オーゼンさんとちびジルオ君と時々ライザさんの話。
if設定、岸壁街出身のジルオ君です。創造多め。喋るモブもいます。加筆修正版を紙版・支部に掲載しました。
後編→https://privatter.net/p/7984880
@rondonozatta
side.J - 0
「アビスってのは、宝の山なんだぜ」
明日探窟に行くのだと云う男は、そう幼い子供に語った。男の衣服に染みついた煙草の燻る臭いが煙たかった。
何日も小雨が降っていた。かろうじて二人がぎゅうぎゅう詰めになって雨宿りのできるボロ屋根の下、男が割り込んできたのだ。片方の子供は凍えて死んでいたので、男は屋根の外側に冷たい身体を乱暴に押し出した。小さな子供だったものがごろりと力なく雨に打たれていくのをジルオは膝を抱えて、黙って見過ごした。生きた人間の体温の方が有り難かったからだ。
気の良い男は、訊いてもいないのにジルオを相手に様々なことを喋った。アビスに行くのだ、という話は男のとっておきの自慢話だった。
「アビス?あんな真っ暗なとこになにがあんだ」
ジルオはその日ほとんど初めて声を発した。男は反応を示したことに気を良くしたのか秘密めいた風に耳打ちした。
「遺物だよ。何百何千と大昔の人類が使っていた遺物さ。こいつを地上に持ち帰ると、とんでもねえ大金に変わる。金持ちになれば腹一杯食えるし高台の豪邸にだって住めるんだ」
「……うらやましいって云ったら、オレもつれてってくれんの」
ジルオは腹を抑えるように膝を押しつける。昨日から何も食べていなかった。一昨日縄張りの露店で果物をスるのに失敗して、自警団に警戒されている。からっぽの腹が潰れて痛いくらいに鳴った。
若くエネルギーに満ち溢れた男はニッと笑って、肩にかかる雨を避けてジルオの方に身を寄せた。
「お前がもっと大きくなったら良いぜ。遺物を運ぶ人手が全然足りないんだとよ」
「今だっていいじゃないか」
「隊長が身体の大きな奴じゃないと連れて行けないって云うんだ。なんせ今回は深界四層、巨人の盃だからな。実は俺も初めて行くんだよ。狙うのは当然、特級遺物だ。な、すげえだろ?」
「……うん、でも腹がふくれねぇなら、オレはいい……」
男の語る言葉は、ぬかるみの泥にまみれた肉のつかない痩せた身体と、ようやく覚えたばかりのスリしか特技のないジルオにとって、夢物語でしかなかった。大人になれるかどうかさえ、岸壁街ではほんの一握りなのに。冷たくなって雨の中に放り出されるのは、次は自分かもしれないのだ。
男は興味の薄さに焦れたらしかった。俯いて体温を逃さないように蹲っているジルオの肩を強引に掴む。
「これだけじゃない。こっからだと真っ黒にしか見えねえが、アビスの中はこの街よりも明るいくらいなんだ。旨いもんが食えるし、ものすげえ景色が見られるし、どこよりも良い楽園だぞ。お前も探窟家になってみればわかるぜ」
乱暴に揺らされてジルオはようやくやつれた顔を上げた。影って表情のわかりにくい男の、瞳だけが輝いていた。これほど明るい希望に満ちた目を見るのはアビスの探窟家の話を聴いたのと同じく、ジルオは初めてで、単純にきれいだな、と思った。
雨が止むと男は去って行った。幾日かぶりに太陽は岸壁街の薄暗い通りまでも照らし、ジルオはひもじさを紛らわせるための食べ物を探しに寝床から這い出た。
笛を持たない探窟家の男は、あれから見ていない。
*
side.O - 1
オースは不動卿と殲滅卿の巨人の盃からの帰還を祝う祭りの真っ最中だった。
色とりどりのテントやのぼりが張られ、孤児院の赤笛たちが売り子として不動卿や殲滅卿をイメージした手作りのグッズやオースの土産物の饅頭を売り出している。板人形の白笛が活躍する見世物小屋は満員盛況だ。人々はトコシエコウの花びらを巻き、花火をあげて偉大なる奈落の星(ネザースター)を祝った。
