@toasdm
帽子屋は帽子屋であって紅茶屋ではない。だからとびきり美味しい紅茶を淹れることはできても、とびきり美味しい紅茶の茶葉を作ることはできない。だって俺は帽子屋だからな、とタウンの片隅の紅茶専門店で、帽子屋は手にしたバスケットの中を紅茶の缶でいっぱいにしていた。
「こいつはあのイカれた坊主に、こっちはあのイカしたネズミに」
カコン、カコン。缶がぶつかって小気味の良い音を立てている。それはさながら、帽子屋の今の気持ちを現しているかのようだった。
「そして、こいつは――…」
とりたてて、高級な珍しい茶葉ではない。
もちろんフレーバーも、ありふれたどこにでもある、バニラの香りだ。ふんわりと甘くて、とろけるような豊かな香り――ただそれだけの、普通の紅茶だ。それを愛しげに手にとって、帽子屋は微笑む。
「こいつは、愛しい愛しい、君の為の紅茶だ」
山積みになった紅茶の缶の中、帽子屋にはそのひとつが、特別だった。レジの店員がいくら愛想のない接客をしたって、ありがとうございましたの一言に見送られなくたって、帽子屋にとって紅茶とは、どんな味かよりも誰と飲むかの方が重要なのだから、全く気にならない。だってそうだろう、と空に問う。
だってそうだろう、俺は君とお茶がしたいんだ――。
うきうきとバニラを連れて、帽子屋はいかれた帽子屋の店に戻る。あちこちに散らばった布切れ、糸くず、型紙に帽子の骨組み。それらを蹴散らして道を作って、さあさあ、お茶がお帰りだ、と店の奥へと入っていく。薄暗い店の奥の奥、ドアを抜けて中庭へ出れば、そこが帽子屋にとっての「なんでもない特別な」ティーパーティーの会場だ。
「アリス、ねえアリス」
嬉しそうな音を響かせて、帽子屋はハンモックで眠るアリスを呼んだが、返事はない。眠っているのかい、と紅茶を置いて近づいて、帽子屋は柔らかな金色に縁取られたアリスの寝顔をじっと覗き込んだ。
「アリス、お茶の時間だよ。君にぴったりのお茶を選んできたんだ」
近づいて、膝立って、その金色のひと束を、黒のグローブの人差し指にくるくると巻きつける。
「ああ、アリス」
その名に愛しさと執着を絡ませて、うっとりと帽子屋が呼びかける。君はなんて可愛いんだろう、と目を細めて、人差し指に巻きつけたアリスの金の髪にそっとキスをひとつ落とした。
「君の香りが紅茶になってしまえばいいのに」
そうしたら俺は、紅茶を飲む度に君を思い出す、君も自分の香りの中に俺を見つけてくれるだろうか、とうっとり眺める帽子屋の目の前、ふせられていたまつげがぴく、と動いて、うぅん、とまどろみを、鈴が鳴るような声が破った。
「帽子、屋さん……?」
「おはよう、アリス、お目覚めかい?」
壊れた懐中時計を取り出して、帽子屋はくるくるとその針を回す。時間を合わせてアリスに見せて、ニィ、と口元を歪めて帽子屋は言った。
「時間ぴったりだ、お茶の時間に間に合うよ」
「ん……ふふふ、あなたはいつも、時間をぴったりにしてくれるのね」
そう言って、アリスはふわりと、花が咲くように笑うのだ。キュン、と胸の奥が小さくなってしまったようで、帽子屋は思わず目線を逸らす。
「あなたがそうやって起こしてくれるから、私甘えてしまいそう」
「いいんだ、甘えられるのは好きだからね。懐けば野良犬だって可愛いけど、君が懐いてくれるならもっと――」
そこまで言いかけて、帽子屋は口を噤んだ。ああ俺は今何を、と目を泳がせる帽子屋の前、アリスはハンモックからぴょんと飛び起きてニコッと笑う。
「もっと、なあに? 私も可愛い? 懐かなくても?」
「し、質問が多いよ」
唸りながらでは、そう告げるのがやっとだったのか、帽子屋はとうとう帽子を脱いで顔を隠してしまった。
「うぅん……」
「なあに?」
隠した顔、照れた帽子屋の独り言は帽子だけがそのもごもごを聞き取っている。不思議がって首を撚るアリスの前に出せる顔になるまで、ややしばらくかかってしまったが、帽子屋はなんとか帽子を被り直す。さあお茶にしよう、とその場は誤魔化し、アリスをテーブルに座らせて、帽子屋はいそいそとお茶の用意を始めた。
「おっと、角砂糖は帽子の中にしまっておいたんだったかな」
ふわふわのバニラを辺りに漂わせながら、帽子屋は脱いだ帽子をがさがさと漁って角砂糖の瓶を探す。おや、ここにはなかったようだ、と帽子をテーブルに置き、この下だったかな、と今度はテーブルクロスの下に長身を縮こまらせて潜り込ませた。
「帽子屋さん?」
「うぅん、ちょっと待っていて」
こっちかな、あっちかな、とこの狭いテーブルの下であちこち探しているのがおかしくて、アリスはくすくすと笑い出す。
「こら、笑ってないで」
「ごめんなさい、でも――」
テーブルクロスをぺらりと捲くりあげ、顔を出した帽子屋の顔が必死であれば必死であるほど、おかしみがじわじわとこみ上げてくる。ちゃんと俺が砂糖を探し出せるか応援していて、とおかしな頼みごとを任されてアリスが、テーブルに肘をついてくすくすと笑った、その時だった。
「キミガ ソンナ カワイイコトヲ イウノガ ワルインダ」
え、とアリスは、帽子屋に大変よく似た声のする帽子屋の帽子をひっくり返す。ひっくり返すと今度ははっきりと、帽子屋の声が聞こえてくる。
「キミガ ソンナ カワイイコトヲ イウノガ ワルインダ」
「えっ……あ、えっ?」
ああ、砂糖なんて永遠に見つからなければいいのに、と、テーブルの下で帽子屋は、小さくなって震えて真っ赤になっている。
「ええ、っと……」
アリスには、ひとつその不思議に思い当たる節がある。それはさっき、本当についさっき、照れた帽子屋がこの帽子で顔を隠してもごもごと言っていた、そのもごもごを拾っていたのはこの帽子だけだったはず、という事実だ。
「…………帽子屋さん?」
おずおずと、アリスが尋ねても、帽子屋はなかなか出てこない。それどころか、返事すらない。
「お砂糖は?」
仕方なく、アリスは帽子屋を探してテーブルの下に潜り込む。
「…………ねえあの帽子」
「ああそうだ帽子の中かもしれない」
「わあっ」
砂糖砂糖、と慌ててテーブルの下から這い出した帽子屋を、アリスは慌てて追いかける。飛び出したアリスが目にしたのは、さっきの喋る帽子に君は口が軽すぎるんだ、と言って聞かせている帽子屋の姿だった。