@acbh_dmc4
レオナルドは溜まっていた絵画の仕事をようやく全て納品し、開放感を感じて軽い食事とワインをひっかけてから帰路に就いた。
今宵は風も優しく吹いていて、気持ちの良い夜だ。このまま月夜を肴にもう少しだけ飲んでも良いかもしれない。
工房の寝室から覗く月を見上げてレオナルドは機嫌よくベッドに腰かけた。
すると、急に雲でも出て来たのか、目の前の風景が暗く影を落とした。
ワインを取りに行こうと浮かしかけた腰をもう一度落ち着け、窓を不思議そうに見つめると、コンコンと控えめなノックの音が聞こえて来た。
目を凝らしてよく見ると、白いローブに身を包んだ、レオナルドの親友が窓枠に掴まって手を振っていた。
慌てて窓を開けると、レオナルドの親友―――エツィオがにこやかに挨拶をした。
「こんばんわ、レオナルド。悪いんだけど、ちょっと泊めてくれないかな?」
「エツィオ!まさか窓から来るなんて、もしや、追われているんですか?」
「いいや、そういう訳じゃないんだけど…」
歯切れの悪い友人をとにかく窓から部屋へと通して、レオナルドは1階にワインとグラスを取りに行った。
仕事終わりのこんな気分の良い夜に、仄かに想いを寄せる友人が訪ねて来てくれるとは、今日はなんていい日なのだろう。
勿論エツィオはレオナルドの気持ちは知らないし、どういう訳か与えられる好意に適度に鈍い親友は、レオナルドの熱い視線の意味について考えもしないのだけれど。
少しだけ切ない気持ちを隠しながら、浮足立ってワインと先日買ったばかりの美しいヴェネツィアングラスを2つ手に、寝室へと戻る。
部屋の扉を開けると、エツィオはフードを脱いでぼんやりと椅子に腰掛けていた。その愁いを帯びた顔は、ため息が出る程美しい。
「随分お疲れのようですね。ちゃんと休めています?」
「…休めれば良いんだけどね。この身の上じゃあ難しいかな」
「それなら狭いベッドで良ければ貸し出せますよ。今夜はゆっくり休んでください」
「いや、俺はこの椅子で良いよ。結構どこででも寝られるし」
酷く疲れていそうな友人は、たまに余所余所しく遠慮する。傍に居てもどこか一線を引かれているようで、こうして遠慮されるたびに寂しく思う。
彼の身の上からすれば仕方がない事とは言え、レオナルドは歯がゆい思いで親友を見つめた。
しかし折角来てくれた親友を簡素な椅子なんかで休ませるわけにはいかない。レオナルドはエツィオの手を引いて半場強引にベッドに座らせた。
「調度依頼されていた絵画も納品して工房は暫く休みなんです。私の事は気にせず、ベッドで休んでください。でなけりゃ私は床で寝ますよ!」
「すまない、レオナルド。…助かる」
少しだけ申し訳なさそうに微笑むエツィオにホッと胸を撫で下ろし、持って来たグラスを渡してワインを注ぎ入れる。
彼が腰かけているベッドに椅子を引き寄せてから座り、上機嫌に笑んで「Cincin!」と乾杯を告げると、やっとエツィオも小さな笑みを見せ、ホッと息を吐いた。
少しでもエツィオの気が休まればいいと思い、ワインを呷る彼を見つめる。
エツィオはやはり追われていたのか、アサシンローブのあちこちが埃や泥で汚れており、マントからチラリと見える左腕には小さな擦り傷が見受けられた。
そんな彼に着替えを渡してやろうと思い、クローゼットの中から比較的綺麗なシャツを一つ選ぶ。
ズボンもあった方が良いだろうかと、一番ゆったりできそうなものを選んでからエツィオに差し出してみた。
「寝間着にどうぞ。怪我などはあります?」
「有難う。怪我は左手をちょっと擦っただけだ。大丈夫」
「では、念のため拭いておきましょうか」
解剖など、医者の真似事のようなことをやっている関係で、この工房にはクスリの類も充実している。
薬箱の中からアルコールの瓶を取り出して、清潔な布に浸み込ませ、左手の傷を軽く拭く様に消毒した。
治療が終われば、エツィオは渡されたシャツを着るべく、ローブを脱ぎ始めた。どことなく後ろめたい思いと、彼の鍛え上げられたしなやかな筋肉を興味津々で観察してしまう。
訓練を積んだ兵士のような無骨さはなく、さりとて全体的にしっかりとバランスよく筋肉がついている。
たまに任務中の屋根の上や壁を登っている彼を見かけるたびに、民衆から「豹のようだ」等と評されているのを聞くが、成程、ネコ科の獣を彷彿とさせる。
獲物を狩るのに特化した強靭な身体つきだ。
「…レオナルド、そんなにキラキラした目で凝視されると着替えづらいんだけど…」
「いえ、すみません。そこらに居る番兵とも違う筋肉の付き方でしたので、思わず観察してしまいました。是非ともモデルを頼みたいくらい美しい身体ですね。良い筋肉は力を抜くととても柔らかいのですが、エツィオのはどんな感じです?ちょっと触ってみても?」