宣誓やら遺物の紹介やらの退屈な式典を同行した隊員たちに上手いこと押しつけたオーゼンは、街の中心部から離れた、南区の閑静な通りを歩いていた。
こちらに用があったわけではないが、人混みを避けて歩いているうちにこんなところまで来てしまったのである。
今頃ライザは記者の質問攻めに悩まされているだろう。彼女は言葉で説明したり意味もなくじっとしていたりするのが苦手だから。いや、格式のある式典など、オーゼンと同じように、お気に入りの間抜け面に押しつけてどこかへ逃げ出したかもしれない。ただ、ライザの逃亡先はアビスの中であることは確信した。
式典が終わる頃に戻って美味い酒でも飲もうか、とオーゼンは行き先もなくぶらぶら歩く。
この辺りは打ち捨てられた工場跡地や建て増ししすぎてアビスにせり出しそうな具合の不安定な違法建築が建ち並ぶ。笛持ちの探窟家をよく思わない連中も多いこともあって、探窟組合では単独で立ち寄ることを禁止していたが、オーゼンには知ったことでなかった。ならず者が襲いかかってこようものならやり返せばいい。本気の武装がなくとも十人や二十人くらいならぶっ飛ばせる自信がある。
昔は遺物を加工する工場が合法違法にかかわらずひしめき合って煙を出していたものだが、組合が片端から検挙していったおかげで、今や稼働している工場は、組合が所有する三、四つばかりである。かつての盗窟家たちの目論見は抑えられたと云えた。
ところがその跡地で、不法移住者や一般の生活にあぶれた者たちの拠り所であった岸壁街が年々拡大している傾向にあった。オースを統治してもいる組合は、盗窟家だけではない岸壁街の処遇に頭を悩ませている。
その岸壁街を堂々と歩くオーゼンは、現地住民から胡乱げな目で見られながらも、久々ののんびりした散歩を楽しんでいた。血気早いならず者を五人ほど投げ飛ばし、露店の爺さんが売っていた、十中八九が密輸であろう酒瓶を買い、瓶のまま口をつけて飲み干した。酒精が喉を焼く感覚はやはり楽しい。空き瓶は屑拾いをしていた姉妹に投げてやった。恵んでもらえると思ったのか、泥や垢で汚れた衣服の子供らがわらわらと手を差し出してくる。
どん、と背後から子供の一人にぶつかられた。
思わずライザにやるときの癖で、オーゼンは子供を蹴り飛ばした。左方向に大きく吹っ飛んだ小柄な子供は、運悪く背中を石垣に打ちつけられて落ちた。
「ア、悪いねェ。やっちまった」
そもそもぶつかってくる子供が悪い。責任転嫁して納得したオーゼンは、ぴくりと震えながら身を起こそうとする子供を見やった。
オーゼンは子供がわっと泣き出す状況を想像して顔をしかめた。だが子供は気丈に立ち上がって、砂だらけの手を握りしめ、ろくに洗ってもいない灰色のざんばら髪の間からオーゼンを見上げた。
冷えた水のような両眼が深淵を覗きこむ。
オーゼンが手を伸ばそうとすると、子供はすり抜けるように身を翻して暗い路地の奥へ走って行ってしまった。
行き場のなくなった腕をぶらりと下ろす。いつの間にか周囲には子供がいなくなっていた。
呑み直そうと思って、当初の予定通り祭りの会場に戻ると、さっそく見覚えのありすぎる顔がぶんぶんと手を振って待ち構えていた。
「オーゼン!どこ行ってたんだ!酷い目に遭ったんだぞ!」
「お前さんのことだからアビスにでも逃げたかと思ったんだけどねェ……」
どうもライザは案外やり手の間抜け面にしっかり抑えられて、オーゼンの分まで最後まで式典に参加させられたらしい。ぽやっとしていてもさすがは黒笛というわけか。
妙に感心を覚えながら、オーゼンは式典が長すぎるだの挨拶が面倒だのとうるさく喚くライザの愚痴を頭をひねって聞き流す。
「こうなったら今夜の飯代はオーゼンに奢ってもらうからな!覚悟しておけよ!」
「はぁ、仕方ないね。今日くらいは奢ってやっても……」
