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鬼丸国綱実装おめでとう ~鬼丸と髭切の関係性について~2020/2/28 13:30

全体公開 3092文字
2020-07-12 11:06:16



取り急ぎですが、鬼丸と鬼切(髭切)の関係性・共通点についてまとめ
このふたり、わりと気が合うんじゃないかなぁっていうのが私の印象です
ついにきました鬼丸国綱。天下五剣が一振り、名工・国綱作の太刀。名前も逸話もどことなく似てる鬼丸国綱と髭切、両者の共通点を中心にまとめました。雑・抜けもれご容赦下さ




まずは鬼丸国綱についてざっと説明します。

・鬼丸国綱
第五代執権 ・北条時頼(在職1246-1256)の命により、粟田口国綱が打った太刀。14代北条孝時まで伝わったとされる、北条家の家宝です。国宝等の指定はありませんが、現在は御物(皇室の私有品)として鶴さんたちと暮らしています。

粟田口?そう、藤四郎兄弟たちのパパ、粟田口吉光にとって、国綱は自身のおじいちゃんの兄弟にあたります。正確には、吉光=国綱の兄弟・国友の息子である則国の3人息子の1人です。

「鬼丸」という名前について。初代執権・北条時政が夢で小鬼に苦しめられていたところ、夢に「国綱の太刀」を名乗る翁が現れ、「錆を取ってくれたら鬼を退治する」と語りかけたそう。時政がその通りにしたところ、立てかけていた国綱の太刀がぐらりと倒れ、鬼の形をしていた火鉢の足を切り落としました。そして夢に小鬼が出ることもなくなり、これが名の由来になったとか(「太平記」 より)。

鬼丸国綱は北条家の家宝として14代執権・北条高時の元まで伝わりました。その後、高時の次男・時行→その兄・邦時→邦時を討った新田義貞の元へと伝わります。その新田義貞も斯波高経に討たれ、鬼丸(と当時一緒に在った鬼切=兄者)は斯波に分捕られました。
やがて鬼丸は足利家の重宝として秘蔵され、織田信長→豊臣秀吉→徳川家康などそうそうたる面子の元へと行きますが、結局は本阿弥家により秘蔵されました。1881年、宮内庁に返還。明治天皇に献上され、今は皇居御物となっています。



それではここから本題。【兄者と鬼丸国綱の関係性について】です。

まず、兄者と鬼丸の関係ポイントについて。
①鬼に関する逸話
②新田義貞の元で一緒だった
③北野天満宮の鬼切丸(髭切とされる刀)の作刀は安綱だが、銘が「国」に改ざんされている


①鬼に関する逸話
鬼丸国綱については前述したとおりです。髭切はというと、源満仲の家臣・渡辺綱が橋姫と呼ばれる鬼の腕を斬ったことにより「鬼切」と改名されたといわれています(「剣巻」より)。「太平記」にも、若干違いはありますが、ほとんど同じようなエピソードが残っています。鬼の角を持って顕現した鬼丸を見て、兄者に流れる鬼切の血がむくむく湧き出たりしないか。その点は多少心配。

②新田義貞の元で一緒だった
新田義貞(1301年-1338年)は鎌倉時代後期から南北朝時代の武人です。1333年5月に挙兵、150年続いた鎌倉幕府を滅亡に追い込み、後醍醐天皇による建武新政樹立に貢献しました。この鎌倉攻めの際に、新田義貞は鬼丸・鬼切両刀を手に入れたといいます。なんて贅沢なんでしょう。

では鬼丸と鬼切にとって、新田義貞はどんな人物といえるのか?
まず、鬼丸国綱について。彼は北条時頼の命で打たれた「北条家の家宝」でした。1199年1月、鎌倉幕府を開いた源頼朝が亡くなると、執権職を世襲して鎌倉幕府を支えた一族です。そしてその北条家が滅亡に追い込まれたのが、1333年に起こった鎌倉攻め。つまり鬼丸国綱は、主を滅ぼした男の手に持たれることになったというわけです。

鬼切(兄者)も似たような境遇にあります。自身の元主・源頼朝が開き、以来150年続いた鎌倉幕府を滅ぼした新田義貞。鬼丸同様、主(が遺した鎌倉幕府)を攻撃した人間の手に渡ることとなったのです。

