風花雪月 金鹿 クロードとベレスで第一部の夏前ぐらいの一幕…みたいな…
@syuu_29
木々はまだ鮮やかな緑だが、昼の陽射しが日に日に強くなり、次の季節の訪れを感じる頃のことだった。
食堂のほうからやってきた担任教師が何故だか枕を抱えて歩いているものだから驚けば、食堂に落ちていたのだと言う。たしかに枕を自室から持ち出す姿よりも、今と相変わらず感情の読めない顔で食堂の片隅から枕を拾い上げるベレスの姿を思い描くほうが容易だ。
「あんたが枕を持ち歩かなければならないほど俺たちが手を焼かせていたかと焦ったよ」
クロードの冗談にベレスは首を横に振った。
「おかげさまで毎晩快眠だ」
「そりゃよかった。しかし、ずいぶん欲深いやつの落とし物だな」
「欲」
なるほどと神妙な顔で繰り返すのがおかしくてクロードは笑いをこらえたが、そうした反応に慣れているのか無頓着なのかわからないが、ベレスは枕を抱えたままなにやら頷いている。
「それで落とし主を探してるのか?」
「いや、落とし主はわかっているから届けてあげようと思って」
しかし何の変哲もない枕だ。羽毛がたっぷりつめてあるぐらいで、持ち主が特定できるような特別製には見えない。
「名前でも?」
「どこでも昼寝したがるのを隠さない生徒が何人もいるとは知らなかったが――」
君のほうが情報通だろうと揶揄する言葉にクロードはにやりとした。
「担任殿は鋭い。しかしあんたもすっかり先生だな」
行き先は同じだと歩幅を合わせ、クロードは寮へ向かう彼女の足取りに並んだ。
部屋の主は留守だった。ノックに返事がないので扉を開けたベレスは不在を確認すると堂々と部屋に入った。
開け放たれた扉から覗けば、本や物が乱雑に置かれている部屋だが、寝床はきれいだ。部屋の主にとっての寝床は知識にも不可侵の場所らしい。
ベレスが手帳の頁を破いて書き置きを残すのを横目にクロードは部屋の入り口で腕を組み、部屋に積まれた本のタイトルをいくつか拾い読む。傾倒しているのが紋章学なのはすぐにわかる並びだった。そのなかに図書室で探していた一冊があるのに気づき、又貸しでもしてもらうかと頭の隅にメモをする。そして、このぶんなら他の本もあるかもなと関係のありそうなキーワードを考えるのに思考が奪われた瞬間のことだ。
ふいに細い腕が伸びてきて、クロードの頭に触れた。いつの間にか距離をつめたベレスの手だった。
不意を突かれて言葉もなく瞬けば、やはり変わらぬ表情で摘まんだ木の葉を見せられる。柔らかな陽射しでさえ葉脈が透けると知っている葉の形に、自分の髪についていたのだろうとすぐに思い当たった。
「猫みたいだね」
言いぶりからすると、どこで過ごしていたのだかお見通しなのかもしれなかった。木の葉を受け取りながら「出会い頭に教えてくれていいのに」とクロードはため息を漏らした。
「意地が悪いぜ、先生」
「ごめん。君はさほど気にしないと思って後回しにしてた」
「ま、たしかに気にするほうじゃないが」
「それに、どこかで寝れているならいいかと思って」
「へえ」
君の部屋は寝台の上まで本が積まれているから、と今しがた出てきた部屋と比較してベレスが言うので、思わず声にからかいの色を乗せてしまった。
「――お詳しい」
大聖堂の学生寮で不在の自室に鍵をかける者は少ない。誰の部屋であろうが自由に入れる。とくに教師ならば誰も見咎めたりもしない。
部屋で会ったことはなく、てっきり覗きに来られたことはないと思い込んでいたが、しかし考えてみればリンハルトの部屋だってノックはしたが躊躇いなく踏み込んだのだ。目の前の教師は、きっと一度はすべての部屋に入ったことがあるのだろう。もっともそれは教師ではなく傭兵の習いかもしれないが。
「いや、案外あのまま寝れるんだ」
「ちゃんと片付けたほうがいい」
「たしかにあんたの部屋は片づいているもんな」
「詳しいね」
同じ事を言い返す言葉は相変わらず淡々とした物言いだが、それでも唇の端が緩んでいた。たしかな、しかし微かな微笑み。
己の失言と、彼女の口元にあらわれた微かなそれの両方に驚き、クロードは足を止めた。不思議そうに首を傾げたベレスの足もつられて止まった。
ベレスの私室は他の教師と違って、学生寮の一室で、やはり他と同じく開け放たれている。だがクロードはまだ踏み入れたことはなかった――少なくとも、表向きには。
「……褒め言葉として受け取っておくが、今のは忘れてもらえるとうれしいね」
「べつに気にしてない――なんならこのあとお茶でも飲んでいけばいい」
ちょうどそんな時間でしょうと事もなげに言うが、立場が逆なら、これは交渉に違いない。
しかし彼女がそうしたやりとりが苦手なのだろうことはまだ数節の付き合いでもクロードには十分すぎるほど伝わっている。父親の庇護のもとにあったせいなのか、傭兵育ちにしてはこの新任教師は交渉ごとが下手だ。いまヒルダの甘えたお願いとやり合えているのは単に頑固だからであって、交渉ごとが上手だからではない。
だからこれは単なる気まぐれな誘いでしかなく、例えこの誘いに応じなくとも、クロードにとっての不都合は起こらないだろう。それに、そもそもこうして何のてらいもなく人を誘うこの気やすさに警戒心を抱くのはなんだか馬鹿らしく感じられた。
わずかばかりの逡巡の後にクロードは肩をすくめた。
「ありがたいお誘いだ。部屋から茶菓子を持っていくよ」
「それは、毒味を頼んで構わない?」
「安心してくれ、先生。あんたに盛りたい毒はまだないよ」
ついこぼれた言葉にふむと考え込みそうだったので、クロードは「まあ、俺好みの茶葉でも選んで待っていてくれ」とその薄い肩を叩いて無理やりに誤魔化した。