無印P5 津田会心させるもコープ10未満のED後
岩井とぺごくんの間には若干の距離があります。
お誕生日向けに書いたのに、全然お祝い感がなくて申し訳なく……。
@Yuko_Blue
夜のルブランには少し不思議な雰囲気がある。
コーヒー豆の並ぶ棚も、使い古したカウンターも、古めかしい公衆電話も、昼間と何一つ変わらない見慣れた風景なのにどこか異世界めいている。照明を必要最低限に絞っているから、そのせいかもしれない。ドアプレートをクローズドにしていても、煌々と明かりを点けているとまだ営業中だと勘違いした客がたまに入ってくるのだ。
営業中だが、営業中ではない。他の客に入ってこられては困る。
待っているのは、ただ一人だ。
日曜日の夜十時。それが、なんとなく決まった時間だった。はっきりとそう約束を取り交わしたわけではない。来ない日もある。ただ、今のところは来る時の方が格段に多かった。
だから、待っている。
時間が近づくとソワソワする。
ショータイムのステージのようにそこだけ明かりで切り取られたカウンター前で、意味もなくケトルやドリッパーの位置調整をしてしまう。テレビの音は雑音でしかなく点けていると耳障りで、スマホでネットを開いても内容が一つも頭に入ってこない。
毎週毛皮を着た小さな仲間から「子供かよ」とからかわれているが、どちらかと言うと主人を待つ犬と言った方が近い気がする。じっと座って待つことすらできず、ドアベルが鳴るのを今か今かと待っている犬だ。
不思議なことに、いつも一番ドキドキするのがこの時間だった。
会って目を合わせてしまえば、落ち着きなく波打つ気持ちが、スッと凪いだ海のようになる。そうして時折緩やかにさざ波立ち、ゆったりと温かな水位が上がったり下がったりする。さながら潮の満ち引きのように。
相手は月と形容するにはいささか粗野で精悍な容姿ではあるが、引力があるのは間違いがない。水面に映る月影に、ゆらりと反応する波を止める手立てはなかった。
引かれている。
惹かれている。
こうして待つことすら、嬉しくなるくらいに。
吸って吐く、普段は意識しない呼吸音が熱っぽくカウンターの上を滑り霧散していく。
夜は静かだ。
ついさっきまでテーブル席のソファに寝そべっていた白黒の毛玉は、「ワガハイはもう寝るぜ」と言い残し欠伸をしながら二階へあがって行った。話し相手がいなくなってしまうと、店内には小さな物音しか残らない。
空調が気流を吐き出す音、冷蔵庫のモーター音。時折通り過ぎる人の声と、大通りのトラックの地響き。
それから、自分の鼓動。
手悪戯でエプロンの裾を蛇腹に折り曲げながら、耳を澄ませる。ドアのガラス越し、夜に沈んだ通りを伺う。そうやって張り巡らせた意識のセンサーに聞きなれた足音を捉えたとき、じんわりと胸の真ん中が安堵と心嬉しさで温かくなった。
今日も、来てくれた。
りりん、とドアベルが揺れる。
秋の夜の冷えた空気が店内に流れ込み、一緒に少し背の高い人影が光が照らす範囲に浮かび上がった。
「……いらっしゃいませ」
いつもの通り少し畏まって出迎えれば、「おう」とこれまたいつもの通りの応えがあった。
岩井の出で立ちもほぼいつも通りだ。コートとキャップを脱いで、迷うことなくカウンター越しの椅子に座る。
だから、こちらもいつも通りに問いかけた。
「食事は?」
「食う。今日はなんだ?」
「ハンバーグドリア」
「そうか」
気のない返事をしながらも、岩井はどことなく嬉しそうだ。基本的に肉が好きなのはもう知っている。だから取っておくのもだいたい肉料理が多い。
夜の食事は昼間の材料を取り置きしたものだ。いつも一人分だけ確保しておき、岩井が来なければ翌日の朝食になる。今のところ朝食になった回数はそう多くない。
「焼くの時間かかるから、とりあえずこれ」
ドリアをオーブンに任せている間に、こちらも用意しておいたサラダボウルをドレッシングボトルと一緒にカウンターに置いた。キャベツとサニーレタスとプチトマト。ついでにミックスビーンズのツナマヨ和えを乗っけたサラダは、我ながら彩りよく盛り付けられたと思っている。
「……暁」
目の前に置かれたサラダボウルを見たままの岩井に名前を呼ばれた。問いかけるような声音に、暁はできる限りの営業スマイルを浮かべた。
「セットのサラダです」
「にしちゃあ量多くねえか?」
「野菜多めなのは薫からの指令」
「あァ?」
「これ」
スマホのメッセージ画面を呼び出し、そのまま岩井の目の前に置いた。
内容は以下の通りだ。
『暁さん、申し訳ありませんがお父さんの食事は野菜多めでお願いします。ちゃんと野菜も食べてって僕が言っても五回に一回くらいしか言うこと聞いてくれないので』
この一文で、自宅での食生活が窺い知れるというものだ。
「あの野郎……」
「あんまり息子に心配かけるなよ。というわけで、これは今日のノルマ。どうぞお召し上がりください」
完食どうぞ、とフォークを差し出すと、岩井は諦めたようにそれを受け取った。
「お前は嫁かよ」
「嫁じゃない、俺は旦那。亭主関白」
「……マジか」
殊更居丈高につんと顎をそらして宣言する。手の中のフォークを弄びながら、目の前の男が小さく笑みを含んだ吐息を零したのが聞こえた。
