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ストロベリーナイト

全体公開 11688文字
2020-11-15 22:32:00

鄧艾司馬師(とちょっと杜預周旨)
いつもの(説明が雑)

 鮮やかな赤いコートの背を、トンと軽く叩く。首にはコートの色合いよりは幾分か落ち着いた、緑のマフラー。後ろ姿からは、若々しい青年っぽい印象を受ける。
「あ、やっぱり。鄧艾さんだった」
 振り向いた男の顔を確認して、周旨は安堵する。2回程度しか面識のなかった人を、見間違っていなかったことに。
……あ、ええと。周旨、さん」
「周旨でいい。俺の方が年下なんで」
 ニカリと周旨が笑顔を見せれば、真っ直ぐこちらへと向き直った鄧艾も、わずかながら口角を上げた。本人は笑っているつもりなのだろう。
「では、周旨。お久しぶりです」
「おう」
 軽い挨拶を交わしてから、周旨は改めて鄧艾の姿を、頭からつま先までじっくりと眺める。目立つ色合いのダッフルコートは、ガッチリした体格な男のシルエットを可愛らしくし、マフラーの柔らかな緑色も若々しさを演出していた。一言で言えば、めちゃくちゃに幼く見える。
 少し、意外だった。鄧艾はこういう可愛らしい格好をするタイプには、思えなかったから。どちらかと言えば、全身黒一色コーデみたいな、落ち着いた服装を好むようなイメージだった。
今日はお休みですか?」
「ああ。土曜だからな」
 彼の服装について言及しかけた言葉を、周旨は一瞬の間を置いてゴクリと飲み込む。個人の趣味に立ち入るほど、自分は鄧艾と親しい関係ではなかったから。
 結果、当たり前のことを質問してしまう形になった。部署も勤務地も違えど、同じ業種で同じ会社なのだから、お互い休日は土日祝である。
「買い物ですか。何、見てたんです?」
 声をかけた時、鄧艾はちょうど目の前のショーウィンドウを覗き込んでいたところだった。周旨はひょいと首を傾け、彼の後ろのディスプレイを見る。
「あ、クリスマス!」
 一目で分かる。そのウインドウ内に飾られているのは、赤と緑に彩られたクリスマスグッズの数々であった。そういえば、もう十一月も下旬。そりゃあ、街はどこもかしこも、クリスマスムード一色に決まっていた。
「はい。そろそろ、リサーチも兼ねてと思いまして」
 敬称なしで構わないとは、つまり砕けた口調でオッケーという意味だったのだが、鄧艾は相変わらず周旨に敬語口調だった。これが彼の性分なのだろうと、周旨は特に気にしないことにした。
「へえ。鄧艾さんとこはクリスマスやるの?」
「はい。人並みには。好きなので」
 鄧艾の返答には、主語が存在しなかった。しかし、鄧艾がクリスマスみたいな浮かれたイベント事を好きな風には到底、
思えない。となれば、恐らく彼の同居人もとい、恋人がそういう類を好むのだろうという結論を、周旨は瞬時に脳内で導き出した。
「ちゃんと準備してあげるなんて、鄧艾さんマメですよねえ。ウチのもイベント事は好きなんですけど、俺はさっぱり興味がなくて」
「まあ、自分も興味はありませんが」
 そう言いつつも、鄧艾の手にはブランドのパンフレットが。どう見たって彼には不似合いなそれらが、誰のために集められたものであるかは明白である。
「そういえば、今日は一緒じゃないんですね。えーと、司馬師さん」
「はい。本日は、ご実家の方に戻られていらっしゃいまして。明日まで帰って来ません」
「なるほど」
 杜預曰く、鄧艾は基本的に休日を恋人と過ごしているそうだ。そんなに四六時中、一緒で息が詰まったりしないのだろうか。と、一人の時間も欲しいタイプの周旨は思うのだった。
「んじゃあ、これからメシでも一緒にどうです?」
「ええと、はい。構いませんが
「よし、じゃあ決まり!」
 周旨は景気良く、鄧艾の背中をポンと叩いた。神経質な気質の人は周旨のこの馴れ馴れしさを嫌うこともあるのだが、どうやら鄧艾はそうでもないらしい。
