@LostGarden_nana
「オンナの価値」
私が喉が渇いたと言えば、キンと冷えた水が出てくるわ。
箸より重いものなんて持ったことはないし、差し出される傘で雨に靴が濡れるなんてこともありえない。
全ての男が私に傅くの。
私が美しいから。
そのことに気付いたのはある日を境に母が私を連れて回るようになったから。
今まで適当に親戚や友人に預けてほぼ会うこともなかった母が突然現れて私の顔をじっくりと眺めたのち手を握った。
「お母さんと遊びに行きましょう」
真っ赤に彩られた唇が美しく弧を描いたことを覚えてる。
煌びやかなパーティ会場、地位のある男たちが集まる会席。
火薬の匂いがする怪しい事務所。
あらゆるところに母は私を紹介した。
「綺麗だ」「美しい」先々で口にされる私への賞賛。
自分が特段美しいということを自覚するのは早かった。
母が所謂パトロンを紹介していたこと、それで母にもお金が渡されていたことに気付くのには少々時間がかかったけれど。
▼
「ねえ、今日は疲れたわ」
ゆったりと揶揄うようにソファーにもたれかかり、脚を組みかえ見せつける。
それだけで男は飛びつくように私の足を取り、マッサージを始めた。
整えた指先でそっと男の頬を撫でてやれば豚のように喜ぶ男。
思わず上げそうになった笑いを飲み込む。愉快だ。なんて無様で、浅ましい。
私に手に入らないものはない。
お金なんてあれから一度も自分で使ったことはないし、なにもかも思うが儘。
時折男から求められることもあったけれど、別に拒んだってみんな私を側に置きたがったし気分が乗ったときは応えたりもした。
苦労なんてひとつもない。
生まれ持った圧倒的美はすべてを可能にしてくれる。
視線を窓の外にやれば、黒い服に身を包んだ人間たちがあくせくと働いている。
暑いのだろう同世代の女が顔を手で仰ぐ姿に今度こそ笑いが出た。
あーあ。生きていくのが大変そうね。
これだから可哀そう。普通の人って。
男が入れた飲み物の氷がカラン、と軽快な音をたてた。
「この度お母さまが亡くられました」
秋も終わりに差し掛かるころ、区役所から電話が入った。淡々と告げられた言葉に多少は驚くも、もう疎遠になっていた母だ。
とくに感慨もなく、そう。とだけ返す。
遺品を引き取ってほしいというのは少し面倒だったけれど、最期くらいはと聞かされた住所へ向かった。
「…本当にここ?」
えらく質素な建物だった。
セキュリティも緩く、築年数もそこそこだ。
記憶にあった母との齟齬に戸惑いつつ、渡された合鍵で部屋に入る。
部屋の中も外観と同じくこざっぱりとしている。
テーブルにソファー。母はブランド品がすきだったはずだが、そういったものは見当たらない。
いったいなにを引き取ればいいというのか。
困惑した視線の先、テーブルの上に置かれた手帳が目に付いた。
どこにでもあるシンプルな革細工の手帳は、妙に私の気を惹いて思わず手に取る。
几帳面な母の文字が並んでいる。
どうやら日記のようだ。
▼
〇月〇日
××さんと連絡がつかなくなった。
これで3人目。
土曜日に会う約束をしていたのに、どうして。
けれど××さんは忙しい人だから、きっと仕事で電話ができないだけね。
気にしすぎよ。そう、気にしすぎだわ。
(中略)
〇月〇日
家賃が払われていないからとあの家も退去させられてしまった。
払ってくれていた××さんが持ち家のひとつをくれたけれど、会ってもくれなかった。
私にこんな寂れた部屋を宛がうのね。
あれ、ご飯はどうしたらいいの?
〇月〇日
もう誰も電話にも出ない。
どうして?みんな私に会いたがっていたじゃない。あんなにも私のことを求めたじゃない。
どうして?
わかってる、本当はわかっているのよ。
私がもう若くないから。美しくないから。
若さが憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い憎い。
あの子は今もちやほやされているのよ。こんな思いなんて知らずに。
やっぱり産むべきじゃなかった。出産は老いを加速させるというのは本当だった。
あの子を産まなければ今もまだ私があそこに居たはずなのに。
ああ、恐ろしい。老いが恐ろしい。
これ以上醜くなる自分を許せない。
まだ、わたしは
わたしはまだ
美しいの!
「いや…嫌よ…」
母がどう死んだか、役場の人間からは聞いていない。
けれどわかる。おそらく母は自分で命を絶ったのだ。
老いを恐れて、求められないことを認められなくて。
部屋にブランド品がないのも、生活能力のない彼女がそれらを売ってお金を得ていたのだろう。
若さ、若さ。
美しかった母。母は間違いなく美しかった。
艶々とした長髪。芸術品のように整った美貌。
けれど最後に会ったのは何年前…?
私は現在の母を知らない。"醜い"母なんて知らない。
テーブルの下に手鏡が落ちている。花の拵えがついた母らしいそれを、いやに震える手で拾った。
大きく入った亀裂はおそらく生前の母が叩き割ったのだろう。
ひび割れた歪んだ鏡に映る自分の顔。母に似て色白で人形のように整った私。
そこにチラリ、弾んだ頬にくっきりとした皺が浮かんだ。だんだんとその顔は母になり、そして老いていく。
おぞましく醜悪な母がこちらを指さし、歪んだ口元で叫んだ。
”近い将来お前もこうなるぞ”
「ひっ、きゃあああああ!!」
母の幻想ごと鏡を床に叩きつけ、転がるように部屋から飛び出す。
この年齢で皺などあるわけがないなんてこの時の私には判断できなかった。
逃げて、逃げて。
靴擦れで足はボロボロだったし、きっとメイクも崩れて酷い有様だったけれど、恐怖が後ろからわたしをいつまでも追ってくるのだ。
母の幻想が。老いが。
『ねえ、次のボーナスで皆でハワイにいこうよ!』
走り抜ける街中で知らない女の弾んだ声が聞こえる。仲良く同僚と並んで、自分で稼いだお金の使い道を考えてはしゃいでいるのだ。
バカバカしい。そんなことを考えるのは何も持っていない人間よ。
私ならどこへでも連れて行ってもらえるし、貸切のプライベート飛行機だって出してもらえるわ。
そう、私は特別だから。特別…
____違う。本当は。
本当に何も持っていないのは
「ここならお前の願いは永遠だ」
迷い込んだ寂れた街で、この世のものとは思えないほど美しい女が紅い目を細めうっそりと私に笑いかけた。
縋るように思わず伸ばした自分の指は、爪先まで整っていて変わらず美しい。
紛れもなく完成されたオンナの手だった。
▽推定該当者リスト
斎宮 馨子(18) 2〇〇3年 失踪
母親のマンションに向かったことはわかっているが、その後消息不明。
母の自殺によるショックも考えられたが、元から疎遠で当時の知人たちも特に変わった様子はなかったと証言しており、なにかしらの事件に巻き込まれた可能性も視野に入れ捜査。
2○○1年 事件性はないと断定。捜査打ち切り。