@prrn25
冷たい窓の外で電飾の光の粒が賑やかに跳ね踊っている。クリスマスの夜、夕食時のバスの中で春日と二人揺られながら、今日で消えてしまう儚い眩しさを網膜に焼きつける。最後列のこの座席から見渡す限り、乗客はカップルぱかり。どことなく車内の空気も濃度を増しているように感じられるせいか、自分たちだけがこの場に在る権利を持たないような気がして些か居心地が悪い。
『えりちゃんとトメさんに日頃の感謝を込めてプレゼントを送りたい』
そんな名目で春日から買い物に誘われたのが一週間前。どうして俺と?だとか二人へのプレゼントなら紗栄子ちゃんに頼んだ方が、だとか言いたいことは山ほどあった。けれど二つ返事で誘いを受けたのは、自分にとってそれが千載一遇のチャンスだったからに他ならない。
「なんつーか、今日は悪かったな。こんなおっさんとクリスマスを過ごさせちまって……」
隣に座る春日が小声で謝りながら窮屈そうに身を捩った。狭い車内、平均よりも大柄な男二人では、どう頑張っても脚がぶつかってしまう。微かに触れあっていた太ももが一旦離れ彷徨い、結局また戻ってきた。帰ってきてくれたそのぬくもりに、許されている気持ちになる。
「そんなことないよ。もともとこういうイベント事には縁遠くてね。今年だって君が誘ってくれなかったら何もしなかっただろうし、楽しかったよ」
自分の言葉にそうかい、と細められた春日の双眸の色があまりにも優しくて、不意に鼻の奥がつんと疼く。やっぱり、春日くんが好きだ。去年の今頃、まだ彼を知らなかった俺はどうやってこの世界で生きていただろう。今となっては、よく思い出せなかった。
「しっかし寒かったなぁ…さすが港町っつーか...海辺の風ってのはやっぱり冷てぇんだな」
掌をすり合わせるたびにかさかさと乾いた音を立てる春日の手は青白く、冷えきっているように見える。身体に纏わり付くような湿ったこの街の海風は、ゆっくりと、しかし着実に全身から体温を奪っていく。手袋もなく両手に荷物を抱えていた春日の手は、今日見事にその洗礼を受けたというわけだ。
ふと思い立ち手袋を外して両の掌を春日へ差し出すと、彼は手相を見るような顔でそこを覗き込んだ。
「自慢じゃないけど俺の手、あったかいよ。カイロ代わりに握ってみる?」
「え…いいのか?」
「ん。ほら」
おずおずと指先を握った春日の手は見た目よりもさらに冷たく、かさついていた。合わせた掌に触れる硬い皮が掌の薄い皮膚にくすぐったく、けれどその感覚が春日とのふれあいを実感させてくれる。
指輪を外してきて良かったと思う。自分の両手を揉むように触る春日の手を余すことなく温めることができるから。慈しむようにゆったりと手の甲を撫でる春日の親指がどうにも照れくさくて、首に巻いたままにしていたマフラーの中に鼻までもぐり込んだ。途端に白く曇ったサングラスに慌てて顔を出すと、それを見ていた春日が小さく笑って指をぎゅっと絡めてきた。所謂恋人つなぎ。年甲斐もなく緊張でぴくりと強張った手の震えに彼が気付かないはずはない。突然落ち着きなく視線を泳がせた春日は、握った手をそのままにおろおろと語り出した。
「そういえば、もうすぐ正月だな…」
「ってことは春日くんの誕生日だね…?」
「そう、だな…またさらにおっさんになっちまうな...」
上っ面をなぞるだけの会話で相手の出方を伺うこの感じには覚えがあった。恋愛関係になる直前の、もしかしたらいけるんじゃないか、そう期待してしまう瞬間の手ざわりだ。いや、でも、まさかそんなことが。春日の手はもうすっかり体温を取り戻して、今や自分の手よりも熱を持っていた。
「…なぁ、趙。もし良かったら、誕生日も今日みたいに俺と一緒にいてくれねぇか?」
「もちろん。皆で初詣に行くって約束でしょ?」
やばい、やばい、やばい。低く、少し掠れた春日の声に、心臓は暴れ狂っていた。それでもなんでもないふりを装って一旦距離を取る。この歳での失敗は致命傷になりかねない。俺と一緒に過ごしたくてクリスマスに誘ってくれた?二人で誕生日を過ごしたいと思ってくれている?先走った期待は身を滅ぼす。焦らず着実に、彼の真意を確かめなければ......
「ああ、それはそうなんだけどよ…そのあと…趙とふたりきりで過ごしてぇって意味、です……」
「……春日く、」
ーー嘘でしょ。俯いてしまった春日の真っ赤な耳たぶを見つめながら呟いた声は、下車するバス停への到着を告げるアナウンスにかき消されてしまった。慌てて料金を払い地に足をつけた瞬間、背中のすぐ後ろでドアを閉めたバスが何の余韻もなく走り去っていく。スナック街の外れにあたるこの場所はクリスマスの夜だというのに存外静かで、遠くから風に乗って流れてきた酔っ払いたちの笑い声だけが虚しく響いていた。
先にバスを降りていた春日は、こちらへ背を向けたまま空を見上げている。天気は曇り、しかし晴れていたところで星など見えない街。
歩み寄ったこちらの気配に振り返ることなく早足で歩き出した春日の背を追いかける。
「ねぇ」
「......」
「もう帰っちゃうの?」
「......だってよ...うっかり変なこと言っちまって...その、気まずいだろが...」
「ッ...春日くん...!」
紙袋を掴んで固く結ばれた拳をたまらず握り込むと、今度は春日が震える番だった。
「趙...」
「さ、さっきの返事したいから…ふたりきりになれるところ、行きたい、です...」
声は尻すぼみでみっともなく揺れている。きっと耳まで真っ赤だろう。春日と出会うまで、色恋沙汰で苦労したことなんて一度もない。人前で本当の感情を露わにした情けない姿を見せたことだって。それなのに彼の前でだけは、どうしてこうなってしまうんだろう。
ゆっくり振り返った春日を見上げてその双眸に捕らわれた瞬間、その答えがすとんと胸に落ちてきた。
ーーそれはきっと、この気持ちが本物だから。
不思議な色をしたその瞳が大きく見開かれて、溢れそうなほどの星が舞う。それは今日見かけたどのイルミネーションよりも鮮やかに煌めいて、火傷しそうな熱をはらんでいた。