@tommi1714
規模や組合せ、視点によって解釈が幅広すぎて1つに絞りこめなかったため、というか、岸影先生が答えないかぎり「貴方が考えた解釈が正解の1つ」そのものという結論に達しました。
不甲斐なくて申し訳ない。
当方で考えられた解釈を3つほどをご紹介します。
読んでいるうちに、「自分ならそこをこう考える」という思いがぼろぼろ出るんじゃないかなと思います。
当方自身も、もっと考え方ありそうだなぁと思います。
①サスケのみからの考察
サスケの輪廻眼の固有能力の瞳術が「天手力」なのはおそらく、岩戸が開かれる時がきた、準備ができたという意味合いが強いと思います。
「光によって秩序を取り戻し、闇の混沌が終わる」ことの暗示と言えそうです。
神話では左目から天照大神が生まれ、右目から月読が生まれました。
サスケの左目の万華鏡写輪眼は天照であり、輪廻眼は左の片目のみ開眼しています。
最終形態である輪廻眼であるそこに固有瞳術が天手力という名詞になって天照を表す左目に重なっているということは、天岩戸神話にあるように天照大神が閉じ籠っていた岩戸を天手力男命が開こうとしている、あるいは開いたと受け取れます。
開かれるということは、長年混沌とした闇にいたもう1人の主人公であるサスケの心に光がもたらされる。
そして「インドラの転生者」であるサスケの「輪廻」という名詞も掛け合わされて、長く続いた兄弟の因縁の輪廻にも終止符が打たれるという見方もできます。
すなわち、物語の1つが終結することを表されているのだと思います。
さらにそこに付け足しますと、イタチとサスケが左右の目で互い違いに「天照」の瞳術を使用します。
これを兄弟がゆえであるからお揃いである、と同時に天照は高天原を治めた最高神なので、うちは一族の末裔としての代表であるとも受け取れます。
「右目」の天照(鏡写し=惑わし)を持ち、幻術の月読(写輪眼は幻術に特化)を持つイタチ。
「左目」の正統な天照を持ち、さらに火の神である加具土(うちは一族の火遁)を持つサスケ。
イタチが担うのは写輪眼であり、サスケが担うのはうちは一族という解釈です。
うちは一族の名前考察( https://t.co/ys8o3rw2v6?amp=1 )で写輪眼を666の数字に見立てました。
数霊での666の意味は
強烈なパワーを放つ。その力ゆえに今まで封印されてきた神と人が一体となって動いていくため、人自身にもパワーが必要。 天の眼と人の眼を一つにして歩みなさいという意味もある。
数霊マントラ 「時は来た 準備整い いざ参れ 天の岩戸を くぐって参れ」
写輪眼の最終形態である輪廻眼にサスケの固有瞳術として「天手力」の名がつくことが、なにより重要であることは確かです。
本編の展開、描写のみで正統に解釈するならば上記となります。
ですが、今回いただいた質問は当方が個人的に考察した「ナルトの立場が天手力男命」であることに対して、「サスケの輪廻眼の固有瞳術が天手力」である関係性も含めてだと思いますので以下答えていきますね!
②サスケとナルトで考察した場合。
瞳術の能力を含めて考察します。
結論から答えますと、「いつでも御互いの立場は逆転する」「あいつは俺だったかもしれない」という、NARUTO本編でなんども描かれ演出されてきたことの、「サスケとナルトならではのお互いの繋がり方の視覚化」、という考え方です。
サスケとナルトはインドラとアシュラのチャクラ転生者であるにも関わらず、幼少でも青年でもその在り方は逆転しています。
サスケとナルトのみに焦点を当てれば、本質的にはインドラとアシュラの関係をなぞるものに見えます。
ところが、お互いを外した関係を見ると逆転したものが見えてきます。
アカデミー前のナルトは大いなる力(災い)を持つがゆえに頼れる者もなく独りでした。青年ではその飛び抜けた力により「1人ですべてを成そう」ともしてしまいます。認められたいのに何故か認めてもらえない苦しみと、己の力のみで成そうとする独善の心理を知ることになります。
サスケは優秀な兄を持つがゆえの劣等感を抱え、さらにはその兄と決裂を果たします。
青年ではお互いの和解を果たさないままに兄を失いました。憧れて追いかけた兄とお互いの肩を持ち並び立てなかった無念を知ります。
つまり、サスケとナルトは幼少と青年とでインドラとアシュラの立場を逆転させることにより、お互いのチャクラの立場を経験しているのではないかということです。
互い違うことによって、インドラとアシュラの因縁に対して、チャクラを通してお互いを理解しあうことへの貢献をはたしたように思います。
これも因果を解くための布石であったと考えられます。
1つ違えば本編での立場は逆転していたかもしれない。ナルトと同じく、元々サスケも天手力男命としての力が備わっている人間である。
ナルトとサスケが同時にお互いの岩を開かなければ、岩の向こう側へどちらも行くことができない。
沢山の人の助けの手を借りながら、最終的にお互いを救うのはお互いにしかいない。
ということなのかもしれません。
③ナルト(=天手力男命)、オビト(=天照大神)を前提に考えてみた場合
独自性が高いので、上記の考察で満足した方はここでブラウザを閉じてくださいませ。
オビトが天照大神の立場にあるとわかったときに、万華鏡写輪眼の固有瞳術が天照であることは意味はあるのか?と考察しておりまして、無理が多いかな?無理矢理すぎるな、とお蔵入りになっていた考察ですが、楽しんでいただければ幸いです。
オビトが天照大神、ナルトが天手力命の立場にある証明は以前の考察( https://t.co/fKYmmkOrdK?amp=1 )でしましたのでここでは説明を省きます。