「やった!師匠愛してるー!」
現金なものだ。高揚する気分のままにオーゼンにぶら下がろうとするライザをあしらって、何を食べようかと考えながら呑み屋に入る。
ふとオーゼンは気づいた。服に手を当ててみれば膨らみが足りない。
「……ライザ」
「どうしたんだ?オーゼン」
「あの間抜けでいいから誰か呼びな」
舌打ちする。酒を呑んでいたとはいえなんという失態だろう。
左ポケットに入っていたはずの財布がなくなっていた。
*
side.O - 2
あの一瞬で掠めとったとは大したものである。
それなりに気に入っていた財布だったが、オーゼンは盗られた財布よりも子供の目の色を思い返していた。
移民の街オースでは珍しくもなんともない水色がやけに脳裏に焼きついている。
他人にあれほど真っ直ぐ見られたのは久しぶりだった。たいていの初対面の相手は上背のあるオーゼンを見上げるとき、なぜか視線を泳がせる。それは主にオーゼンの顔を覗きこむ癖が原因なのだが、顔を近づけなければ声が聞こえづらいのだから苛立たしい。
どこかで会っただろうか?いや、岸壁街なんて辺鄙な場所はオーゼンも滅多に近づかないし、彼らも自警団に捕まればただでは済まされないとわかっているので、鍛え上げられた探窟家ではなく無防備でわかりやすく金を持っている観光客を狙う。オーゼンに目をつけたのは酒代を持ってふらふらと縄張りを歩いていたからだろう。
ポケットの財布を気づかれずに盗り、蹴られても泣きも喚きもせず黙って素早く去っていく。ただの子供のスリにしては肝が据わっている。
――それに、あの冷え冷えとオーゼンを見据えた瞳。
(あの子は簡単には死にそうになくて良いなァ)
泣いて這いつくばって命乞いをするような人間は面白くない。やはり育てるならああいう図太くて時に反抗的な、鍛えがいのある子でなくては。
考えて、オーゼンは首を傾げる。今、何を思った?
「オーゼン!何をぼけーっとしてるんだ!そっち行ったぞ!」
突然、ライザの張り上げる怒声が聞こえて、オーゼンは現実に呼び戻された。
連続的に爆破しながら落ちてくる鳥形の原生生物を地面に叩き落とし、オーゼンは二十メートル上の崖上で仁王立ちしているライザを見上げた。逆光で影っていたので目を細めると、無人鎚(ブレイズリープ)を担いだライザがひと思いに飛び降りてきた。
「かわいい弟子と探窟中だっていうのに、上の空とは度し難いぞ」
「……貴重な休みを潰して探窟に付き合わせられたら私だって気合も入らないもんなんだよ」
「そりゃオーゼンのせいじゃないか!この前の財布を失くしたなんて下手な云い訳をこれで許すんだから私も優しいだろ?」
指摘されるとオーゼンも言葉に詰まってしまう。真実を届ける白笛の矜持は一応持ち合わせているのだ。
祭りの日、隊員の一人を呼んでオーゼンは式典をサボったことを散々になじられたのち、飯代の肩代わりをしてもらったのだ。それでも足りなかったのでライザも半分出した。ライザは結局奢ってもらえなかったことにたいそう不満を訴え、代わりにアビスの淵の探窟をねだった。
完全プライベートな二人きりの探窟は、まったく数年ぶりだった。せめて逆さ森くらいまで降りたいとライザは主張したが、三日後に大規模探窟を控えている。隊長のライザが遅刻するわけにはいかない。
たった一日の我慢だ、と思えばオーゼンも休日を探窟に充てるのに異論はなかった。アビスの淵は多少気を散らそうがさほど危険はないし、ライザと過ごすのは実のところ嫌いではない。
「ま、良いよ。それよりも腹が減った。今仕留めたこいつを食おう」
ライザは先ほど無人鎚(ブレイズリープ)を喰らわせた巨大な青い鳥をつつく。嬉々として荷物から調理器具を取り出し、初めて見た生物だろうに器用にさばいていく。
「はおぉ?!こいつ胃が三つもある!草食か?」