「俺、解剖用の死体じゃないんだけど?」
呆れながらも両腕を広げて惜しげもなく胸筋や二の腕などを晒してくれる。
どういう感触かを確かめるために二の腕や胸の筋肉を押したり摘まんだり、筋をなぞってみたりすると、エツィオがくすぐったそうに笑い声を上げてから体を引いて触るのを中断されてしまった。
「くすぐったいからお終いだ!で?俺の筋肉って良い筋肉?」
「ええ、猫みたいな筋肉ですね。弾力があって、柔らかです。道理で鎧を着たまま泳いだりできる筈です。無駄な筋肉もなく、理想的な肉体じゃないでしょうか」
エツィオは嬉しそうに「それは朗報だ!」と納得すると、シャツを羽織り、次にズボンを履こうとしたが、そちらはサイズが合わなかった。
「やはりズボンは合いませんでしたか」
「レオナルドが嫌じゃなければ下は履かない方が俺は楽だけど…」
「ええ、なら楽な方で大丈夫ですよ。ワインをもう一杯飲みますか?それとも食事が必要では?」
「いや、大丈夫だ。有難う」
大分リラックスしたのか、朗らかに笑う。そのあどけない笑顔にこちらも癒されるようだった。
エツィオはごろりとベッドへ横になると、シーツを胸のあたりまで引き上げて身体をレオナルドの方へ向けた。
まるで寝物語を強請る子供のように無邪気な顔で「何か話してくれ」とリクエストされる。
さて、疲れている友人の子守歌代わりに、直ぐに眠くなるだろう小難しい書籍の事でも話したものか、と考えたが、期待の籠った目で見上げられ、楽しい話をしてやろうと考え直した。
何を話したものかと辺りを見渡すと、机の上に無造作に放られていた、自身の走り書きのメモが目に入った。
それはたまの息抜きに書き綴ったモノで、今の友人にはぴったりのものだとレオナルドは思った。
「そうですね、では私が古代語の翻訳をした物語なんてどうです?ベッドタイムストーリーとしてはとても良いですよ」
「古代語?それは興味深いな」
「ええ、そうでしょう?では、このページが良いかな。ふむ。……うーん」
レオナルドは羊皮紙を覗き込んだが、雑に走り書かれたそれは自分でも判読が難しい。
小難しい古語の翻訳文を判読しなければならないとは、本末転倒だと思ったが、そのメモの単語を1,2個拾い上げて何が書かれていたかを思い出す。
確か取るに足らないとても短い小話だったから内容は覚えている。
翻訳した本の内容とは多少細部が違っても、ベッドタイムストーリーなのだから多少アレンジしても問題はないだろう。エツィオの安眠を助けるためのお話なのだから。
「では、今私が持っているこの羊皮紙が思っていそうなお話からです…」
『ひどいじゃないか、ぼくをこんなに汚してしまうなんて』
一枚の紙がインクに文句を言いました。するとインクが得意顔でこう答えました。
『違いますよ。私は貴方の上に言葉を綴ったのです。これでもう貴方はただの紙ではありません。人間にとって大切な紙になったのですよ』
それから暫く経って、弟子たちが机の上を片付けにやってきました。紙くずやごみは、集めて燃やしてしまいました。
ところでこのインクに汚されたと思った紙は、今、ここにあります。弟子たちはこれの意味が分からないながらも火にくべたりなどしませんでした。
なんせとても重要で素晴らしい知識が書かれた紙だったからです。
「…もしかして、それには写本の翻訳も書かれていたのかな?」
「ご明察ですね!うっかり落書きみたいに古代語の童話を書き写してしまいましたが、こちらはエツィオが2回目に持ってきてくれた毒のブレードの翻訳が書かれているのです。弟子には色々書かれているメモと自室の記入のある用紙は捨てないよう、再三言ってありますからね!まぁ、捨てたそうに見られている事はありますが」
「あはは、落書きなのか研究のメモなのか、一見したら分からないからなぁ。弟子たちもヤキモキしてるんだろう」
「酷いですね。まぁ、ちょっとばかり散らかっていますが、どれも必要な位置に置いてあるんですよ!」
エツィオは愉快そうに笑うと、続きを促してきた。
まったく、こちらの話を信じていない様子にレオナルドはむくれて見せたが、次の話を思いついたので話して聞かせる事にした。
「フクロウが木に止まっていました…」
鷲は高い空の上から降りて来て、そのフクロウを揶揄いました。
『お前はなんて名前だい?おふくろ?違う。手袋?違う。
なに、フクロウだって?袋もないのにフクロウか。はははは。見れば見る程おかしな顔だ!』
鷲は言いたい放題。もっとからかってやろうと、フクロウに近づいて行きました。が、それが命取り!
