久々に【神代双子とⅣの同居話】シリーズ(https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10578596)のⅣ凌牙璃緒
@fu_re_re_ra
「わぁ、きれいー!」
璃緒が目を輝かせたのは、鏡面と化した水辺に白い雪と青空が映った美しい河だった。
カレンダーをめくって、鎮座した冬の写真が、そこに美しい景色を映し出していた。
「なんだ、ロイザッハじゃねえか」
通りかかったⅣが、首だけこっちに寄越して、ペットボトルの水を飲んでいた。
「知ってますの?」
「そりゃあな、母国の名所くれぇは。ドイツとオーストリアの国境に流れてる川だよ」
見てえなら連れてってやろうか?などと平然とのたまうⅣに、璃緒は何やら感じるものがあったのか、じっとⅣの眼を覗き込んでいた。
「Ⅳさんの故郷……」
「あ? 話したことなかったか?」
Ⅳは風呂上がりの濡れた髪をわしゃわしゃとタオルで拭きながら、そんな話題を食卓に乗せた。
「生まれはイギリスだが、赤ん坊の頃に母さんの故郷のドイツに移ってな。基本はドイツとイギリスを行ったり来たり。ガキんときに少し日本で過ごした時期もあるが、感覚的にはドイツとイギリスが7対3ぐれえかな」
ふわ、とあくびを一つ残して、Ⅳはこともなげに来歴を告げた。
「父さんはイギリス生まれで、母さんがドイツ。日本に来てたのは父さんがフェイカーんトコで働いてたからで、まあ何か所か転々としてっから、どこが故郷って言われっと困るな」
兄貴はイギリスで育ってるけど、オレはガキすぎてあんま覚えてねえしなあ。
ミハエルなんかドイツに越してから生まれてっから輪をかけてイギリスあんま知らねえし。
そんなふうにⅣはぼやいた。
「イギリスが、Ⅳさんの生まれ故郷…」
「故郷っつーか、祖国(father land)かな。イギリスが祖国(father land)で、ドイツが母国(mother land)っつー方が近い」
「? どう違いますの?」
「んー、祖先が代々生まれ育った国がfather、要はルーツだな。自分が育った国がmother」
指先でアルファベットを綴って、Ⅳはゆったり、そう璃緒に教えた。
「あー、イギリスの家が一番長く過ごして愛着もあるが、故郷っつーと感覚的にちょっとズレがあっかな。それなら母さんと過ごしたドイツの方がよっぽど母国(mother land)って気ぃするし。思い出も多いしな。てか、そーすっと日本来てもう4年かぁ、日本にもトータル6年もいると、そろそろ愛着も出んなァ」
きょーみあンなら連れてってやるけど。でもなァ。そう言ってⅣは、思案げに顎をさすった。
「イギリスは家に愛着あるだけで街にゃあそれほど……案内できるほど帰ってねえなァ。ドイツの方は今もちょくちょく行ってっから、多少は連れてってやれるぜ」
「お前、そんなしょっちゅうドイツ行ってたか」
「繁盛期 はヨーロッパで大会がありゃあマメに行ってっからなァ。近く行ったときくれえ顔見せねえとだろ」
「? 誰に?」
「おふくろ。今は明るい森の奥の、静かな霊園 で眠ってるよ」
口許だけやんわり笑んで、瞳を細めたⅣの表情は、穏やかだった。
凌牙と璃緒が、初めて見る表情だった。
「お前のお袋さんって」
「んー? ああ、写真見せてやろうか。驚くぜ」
そら、と差し出されたのはパスポートを入れた手帳で、その最後のページに、古い写真が納まっていた。
ピンク色の美しいくせ毛をした、Ⅳと同じ褐色の肌をした美しい女性だった。
「Ⅲ……?」
「に見えんだろ? 生き写し、ってヤツ。年々似てくんなァ」
Ⅳは写真を、とても大切そうに、愛おしそうに見ていた。
写真を見つめる瞳は、愛おしい人を見る目だった。
懐かしい思い出に微笑むような、愛してやまない人に笑い返すような。
ピピッとDゲイザーの通知が鳴る。入ったメールに、ⅣがDゲイザーを取り出して目を細めた。
「次のリーグの開催地、決まったみてえだ」
「次はどこだ?」
「ドイツだとよ。来月の頭」
「ずいぶん急だな」
