@toasdm
「おかあさん……?」
「せめて性別は間違えないでくれないか」
苦笑が頭を一気に覚醒させる。バッ、と跳ね起きた彼女の腹筋に舌を巻きながら、雨彦はサッと体を避ける。
「おっと」
「うわあ!」
お前さん、威勢がいいな、とまた苦笑されて、彼女は全てを理解した。
昨晩、雨彦が泊まっていってくれた。
しとどに酔いつぶれて、ぐでんぐでんになった記憶はあるものの、詳細はあちこち抜け落ちている。お前さん、酔うと酷いな、と笑う雨彦のその台詞は、確か眠りにつく直前にも聞いた。ような。気が、する。
「ぅぅ……」
「ほら、水」
跳ね起きる元気はあったものの、その体には幾ばくかの昨夜の「無茶」が残っているようだ。ずきん、ずきん、と拍動に合わせて痛む頭は、手渡された水を飲むと少しだけおとなしくなる。すみません、とむくんだ顔に触れてみたが、べたつきはない。
「メイクなら落としてやったぜ」
「ふが」
飲み干したコップをひょいと取り上げた雨彦は、さも当然といったていでそう告げる。ばっ、と思わず自分の体を検めてみたが、着衣に乱れはないものの、しっかりちゃっかりルームウェアに着替えさせられていた。
「手は出さなかったよ」
「なっ、ば、あっ」
みたんですか、と目で訴えれば、さてな、と目線を逸らしてはぐらかす。繰り返すが着衣に乱れはなく、メイクは落とされ丁寧にスキンケアまでされているようだった。
「すみ、ません……」
「据え膳はいただく主義なんだがね」
笑う雨彦に手を引かれて、彼女はのろのろと、彼女の目を覚ました香りの満ちたリビングへと歩く。とてとてとついてくる彼女の手を握りながら、雨彦がどんな顔をしているのかを、彼女は知らない。
「わ……え?」
「食えそうなら食ってくれよ、空きっ腹じゃ薬も飲めないだろう?」
食卓に並んでいたのは、やはり彼女が感じたとおり、お母さんの朝ごはんだった。
「そんっ……えぇぇ」
ほかほかと湯気を立てる味噌汁の中身は、どうやら蜆貝のようだ。ほわん、と甘い香りの漂う分厚い卵焼きには、ネギが入っているようだ。炊きたてのご飯をジャーからよそって、トン、と彼女の前に置く仕草も、たんとおあがり、と穏やかに微笑む顔も、漬物、味噌汁、卵焼き、ご飯、と一般的な家庭の和食が並ぶこの光景も、どうみても今の雨彦は――。
「お母さんじゃん」
「性別からして違うぜ」
いただきます、と手を合わせた雨彦に倣って、彼女も慌てていただきますと手を合わせる。
「………ほぁぁ」
ずず、と一口すすった味噌汁が、二日酔い気味の体全体に一気にすぅっと染み渡る。私、しじみのお味噌汁好きだったっけ、と首をひねる彼女の前、雨彦は世話焼き顔で彼女に言う。
「二日酔いにはしじみって言うだろう?」
「うち、しじみなかったと思ったんですけど」
「お前さんの家は近くに二四時間営業のスーパーがあって助かるよ」
話をまとめると、つまり。
泥酔した彼女のスキンケアと着替えまで済ませてスーパーに買い出しに行って、朝は早くに起きて朝食を用意してくれた――と、いうことになる。
やっぱりそんなの雨彦さん、どうやってもお母さんじゃないですか、とぼそっと言った彼女に、雨彦はしじみの貝殻を上手に避けて味噌汁をすすって答える。
「こういうのは、スーパーダーリンって言うんだろう?」
「んぶっ!?」
そのドヤ顔やめてください、と漸く笑うだけの体力が回復した彼女は、そのスーパーダーリンが用意してくれた朝食のほとんどを平らげて、同じく雨彦が水まで用意してくれた二日酔いの薬を飲む。
しばらく寝てろよ、とベッドに転がった彼女に布団をかけてやる雨彦は、彼女にとってはやはり、スーパーダーリンというよりも、お母さん、の方がしっくりくるような気がした。
二日酔いの痛む頭でも、それだけはなんとなく、わかる気がした。