 と言うよりも、彼からはあまり好きとか嫌いとかいう感情を感じられなかった。そういえば、杜預はこうも言っていたっけ。鄧艾は自分が関心のない分野に関しては、とことん主体性が無いのだと。
……もしかして、その服、彼氏さんが選んだ?」
「はい。そうですが?」
「やっぱり」
 先ほど聞かなかった疑問を、周旨は確信を持って問うた。予想は大当たり。多分、鄧艾はファッションに興味が無いのだろう。恋人が選んだのならば、本人の趣味と異なっていそうな格好にも得心がいく。
「あ。あっちの方のファミレスでいいです?」
「ええ。どこでも」
 食にも興味ナシ、という感じの返答。ならば、彼は何になら関心があるというのだろうか。周旨は間を繋ぐための話題を、思考を巡らせ探した。
 何せ、鄧艾は先ほどからずっと、こちらが話しかけるに応えるだけ。目的地へ向かって、並び歩き始めた今など、もはや無言なのである。
「クリスマスプレゼントとか、やっぱ送るんですよね?」
「そうですね。毎年」
 結局、いい塩梅な話のタネが思い付かず、周旨はまた、恋人との仲を詮索してしまう。ここで仕事関係の話題を持ち出すのもナンセンスであるし、そうすると、適当な共通の話題なんてこれくらいしかない。
「ウチも杜預がクリスマスは絶対やる!派で」
「そういえば、今日は杜預のことはいいのか?」
「ああ。いいのいいの。子供じゃねえんだから、放っといてもメシくらい一人で食べるでしょ」
 周旨は残念ながら、恋人に対してマメでもなんでもないため、一人でいたい時は一人でいる。勝手に、外でメシも食う。一応、先ほどサラッと夕食はいらないとLINEはしておいたけど。
「まあ、めんどくさいけど。俺も毎年プレゼントくらいは用意してやんねーとな、と思って。鄧艾さんとこは、どうやって選んでます?」
 ぶっちゃけ、面倒ですよね。プレゼント選び。周旨が愚痴を溢せば、鄧艾はわずかに渋い顔をして頷いた。
「それが。例年、事前に希望をお伺いしていたのですが
「ですが?」
「今年は、自分で考えて選べ、とのお申し出で」
 そう言って、鄧艾は難しい表情で頭を数回、わしゃわしゃと掻く。その瞬間、周旨はうっかり口から出かかった一言を、既のところで飲み込んだ。めんどくせえ。心の底から、そう思った。
「それで、色々お店を物色して悩んでいたと?」
 神妙に鄧艾はまた、頷いた。彼はめちゃくちゃ真面目な人なんだな、と周旨は感心する。もしも、自分が恋人に同じような無茶を言われたら、即答で拒否していただろう。間違いなく。
「正直に申し上げて。分からなくて」
「司馬師さんの好きなものとか、鄧艾さんはよくご存知なのでは?」
「それはそうなのですが」
 周旨よりよっぽど恋人に対して献身的そうな鄧艾なら、相手の欲する物くらい、容易に見当がつきそうに思えた。
「欲しいものは何でも、司馬師様はご自身で手に入れることができます。なのに、わざわざ自分が買って差し上げる必要性があるのかと考えると
 何を贈れば良いのか分からなくなってしまうのだと、鄧艾はまるで深刻な悩みのように、周旨に告白した。なんとも生真面目な男だことだ、と周旨は再び感心する。
「うーん。別に、何でもいいんじゃないんっすかね」
 周旨が軽い調子で答えたところで、ちょうど目の前の信号が赤に変わる。互いに、横断歩道の前で立ち止まる。相変わらず沈黙のままの隣の男の顔を、周旨は少し見上げ気味に覗き込んだ。
「杜預だって、俺よりよっぽど金持ってんで。欲しいものがあるなら自分で買えよ、って感じなんですけど」
 周旨の稼ぎでは、杜預が普段、当たり前にように使っている高価な品の数々を、少し背伸びしないと買えない。加えて、自分の趣味に合うものが欲しいのであれば、自分で選んで購入する方が断然良いに決まっていた。
「でも、誰かから貰うものが特別だっていう気持ちも理解できるんで。それが、大事な人からの贈り物だったら余計に」
「特別……
 自分の口から出たクサい台詞に、ちょっと恥ずかしくなりつつも、周旨は話を続ける。間もなく、信号は青に変わった。周囲の人の歩みに揃えて、周旨と鄧艾も足を運ぶ。
