太陽の周りを6周しただけ―――あるいは自分の輪郭をなぞる話―――

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2020-11-28 22:42:03

はと様(@810ibara)主催のアドベントカレンダー "ぽっぽアドベンド"の2020年12月4日に参加させて頂きます。

Posted by @a_220284n

 本稿ははと様(@810ibara)主催のアドベントカレンダー "ぽっぽアドベンド"の2020年12月4日担当記事です。
 改めまして12月4日担当のShino(@a_220284n)と申します。普段は海外映画/ドラマ界隈に入り浸っています。どうぞよしなに。
 なお、本日担当されているもうお二方を紹介します。

えんま様
https://adventar.org/calendars/5227
やつしろマン様 https://adventar.org/calendars/5409



 仕事を終えて外に出ると辺りは既に暗く、オレンジ色の街灯だけが道路を照らしている。独り暮らしの部屋までは、職場から緩やかなカーブを描く坂道を歩いて10分程度。夏はこのカーブ手前で振り返ると海に沈む夕日が良く見えた。冬が音もなく近付いている今は、真っ暗な海にちらつく雪が吸い込まれていく。強風で海面を揺らしながら押しては引いていく波の音だけが聞こえていた。日々静かに、けれど確実に姿を、匂いを変えていく景色を眺めるのが今年増えた密かな楽しみだった。

 テーマについて考えるほど、私の変わったこと、変わらなかったことは何だっただろうかと思考が迷子になってしまった。職場が変わったり運転免許を取得したり、変わったことはいくつもあるのだが、何よりも明確に変わったのは私の内面だった。好きなものを目一杯愛し、心が凪いでいられるように。だからこそ私は今ここにいるのだと思う。
 これを書き終えて何度か読み返しているのだが、自分でも下書きからどうしてここまで違う話になったのか不思議でならない。これは自分への証明であり、誰かへの手紙でもあるように思う。結論から言えば、これは6年かけて自分の人生にどう向き合うかを決めた話になるだろう。長い時間をかけた精神の旅路と、着地点の話。どうかお付き合い頂きたい。

 大学生と言う身分を手放してからあっという間に時間が過ぎてしまった。
 学生時代を含めると6年もの長い月日になってしまうが、この惑星が太陽の周りを6周する間に、自らの意思に基づいた変化があった。ゆっくりと膨らんでいった蕾がやっと花開いたと言うべきか。少なくとも来年また咲けるよう根を張ることはできたと思っている。意図しないものも当然あったけれど、落ち着くべきところに落ち着いたのが私の2020年だ。緩やかに、静かに、決定的に変化した日々を、自分自身を受け入れる。そんな1年だった。
 あらゆる生き方のために少しずつ変化する現代社会に抗うように、地元は未だにステレオタイプの人生が堂々と横たわっている。女性はそこそこの年齢で結婚して、例え正社員だろうと仕事を辞め、子供を産んで専業主婦もしくはパートタイム労働をし、行く行くは子供を育て上げて孫に囲まれ幸せな最期を迎える―――それは理想的な人生の一つだが、それ以外の人生を幸せに思い、自分の理想のために生きている人間もいる。それを理解しない環境は、少数派には少々堪えるのだ。そしてそんなもの無視してしまえば良いのに、かつての私はそれに抗い“変わり者”のレッテルを貼られることも、それに傷付いてしまう自分も嫌だった。順応する気など毛頭ないくせに、小さな社会で上手く呼吸ができないことに嫌気がさす。消えてしまいたいと思うほど、もう耐えられなかった。
 私が高校生になる頃には女子生徒の進学も多数派になっていたが、進路の幅は狭く、4年制大学で学問に励みたいと希望する女子生徒はまだまだ少なかった。それはきっと今も変わっていない。
 興味を持つこと、調べること、議論することを、地元ではできなかった。未だに「そんなこと考えて何になるの?」という嘲笑は大嫌いで、少しの恐怖心すら覚えるけれど、今ならきちんと反論したい。私は私を救ってくれた文学の神様に縋るように文学を学びたかったし、そうして学んだことによって芸術やジェンダーなどこれまで知らなかったことを知る機会も得た。
 映画界隈の人間になったのもこの頃だ。私をこの界隈に定住させたのはクリストファー・ノーラン監督の「ダンケルク」なのだが、初めて観た日の私は帰宅してドアを閉めた瞬間泣き崩れながら「勉強しなくては」と決意していた。
 自分の生きる社会、政治について臆することなく言葉にできるようになったのも、“恋”を必要としない自分の人生を肯定できたのも、全ては躊躇うことなく貪欲に学べる日々があったからだと思う。
 自分の知らないこと、足を踏み入れたことのない世界の存在は怖くもあり、同時に救いでもある。私は何を感じ、考え、どう伝えようとするのか。喜びや悲しみ、怒りや痛みを、私は適切に言葉にできるだろうか。他者のそれを少しでも確かに受け取ることができているだろうか。私はいつも自分に問いかけている。そうすることで、常に陽炎のように揺らめくアイデンティティと呼ばれるものを、自身の輪郭を、この指先で確かめることができて私はやっと、呼吸がしやすくなった。
 仮に死後の世界があったとしても、そこにはペンの一つも持っていくことはできない。ならば今生きている私の思考こそが私を証明すると、私は思う。