「こんなもんだろ」
極東エリアチャンピオンであるⅣは、年に何回も海外に赴く。世界中を駆け回り、各国の強豪と競い合うのがⅣの仕事だ。
奇しくも、会場はドイツのスタジアムだった。
Ⅳが母国、────マザーランドだと話す土地。
「こりゃ気合い入れねえとな」
柔らかい瞳で微笑したⅣが、踵を返した。
慣れた旅支度を始めたⅣが、ふと手を止めて、振り返った。
「来るか、お前ら」
璃緒も凌牙も大きく目を見開いて、顔を見合わせた。
Ⅳが自分の試合に、二人を誘ったことはない。
凌牙も璃緒も、以前から中継はよく見ていた。凌牙は特に、食い入るように見ている。戦法を、呼吸を、デッキの操り方を。研究するために。自分がⅣを倒す日を、現実にするために。隠した研究ノートは、既に五冊目だった。
だから、どちらかといえば、気兼ねするのはいつもⅣの方だった。
チャンピオンとして生きる自分の姿を、Ⅳはどこか後ろめたく思っている。璃緒も凌牙もそれに気付いている。
だから、それに触るような話題は、巧妙に避けるのが常だった。以前のⅣならば。
だが、少し前から、Ⅳは変わったように思う。
凌牙と璃緒が、プロとしてのⅣの試合を見に行ったのは、少し前、エスパーロビンとの公開収録の時だった。
ショー的な意味合いの強いデュエルだったが、カードを操るⅣの眼は輝いていて、その指先が生み出す絶妙な一手は、周囲を魅了していた。目を奪われた。凌牙も璃緒も。
あの試合は、Ⅳがステージのセットから転落する事故で中断してしまって、続きを見ることはできなかった。
頭を打ったⅣは、先ほどまで魔法のようにカードを操っていた指先を血だまりに投げ出したまま、美しい人形のように、ピクリとも動かなかった。
あの瞬間の光景が、目に焼き付いて、凌牙も璃緒もしばらく震え上がるほど凍えて眠れなかった。
家族全員で事故にあった日、凌牙は潰れた車から救助されるまでの間、血まみれで即死した両親の姿を見ている。父も母も、凌牙と璃緒を置いて逝った。あの光景と重なって、体が震えるのを止められなかった。
かろうじて叫び出さずに済んだのは、同じように璃緒がガタガタ震えていたからだった。隣に璃緒がいなかったら、どう錯乱して何を口走っていたかわからない。Ⅳが血だまりに沈んだあの光景は、凌牙にも璃緒にも傷になった。
だが、あの試合の後から、Ⅳは変わったと思う。それは、恐らく良い方向に、だ。
憑き物が落ちたように、Ⅳは穏やかな目をすることが多くなった。
指摘すれば、Ⅳはゆっくり二度瞬いた後、やんわりと肩をすくめて
「帰り道を、覚えたからな」と静かに笑った。
それを聞いて、凌牙はやっと、こわばっていた肩の力を抜くことができた。
Ⅳが退院してもどこか浮足立って、地につかなかった足を、やっと下ろすことができた心地だった。たぶん、璃緒も同じだったと思う。
帰ってきたのだと、そう思えて初めて。
三人で再出発できた。
凌牙も璃緒も、たぶんⅣも。そう思っている。
来週から、ちょうど凌牙も璃緒も冬休みだった。否はなかった。
「そうか」
肯定を受けて、Ⅳが笑った。
その笑みを見て、凌牙も璃緒も、それだけで、行くと言ってよかったと思える笑みだった。
「パスポートは? 新しく取らねえとダメか」
「いや、……たぶん、大丈夫だ。璃緒」
「待ってて、すぐ出せるわ」
璃緒が階段を駆け上がって自室に引っ込んだ。まもなく「大丈夫ー、ギリギリ間に合うわー!」と返事が降ってくる。
「お前らパスポート持ってたのか」
「ガキの頃、親の別荘が海外にあって……期限切れちまうと、成人まで再申請が面倒だろ。それで更新して持ってたんだ」
親のいない身で、未成年パスポートを取るのはひどく面倒だ。凌牙と璃緒の後見人になっている弁護士に連絡をとって書類を作ってもらわねばならない。
当時の凌牙と璃緒は、二人暮らしを始めるまでに、親が残したあらゆるものを手放さざるを得なくて、こんな些細な身分証明書ひとつでも、親が遺した何かを失いたくなくて必死だった。
今から再申請では、旅程に間に合わないかもしれなかった。手元に残しておいてよかった。凌牙は内心ほっとした。