鷲が飛び移った枝には鳥もちが塗ってあったのです!鳥もちは、わしの羽にベタベタとくっついて身動き一つできません。
それを見てフクロウは笑いました。
『お前さん、馬鹿だねぇ。きっと殺されるよ。
そりゃあアンタは立派な鳥さ。だからわざわざこんな下まで降りて来て、私をからかう事はなかったのに。自業自得というものさ』
「そう言ってフクロウは飛び去って行きました」
「…レオナルド、それって仕返し?」
「人を笑うとそのうち人に笑われますよという教訓です!」
ツンと澄ましてそう告げれば、エツィオはまた可笑しそうに笑って「肝に銘じよう」とお道化て言った。
私は重々しく頷いてそうするようにと弟子に言いつける師匠のように答えを返した。
「なぁ、次はロマンチックな話が聞きたい」
「ええ、そうですねぇ。うーん…ああ、ではこれなんて良いかもしれません。岸辺の百合。これは綺麗に清書してあるんです」
緑の川の岸辺に百合の花が咲いていました。
水に映ってゆらゆら揺れる白い百合。水は、百合の花に恋をしました。
『恋人になって下さい』
小波、さざ波、波は水の涙です。
水はさわさわ泣きました。
波、波、大波。水はざぶりと岸辺の上まで溢れました。
可憐な白い百合の花は、水に抱かれて溺れ、ああ、死んでしまったのです。
「…美しい詩だな」
エツィオは優しく、切なそうな顔をしてレオナルドの話に耳を傾けていた。
彼の今まで愛してきた女性たちの事を想っているのだろうか。少しだけチクリと心がさざめいたが、レオナルドはその心に気付かないふりをした。
「貴方が好きだろうと思いました」
「うん。愛は…時に残酷なものだよな…愛を得るために争ったり…憎んだりするんだ」
そう寂しそうにつぶやく彼の心がここにはない気がしてレオナルドは面白くないと思った。
彼を取り巻く愛憎はきっとレオナルドの理解する域にはないのだろう。それが少しだけ悔しかった。
「…では、愛のお話をもう一つしましょうか」
一人の仙人が、森の中でひばりと暮らしていました。
ある日、お城からのお使いの者が来て、仙人にこう申しました。
『王様は酷いご病気で、お医者様はもう助からないだろうと言っております』
仙人はひばりを連れて王様のお城へやってきました。お部屋に入るとひばりはぱっと舞い上がり、窓にとまって王様の顔をジッと見つめました。
仙人はひばりを見てにっこり笑って言いました。
『王様は間もなくお元気におなりでしょう』
ひばりは病人を一目見ただけで助かるかどうかわかったのです。もし助からないときは、病人からプイっと目を逸らしてしまうのです。
そればかりではありません。このひばりは人の体から病気を抜き取る素晴らしい力が備わっていました。
王様はひばりのお陰で元気になりました。
愛の力もこのひばりと同じです。
愛は、悪い事や汚いものを見つめません。愛は、正しい事や美しいものを見つめるのです。
正しい、美しいものが、もしひどい仕打ちにあっている時は、益々燃える。それは、暗ければ暗い程、明るく輝く灯火と同じです。
「…貴方を見ていると、私はとみにそう思います」
エツィオはレオナルドの言葉に僅かに目を瞠り、それから考える様にベッド脇に視線を落とした。
「貴方は、愛のために戦っているでしょう?家族の仇を討つのは、ひとえに愛の為ですし。そしてそれはとても正しい事だと思います」
「……そう、古代語の…本にも書いてあったのか…?」
「創作したものもいくつかありますが、愛に関しては大昔の賢者も至言を遺しているのですよ。後は翻訳者の匙加減ですが」
「…そうか。誰に許されなくとも、君がそうして味方になってくれるなら…耐えられそうな気がする」
ふわりとした微笑みを見せる、彼の言葉に心臓を鷲掴まれたような衝撃を受けた。己は、エツィオにどこまで心を許されているのだろう。