 本来であれば、否、願った通りの人生を送れていたとしたら、私はそのまま就職して、地元に戻ることはなかっただろう。独りでいることを干渉しない、他人に興味を持たない土地で生きていきたかった。
 しかし人生とは上手くいかないもので、私が何とか勝ち取った4年間は、大学卒業と家族の体調不良と言う形で幕を閉じた。元々何とか決まった就職先が俗にいうブラック企業ということもあるが、私はどこか諦観してその現実を受け入れていた。「あぁ、ひとりっ子のツケが回ってきた」そう思っていた。私はそれなりの年齢の両親を持つ一人娘で、本当に独りになったときの後始末は全て私の手にかかっている。全てを放り出してしまう選択肢を持ちたかったけれど、年老いた最愛のお犬様と祖父が建てた家を捨てられなかった。私は一刻も早く終の棲家が欲しかった。
 非正規で働いた紆余曲折の末、今年の春から正社員として生きていく道を確保した。学生時代以来久しぶりに独り暮らしを始めたり、車の免許を取得したり―――そういう意味での変化も今年は大きかったと言えるかもしれない。渋々取得した免許だが今ややむにやまれず毎週末怒りのデス・ロード状態だったりもした。この話はまた別の機会に。
 そして話は冒頭の、退勤時の密かな楽しみに戻るわけだ。
 煌めく青い海に夕日が溶け出す春から夏を過ぎ、群青が灰色に変わる秋。波の花が浜辺に散らばり、鉛色の海は空との境界線が曖昧になる冬。土地そのものに愛着はないけれど、姿を変えながらただそこに存在する景観だけは好ましいと気付いたのは、こちらに戻ってからだった。

 海が水面の色を変えるように、色々なことが変わっていく。それは生きている限り至極当然のことだ。きっと、朽ちた私と新たに芽吹いた私がいるはずだ。もしくは、変わらないために変わり続けているだけなのかもしれない。
 思い通りにいかない人生でも何とか自分の足で立っている今、意外な誤算があった。あれほど苦しかった旧弊で閉鎖的な小さな社会を息苦しく感じなくなっていた。
 以前の職場で結婚についてしつこく聞かれたとき「皆が皆、結婚や出産といった人生のラベルを忠実に守って生きているわけではありません」と答えたことを思い出す。自分の輪郭を理解した私は、図太くもなったらしい。“変わり者”と思われることを、何一つ怖いと思わなかった。嫌なことに口を噤んで曖昧に微笑むかつての生活の方がずっとずっと息苦しくて、ほんの少しでも強くなれた自分を肯定したかった。
 母に「お前を大学に行かせたのは失敗だった」と言われたこともある。進学の件で親と揉めるまで私は大概良い子で生きていたのだが、就職以降上手くいっていない私への当てつけだったのだろう。恐らく言った本人は既に忘れているだろうし、私も今更怒り返すつもりはないが、忘れることはない。この言葉を言われたときはショックではあったが、同時に「知ったことか」と思いもした。私は親の所有物ではないのだ。私のことをどう思っているかはしらないし、仮に失敗作だと思われても、もう何とも思わない。そう思えるところまで辿り着くことができた。果たすべき義理は果たすとしても、私は私が望むもののためにやるべきことをやるだけだ。そこに“絆”だとか“家族愛”のようなものは一切ない。連綿と受け継がれてきた血はこの身体を構成するものの一つだけれど、私の精神を構成するものではない。奇妙な呪術性を見出したくなかった。
 私が生まれるずっとずっと前のこと、私の前に生きていた人たちの果てに私がいるとしても、私が私たる物を得た瞬間、今ここに自分がいるという不思議への興味はなくなってしまった。
 いつの間にか私は、かつての自分を縛り付けていたもの―――慣習や血縁的な呪いのような何か―――を解いたのだと思う。
 何を愛し、何を憎むか。私が私と言う存在を軸にしたときに派生する数多の感情を時に抱きしめ、時に距離を置きながら生きていく。それらが私を作り上げていくのなら、私はやっと、私を認められるのだと気付くことができた。
 今の職場でも文学部卒と知られるとさながら珍獣を見るような目をされたのだが、今となっては微笑ましかった。「向き合うほど楽しいものですよ」と微笑むことができるくらいには余裕ができていた。だって、これこそが私を構成するものの一部だからだ。いつかお局と呼ばれる頃がきても―――その頃にはいい加減死語になっていて欲しいものだが―――そんな人生もアリだなと思われる人になりたいとも思う。幸福の多様性は躊躇わず口にしたい。
 ゆっくりとゆっくりと変わり続けていた日々を自分では気付かずにいたけれど、人生の目処がたった今ようやく変われたのだと知った。もう私は大丈夫だ。またいつか辛くなっても、悲しくなっても、私は上手く付き合っていける。