「同じものでも、違うんですよ。そこに籠められている想いとか色々。だから、彼氏さんは鄧艾さんから貰ったものなら、なんでもいいって気持ちだと思いますよ。多分」
 鄧艾は視線だけをこちらに向け、真剣な面持ちで周旨の言葉に耳を傾けていた。その内に信号を渡り終えて、あとはすぐ角を右に曲がって真っ直ぐ行けば、目的地のファミレスに着く。
……特別、とは具体的にどういったことでしょうか?商品として同じであれば、性能や質に違いはないかと存じますが。なにか、購入後に手を加えるべきですか?」
 やはり大真面目な顔で、鄧艾は口早に訊ねた。周旨はポカンとしてしまって、ついうっかり無意味に足を止めてしまう。周旨が立ち止まるから、自ずと鄧艾も止まる。
「あーえっと、はい。そうか。なるほど。鄧艾さんは、そこが解らない感じなんすね」
……?」
 今、周旨はようやく腑に落ちた。いつも傍に居て、尽くしてくれて、一見すると、鄧艾はめちゃくちゃ良い彼氏だと思えた。けれど、恐らく、彼は心の部分が鈍いのだ。それもかなり、重症気味に。
「うーん。つまりは、好きな人からプレゼントを貰うことは嬉しくて、それ自体がプレゼントというか。自分で買うのと貰うのとじゃ、得た時の気持ちが全然違うというか
 とは言え、人の感情的な部分というものは、いざ説明しようとすると難しいもので。周旨はなんと言えば、鄧艾が“恋人からの贈り物が嬉しい”という感情を、理解できるのか分からなかった。
 と、そこへ聴き慣れた電子音が鳴り響く。スマホの着信音だろう。だが、周旨のものではばかった。
「すみません。少々お待ちを」
 鄧艾はワンコールで、コートのポケットから自分のスマホを取り出し、着信画面を確認する。ツーコール目が鳴り終える頃には、周旨に断りを入れ、電話に応じていた。
「はい。しば……
『遅い!鄧艾、今どこに居る!?』
 決して盗み聞きをしようなどという意図のない周旨にも、十分に聞き取れてしまう怒声が、鄧艾の言葉を遮った。電話の相手は、間違いなく恋人の司馬師だろう。
「どこ、と申されましても。現在、新宿の
『いいから、早く帰って来い!ニ十分以内だ!』
 自分で所在を訊ねて置きながら、電話越しの声は再度、鄧艾の言い分を遮るのだった。まるで、会話をする気が感じられない。客観的に見ても、相当お怒りのご様子といったところ。
 その台詞を最後に、電話は一方的にプツリと切られたようだった。
「あのすみません実は……
「ああ、いいっすよ。聞こえてました。早く帰ってあげて下さい」
 至極、申し訳なさそうな表情をして、鄧艾はおずおずとこちらに視線を戻す。それに周旨はあっけらかんと、笑って応えた。
「ありがとうございます。この埋め合わせは、いつか」
「ほんとにいいですって。ノリで誘っただけだし」
 律儀な人だと度々感心しつつ、周旨が挨拶代わりに手を振れば、鄧艾は瞬く間にクルリと踵を返した。
 ディナーの予定が消えた周旨は、もう杜預は夕食を食べてしまっただろうかと思案する。やっぱ帰る、と連絡を入れようかと思い至って、周旨はスマホを取り出すためポケットに手を入れた。
「あ
 そういえば、スマホは左ポケットにしまったっけ。右ポケットに突っ込んだ手は目的の物を見つけられず、代わりに別の感触に触れた。
「鄧艾さん!ちょっと待って!」
 元々、地声のデカい周旨が声を張り上げれば、思いの外に大声となり、街ゆく人が振り返った。無論、呼び止めたその人も後ろを向く。
「はい。なんでしょう?」
 鄧艾は歩くのが速い。急ぎ足で駆け出した彼は、既に周旨のいる場所から二メートル以上離れてしまっていた。そのすぐ近くまで、周旨は駆け足で歩み寄る。
「ちょっと、口開けてもらえます?」
 突拍子もない発言をしている自覚はあった。なのに鄧艾はなんの疑問も持たず、周旨の言う通り、従順に大きく口を開くのだった。人を疑うということを知らないのだろうか、この人は。周旨はその素直さが可笑しくて、少しだけ笑みを溢した。
