@toasdm
お蕎麦にもですか?と苦笑する彼女の顔が見えるような気がして、雨彦はフッと笑った。駄目かい?と眉尻を下げて聞いてみれば、電話の向こうの彼女にもどうやら、そんな雨彦の顔が見えたようで、くすっと笑う声がした。
『いえ、大丈夫ですよ』
「そうかい」
『待ってます、ちゃんと二枚用意して』
「ははは、ありがとよ」
もうすぐ着くぜ、と告げた声には、安らいだような穏やかな、そんな雰囲気が宿っているようで笑えてくる。俺にこんな当たり前の幸せがくるなんてな、と目を閉じて通話を切って、雨彦はヘルメットを被り直した。ネックをぴっちりと締めて、ふ、と息を吐く。跨ったバイクは大晦日の夜を、風になって切り裂いて、雨彦を彼女の元へと運んでくれた。
「雨彦さん、お疲れ様です」
「お疲れさん」
家族とじゃなくていいのかい、と何度か確認したのだが、今年は雨彦さんと一緒がいいんです、と可愛いことを言われて急遽、時間を工面して共に過ごすことになった大晦日。雨彦さんの年越しそばもありますよ、と魅力的な条件を提示されて二つ返事で訪れた彼女の部屋は、美味しそうなだしの香りと温かな空気で満ちていた。
「お腹空きました?」
「ん……」
「んっ……」
部屋に上がり込むなり抱きしめた彼女の髪からも、馥郁たる年末年始の香りがふわりと広がって、雨彦は苦笑交じりに答えた。
「この匂い嗅いだら減ってきたよ」
「っふふふ、そっかぁ」
それは腕のふるい甲斐がありそうですね、と腕の中で雨彦を見上げてニコニコと笑う額にキスを落として、雨彦はすりすりと頬を擦り寄せた。
「んんっ、いい子で待ってて」
「いい子だぜ?」
「邪魔ぁ」
「ほら早く」
「邪魔ですってば!」
そう邪険に扱ってくれるなよ、とじゃれつくように彼女を抱きしめて離さない雨彦が、普段外で見せている顔とは別な顔を見せるようになって、今年で三年。一緒に暮らすかい?と言い続けてからは二年だが、未だ二人は、そういう間柄をキープしたまま穏やかに付き合いを続けている。しょうがねえな、と笑いながらソファに腰掛けて、雨彦は長い足を投げ出しキッチンの彼女をぼんやりと見つめた。
「♪~……」
鼻歌と、だしの香りが踊る二十三時。俺の幸せはここにあるんだな、と雨彦の中に芽生えた気持ちが、差し出された丼から立ち上る湯気の向こうの彼女の笑顔と重なる。
「はい、二枚どうぞ」
「……お前さんのは?」
向かい合わせ、二つ並んだ丼の、雨彦の方にだけ油揚げが二枚乗っている。私はこれにします、とかまぼこが五切れも乗った丼をドヤ顔で見せてくる彼女が面白くておかしくて、雨彦は満足そうな彼女の頭をわしわしと撫でた。
「んわっ、も、ほら、伸びちゃいますから」
「ああ、食っちまうか」
遠くで除夜の鐘が聞こえる。それをBGMにずずず、と蕎麦をすする音と、他愛もない会話と、ごちそうさま。食器下げとくぜ、と油揚げの礼を家事で返して、雨彦は彼女の隣へ戻った。
「ふーーーー…」
「はぁーーー…」
「…ッフ」
「ふふっ」
同時のため息。同じ間を開けて、同時の笑い。肩を抱き寄せて見上げてきた彼女の額にキスを落として、お互い心地よさを感じて目を細めて、リラックスする時間。こんな時間がずっと続けばいい、と願うことが我儘にならないことは、お互い理解していた。
「お前さん」
「なんですか?」
除夜の鐘の数は、折り返し地点くらいだろうか。来年こそはちゃんと筋を通すか、と指を絡めて彼女の手を包んで、雨彦はニッと歯を見せて笑った。
「来年も、よろしく頼むぜ」
今は、少し先の未来の約束を。
こちらこそ、と微笑む彼女との未来を思い描いて、雨彦は腕の中に自分だけの幸せを抱きしめた。