「雑食だよ確か。ツチバシや木の葉なんかを食べるんだ。食えるかどうかは知らんが」
「シチューにしちまおう。トーカがシチューならなんでも美味くなるって云ってた」
「私といるときくらい間抜け面の話はやめてくれんかね」
「嫉妬か?嫉妬してるのかオーゼン?!」
「うるさいよ……ほら火をつけるよ」
ライザの表情は二転三転して見ていて飽きない。飯となればご機嫌だ。絶えず喋りまくるところも小動物のように忙しなく手が動くのも面白い。
ライザがぶつ切りにした鳥の肉や刻んだサイノナを一見雑に鍋に入れていくのを、オーゼンはかき混ぜる。
(そういやあの子はライザと違って泣きも笑いもしなさそうだ)
思い返せばライザは知識や技術の呑み込みは早くて、その点においては良くできた弟子である。だがライザのようなやかましい子供はもう懲り懲りだった。次に弟子を取るなら、あの子のような静かな子が良い。
そこまで考えて、オーゼンは苦笑した。やっとライザが一人前になってせいせいしたのに、まだ弟子を貰う気なのか。
仕上げに岩塩とトコシエコウの実を散らす。ライザがよそってくれたシチューはほかほかと温かい。さじですくった大きなひと切れの鳥の肉はもきゅもきゅと噛みごたえがあって、くたくたに煮たサイノナも味が染みている。
「なぁ、今日のあんたはおかしいぞ。何か悩みごとでもあるのか?」
「ンフフ……たった今解決したよ」
ライザの空を映し出したような大きな瞳の中に、オーゼンは笑っている自分を見た。
ようやくわかった。――オーゼンはあの子供が欲しいのだった。
*
side.J - 1
朝夕の市は絶好のチャンスだ。
商人が慌ただしく働いている天幕と天幕の間に身体をひそめ、行き交う人々を観察する。
オースでは珍しい身なりや詰まったカバンを提げている旅行者を探す。できれば体格も筋肉隆々とした探窟家ではなく、細身のか弱そうな方が良い。
右手から歩いてくる若い男を見つけた。オースへは家族旅行で来たのだろう、小さな男の子を肩車して、落ちないように両手を繋いでいる。両腕がふさがっているとはありがたい。ズボンのポケットから金色の鎖が見えている。
ジルオは若い父親が一度通り過ぎるのを待って、天幕の隙間から這いだしてきて走った。裸足のために音もなく男に追いつき、ばっと手を鎖の留め具に手をかけて素早く離れる。
ポケットから引き出したモノを砂で白くなっている手で握りしめ、ジルオは人混みに紛れて裏通りに駆けこんだ。
息を整えながらてのひらを開くと、飾り気のない金色の懐中時計が暗がりで鈍く光っていた。財布より断然素晴らしい。量産の安物かもしれないが、ジルオは岸壁街でこういうものを買い取ってくれる業者を知っている。収穫をボロ布のハンカチで包んで自分のポケットにつっこみ、何食わぬ顔で歩きだした。
岸壁街の奥、傾いて屋根が半分腐り落ちている掘っ立て小屋を子供たちの互助組織『狼の巣』のメンバーは、アジトと呼んでいる。
半分吹きさらしで雨風の強い日はあてにならなかったが、板が二枚外れているだけの簡易窓から奈落門が遠目ながらもよく見えたので、アビスに憧れる岸壁街の子供たちにとっては一等地だった。
ジルオは『狼の巣』の一員となって日も浅く、最年少の下っ端だったが、週毎に相当額を納めるだけでこの景色を拝めるのに充分満足している。
アジトに行ってさっそく懐中時計をリーダーに見せた。
「こりゃすげぇぞ。海外の時計か、これ?」
「換金したらいくらになるかな」
「あたしだって負けてないわよ。何かの瓶詰め二つでしょ、キラキラのガラス玉でしょ」
「勝ち負けじゃねーぞ。これ、ほんとに半分で良いのかよ?」
「うん、だからリーダーの妹に薬買ってやって」
皆からリーダーと呼ばれている歳上の少年は、少し嬉しそうな顔をして、ジルオが渡した懐中時計を懐にしまった。それを仲間の別の少年と少女が羨ましそうに眺める。