「はい。これ、あげます」
 そう言って、周旨は先ほど自分のポケットから見つけ出した物の封を切り、その中身を彼の口内へ放り込んだ。鄧艾は不思議そうな顔をしながらも、もごもごと口を動かしていた。
 そして、もう一つ。周旨はそれと同じものを、鄧艾のコートのポケットに押し込んでしまう。
「それ、良かったら彼氏さんにどうぞ。こいつを渡せば、もしかしたら、さっき俺が言いたかったことがちょっと分かるかも」
……はあ」
 鄧艾は曖昧に小首をかしげながら、生返事をした。それからすぐ、急いでいたことを思い出したようで、周旨にペコリと頭を下げて、颯爽と去って行ったのだった。その姿は一瞬にして、新宿の喧騒の中に消えた。
あーあ。ほんと生真面目だなあ。どうせ、どう頑張ったってニ十分じゃあ帰れねえのに」
 どんなに急いだところで、ここから彼の家があるであろう付近までは、彼の恋人が提示した制限時間内に帰宅するのは不可能だった。自分なら諦めて、ゆっくり歩いて帰っただろう。
「さてと。俺も帰りますか」
 なんとなく物寂しさを覚えて、周旨は自分の恋人に会いたいような気がしてきてしまう。ディナーに予定はなくなった。今夜もまた、いつも通り、杜預と一緒に夕食を食べるとしよう。
 ゆっくりと、周旨は駅の方角に向かって歩き始める。何気なく手を突っ込んだ右ポケットにはまだ、鄧艾に手渡した物と同じ感触が一つ残っていた。

 久しぶりに全力疾走した鄧艾は、珍しく呼吸を乱していた。けれど、その荒い息遣いも、高層マンションをエレベーターで上り、玄関のドアを開ける頃にはすっかり整っていた。
「遅い」
 帰宅の挨拶と共に、鄧艾がリビングに足を踏み入れるや、開口一番、不機嫌極まった声が響く。申し付けられた時間を十分以上もオーバーしたのだから、当然の立腹と言えた。
「すみません」
 即座に謝罪を述べて、鄧艾はその場で立ち尽くす。司馬師はソファに腰掛けたまま、身振りだけで座れと促す。鄧艾はコートも脱がず、素直に司馬師の隣にそっと寄り添った。
「本日はあちらで、お泊まりになられるご予定では?」
「気が変わった」
 鄧艾と目も合わそうとせず、司馬師はやはり不機嫌声で、つっけんどんに答えた。
「ご連絡して頂ければ、お迎えに参りましたのに」
「いらん。昭に送ってもらった」
「そうでしたか
 ここで、長い沈黙に入る。恐らく、鄧艾が何を言ったところで、司馬師の機嫌を回復するのは難しい。下手にこちらから行動して余計に不興を買うよりは、大人しく、相手の出方を伺っていた方が賢明なのである。と、鄧艾は長年の司馬師との同棲生活で学んでいた。
何故、わたしが不機嫌なのか分かるか?」
「それは自分が時間に間に合わなかったので
「違うな」
「では、判りかねます」
 それ以外の理由が思い浮かばなかった鄧艾は、素直に即答した。嘘を吐くのは苦手だった。
……寂しくなって帰って来たのに、お前が不在だったからだ」
 ムスッとした表情をして、司馬師は鄧艾にとっては思いもよらぬ回答をした。
「ご実家では、ご家族も弟君もいらっしゃいましたでしょうに」
「家族とお前とは違う」
 キッパリとそう言い切られても、鄧艾はいまいち得心がいかないのである。そもそも、自分には寂しいという感情自体があまり無い。
 一人が寂しい、という気持ちを抱くことを理解できないわけではなかった。しかし、鄧艾には解らないのである。自分だけがまるで特別なものとして、司馬師に扱われている理由が。
……司馬師さんは、どうして自分のことを好きになられたのでしょうか?」
 不意に、会話の流れを遮るようにして、鄧艾はポツリとその質問を投げかけていた。途端、司馬師は面食らったような顔をして、ようやく、鄧艾と視線を交わらせるのだった。
「何を今更、そんなことを」
 確かに、今更と言われればその通りであった。もはや、司馬師とは十年以上の付き合いになるが、鄧艾はそんなことを一度たりとも訊ねたことはなかった。否、気にしたことすらなかったと言った方がより正確である。
