「俺ももっと緊張するかと思ったんだが、案外いけるもんだな」
初主演の舞台挨拶で堂々と挨拶してた雨彦さんに緊張しないコツを聞いてみたお話。
@toasdm
そりゃまあ、当然か。葛之葉さんだってちゃんとした大人だもんね。
試写会会場の舞台挨拶で堂々と、珍しく敬語を使って出演映画の魅力について語る雨彦を見て、彼女は至極当然のことを思った。普段自分と話す時は多少砕けた雰囲気だが、今は仕事、舞台挨拶だ。
「っははは、まあ、俺の体だとスタントマンが見つからなかったもので、全て体当たりのアクションでした」
場の空気を和ませつつ、見どころのアピールをしながら期待を煽る。あまり口が立つ方じゃないんだがね、と眉尻を下げていたいつかの雨彦を、彼女は脳内で「この嘘つき」と肘で小突いていた。初主演映画の舞台挨拶であんなに堂々としてる人は、口が立つって言ってもいいと思いますよ、と。
「はぁ……」
「お疲れ様です」
試写会が終わって楽屋に捌けてきた雨彦は、どかっとソファに身を投げ出す。大役と言うほど大役ではなかったものの、並み居る出演者の中で最年長の雨彦は、勝手に色々と背負っていたようだ。お疲れさん、と彼女に返した笑顔には、充足感と共に僅かな疲れが見えるような気がした。
「堂々としていて格好良かったですよ」
「そうかい?」
仕事以外じゃ馴染みがないんでね、と言っていたネクタイを片手でぐいぐいと緩めると、雨彦はきっちり詰まった首周りを開放して息を吐く。そういえば普段はもっとゆるい格好ばっかりだったっけ、と思いだしてくすりと笑う彼女を見上げて、雨彦はばつの悪そうな顔をした。
「なんだい?」
「いえ……ふふ、緊張しないんですね、葛之葉さんって」
「そうさな……」
緊張感で死んでいる、という表情には全く見えないし、舞台上での雨彦は堂々としたもので、余裕があるように見えた。さすが年長組、とその落ち着きを見直した彼女に、雨彦は少し考えて続けた。
「俺ももっと緊張するかと思ったんだが、案外いけるもんだな」
「へー……何かコツとかあるんですか?」
それは、何気ない質問だった。でもやっぱり葛之葉さんくらいだったら、そんな緊張とか元々しないんじゃないですかね、と続けるつもりの緩衝材的な質問だった。しかし雨彦はその緩衝材を柔らかく受け止め、真剣に考えているようだ。
「コツ、と呼べるかどうかはわからないが、ああいう場ってもんは俺が一人で立ってるわけじゃないだろう?」
「そう、ですね……?」
ふ、と目を閉じて、雨彦は口元を緩めた。
「オーディションで共に競ったライバルも、制作に関わってくれたたくさんのスタッフも、共演者も、もちろんお前さんもそうだな――みんな、一緒に立ってるもんだと俺は思ってるよ」
その閉じた瞳は、瞼の裏にどんな像を投影しているのだろうか。雨彦に穏やかな表情をさせているたくさんの人々の姿を映しているのかもしれない、と思うと、雨彦の言葉が途端に輪郭をくっきりとさせる気がした。
「だから、あそこに立っているのは俺だけじゃない、そいつらも一緒にいるんだ、って思えば心強くてな……もちろん、半端な仕事はできねぇって気合も入るが、だいたい一人で仕事してきた身としては、あんなにありがたいことはないぜ」
「……なるほど」
「緊張はそれなりにするが、それよりも――」
す、とゆっくり瞼を開けて、雨彦は彼女に目線を向ける。達成感のきらめきをまとった瞳を嬉しそうに細めて、雨彦はニッと歯を見せて笑った。
「嬉しいのさ。ああやって、表舞台に立つのも悪くない、って思えるのが、な」
緊張感を「嬉しい」と楽しむ余裕があるって、それって相当落ち着いてるってことじゃないのかな?
雨彦の表情は何度見ても満足げにしかみえないし、緊張感を楽しんでいると言われてみると、ああやっぱりそうでしたか、と納得してしまうような気がした。
「じゃあ、たくさんお仕事取ってきますね」
「っはは、ああ。頼むよ」
まずは飲み物買ってきます、と楽屋を出た彼女を見送って、雨彦は一人、顔を覆った。
「緊張、するのは得意じゃなくてね」
俺は未だにお前さんと二人きりになると緊張するんだぜ、と呟く雨彦にはその緊張感を、楽しむ余裕はないようだ。
それはもしかしたら、彼女に向かう時の雨彦が、仕事ではない気持ちで彼女を見ていたせいかもしれなかったが――今のところそれを知っているのは、雨彦一人だけだった。