「こりゃジルオの昇進も遠くないな。この間の革財布も良い値がついたし」
「あれ、マドカジャクの皮を鞣したやつで結構気に入っていたんだけどねェ。ま、仕方ないか」
アジトに大きな影が落ちる。ジルオが振り向くと、黒い衣服に見を包んだ長身の女が元々建てつけのがたがたしていた扉を倒して中に踏みこんできた。
――襲撃だ。
「みんなっ逃げろ!」
いち早くリーダーが叫ぶ。戦利品を奪おうとする輩は尽きない。窓からの脱出が可能だ。初動は速かった。
ふいに継ぎ接ぎ服の首根っこに手をかけられ、ジルオの裸足が宙を蹴った。ジルオは身をよじって今や絞まる首枷となったシャツをかきむしった。
「ぐぅっ……!」
「用があるのは君だけだよ」
「ジルオを離せ!」
仲間が捕まったことに気づき、リーダーが果敢に腰に挿していたナイフを構えて大女に向ける。その心意気は良かったが、相手が悪かった。
「邪魔だよ」
大女はため息をついてジルオをぶら下げていない方の指で、ひたいを軽く弾いた。リーダーはぶっ飛んで壁に沈んだ。
「う、わあぁぁああ!!」
リーダーがやられたとわかると、残った二人もそれぞれに隠し持っていたおもちゃの武器を手に突進したが、冷静を失った子供の反撃など大女にとってそよ風のごとく。みぞおちを蹴飛ばされ、仲間たちはあえなく床に沈んだ。
打ちどころが悪かったのかリーダーのひたいから血が流れている。他の仲間もぐったりして動かない。ジルオは必死に抵抗しようと自由にならない身体で足掻いていたが、大女は軽々とジルオをさらに持ち上げて、胴体を肩に乗せてアジトを出た。体勢が変わったおかげで咳きこみながらもやっとまともに呼吸ができるようになる。
落ち着いてくると、襲撃者の顔をジルオは思い出せた。数日前、縄張りをふらふらしていた酔っぱらい。首にかけられた白い笛を見て、ひくりと息を呑む。
(しくじった。組合の探窟家だったのか)
オースを取りまとめる探窟組合を表す笛は、ジルオのような岸壁街の子供たちの憧れであり、スリを生業とする子供たちの天敵である。ジルオは組合の自警団に捕まったのち帰って来なかった子供を何人も知っている。
大人の探窟家相手に力勝負は子供には不利である。とにかく機を待とうか。
ジルオの考えを読んだようなタイミングで、大女は口を開いた。
「君、随分大人しいけど私から二度も逃げようたってそうはさせないよ」
「……じゃあどこ連れてくんだ。アビスにでも投げこむつもりか?」
「ンフフフ……今のままじゃあ死ぬじゃないか。もっとイイとこだよ」
岸壁街では人攫いも珍しくなく、遠巻きに見られるばかりである。ジルオを担いで堂々と歩く大女が西区に出ようとしているのにジルオは気づいた。
(東区の本部じゃないのか?)
てっきり組合本部に連れて行かれると考えていたジルオは、薄気味悪い大女の行動を図りかねた。だいいち、アジトに乗りこんでくるにしてもたった一人で、ジルオだけを攫っていくのも変だ。
小綺麗な住宅街を道行く人は担がれているジルオを見て何か云いたそうにしても、大女を見るとそそくさと目をそらしたり離れていったりする。もしやただの探窟家ではなく、もっとヤバい人物なのではないかとジルオが疑いはじめた頃、大女が立ち止まった。
「ここは?」
「見りゃわかるだろ。孤児院だよ」
小高い丘の上の建物が目的地だった。大女は肩から降ろしてくれたが、腕はしっかりと掴んだままで、ジルオは引きずられるように玄関まで歩かされる。
「院長のベルチェロを呼びな」
前庭で遊んでいたきれいな服の子供は、きょとんと大女とジルオを見比べると、くるりと回って鈴の音を鳴らしながら建物の中に入っていった。しばらく待つと杖をついた年寄りが表に出てきた。
「やぁ、ベルチェロ。引退以来かね」
「お久しぶりです、オーゼンさん。わざわざ訪ねて下さり恐縮です」