Ⅳは「あー……」と共感めいた相槌を打った。表向きに両親がいないのはⅣも同じだ。
Ⅳは「あれ面倒だよな」と言い添えた。
「あー、そうだ、そうだな……試合のチケット取らねえと。マネージャーに連絡してくるわ」
Ⅳは指で何度か思案げにこめかみをノックすると、急いで自室に引っ込んだ。
凌牙はその背中を見送りながら、驚きで目を丸くした。
戻ってきた璃緒も同じで、二人で顔を見合わせる。
「……珍しいな」
「そうね」
本当に珍しいことだった。
普段のⅣなら、自分たち兄妹に何か提案する時、特に今までの暗黙を崩すような時は。
慎重に、何もかも裏で整えて。
だが、断られても、用意を悟られないように。そんなふうに、ひどく周到に、望みを隠そうとする。凌牙と璃緒の知るⅣは、そんな男だった。
そのⅣが、ギリギリの旅程でパスポートの有無を確認したり、チケットを後から取ろうとするのは、本当に珍しかった。
逆に言えば、今タイミングを逃してしまえば、こんな気まぐれめいた誘いは二度とないかもしれない、ということだった。
凌牙は心からホッとして、璃緒から手渡されたパスポートを裏返した。
手の中のパスポート。
更新期限はギリギリだった。
あの頃、あんなに取りこぼさないよう必死だった身分証。
最近は思い出しもしなかった。
凌牙の胸を占めた安堵は、パスポートの期限じゃない。Ⅳの気まぐれめいた提案を、運良く拾えた、それだけだった。
かつての更新は五年前。
「そうか、……もう、そんなになるのか」
Ⅳと凌牙と璃緒が、この家で共に過ごすようになって。
もう四年目の冬だった。
◇ ◇ ◇
こうして、Ⅳ、凌牙、璃緒の
三人のドイツ旅行が始まった。
初めてⅣの母国を訪れた二人だったが、ドイツの空港に降り立った凌牙と璃緒は、釈然としない顔をしていた。
Ⅳが「なんだ、機内サービスに不満でもあったか?」と尋ねると、「めちゃくちゃ快適だったけどよ……」と凌牙はなんとも言えない顔をした。
最高級 のサービスを受けるのは初めてだった。
空の旅、十二時間。座席はまるで個室の箱 で、完全に周囲と断絶されたプライベート空間だった。
簡易式とはいえかなり作りのいいベッドを整えるために、客室乗務員がわざわざベッドメイキングにやって来た。機内食はまるでコース料理だ。
「快適だった…快適だったが…なんか…」
「海外旅行って、こんな感じだったかしら…?」
「俺たちが想像してたのは、こう、三人並んで……」
感覚のズレに、なんとも言えない顔をする。
記憶を辿れば、幼い凌牙と璃緒は、飛行機の中でもぴったり父と母の腕の中にいたような気がした。
旅行先ではあれがしたい、これがしたい、そんなふうに並んで話しながら、機内の時間を過ごす。それが凌牙と璃緒の知る国外旅行だ。
Ⅳは、パチパチと瞬くと、得心の入ったように、「ああ、ビジネスクラスのファミリーシートか」と頷いた。
「はは、そいつは失礼。オレとしたことが、どうやらファンサービスが足りなかったようだ」
気取ったふうに片手を広げて一礼したⅣが、破顔した。
「お望み通り、帰りは並んだ席を手配するぜ。にしても、お前らほんと仲良いな。これから散々並んで移動すんのによ」
手配した迎えがやって来る。
車に乗り込みながら、Ⅳが笑った。
「まだまだ旅は始まったばかりだぜ」
ドイツの空は、雪をはらんだ鈍色 だった。
「わぁ…!」
ロイザッハの美しい湖に、璃緒は感激の声を上げた。
鏡面の湖、樹氷の空。
ガラスよりも透明にピンと凍えた美しい水。
雪の鮮やかな白が、濃い群青の空に映り込む。
湖畔の橋から見る景色はあまりに美しく
冬の澄んだ空気はピンと張り詰めて
吐いた息が白く、胸の奥まで入り込んでくるようだった。
桟橋の手すりに肘を乗せ、Ⅳが感慨深げに口角を上げた。
防寒着を着込んだ凌牙も、コートの襟を引き上げながら「はぁっ」と白い息を吐いて、美しい光景に魅入った。
「すげえな」
「きれい……こんなに空気が澄んで、こんなに空が冷たくて、こんなに風が痛いのね」