 ふと、考えてしまったのだ。クリスマスプレゼントのことや周旨の言葉、そして、司馬師のこと。どれも鄧艾には、正しい答えの導き出せぬ問ばかり。それらのヒントが、そこにあるような気がした。
「中学に上がったくらいの頃
 幾分かの沈黙の後、ポツリと司馬師が話し始めた。口調はすっかり穏やかに戻っていて、怒りの色は消え失せてしまっていた。
「目の病気が発覚した。いつ、完全に見えなくなるか分からないと医者には言われた」
 病気のことは鄧艾も承知していた。完治させる方法は、今のところ無いということも。現状はまだ人並みの視力はあるものの、いつ見えなくなってもおかしくはなかった。
「そう宣告された時、家族や他の誰でもなく、お前の顔が浮かんだ。お前の姿が見られなくなるのは、嫌だと思った。それが理由だ」
「それだけ、ですか?」
 たった、それだけのこと。司馬師が鄧艾に恋をしていると定義付けるに至る根拠は、理由にすらならないと思えるほどにささやかだった。
 だけど、司馬師は言う。誰かを好きだと自覚するきっかけなど、往々にして、その程度の些細なことなのだと。
「不服そうだな」
 思っていたことが、顔に出てしまっていたのだろうか。司馬師はそう指摘して、鄧艾の頬をムニッと抓った。痛くはなかった。
「いえ……
 司馬師の回答に、不満があるわけではなかった。ただ、求めていた情報が何も得られず、鄧艾はますます途方に暮れてしまっていただけなのである。
 自分は他人の感情に疎い。司馬師に散々指摘されていて、その自覚は少しだけあった。
「そういえば、お前はどこで何をしていたのだ」
「あ、はい。クリスマスプレゼントの下調べをしていまして
「ほう?」
 真正直に鄧艾が答えれば、ありありと司馬師の表情は変化する。気のせいでなければ、幾分か機嫌が良くなったように見えた。
で、よいものは見つかったのか?」
「いえ、まだ」
「そうか。せいぜい、悩め。困っているお前の姿を見ているのが、愉しいのだからな」
 悪い笑みを浮かべて、司馬師はその指先で鄧艾の輪郭をなぞった。理由はよく分からないが、司馬師のご機嫌が直ったことを確認し、鄧艾はホッと安堵する。
「そういえば、そこで知人とばったり会いまして。……あ、」
 出かけ先の話題が出たので、鄧艾は周旨と出会ったことなどを、司馬師に報告しようとした。その矢先、それを存在を思い出しハッとする。ガサゴソと、コートのポケットに手を突っ込んでまさぐれば、別れ際、彼に貰った品が見つかる。
「その方から、これを司馬師さんにと頂きまして」
 説明を加えながら鄧艾は、それが何であるかも確かめることなく、取り出したそのままに、司馬師の手のひらへと差し出した。
「これは」
……?」
 自分の瞳に映る司馬師の反応は、予想に大きく反していた。それが不思議でならなくて、鄧艾は小首を傾げる。
 あの時、周旨が鄧艾の口に放り込んだものは、なんの変哲もないキャンディーだった。いちご味の。それなのに何故、司馬師は奇妙なものを見たような顔をしているのか。
ふふ。こんなものをわたしに食べさせて、どうするつもりだ。鄧艾?」
……!?」
 意味不明な台詞を耳元に囁かれれば、鄧艾はいよいよ訳が分からなくなって、司馬師の手のひらを見遣る。すると、そこには確かに、キャンディの包装とおぼしき物があった。 
 しかし、そのパッケージが異様なのである。真っ黒な背景色に、やたらと下品な派手さのピンク色のフォントで、そこにはこう書かれていた。
「大人のお菓子、エッチになる媚薬か。なるほど」
 司馬師がその文面を読み上げる。それは一目で、いわゆるジョーク品だということが分かる。ふざけているのはパッケージだけで、中身は鄧艾が食べたものと同じ、ただのキャンディーだろう。
「も、申し訳ありません!そんな低俗な物だとは知らず……
 それの正体を知った鄧艾は狼狽えつつ、深々と頭を下げて謝罪を述べる。それから、そそくさと司馬師の手から、それを奪い返すように回収した。
