@toasdm
蛇口から出てくる水のぬるさに、季節の訪れを感じる――これだけならば風流でよろしい、と終わらせられるのだが、事務所の給湯室でそれを感じた雨彦の表情は一言でいうと、げんなり、だった。
「お前さん、氷もらっていいかい?」
「あ、はいどうぞ!」
カタカタと、仕事に精を出している彼女の手を煩わせるのも忍びないのか、雨彦は自分でグラスに氷を入れてそのぬるい水を冷やしている。カラカラ、と何度か回してキンと冷えた水を、ほとんど一息で雨彦は飲み干してため息をついた。
「ふふふ、暑いですもんね」
「ああ……冷たい水がうまいよ」
「冷蔵庫に麦茶冷えてますから、よかったら」
助かるよ、と空っぽになったグラスに氷をいくつか追加して、雨彦は冷蔵庫から麦茶のボトルを取り出した。トクトクと注いだ透き通った夏色を満たしたグラスと共に、空調に飼いならされた空気で冷やされた事務所のソファに腰掛ける。
「もう、そんな時期か……」
うんざり顔の雨彦は、額に冷えたグラスを押し付けて時候を憂う。つぅ、と結露の水滴が伝う額に当たる冷風が、雨彦に快適さをお届けしてくれてはいるものの、外のじめじめもムシムシも、雨彦の苦手な夏を後ろにじりじりにじり寄ってきている。
「冷たいものばかりは体に悪いですよー」
「わかっちゃいるがね」
今はこの冷たさがなによりありがたい、と麦茶のグラスも空にして、雨彦はぐったりとソファに沈んだ。
「この時期からそんなんじゃ、夏はもっと大変そうですね」
「ああ……今のうちに、しっかりスタミナつけておかねぇと、な」
今夜は焼き肉でも食うか、とからから笑う雨彦の暑さ耐性の低さは今に始まったことではなかったが、バテてなにもできないということはないことから、自己管理がしっかりできている人なんだろうな、と彼女はなんとなく思っていた。暑ささえなんとか乗り切ってくれれば、と考えを巡らせて、彼女はふと、最近SNSで流行しているものを思い出した。
「そういえば葛之葉さん、アイスコーヒーって好きです?」
「ん? ああ、美味いな。コンビニの冷たいカフェオレなんかもいい」
「だったら、アイスコーヒー凍らせてみませんか?」
「アイスコーヒー?」
むく、と体を起こして、雨彦は彼女の話をじっと聞く。
「ええ、アイスコーヒー凍らせてそこに牛乳注ぐと、時間が経っても水で薄まらない最後まで冷たくて美味しいアイスカフェオレができるんですよ!」
「へぇ……なるほどな」
そいつはいいことを聞いた、と打ち合わせを済ませて帰宅した雨彦は、製氷皿にアイスコーヒーを注いで氷を作った。
「ん……」
ただの凍ったコーヒーだな、と風呂上がりにひとつ摘んでガリガリとかじり、雨彦は当然のことを思う。甘みもつけずに凍らせたせいで、噛み砕いて飲み込んだ後の口の中は、コーヒーの香ばしさと苦味だけがすっきり残るだけだった。こいつに牛乳を注ぐんだったな、と冷蔵庫から取り出した牛乳をグラスの黒い氷の上から注ぐと、氷から少し溶け出した琥珀色がマーブル模様を描いていて、なんともいえないよさを感じる。
「映える、か……」
ゆらゆらとゆれるコーヒーカラーのゆらめきをいくつか写真に収めて、雨彦は喉の乾きに任せてそれをおもむろに、一気に――。
「っん……!? しまった」
こいつは、溶けるまでゆっくり時間をかけて楽しんで飲むものじゃなかったか?と思った時には、空っぽのグラスの中でコーヒーの氷が申し訳無さそうにカラ、と音を立てている始末だった。
「っくくくく……ははっ、あー駄目だな、これじゃ、ただの牛乳、っふ、くく……!」
一人ひとしきりツボって笑って、雨彦は少し白くなった黒い氷のグラスを写真に収める。先程の、映える写真と一緒に、情報提供者の彼女に送りつけてから、雨彦は牛乳を追加する。今度は一息に飲まずにリビングに移動して、意外と反応の早かった彼女の「もしかして一気しちゃったんですか!?」にくつくつと喉を鳴らして笑った。ソファに腰掛けてスマートフォンを操作すると耳にそれをあて、雨彦はくるくるとグラスを回して氷を溶かした。
「お疲れさん、今大丈夫かい? ……はは。ああ、一気にいっちまったよ。こいつは俺には向かないかも知れないな。――ああ、二杯目さ。二杯目はゆっくりいくつもりだぜ。――そうだな、お前さんとこうして話していれば、ゆっくり飲めそうだと思ってな。迷惑だったかい?」
程よい濃さのまま、他愛もない話の合間にちまちまと飲んだ二杯目は、ちゃんとしたおいしいアイスカフェオレだった。