「いいだろ? ハートランドの常夏も嫌いじゃねえが、この空気は他じゃ味わえねえ。たまに恋しくなるんだ」
誇らしげな声だった。
Ⅳの瞳が、景色を遠く見つめる。
ドイツの冬の白さは
Ⅳの艶やかな褐色の肌によく映えた。
「冬本番になると、この辺一帯はもっと深い雪化粧でな。雪が溶けない地域は、夜が明るい。月の明かりがぼんやり雪を蒼く照らして、まるで雪が青白く発光してるみてえになる」
璃緒や凌牙にとってこんなにも冷たい風は、慣れたⅣにとっては秋の終わりといった感覚だという。
Ⅳは、冷たい冬の空気をものともしなかった。
「日本に来て最初に驚いたのは、夜の暗さだったっけな……」
懐かしく、感慨深げな声だった。
「ほらよ」
Ⅳが璃緒の唇に、小さなチョコレートを押し込んだ。
次いで、凌牙の口にも同じように放り込む。
口の中で淡くほどけたチョコレートは、じわりと熱を持って璃緒と凌牙の舌の上でとろけた。
「甘い…おいしい…」
「寒さを凌ぐには、甘いモンがいちばんだ。熱量 がねえと体温が上がらねえからな。そこらで買えるような安いチョコが、冬はご馳走みてえに甘くて特別になんだよ」
チョコレートを溶かしたように艶やかな褐色の肌を冬の強い陽射しにさらして、Ⅳが片手で日除けを作りながら太陽を見上げた。
「それが、この国の冬」
まぶしそうに目を細めるⅣの瞳の奥に、消えない思い出が流れている。
思い出は血だ。体を巡って、決して絶えない。
陽に透かす微笑は、まぶしげで、凌牙と璃緒が見たことのないものだ。
Ⅳがポケットからもうひとつ、チョコレートの包みを開いて、口に放った。
ふっ、と懐かしげに笑みがほどけた。
「甘ぇな…」
美しい青空よりも、鮮やかな雪よりも
透き通った河よりも
それよりずっと、鮮烈でまぶしい横顔だった。
結局、芯まで凍えるまで、観光して歩いた。
すっかり昼を回るまで歩いた凌牙と璃緒は、「適当に軽食取ろうぜ」と言ったⅣに続いて、冬場の冷たい空気を避けて、軽食を取るためにバーに入った。
「この辺りの名物料理って何があるんですの?」
「鉄板はソーセージだな。あとはパンと、りんごジュースを炭酸で割った飲みモンがあって……」
木製のテーブルについたⅣが、厚手のコートを脱いだ。
この辺りの建物は、どれも一歩足を踏み入れれば、夏と錯覚するほどガンガン暖房が効いていて、思っていたほど底冷えするような寒さは感じなかった。外の空気は寒いというより「痛い」が近い。常夏のハートランドより寒い地域にほとんど出たことがなかった凌牙にとって、それは新鮮な驚きだった。事前に「カイロとか意味ねえから持たなくていいぜ」とⅣが言っていた意味がよく分かる。
「Ⅳさんが住んでいた町って、この近くですの?」
「いや、もっと北の田舎町さ。何にもねえが、空気が良くて、星がよく見える」
店員にアルコールが並んだメニュー表を勧められたⅣを見て、璃緒が「わたくしたちのことは気にせず、飲んでも構いませんわよ」と言い添えたが、Ⅳは首を横に振った。
「いや、潰れたら困るからやめとくわ」
メンバーの中で唯一成人しているⅣが、そうメニュー表を断った。
凌牙がふと、記憶を辿った。
「そういや、海外だと、未成年でも酒飲めるんだったか?」
確か、飲酒可能年齢は、国籍と関係なく、滞在国の現地法に由来するはずだ。
Ⅳがピクッと肩を張った。
都合が悪いことを聞かれた時のⅣの癖だった。
「あー、ドイツは一応、十六歳から飲めるけどよ」
頭をガシガシかきながら「興味あんのか?」とⅣが聞いてきたので、凌牙は、少し考えて、璃緒を振り返った。璃緒が興味深げに目を輝かせた。
Ⅳはしばらく「あー…んー…」と何度か意味の無い言葉を重ねたが、やがて苦笑して「ここだけの話だけどよ」と声を低める仕草をしたので、凌牙と璃緒は少し耳を寄せた。
Ⅳがまろいテノールに、軽やかな笑みを含ませてささやいた。
「実は、良い酒を押さえてあるんだ。お前らの成人用に」
凌牙も璃緒も、驚きで目を見開いた。
「だからよ、こんなところでお前らのファーストボトルを安酒に取られちまうのは、癪だな」