 最愛のお犬様は御年15才で、年が明けたら16才になる。その日を想像したくもないけれど、いつか長いお別れをしなければならない。そして誰とも生きていくつもりも、子供を産み育てることも選択肢ない私はいつか独りになる。正直、いつだって人は孤独じゃないかと思いもするのだが。とにかく、今はその道を一歩踏み出したところだ。いつか寂しいと思うかもしれない。悲しいと泣くかもしれない。でも、それでも自分が選んだ人生を、やっと望むものを理解した自分自身を、私は受け入れたい。
 本当は背中を押してくれたBTSとMAMAMOOの話をするつもりだったのだけれど、すっかり話の内容がかわってしまった。 “Love yourself”と“新しい美の基準になる”、そんな言葉がどれほど自分を救ってくれたことか。間違いを犯しても善く生きるための努力を忘れない。きらきらした彼らの舞台から、真っ直ぐ私の心に届くのはそんな等身大の誠実さだった。以前、否、今も大好きな2NE1が解散してからK-POPから遠ざかっていたけれど、今の私の日常には音楽が戻ってきた。それが嬉しい。やっと目を向けて進むべき方向を定めることの出来た私の背中を力強く押して、その1歩を踏み出させてくれた。彼ら彼女らを教えてくれたTLの諸姉に改めて感謝します。
 そして今日は推しの1人でもあるBTSの最年長JINさんことキム・ソクジンさんのお誕生日なのでした。「あ! アドベント空いてる‼︎」と滑り込んだのですが何やら勝手に運命的なものを見出してしまいたくなります。"ワールドワイドハンサム"という言葉を知ったときなんて声に出して読みたい言葉だろうと思ったものです。
 私はJINさんの"自分が幸せになるために他人を笑顔にする。幸せのために他人を利用している(意訳)"という考え方が好きです。一見傲慢なようで、しかしとても大きな責任を伴うその生き方は私を励ましてくれる。
 どうか彼の1年が素晴らしい日々でありますように。

 とても曖昧で掴みどころのない文章になってしまったと反省しつつ、私と同じような思考を持つ人にほんの少しでも寄り添えたらと思う。自分の人生をどう歩むかはいつだって迷ってしまうけれど、その選択にはまたいくつもの選択肢が広がっている。望めば例え遠回りになったとしてもどこにだって行くことができる。そう思う人生は、きっと悪くない。寧ろ上出来だ。
 振り返れば随分と遠くまで来たものだと思うのは、決して気のせいじゃない。同じ場所に立っていたとしても、違う私がいる。

 残念ながら独り暮らしの部屋のベランダからは海は見えない。ただとても静かなここでの夜を私は気に入っている。明日の仕事は忙しいだろうか、そんなことを考えながら、その時々の心を奪われた作品に想いを馳せながら眠りにつく。

 新型ウイルスの関係ですっかり札幌が―――もちろん東京も―――遠くなってしまったが、私はどこへでも行ける。良い女の子でも悪い女の子でも、今を生きる私たちはどこへでも思うままに生きていける。それを邪魔する社会なら、私は愛せる社会にするために声をあげたい。これも長い旅路の末に教えてもらったことだ。
 これからも私はたくさん映画を観るし、美術館にも博物館にも行く。最愛の作家の作品は何度も読み返す。好きな音楽を聴き、来年はもう少し運転が上手になりたいと思いながら。

 私は、私のために学びに生きたい。



 ここまでお付き合い頂きありがとうございました。明日、12月5日のぽっぽアドベントを担当されるのは、くろす様、しーな様、松村生活(魔人)様です。

Happy holidays to you all!






20201204 Shino


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