都合よく、独自解釈が極まった考察なので、妄説のていで読んでいただけたらと思います。
本編で開示されている情報を基に、うちは一族代表の末裔であるサスケとイタチの二人にのみ該当する法則として考察していきます。
二人の万華鏡写輪眼の固有の技名は次の通りです。
右目 左目
イタチ 天照 月読
サスケ 加具土 天照
▼共通しているのは天照であり、同じなのは兄弟ゆえと思われる。兄弟で共通するということは重要な意味合いがあると仮定します。
▼次に注目するのは、天照、月読があるのに須佐能乎を加えず、敢えて加具土を入れている点です。
須佐能乎を出現させるには、能力の違う万華鏡写輪眼が両目に必要だとされています。
言い換えれば万華鏡写輪眼を開眼した者ならば誰でも使える技です。
須佐能乎命は死んだ母伊邪那美命に会いたくて仕事もせずに根の国(黄泉)に行きたいとずっと恋しさに泣き叫んでいたエピソードがあります。
万華鏡写輪眼の開眼条件はさておき、須佐能乎は開眼者の死者に会いたい、会いに行きたい、恋しい、さみしいの具現化だと言えそうです。
つまるところ、万華鏡写輪眼を開眼したうちは一族(&カカシ)共通の精神を例えた命名ですね。
故に固有瞳術ではなく万人のものとなっている。
ということは、月読、加具土にも意味があるかもしれないと考えられる。
月読命は古事記、日本書紀で特質した活躍や記載が少ないので、これといったことが当方では言えません。
しかし、NARUTO本編では「無限月読」という術として重要な存在です。
加具土命は、生まれるときに母である伊邪那美命の陰部に大火傷を負わせて死に至らしめてしまう火の神です。妻である伊邪那美命の死を嘆いた伊邪那岐命は、十拳剣(とつかのつるぎ)で加具土命の首を斬り落として殺してしまいます。
状況だけを抜き取れば、子が親を殺し、親が子を殺している、身内同士での殺し合いということになります。
これに該当する登場人物はイタチです。
一族を母体と例えても成り立ちます。
(オビトも参加していたので、オビトが加具土命の立場である可能性がありますが、すでに天照大神の立場が確立しているので省きます。)
そうすると、イタチが加具土命の立場にあることがわかります。
しかし、イタチの立場であるはずの神の名はサスケの固有瞳術として据えられており、イタチの固有瞳術は月読である。
ここから導きだせるのは「誰によって人生や精神に重大な影響を受けているかの視覚化」が神の名と立場を借りて固有瞳術の名詞に繋がっているのではないかという推測です。
他者との繋がりゆえの精神負荷によって瞳術を強化していくうちは一族であればありえるのではないかと考えます。
さらに言えば開眼者万人に当てはまるわけではなく、そのロジックは最後の末裔である兄弟二人にのみ当てはめることで、存在の暗示を読者に視覚化してみせているのではないか。
サスケとイタチの人生を「直接」に大きく左右させて決定的にしたのはオビトです。
オビトの立場が天照大神なので兄弟の万華鏡写輪眼の片方は「天照」となったと考えます。
そうなるとサスケの立場は月読であることが浮き出てくるのでこれを証明していきます。
サスケは一族を滅ぼした兄への復讐を誓っているので、伊邪那岐命の立場にあるように見えます。
イタチがヤマタノオロチ伝説を須佐能乎命として活躍している場面がそのままあるので、本来の立場は須佐能乎命ではないかと思えます。
とはいえ、固有瞳術名にならずに万人の瞳術名である以上、うちは一族であれば誰もが持ちうるので表向きであると考えて主体ではない、と当考察では断定しておきます。
ではどのように導き出すのか。
オビトが「無限月読」をなそうとしたことと、
マダラのサスケに対する発言の2つが証明になるのではないかと思います。
オビトの「左目」はカカシに与えられ、「右目」はオビトに残されました。
神話では左目から天照大神が生まれ、右目から月読命が生まれています。
だからこそ左目(天照)を授かったカカシは残されて生きる中でその視界から光を見つけようとし、オビトは残った視界の右目(月読)で無限月読を目指した。と意味を見いだせます。
マダラがオビト(疑似月読)より先にサスケが生まれていれば、サスケをコマに選んでいた(マダラが最終的に自分で無限月読を実行すりつもりでいたにせよ)、というようなことを本編でわざわざ胸中で思っています。
つまり、オビトはマダラの代わりであったと同時にサスケを最悪なシナリオから逃すためのサスケの代わりでもあったと解釈できます。
ゆえに、本来であれば「無限月読」をするのに相応しいのは正統な月読の立場のサスケである。という推論です。
だからイタチの瞳術の名詞は月読になっている。
そして兄と同じぐらいサスケの人生と精神に欠かせないのはナルトです。
ナルトの立場が天手力男命であるから、サスケの輪廻眼は「天手力」である。
先に考察した①②の解釈を含めることで、「天手力」の瞳術が輪廻眼である必要性もわかります。
以上により「誰によって人生や精神に重大な影響を受けているかの視覚化」が何色にも染まりやすいサスケを中心になされていると考えます。
大分読みづらくわかりにくかったと思いますが、ここまでお読みいただきありがとうございます。
お粗末様でした。
おまけ
オビトの「神威」は誰だろうと仮に考えてみたのですが、「カムイ」「しんい」どちらの意味も考えると、リンであり、カカシであり、ミナトであり、マダラであり、ハゴロモであり、すべての人であり、となったので、お互いがいて成り立つ関係すべて、繋がりあう世界であるんだろうと。
誇大解釈ですけども、オビトは関わりあるものすべてに影響を受けるんだろうなと思いました。(作文