しかたねえなぁとぼやきながらも、肉食系の嫁はちゃんとおとなしくサラダに手を付けた。自分から手を出すことは少なくても、食べろと言えば素直に食べるから口にできないほど嫌いではないらしい。だったら息子に言われなくとも食べればいいものを、と思わなくもないのだがどうもこの点に関しては「言われるまでやらない」姿勢を貫く方針のようだ。
こういうところが少し可愛い。
とても口には出せないからにっこり微笑むことで誤魔化す。接客業で培った営業スマイルは本心を覆い隠すのに実に有用だ。
「サラダ全部食べたらドリア出してやる」
「鬼か」
「鬼も悪くないけど、どっちかというと悪魔だ」
そんな反論をしながら、かつて仮面の内側にいた存在を思い出す。自らの手で「悪魔」を呼び出していた頃が懐かしい。
「あァ……悪魔ねえ……確かにお前、悪魔っぽいよな」
「ご納得いただけましたか」
「まあな。悪魔なんてもんは見た目がいいって相場が決まってる。その点お前は完璧にタチの悪ぃ悪魔だよ」
思わずぱちくりと瞬きをした。
「俺、見た目いい?」
「悪かねえだろ」
こともなげに放たれた言葉に、内臓がドキリとざわめく。
岩井の「悪くない」は大分いい褒め言葉だ。
(もしかして俺の顔、岩井の好みなのか)
造作についての好き嫌いを今まで聞いたことはない。そもそもそういう発想がなかった。年上の男に向かって「俺の顔好き?」などと訊けようはずもない。そんなことを訊こうものなら「頭大丈夫か?」と返されるのがオチだ。
「そっか、俺見た目いいのか」
「……んだよその変な言い方は」
「いや別に?」
「マジでそういうとこ悪魔だなお前」
「悪魔だけど、時々天使にもなれる。例えば今とか」
さくさくと機械的に処理されたサラダを見計らってから、空になった皿を焼きあがったドリアと取り換えてあげた。もちろん、天使のような笑顔でだ。
「お前なあ……ホンモノの天使は自分で天使だなんて言わねえもんだ」
「俺、基本は悪魔だから」
「悪魔で怪盗とか手に負えねえな」
「訂正を求める。怪盗の方はもう足洗ってる」
「そうだっけか?」
「そう。だから俺はただの悪魔」
軽口を叩きながらも嬉々としてドリアに取り掛かる岩井を眺めながら、暁はふふっと微笑んだ。
世の中には天使も悪魔も鬼も神もいるものだが、それを言う必要はない。そういうものが彷徨う世界へはもう行けないのだから。
グラタン皿から、焦げたチーズとデミグラスソースのいい匂いがする。スプーンで器用に齧り取られていくハンバーグはいい具合にしっとりと焼けていて、その出来栄えにひっそりと満足した。
「旨いな」
「今日は全部俺が作ったんだから、当たり前」
「なんだその妙な自信は」
「最近はカレー以外の食事メニューも時々作ってる」
「へえ、出世してんじゃねえか」
さも意外と言う風に、岩井が笑う。それに「まあな」と気のない返事をしながらお行儀悪くカウンターに肘をつく。そうすると丁度いい具合に面積が狭くなっていく皿の中身を視界の端に入れられるのだ。
岩井が食事するさまをそれとなく見るのがいつもの暁の楽しみだった。岩井の食べ方は話に聞いた生まれ育ちの割に意外ときれいで、いつだったか聞いたところ「薫の教育上できないとまずいと思って無理やり矯正した」らしい。箸もろくに持てないところから始めたそうだから相当大変だったろうに、こと薫のこととなると努力は惜しまない性質なのだろう。息子が絡むと途端に自己犠牲精神が顔を出す。
(……少しだけ、薫が羨ましい)
そうやって、気持ちを傾けられていると如実にわかるのが、羨ましい。同じことをしてほしいわけではないが、その「気持ち」の一欠片でもいいから自分にも零してほしい。
絶対に言えない気持ちは会うたびに増えていく。
なんでもない顔をして他愛のない話をしながら、不意に打ち寄せる寂しさの波は甘苦い。
店員と客。
従業員と雇用主。
今の自分と岩井を表す単語はそんなところだ。どちらも目の前のカウンターテーブルのように区切りがある。壊れて元に戻せなくなるのが恐ろしくて、不用意に近付くこともできない。
昔はそこに「怪盗と協力者」という関係性もあった。
(もう、ずいぶん昔のことのような気がする)
一番距離が近かったのが、あの怪盗を名乗っていた頃だったように思える。バイトなり買い物なりで足繁く店に通い、顔を合わせていた時間も今よりも多かった。武器が必要なくなった今では、たまに店を手伝いに行くくらいだ。
だからこそより一層、今この時間が大切だった。同じ空間で同じ時間を過ごすことの重要性。それを離れていた一年間にいやというほど思い知らされた。
できることなら、許されるなら、もっと一緒にいたい。
(……言えないけど)
海の底に、言えない言葉の澱が溜まっていく。いつか島ができてしまいそうだ。
「コーヒー、淹れようか」
「ああ、頼む」
空になった皿を下げると、ちゃんと「ごちそうさん」と声をかけてくれる。満足そうなその一言でほんの少し右肩下がりになっていた気持ちがすぐさま上がるのだから、我ながら本当に末期だな、などと暁は頭の隅で自分自身を嗤った。
些細なことで簡単に浮き沈みしてしまう。自問するまでもない。
(……絶対に、言えないけど)
呑み込む言葉は増えていくばかりだ。
行き場のない恋を、している。