穏やかな笑みだった。
胸を打つような真摯さと、噛み締めるような喜びを併せ持った、優しく、幸福な笑みだった。
「お前らも、もう少しすりゃあ成人だろ」
早えな。
そう笑んだⅣの横顔は、懐かしげで、噛み締めるような歓喜に満ちていた。
「早えな。ミハエルん時も思ったが、本当に早え」
Ⅳは微笑して、氷をカランと鳴らした。
「オレたちさ、全部終わってから、兄貴の成人式、家族でやり直したんだよ。あの頃は、復讐でそれどころじゃなかったからな」
ひどく大切そうに紡がれた言葉は、静かに柔らかくテーブルに乗せられた。
凌牙も璃緒も息を呑んだまま、じっと聞き入った。初めて聞く話だった。
「オレがやって、ミハエルがやってよ。とっときの美味い酒で三度祝って。それで、終いだったはずなのにな」
Ⅳは目を細めた。
誰にも話さず、大事にしてきたことが、一目でわかるような眼をしていた。家族以外の、誰にも。
それを。
「けど、けどよ。お前らも、あっという間にデカくなるんだもんなぁ……」
感慨深い声だった。
ここが、故郷の国だからだろうか。
旅行に来てから、見たことのないコイツの顔を、たくさん見る。
こんなふうに、未来の約束を食卓に乗せる。
そんなⅣを見て、ひどく、感慨深く思った。
気付かない内に、俺たちは。
ずいぶん遠くまで来たのだと、思った。
「……ねえ。わたくしたち、ずっと充分すぎるぐらい、子供でいれたと思うわ」
「そう思ってんのが、ガキの証拠だな」
Ⅳは璃緒の言葉を鼻で笑った。
嘲笑ではなく、温かみのある笑い方だった。
「ガキでいられる時間もあと少しなんだ。焦って背伸びするこたぁねえさ」
Ⅳの言う「とっときの美味い酒」を、待つことにしようと思った。
未来の約束を、最近のコイツはするようになった。そんな変化が、どこかひどくまぶしく映った。
「まぁ、オレもガキでいられる時間は短かったが」
からん、とⅣの手の中で、グラスの氷が鳴いた。
「それでも、結構幸せだったぜ。お前らのおかげだな」
「寄りてえとこが、あんだけどよ」
そう告げたⅣの案内で、途中、カードショップに寄ってから、バスを何度か乗り継いで、田舎のあぜ道を、歩いた。
目的地はまだつかない。途中で寄ったカードショップで、手に入れたパックをビニール袋で肩に下げて、Ⅳはただ、慣れた道を歩くように、迷わず歩いた。
まるで、子供が少ない小遣いで懸命に目当てのカードを探すように、Ⅳはやけに真剣にパックを引いていた。
ヤツの手持ちなら、パックどころか店の在庫の箱を全て買うことだってできるだろうに。
凌牙も璃緒も、行方を聞かなかったが、凌牙はそのパックのことだけは、訝しげに尋ねた。
「それ、天使族のパックだろ。お前のデッキにシナジーあるカードなんてあったか?」
「あー…」
Ⅳは、そう、少し間延びした返事をして、凌牙に背を向けたまま、首の後ろを掻いた。
どこか、照れを誤魔化すような仕草だった。
「いや、これはそういうのじゃねえんだ。……ファンサービスだよ」
着いたぜ。
そう言って、Ⅳが足を止めたのは、閑散な田舎町の、何の変哲もない、どこかの店先だった。
「Bäckerei」
と書かれた、ドイツの言葉は良くわからないが、看板の絵で、パン屋のことだとわかった。
パン屋だと分かれば、読み方は分からないが、この単語が「ベーカリー」を指す英語に近しいと、凌牙も璃緒もピンと気付いた。
からん、とドアベルが鳴って、客の入りを告げた。
焼きたてのパンの香ばしい匂いが、ぶわりと全身を撫でていった。
店には、偏屈そうな老人が一人、新聞を開きながら、パイプをふかして、流したラジオを聴いていた。
「willkommen.(らっしゃい)」
「Onkel,lange nicht gesehen.(親父さん、久しぶり)」
「……Hmm? Oh! Wenn Sie darüber nachdenken, wer es ist, muss es Tommy sein!!(ん? お、おお! 誰かと思やぁ、トーマス坊やじゃねえか!)」
おい! リリィ! エマ! トマ坊が来たぞ!