明らかにあの処刑の日から心を閉ざし、暗く影を落とした彼の心の拠り所に、少しでもなれているのだろうか。
そんなことを思っているレオナルドの事はつゆ知らず、エツィオは一つあくびを零すと、うとうとし始めた。
相当疲れていたのだろう。エツィオの肩までシーツをかけてやると、小さく「おやすみなさい」と声をかけた。
さて、自分は下の工房にある長椅子にでも横になろうかと、背を向けた瞬間、服の裾をクイっと引っ張られた。
何か伝えたいことでもあるのかと肩越しにエツィオを振り返れば、もう完全に瞼は閉じている彼が、なんとか伝えようと回らない口をもぐもぐと動かしていた。
少しだけ期待をして、エツィオの顔の近くに耳を近づけた。
今にも寝息に変わりそうな彼の熱い息がこそばゆい。ドキドキしながら彼の言葉を慎重に待った。
「そ、…だ……写本を、手に入れ、て……」
「え?エツィオ?!なんですって!!?」
聞き捨てならない単語にレオナルドはカッと目を見開き、鬼気迫る様相でエツィオの肩に片手をかけた。
言葉の途中でとっとと夢の国に逃避行した親友を揺り動かして、写本の事を聞こうとしたが、ぐっすりと眠ってしまって全く起きない。
まるで人参をぶら下げられて焦らされる馬の如く、もどかしい気持ちでエツィオと彼の荷物が置かれている机の上を交互に見つめた。
いくら親友とは言え、彼の生業は到底自分が首を突っ込んでいいものではない。
その為、勝手に荷物を漁って彼の信用だとか、機密事項を知る事の危険性のはざまで盛大に揺れた。
しかし、エツィオが要らん事を言わなければきっと彼の持ち物を改める事など無かったのだ。
明日何か言われたら、ベッドを譲ったことを含めてお礼として許してもらおう!と決意して、エツィオのローブと腰のポーチの中身を漁った。
写本のような大きめな巻物はローブのどこにも吊るされていた様子はない。
ポーチの中身についても、全部ひっくり返してみたが、特に見当たらなかった。
一瞬手紙のようなものを写本かと思って開けて見てみたが違うので元に戻した。
一体愛しの写本はどこにあるのか!と、冴え渡り切ってしまった頭でレオナルドの眠れぬ夜が更けていったのだった。
***
おまけ
「エツィオ、昨日眠り際に写本を手に入れたって言ってましたよね?!」
目が覚めると爛々と目を光らせたレオナルドのドアップが目の前にあった。
何でここにレオナルドがいるんだろう?と夢心地で大好きな親友の顔を眺めていると、業を煮やした親友が両手で頬をむにゅっと挟み、さらに凄んできた。
そういえば昨夜、レオナルドの喜ぶ顔が見たくて写本の話をしたかもしれない。近い顔にちょっとだけドキドキしながら、昨夜言いかけた続きを話すことにした。
「ああ、うん。写本見つけたけど、持ってこなかったから今度持ってk」
「今すぐ!持ってきてください!!もう気になり過ぎて昨夜は眠れなかったんですから!ほら見てください!ウサギのように目が真っ赤でしょう?さあエツィオ!さっさと宿代を取ってきてくださいよ!今すぐ!」
朝の挨拶だってしていないのに、キレ気味にレオナルドから追い立てられて慌てて宿に写本を取りに戻った。
「全く、意外とレオナルドは人使いが荒いよな。…人の気も知らないで」
ブツブツ文句を言いつつ写本の束をかき集める。
そういえば着替えもまともに出来てなかった。ズボンは昨日履いてたアサシン装束の物だが、シャツはレオナルドに借りたままだ。
「うーん、昨日は急にレオナルドに逢いたくなって押しかけたから、悪いことしたな。これをレオナルドの所に置いておこう」
写本とともに予備の寝間着をカバンに詰めて、突発お泊りセットをレオナルドのタンスに仕舞おうと計画するエツィオなのであった。