 すると、司馬師はおもむろに口を開いて、鄧艾の方に差し出してくるのだった。
どうした?くれるのだろう?」
「う、はい……
 その有無を言わさぬ圧に負け、鄧艾は仕方なく、下品な小袋の封を開ける。そして、その中身を指先に摘んで、望まれるまま司馬師の唇の中へと差し入れた。
「いちごの味、だな」
 司馬師は当たり前の感想を述べるや、鄧艾を見つめ微笑む。
 これはただのいちごキャンディーなのであって、現実にはエッチになる成分など含まれているわけがない。念のため、鄧艾は裏面の成分表示をチェックしたが、原材料は砂糖、水飴、いちご果汁紛れもなく、ただの飴である。
ふむ。なんとなく、身体が熱くなった気がするな」
「それはプラシーボ効果ではないでしょうか。司馬師さん」
 有効成分が含まれていないことは、たった今確認済みである。だが、実際に効果がないはずのものを効果があると信じて服用すれば、有るはずのない効能が現れることがある。要するに、思い込みだ。
……あ、」
 その時、ふと鄧艾の脳裏に、別れ際の周旨の言葉が思い出された。プレゼントが特別のな意味。これを渡せば、分かる。
「ああ、そうか」
 鄧艾は独り言のように呟いて、一人でに納得した。
 プレゼントが特別なのは、偽薬効果と同等の作用が働いているのではなかろうか。好意を持った相手からの贈り物を、嬉しいと感じる気持ちが付加価値を与えて、それを特別な品だと思い込ませる。そう考えれば、全てが腑に落ちる気がした。
「恋愛感情も、プラシーボ効果のようなものなのかもしれませんね」
 鄧艾がボソリと呟くや、司馬師は殊更にムッとした表情をして、こちらを睨む。
「わたしの勘違いだと言いたいのか」
「いえ、そういう意味ではなくて
 人間というのは不思議な生き物だ。思い込み一つで病気になったり、逆に怪我を治すこともできるのだと、鄧艾は書物で読んだことがある。
 しかし、その力を以てしても、無から何か生み出すことは不可能だ、と鄧艾は思っていた。ゼロはあくまで、ゼロでしかない。だとすれば、思い込みによって生じる現象は、恐らく、潜在的な能力が引き出されているのだろう。
「好きになるきっかけは、ただのキャンディーでもいい。という、理解を深めたと言いますか
 あの些細なきっかけが、司馬師にとって、このキャンディーと同様ものだったのだろう。口では上手く説明できないが、その時、潜在的な感情が引き出されたのだと考えられた。それは思い込みであっても、決して、勘違いなどではなかったはず。
「ええと、つまりはその……
 口下手な鄧艾は、自分の中で理論立てが出来ていても、それを司馬師に言葉で伝えることができなかった。しどろもどろに声を吃らせながら、けれど、誠実に鄧艾は言葉を綴る。
「自分を愛して頂いて、光栄です?」
 う
 上手く言葉が出てこない焦りから、鄧艾はなんだか、意味不明な台詞を吐いてしまった気がする。その突飛な発言に司馬師は一瞬、キョトンと目を丸くして、それから顔を綻ばせ、ふわりと笑った。
「なんだ、それは」
「す、すみません
 笑い混じりに司馬師が非難めいた声を発するから、鄧艾は反射的にまた謝罪をする。
 つまりは、司馬師が自分に恋をしていることに疑いも異論もなく、それを拒絶する意思も鄧艾には微塵もないということが言いたかったのだが。要するに、今日までの日々となんら変化はないという話である。
……で、だ」
 耳元でカラカラと、司馬師の口内でキャンディーが歯に当たる音がした。いつの間にか、彼の顔がグッと鄧艾に近づいていて、司馬師の身体は自分の膝の上に乗っかっていたのだった。ほのかに、いちごの匂いがした。
「えっちな気分になってしまったのだが、……どうしてくれる?」
 鄧艾の目を真っ直ぐに見つめ、司馬師は首の後ろに腕を回す。心なしか、その頬はほんのり上気している気がした。それは、キャンディーによって生じた変化だろうか。
「それは、その……