頑固そうに見えた老人は、パッと親しげな満面の笑みを浮かべ、新聞を放り出してカウンターから飛び出し、ためらいなくⅣにハグを贈った。
Ⅳも、それをくすぐったそうに受け入れていた。
凌牙も璃緒も、後ろで目を丸くした。
Ⅳは他人に触れられるのを嫌う。それが、こんな、子供のような顔でハグを返すのを、凌牙も璃緒も初めて見た。
「トマ坊、元気だったか? お袋さんの所か」
「ああ、これから行くところ」
「そーかそーか。焼きたて詰めてやるから、持ってけ!」
老人は、Ⅳの頭を、くしゃくしゃ、と乱暴にかき回した。
Ⅳは照れくさそうに、老人の手を払いのけたが、本気で嫌がっていないのは一目瞭然だった。
店の奥から、恰幅の良い婆さんと、赤ん坊を抱えた女性が顔を出して、親しげに「Tommy!」とⅣに呼びかけた。
少し遅れて、「トーマス」を指す愛称だと凌牙は気付いた。
その後ろからゾロゾロと、小学生の低学年ぐらいの歳の小さな子供たちが五人、Ⅳの足に向かってタックルした。
「チャンピオンだ!」
「Ⅳだー!」
「トム兄ちゃんだ!」
「トム兄ちゃん!」
「よう、ガキんちょども。ちょっと見ねえ内にでかくなったな」
「ねえ、おみやげは? おみやげは?」
「おみやげー!」
「現金なヤツらめ。ほらよ」
「わー!」
子供たちに、Ⅳがパックの入ったビニール袋を、ポイッと雑に放ってやると、ハイエナのように我先にと子供たちはパックに群がって、五人でもみくちゃに折り重なった。
「わー! すげー! キラキラ!」
「カッケー! カッケーの出た!」
「とーぜんだろ、このオレがわざわざ引いてやったんだぜ」
「わーい!」
訛りのキツいドイツ語、言葉は分からない。だが、子供にパックを与え、髪をかき回すⅣの横顔は、見たことないほど穏やかだった。
はしゃぎ回る子供たちに、赤ん坊を抱えた女性が、Ⅳに「まぁまぁ、いつもありがとうねえ」と礼を言った。
Ⅳは早口で、「来る途中で適当に買ったヤツだから」と答えた。何を話しているのかは凌牙にも璃緒にも分からなかったが、Ⅳの仕草が照れを誤魔化すときの物なのは、すぐに見てとれた。
「あら? そのお嬢さんたちは?」
「日本でホームステイしてる家のガキどもなんだ。こっちに連れて来んのは初めてでよ」
「あらあらあら、まあまあまあ!」
恰幅の良い婆さんが、Ⅳにハグを贈った後、凌牙と璃緒を見て大きく腕を広げた。
凌牙と璃緒は固まって、ぎゅうぎゅうに抱きしめられた。
真っ白でふかふかした髪から、焼きたてのパンの良い匂いがした。
「いらっしゃい!お嬢ちゃんたち、パンは好き?甘いのとしょっぱいの、どっちが良いかしら?」
「あ…」
「えっと…」
「悪りぃ、おばさん。そいつら、こっちの言葉、通じねえんだ」
「あらあらあら、じゃあ両方にしちゃいましょ!」
戸惑っている内に、凌牙も璃緒も、みるみる内に、両腕にあふれんばかりのパンをこれでもかと詰め込まれて、目を白黒させた。
パンに埋もれた二人を、Ⅳは笑って、足元ではしゃぎ回る子供たちの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。
「ねえトミー、お兄ちゃんと弟くんは元気?」
「ああ、元気にしてる。今回も連れて来れなくてごめん」
「トマ坊、奥で食っていくか?」
「いや、連れもいるし、陽が落ちる前に母さんのところに着きてえから」
「ああ、そうだな。それがいい。すっかり日が短くなりやがってなあ」
「この前の試合、テレビで観てたわ。うちの子ったらすっかり夢中でね」
「チャンピオンだぁ!」
「デュエル!デュエルしよー!」
「また今度な。悪りぃ、たまにしか顔出せなくて」
「忙しいものねえ」
「それよりお前さん、もうすぐリーグ戦だったろ」
「ああ」
「がんばってね、みんな応援してるわ」
「負けるんじゃねえぞ」
「ありがとう、親父さん、おばさんも」
最後まで、親しげで、優しげな人たちだった。
立ち去るⅣと凌牙と璃緒を、店の前まで家族で揃って見送って、手を振ってくれた。