だからこのふたり、案外気が合うというか、「あの頃大変だったよねぇ」ってしみじみ語り合う関係性になるのでは?と思ったりしています。回想解禁まであと48時間


③北野天満宮の鬼切丸(髭切とされる刀)の作刀は安綱だが、銘が「国」に改ざんされている
審神者にとって、「髭切の刀」=「北野天満宮の鬼切丸」のイメージが一般化していると思います。この太刀「鬼切丸 別名髭切 伝安綱」の作刀は、伯耆国(現在の鳥取県あたり)の刀工・安綱といわれています。聞いたことありませんか、安綱。そう、あの天下五剣が一振、大包平永遠のライバル・童子切安綱の作刀でもあるのです。童子切と兄者の関係性も調べるほどに奥が深くて好きなのですが、今回は割愛します。

この鬼切丸ですが、彫ってある「安綱」の「安」部分が「国」に改ざんされている形跡が見られます。いったいなぜ?wikipedia「鬼切安綱」の中で、下記のような推測が述べられています。

//quote//
さらに最上義光の時代には名刀や名物刀剣の存在が大名の間で知れ渡っていたと思われ、安綱の名を見出すことができないが、国綱の名があり、国綱の太刀は希少価値があり優秀な作品の一つとして選定されていた。最上家では童子切安綱という新たな名物が生み出されたのと相まって鬼丸国綱に紛れるような「鬼切丸国綱」を創出したのではなかろうかと私見を述べている。
//unquote//

つまり、最上義光の時代には国綱が名高い刀工として知られており、鬼切安綱を国綱に改銘することで価値を高めようとした、ということでしょうか。「最上義昭歴史館」のサイトにも似たような記述があります。刀工を意識しすぎた結果ではないか、と。

真実か否かはおいておいて、正直、なんともいえない複雑な気持ち。だって安綱作の鬼切丸、すごく色気があって美しいんですよ。作風から見ても明らかに安綱の打ったものと判断されていて、それを当時名高い別の作者のものにしようとしちゃうのは。そのままのあなたが好きなのに、そのままでいいのに、などと思ってしまいます。当時の人たちの考えにもいろいろあったんでしょうけど。でも逆に言えば、兄者より少し時代を下って生まれた鬼丸国綱、ひいてはその作刀である国綱がどれだけ高く評価されていたかということですよね。

兄者はこのことを、どう思っているんでしょう。私は兄者の「名前なんてどうでも」ってスタンスは、「剣巻において名前が移ろい」「名前を変えた人間の勝手で弟と離れ離れになり」「だからこそ、自分たちは兄と弟である、それさえ確実ならいいじゃない」と思ってそう、という考えなので、この改銘についてもそこまで深刻には捉えていないのかなぁと考えています。うーんでも、鬼切丸も髭切の物語の一部。自身を打った作刀(のひとり)である者の名前を変えられちゃうのは、やっぱりいい気せんのかな。だとすると回想、「おや、君があの国綱くんねぇ」とか静かに不穏な空気が流れたりする?ううんそれも、ちょっと見てみたいかもしれない。滅多に感情をあらわにしない兄者の、静かなお怒りモード




鬼丸・鬼切の関係性エピについて、取り急ぎまとめたものは以上になります。正直、頼朝以降の兄者の歴史にはあまり詳しくなくて、北条貞時寄進状までしかちゃんと把握してません。新田義貞の元へ渡る経緯も「?」なので、機会があれば調べてみようと思います。最上家→北野天満宮への経緯もちゃんと調べてみたい。

ともあれ決戦は2日後ですね。待ってろよ鬼丸国綱。なにがなんでも我が本丸に来てもらって兄者と回想して膝丸と鶴さん交えてこたつでミカン食べてもらうんだからな!来年は豆まきもしてもらうんだからな!待ってろよ鬼丸国綱!(二度目)




参考文献
「太平記」
「剣巻」
「源氏兄弟考察本」さよのすけ
「刀剣目録」小和田泰経
「最上義昭歴史館」公式サイト(「歴史館だよりNo13」)
Wikipedia「鬼切安綱」「鬼丸国綱」「新田義貞」
名刀幻想時点「鬼丸」「鬼切」「髭切」
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