「お前さんが孤児院を開いたことを思い出してさ。頼まれてくれるだろう?」
「この薄汚い子を預かれと?」
「岸壁街で見つけたんだけどさァ、これが叩きがいのありそうな子で、私が蹴っても攫ってきても泣きわめきもしないんだ」
「それはそれは……見込みがありそうな子で」
「おまえら、なんの話してるんだ?」
大人たちの不穏な会話にたまらずジルオは口を挟んだ。
薄笑みをたたえた大女がさらに口元をゆがめて身をかがめ、ジルオを覗きこんでくる。ジルオは本能的に不吉な予感で逃げだしたくなるのを必死に深淵の穴を見返した。
「そりゃもちろん、君が探窟家になる話だよ」
ジルオは眼を見開いた。
「な、なに云ってんだ……」
「やァっと顔色が変わったねェ。一人前の探窟家でも君みたいなのは珍しいんだ。私が直接面倒見てやっても良いんだけど、あいにくこれでも色々やることがあるんでねェ。ここで基礎を学ぶンだね。なァに、君ならアビスでもすぐには死にやしないさ」
ジルオは瞬きさえしない大女の暗闇のような瞳から眼を逸らせずに固まっていた。反発と恐怖と喜悦と不安と、何よりも泥だらけの日常で忘れかけていたアビスへの憧れを一気に呼び覚まされて、ジルオはぞくりと身を震わせた。
大女は満足そうに身を起こすと、ジルオの腕を開放して、孤児院へと背中を押しだした。一瞬のような短い時を放心していたジルオは、唐突に仲間のことを思い出した。
(冗談じゃない!)
ジルオは思いきり院長の足を蹴った。足の悪い院長は杖の支えを失ってよろめく。ジルオは一目散に駆けだそうとした。
仲間のところへ帰らなければ、という思いが頭を占めていた。リーダーは怪我を負っていた。それに他の仲間も。自分だけが良い生活を手に入れるわけにはいかない。
「んぐっ!!」
背後から容赦なく叩かれ、転倒したところを喉笛を突かれた。呼吸が一瞬詰まる。
ジルオがどうにか頭を動かすと、院長の杖がかろうじて目に入った。
「君、ウチの孤児院生徒になるのならもう少し行儀よくしてもらいたいものだね。次に同じことをやろうものなら裸吊りだよ」
元のように首根っこを掴まえられて大女に立たされ、院長の前に引きずり出される。ジルオはゲホゲホと激しく咳きこんだ。
「ま、こういうことだ。世話をかけるね」
「構いません。不動卿自らのご依頼には私も不服はありませんよ」
にこりともせず院長が云った。
もはやジルオに選択肢はなかった。
「ジルオだったかね。孤児院から逃げようものなら、私がその都度連れ戻すからね。覚悟したまえ」
「最高の嫌がらせだ。クソババア」
大女がしてやったりとばかりに嗤うのをジルオは憎らしく思った。それ以上に、胸が痛いほど歓喜に満ちていた。
*
side.O - 3
大規模探窟に向かったオーゼンが再びオースに上がってきたのは、それから二ヶ月後のことである。
配達の赤笛からベルチェロの手紙を受け取り、さっそくオーゼンはベルチェロ孤児院に向かった。
「……案外暇なんだな、不動卿」
「暇なもんか。先日だって三層の調査に行っていたのだけど。君が一度も逃げだしてないって、ベルチェロに聞いたよ」
「気が変わったんだ。どうせ探窟家にさせられるなら、とことんやってやろうじゃないか」
孤児院の裏手で掃除をしていたジルオは、出逢ったときとまったく印象が違っていた。オーゼンが灰色だと思いこんでいた髪はもっと薄く抜けた色で、ぼさぼさなのは相変わらずだがきれいに切り揃えられている。孤児院の制服はくたっとしていても清潔で、ちゃんとサイズの合う靴を履いている。いずれは痩せすぎの身体も徐々に子供らしい体型になっていくだろう。ただ、オーゼンを真っ直ぐ睨む薄青色の眼は以前と同じだった。
「岸壁街に帰りたくはないのかい?」
「毎日飯は食えるし寝床はあるし、あそこに戻る理由はねぇ。しいて云うならシャワーがお湯なのが嫌だ」