言葉は通じずとも、温かな田舎の空気は、鮮明すぎるほどに伝わった。凌牙と璃緒の腕の中に、抱えきれないほど詰め込まれたパンの温かさが、余計にそれを感じさせた。
「ちょっと騒がしいけど、良い人たちだったろ」
Ⅳが、先を歩きながら、凌牙と璃緒に背を向けたまま、そう言葉を落とした。
パンの詰め込まれた袋を持ちながら、肩に引っ掛けるように、袋を揺らした。
「昔からああなんだ、あの人たち」
振り返らないまま、ひとつ、ひとつと、言葉を落とすのは、言葉を選んでいるからだ。
何か、重要なことを、伝えるのに、どう言葉を選んでいいかと、悩むような足取りだった。
凌牙も璃緒も、こんなとき、Ⅳを急かしてはいけないことを知っていたから、二人、少しだけ目配せをしあって、あとはただ並んで、バス停までの道を、黙って歩いた。
無理に急かしてしまえば、ためらっていた言葉を飲み込んで、道化じみた笑みで全部覆い隠してしまうだろう。Ⅳのそういう不器用さとままならなさを、凌牙も璃緒も、よく知っていた。
沈黙に背中を押されるように、Ⅳがゆっくり口を開いた。
「……WDCより前、極東エリアチャンピオンとして本格的に活動し始めたばかりの頃だ」
田舎のあぜ道を歩きながら、Ⅳはポツリ、ポツリと言葉を落とした。
「今はマネージャーに任せてるが、あの頃はまだ復讐の真っ只中だ、他人を懐に入れるわけにはいかなくてよ。……何でも自分でこなしてた。ファンレターのふるい分けも」
たまに危ねえモンが混ざってるから、今は直接は触ってねえ、とⅣは言い添えた。
「正直うんざりしてた。好意的な手紙もあるが、それと同じだけの悪意も混ざってた。全部まとめて捨てちまおうかと思ったこともあったが……」
くるり、とⅣが踵を返した。
前髪の下に、表情を隠したまま。
「そんな時、一通の手紙が届いた。一見、何の変哲もねえファンレターだった」
Ⅳは俯いたまま、袋を持つ両手を、首の後ろに回して、言葉を継いだ。
温かなパンが、夕陽と冷たい空気にさらされて、揺れた。
「たったひとつ、宛名が『トーマス・アークライト様』だったことを除けば」
その意味に気付いて、凌牙も璃緒も、目をみはった。
「慌てたさ。あの頃はまだ、フェイカー陣営にオレたちの存在を嗅ぎつけられるわけにはいかなかった。オレの本名は表向き伏せてあったし、故郷でオレたち一家は蒸発したことになってた。存在しねえはずの手紙だった」
「オレは急いで中身を見た。……さっき会っただろ、パン屋の親父さんからだった」
「あの人、母さんがまだ子供の頃から、近所に店を出してた人でよ。子供の母さんをずいぶん可愛がってくれてたらしい。オレも小せえガキの頃、よく世話になった」
思い出をなぞる言葉は、少しだけ懐かしさと柔らかさをはらんで、夕陽の中に溶けていく。
だが、俯いたⅣの表情は硬いままだった。
「オレがまだ小学校 も出てねえくらいの時期に、体を壊して店を畳んじまったんだが、良くなっていつの間にか戻ってきててよ。そんで、オレたち一家が蒸発しちまったことを知ったらしい」
「心配してくれてたんだろうな。こんな傷こさえて、人相だって変わっちまったのに、テレビでオレを見て、気付いたんだと」
十字傷を引っ掻きながら自嘲して、Ⅳは、ほろ苦い笑みをひとつ、落とした。
「手紙には、オレたち家族を心配する言葉が並んでた。また店を構えたから、近くに来たらぜひ顔を出して欲しいって、生まれた孫の写真と一緒によ」
爪先を引きずるように、とぼとぼと歩いていたⅣは、やがて、完全に足を止めてしまった。
「……オレは、あの人たちの善意が詰まったその手紙を、急いで燃やした」
璃緒が隣で息を呑んだのがわかった。
凌牙も声を失った。
「どうして……」
「トロンに隠すためだ」
固い声だった。
重たいものを飲み込んだ、固く、石のように強張った声だった。
「トロンは、オレたち家族を知ってる人間を見つけては、……手当たり次第に記憶を奪ってた」
凌牙も璃緒も、揃って絶句した。
「っ、それって……!」