 感受性の低い鄧艾は、プラシーボ効果の恩恵を受けにくい。同じキャンデーを食べたとして、自分にはやはり、何の効果も得られなかっただろう。多分、恋に落ちることもない。
「つ、謹んで責任を取らせて頂きます」
 鄧艾の返答に満足がいったのか、司馬師はクスリと笑って、おもむろにその唇へと口付ける。重ねた唇は、少し間を置いて、次第に深い口付けを求め始めた。触れあった舌は、いちごの味がした。
うむ。よかろう」
 存在しないわけではないのかもしれない。司馬師のように、それを顕在化する方法を、鄧艾が知らないだけで。
 もし、自分にも偽薬効果が有効だったなら或いは。彼と同じ感情を抱けたのだろうかと考えながら、鄧艾は自身の舌の上、口移しに与えられたいちごのキャンディーをコロンと転がした。

 杜預は少し、ご機嫌だった。正確に言えば、帰宅してすぐは、周旨が帰って来なかったことにスネて、部屋の隅っこに転がっていた。
「いやあ、食った食った。せっかく準備した夕食が、無駄にならずに済んで良かった」
 美味しい夕飯を食べたばかりの杜預は、リビングで腹を落ち着けているところだった。出来合い品であるが、今晩は珍しく杜預が夕食を用意してくれていたのである。
 それなのに、タイミング悪く、周旨が「今日は外で食べる」なんて連絡してきたものだから、相当落ち込んだことだろう。しょぼくれている杜預の面が、手に取るように想像できた。
「準備してあるなら、連絡した時に言ってくれたら真っ直ぐ帰って来たのに」
だって、お前。束縛するとめんどくせーって言うもん」 
 度が過ぎた束縛は息が詰まるので、周旨は適度に杜預をあしらっていた。とは言え、用意された夕食を一緒に食べないほど薄情ではない。
「じゃあ、我慢したご褒美をあげないとですね」
「ご褒美!?」
 意味深に周旨が言うと、めちゃくちゃに期待したような眼差しで、杜預はくったりとソファの背もたれに預けていた上体をガバリと起こす。分かり易い反応が可愛くて、笑いを噛み殺しながら、周旨はポケットから取り出したそれを彼にポンと差し出した。
……これは」
 紛れもなく、鄧艾にあげたものと同じキャンデーである。昨日、職場の人にネタとして四つほど貰ったのだが、自分で食べてもそれはただのいちごキャンディーで、面白くもなんともなかった。
「ははっ。なにこれ?くだらね〜」
 その下品なパッケージをまじまじと眺めるや、杜預は声をあげて笑い、低俗な品だと一蹴した。まあ、これが普通の反応である。
「でしょ?会社でもちょっとした、話題のタネにしかならなかったんですよね」
 誰だって、それがジョークだと分かっているから、下らないと冷ややかに撥ね付けるか、杜預のように笑い飛ばしてくれるか。反応は大抵、そのどちらか。
……で、」
……?」
 周旨は手渡したばかりのキャンディーを、杜預の手からひょいと取り上げる。そして、その包装をピリッ引き裂いて開く。
「どうするんっすか?」
 中身のキャンディーを指先に摘んで、周旨はそれを杜預の唇に押しつけた。そうして、曖昧な質問を投げかけるのだ。途端、杜預は分かりやすく赤面した。
……た、食べます……
 素直に答えて、杜預は大きく口を開いた。その対応が想定通りだったため、周旨はニコリと微笑んで、その中へキャンディーを放り込む。その後すぐ、閉じられた彼の唇を己のもので塞いだ。
 キャンディーなんて、口実だ。こんなものに、なんの効果も有りはしない。けれど、相手が乗ってきてくれたのならば、それで十分、意味はあったというもの。
な?えっちな気分になっただろう?」
……はい」
 すっかり赤くなってしまった杜預は、間違いなく“その気”になっていた。特別なものなんか必要ない。ただのキャンディーが、二人のこの夜を盛り上げてくれる。
 今夜のキスは、甘いいちごの味がした。多分、別の恋人たちもきっと、同じ夜を過ごしていただろう。そんなことを頭の片隅で考えながら、周旨は杜預と、甘い夜の幕を開いた。


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