「フーンそりゃ良かった。探窟中なんてほとんど風呂には入れんよ。たまに温泉を引き当てるが。それにしても、ちゃんと礼儀作法は習ったのかい」
「……白笛が探窟家の最高位だって知ってたら、動かざるオーゼンなんて狙いませんでした」
ジルオは不満そうに鼻を鳴らす。ちぐはぐな敬語が似つかわしい。こりゃベルチェロも手こずってるなとオーゼンは思う。
手紙では読み書きから始めたと聞いていたので、こんなものだろう。オーゼンを知っているということは知識は着々と増やしている。
「そんで、いったい何の用なんだ?見張り?」
「忘れるとこだった。君にやろうと思って」
オーゼンは自宅から持ち出してきた本を無造作にジルオに手渡す。ベルチェロの手紙に、ジルオがよく読書していると書いてあった。
「孤児院の本は古かろう。それを読んでよく学ぶんだね」
『遺物録総集編』、版は一年前。組合公式の最新版である。
訝しげにジルオは受け取り、重く厚い上製本の表紙の文字を脳裏に刻みつけるようにゆっくりと指でなぞった。
「云っとくけど売っぱらうんじゃないよ。それ、組合の探窟家じゃないと手に入らないんだ。市場に出たらすぐわかる」
「持ち主のおまえが怒られるだけじゃねぇの?」
「君にやると云ったじゃないか。処罰されるのは君の方さ。見つかったら裸吊りなんかじゃ済まないからね。あと言葉遣い」
「……ただの鈴付きに贈り物とは、さすが不動卿、お優しいですね。お気づかい感謝します」
「やればできるじゃないか」
むすっとした不貞腐れ顔といい言葉選びといい、反発も感じるがオーゼンは温情もって良しとしてやった。もし相手がライザなら屋根の先まで殴り飛ばしてやったところである。
暴れて手をつけられなかった場合の仕置きの想定はしていたが、与えられた監獄で大人しく勉強をしてくれるなんて思ってもいなかった。このぶんなら『狼の巣』がジルオの捜索を打ち切っていることを伝えずにすみそうだ。
(なかなか賢いじゃないか。自分が置かれた状況の判断ができている)
今に鈴付きを卒業して赤笛に上がるだろう。そうしたら弟子にしてやってもいい、とオーゼンは考えた。
*
side.J - 2
祭りの日はベルチェロ孤児院の稼ぎ時ということで、子供たちは仕事に駆りだされる。
「何の祭りなんだ?」
「殲滅卿の帰還だよ!ジルオ知らないの?」
「あぁ……白笛の」
白笛にはあまり良い印象はない。なんせその白笛に誘拐されてきたので。ジルオの興味の薄い返事に焦れたらしく、同年代の先輩赤笛のロウジュは訊いてもないのに自慢げに話しだす。
「殲滅卿、殲滅のライザって云ってさ、すごい人なんだよ!オースに上がってきた原生生物を撃退したり他国の探窟家を倒したり、ものすごーく強いんだよ!」
「そうか」
「あっさてはおまえ、殲滅卿のすごさをわかってないな!今までにすごい発見いっぱいしててさ、一級遺物や特級遺物だって」
「興味ないからよしてくれ」
なおも話そうとするロウジュに背を向けて、ジルオは年少のセルラルと一緒に花壇のトコシエコウを摘む作業を続ける。
根は香辛料に、葉や茎は炒めものに、花びらは明日の祭りに撒くために使われるのだという。この有用性とアビスの中でもところ構わず咲く不屈の花は、オースのシンボルになっている。
(飯を食えない日は生でかじったな)
香辛料にされるだけあって生のままはとんでもなく辛く青臭いのだが、岸壁街では空腹を紛らわせる方法として子供たちに利用されていた。トコシエコウばかり食べすぎて腹を壊して亡くなった子も多かったが。
泥と空腹と毒にまみれた岸壁街に比べれば、孤児院の生活はなんて素晴らしいんだろう、とジルオは思う。規則は面倒だが暖かい寝床と安全な飯は何にも変えがたい。
それに、鈴付きを卒業して赤笛になれば、アビスに行くことができる。
「さっきの殲滅卿の祭りだけどさぁ」
「まだ続けるのか」
