、ドクン、ドクン、音がして
伏せられていた写真立てを、あげた、凌牙は。
◇ ◇ ◇
ドンドンッ!と力任せに璃緒の部屋の扉を叩いた。
中からもぞもぞ鈍い音がして、構っていられずに開け放つ。鍵は掛かっていなかった。普段なら大目玉を恐れて誰も勝手に開けたりはしないからだ。真っ暗に照明の落ちた部屋で起き抜けの璃緒が「きゃあっ」っとベッドの中で跳ねた。
「ちょっと!」
凌牙は蒼白で、かろうじて震え声を絞り出した。
「写真がない」
「え?」
「写真が!無えんだ!あいつの母親の写真が無くなってる‼︎」
ほとんど絶叫に近い声で凌牙が叫んだ。
璃緒は事の重大さに気付いてネグリジェで跳ね起きた。リビングの彼の母の写真はこの家で一番の彼の大切なもの。
璃緒は血相を変えて、淡いネグリジェの裾を跳ね飛ばすように猛然と廊下に飛び出した。開け放たれたⅣの部屋のがらんとした不在を知ると、凌牙がまだ呆然としているうちに璃緒は猛然とクローゼットを開け放ち、机を開け、次いで廊下を飛び出して階段を駆け下りていった。
廊下を走る音だけが残って、まだ凌牙はⅣの部屋で呆然と置き去りのままだった。
誰もいない部屋。凌牙たちが何度言っても、曖昧に笑って物を増やすことをしなかったⅣの部屋。凌牙も璃緒もずっと憂いていた。おさがりの家具とベッドがあるだけの、生活感の無い空っぽの部屋。いつもずっと、今すぐにでも去ってしまえるような。
がらんどうの部屋の中で、凌牙は前にも後ろにも進めずに、頭を殴られたような思いで棒立ちでいた。
もう、確かめるまでもなく、Ⅳの不在は決定的だった。
ぽつんと、何も無いテーブルの上に、置き去りになった通帳。
何もない部屋でそれの存在感は薄く、ただ置き忘れたようにそこにあった。
伏せられていた写真立てと同じような、薄い存在感。同じように、手を伸ばして持ち上げるように開いた。
細い字で『使ってくれ』と書き込みがあった。そこには0の桁が違う額と『名義:神代凌牙』の記載が。
喉が悔恨に潰れて塞がる。凌牙は通帳の端を握り潰した。
「こんな、こんなもんが…っ…欲しくて…俺たちは!一緒に居たわけじゃ…っ…!」
「凌牙ッ‼︎ 靴もコートも無くなってる‼︎ Ⅳさんこの雨の中外に出て行ったんだわ‼︎」
喪失に気取られた事実にガタッと心臓が冷えた。
二時間ほど前から嵐は増しに増して、今の外は立っているのもやっとの暴風雨だ。
出て行ったら帰らないと思っていた。そして居なくなる先は生来の家族のもとでしか有り得ないと。いつか今の仮初めの家族を捨て、夢から醒めて奴が元の家族と笑う日が来るかもしれないと。
だが、それこそが夢でしかない。
今の外は出れば帰る保証の無い大嵐だ。
「ッ‼︎ 」
脳裏を走った最悪の想像に任せて、凌牙は階段から跳び下りるように手摺を引っ付かんで駆け下りた。リビングのテーブルから鍵を鷲掴んで走る。
開け放った扉に横殴りにされるほどの豪風だった。まともに立っていられない。璃緒が飛び出して横殴りの風にドアノブに縋り付いた。
「凌牙ッ‼︎ 私も‼︎」
「ダメだ‼︎ お前はイリスと家 に居ろ‼︎」
もし戻って来た時に明かりが無かったら入れ違ってしまう。ドアに縋って無理やり風に逆らって車庫へ歩き出した凌牙に、璃緒は凌牙の言いたいことを汲み取って唇を噛んで必死にドアノブに縋った。風に大きく煽られる扉にぐわりと大きく振り回されて、雨がネグリジェを容赦なく叩いていた。
「帰ってねえ⁉︎」
無理やり発進したバイクで冠水した道路を走る。高速道の上、Dゲイザーの音声出力を限界まで上げてようやく微かに聞き取れる暴風雨。車体が風に煽られてずるっとスリップする。ハンドルを無理に切ってなんとか体勢を立て直したが、前輪は風が吹くたびに横殴りにズズッと滑って危険だ。