「ジルオは殲滅卿見たことないんだろ。連れてってやるよ!大桟橋までさ」
大桟橋の近くまで行ったことはない。ジルオは少し心が動いた。
「……仕事を抜けられるのか?」
「もう考えてある。トコシエコウの花を売るんだ。トコシエコウは殲滅卿の花だから、みんな買ってくれるよ」
「殲滅卿の花?」
「殲滅卿は、不屈の花が一等お好きなんだって。前の祭りのインタビューで云ってた。白笛にも花の意匠があるんだ」
「ふーん」
「ね、行こうよ。殲滅卿が間近で見れるチャンスだ」
「ぼくも行きたい」
セルラルがぴんと手を上げてうるうると眼を潤ませて縋ってくるので、ジルオもようやく頷いた。
「……うん。よろしく」
殲滅卿にはちっとも興味はわかなかったが、大桟橋は見たいな、とジルオは思ったので。
朝早くから、花籠に入るだけの山盛りのトコシエコウを詰めて、約束通りロウジュはジルオとセルラルを大桟橋近くまで連れていってくれた。
街中がお祭り騒ぎだった。これまで祭りといえばスリの成功率が上がる感覚でしかなかったジルオは、祭りに参加するのは初めてだった。色とりどりののぼりが上がり、饅頭や串焼きを売っている露店が美味しそうなにおいで誘う。
道中で花は半分ほど売れていった。潰れてしまわないよう注意しながら、ふらふらと屋台に寄っていこうとするセルラルの手を繋いで、三人ひとかたまりに大桟橋の正面にまで移動する。
「すごいだろ。もうすぐだ」
「うん!」
セルラルが返事をする。ジルオは目を見張っていた。凱旋用の豪奢な橋は機械仕掛けの歯車が回っており、地面には赤いカーペットが敷かれ、少し離れたステージまで続いている。どこもかしこも見物人でぎゅうぎゅう詰めになっている。
「ゴンドラが来たぞ!」
後ろで誰かが叫んだ。とたんにわっと人混みが揺れ動き、ジルオはロウジュとの間にセルラルを寄せ、両手に挟むようにして花籠を両手で胸の前に持ち直した。
ゴンドラの扉が開き、アビスの深層より帰還した殲滅卿の探窟隊が次々と降りてきた。
その先頭を往くのは赤い探窟服に羽飾りの帽子、青い鎚のような遺物を担いだ白笛の女探窟家。
「殲滅のライザだ!」
「おかえりなさい、殲滅卿!」
「われらが奈落の星(ネザースター)!」
盛大な拍手喝采が沸き起こる。花火が上がり、トコシエコウの花びらが一斉に散らされた。
殲滅卿は街中の目にも臆さず、堂々たる足運びで中央を歩いてくる。
――なんてきれいな眼だろう。
真夜中の星空のような色合いの、奈落で輝く光そのもの。
あんなに美しいものは見たことがない。昨日まで殲滅卿の偉業をいくら説かれようと聞き流していたジルオも思わず見惚れていた。
ふと、殲滅卿がジルオの視線を認めた。自ら光り輝く宝石に見つめられて、ジルオは知らず知らず息を呑む。
殲滅卿がジルオたちの前に身を屈める。
「君たち、素敵なものを持ってるね」
鈴が鳴り響くような凛とした声が言葉を紡ぐ。探窟帰りだというのに、花の香を焚きしめた清涼なかおりがした。
「一輪もらえるかい?」
「……どうぞ」
かちこちになっているロウジュや惚けているセルラルに代わり、ジルオが一番きれいだと思った花を差しだす。
「ありがとう。鈴付きの卵くん」
手袋を取って不屈の花を摘む指は女性らしくほっそりとしていて、しかし探窟家の最高峰にふさわしく細かな傷が無数に散っていた。首元のトコシエコウの彫られた白笛がからりと揺れる。
殲滅卿は花の香りを吸いこみ、ふっと笑って花を帽子の羽飾りの間に刺した。そして踵(きびす)を巡らすと、何事もなかったように赤いカーペットの上を進んで行く。
不意にジルオは、昔会った笛なしの探窟家を思い出した。あの探窟家よりもずっと、殲滅卿は鮮烈な煌きを放っているように思えた。
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