『ーーらーーーマス兄さまーーーブレーート』
「アア⁉︎」
また前輪がずるりと滑って、横転しかけた所を必死で立て直す。この大嵐の中走っている車がいないことだけが救いで、もしも対向車がいたらとっくに凌牙は何度も潰されている。
「何だって⁉︎」
視界と耳を塞ぐ雨に、張り付いた前髪を払った所だった。
『────ッから!!』
耳を突き刺したIIIの悲鳴じみた声が、電波を強く拾ったのか一気にクリアになる。
『ブレスレッドの信号が追えない‼︎こっちには来てない‼︎どこにいるのかも判らない!』
凌牙は部屋に残されたベッドの温度を思い出して蒼白になった。
アークライト邸から凌牙達の家までの交通機関は完全にストップしている。電車やバスはおろか車もろくに動いていない。それでも、もう凌牙はとっくにそこまでの道の四分の三は走り切っていて、そこまでの道のりにⅣの影は無かった。
ベッドは完全に冷え切っていた。床を離れてから四時間は経っているということだ。どんなにフラフラと歩いていても家を目指しているならとっくに着いている。凌牙が堪らずに飛び出したのだって、胸を叩く嫌な予感を必死に打ち消すために過ぎなかった。
頭を警鐘がガンガン鳴らす。あいつの実家に居ない。ここまでの道にも居なかった。この先の道はほとんど冠水している。大きな川で、道が分断されてしまっているから。
雨に紛れて再び電波が拾いにくくなっていく中で、プルル、と掛けたDゲイザーを震わせた着信に、
何故か、酷く、嫌に心臓が跳ねた。
『pi──凌牙、凌牙、』
二度三度、確かめるように璃緒の声が響く。家に置いて来たはずなのに、雨に濡れたように蒼白に凍えた声が『落ち着いて、聞いて、ね……』とどうしようもなく震えた声を吐き出した。
『今、ハートランド病院から、連絡が、来て』
ドクン、
と 耳鳴りが した
『川に、落ちて、近くの人が、救急車を呼んだ、って……意識が戻らないから、すぐ、来てって』
世界の崩れる音がした。
◇ ◇ ◇
※Ⅳは川の洪水に巻き込まれたところを運良く助かるが、病院で目覚めるまで凌牙はずっと手を握って懺悔するように震えていて、Ⅳが起きた途端、錯乱して泣き叫ぶ。
「どうして身投げなんかしたんだ」って
「お前まで逝くな」って泣き叫ぶ。
Ⅳは「待て、待て、凌牙待て、待てって」って凌牙をなだめすかして
「違うって、オレは別に死のうとなんかしてない、ただ、写真が」って言う。
回想。フラフラ外に出て、どこか適当なホテルかどこかに入ろうと思っていたⅣは、橋の近くで氾濫にいよいよ捕まって動けなくなる。
閉じたシャッターの前で暴風雨をしのいで雨宿りしていたら、どうしても恋しくて財布から取り出して見ていた凌牙たちと撮った四人の写真が暴風雨に飛ばされて、それを追いかけて橋から落ちた。そして軒下にいた別の人が助けてくれた。
凌牙はまだ泣きじゃくっていて。Ⅳは
「出て行けって言われたって、一緒にいられなくたって、影からずっと見守るつもりだった」って言って。
「ああ、でも」
そう言って目を閉じる。
まぶたの裏に浮かぶ、朝の光景
「でも、毎朝お前らの顔が見れないのは」
こたえる。
まぶたの裏で。
凌牙は食卓で新聞を開いていて、璃緒がイリスの髪をとかしていて。
朝日が差すリビングで、みんな、笑っていて
泣きじゃくる凌牙が「勝手にいなくなんなよ」って「もう俺たちはお前なしじゃ」って、ギャン泣きして
「そうかぁ」って、ふわっと力尽きたように微笑して「いて、よかったのか」
穏やかに眠りに落ちたⅣは、まぶたの裏に朝を浮かべながら。