「復讐が終わって、トロンは奪った魂を解放したが、……記憶が戻った奴も、曖昧になった奴もいる」
オレたちやカイトなんかがみんな無事だったのは、紋章や異世界の科学力で守られてたからだ。
Ⅳはそう言い添えた。
それが意味することの残酷さに、璃緒は言葉を失って、両手で口を押さえた。
「そんな……それじゃあ、貴方たち一家を憶えているのは……!」
「そうだな、ごくひと握りだと思う。当時のトロンにとって、コレは必要じゃなかった。トロンに必要ないことは、オレたちにも不要だった。──はず、だった」
「けど、オレはこの場所を捨てられなかった。トロンに、父さんに、この場所を不要だと切り捨ててほしくなかった。……この場所が、オレたち家族に必要だと、信じたかった」
家族を愛している人なのは知っていた。
だが、こんなにも深く、家族を取り巻く全てを愛している人だとは
どんなに仮面を被っても
悪役に徹するには、この人は愛情深すぎる
「だからオレは、ヨーロッパでの交流試合を隠れ蓑に、トロンの目を盗んで、ここまで会いに来た。……見るなりハグして、泣いてくれたよ。死んだ母さんのことも伝えねえとならなかったが、みんな心から悼んでくれた。毎週欠かさず祈ると言ってくれた。優しい人たちだった。……オレは、この人たちを、トロンから隠し続ける決心をした」
だから、トロンは何も知らないはずだ。
今でも。
そう、Ⅳは、ひどく強張った声を絞り出した。
隠し切れない郷愁を、懸命に押し殺しながら。
Ⅳは、切なる願いを絞り出した。
「いつか復讐が終わったら──、この町に帰ってきて、静かに暮らすのが、夢だった」
爪が食い込むほど、固く握りしめた拳に
強張った表情に
絞り出すような声音に。
Ⅳが今でも、あの優しいパンの匂いのする人たちと、それを取り巻く彼の願いを。
未だ、何ひとつ、大事な家族に告げられないままでいることを、璃緒も凌牙も、鋭敏に感じ取った。
こんな切なる願いを
あの頃、トロンがどんなふうに踏みにじったのか、凌牙は知っている。
「知っての通り、チャンピオンとしてのオレの姿は偽りだらけだ。成り立ちも、かける言葉も、そこに立つまでの何もかも」
Ⅳが生きる根幹を否定する言葉に
璃緒も凌牙も、ただ黙って相槌を打つことなどできなくて、反射的に口を挟んだ。
「オレのデュエルは、汚れすぎてる」
「Ⅳ、」
「Ⅳさん、」
「だが」
ぐっと、Ⅳが拳を握った。
「だが、こんなにひたむきに、オレのデュエルを応援してくれる奴らがいる。オレが知らないだけで、他にもいるかもしれねえ」
チャンピオンの姿は作りモンだが
始まりが偽物でも、少なくともあいつらに見せるこれからは、嘘にしたくねえ。
「そう思いながら、オレはいつもデュエルしている──」
初めて触れるⅣの内側に
降り注ぐ夕陽の中、凌牙も璃緒も、多くの言葉を探した。
だが、結局、二人とも、Ⅳを挟んで、右と左、ただ歩み寄って
璃緒は、Ⅳに自分の腕を絡ませた。
凌牙は、黙って肩をぶつけた。
ただ黙って、Ⅳに並んだ凌牙と璃緒に
Ⅳは、くしゃりと眉を落として、夕陽の中をただ歩いた。
◇ ◇ ◇
「本当はよ。まだ、ミハエルにも兄貴にも、……父さんにも。言えてねえんだ、この場所のこと」
バスを乗り継ぎながら
最後に、ぽつん、と。
投げ出すように、Ⅳは、そう言葉を落とした。
「分かってるんだけどな。Ⅲは喜ぶだろうし、Vは懐かしがるだろうさ。トロンも、きっと……」
Ⅲと。Vと。そして、トロンと。
そう呼ぶのは、無意識だろうか。
それとも、わかっていて、言っているのだろうか。呼ばなくなって久しい復讐の頃の名を。
窓の外をぼんやり見つめるⅣの、胸の内は分からない。
「なあ、Ⅳ」
凌牙は、ずいぶん長いこと、黙って考えたが
結局、これだけ尋ねた。
「じゃあ、なんで、俺たちは連れてきたんだ」
Ⅳは振り返って、眉を下げて笑った。
「さあ、なんでだろーな……」
それきり、口をつぐんで。
Ⅳはそれ以上、言葉を重ねることはしなかった。
たどり着いた霊園は、静かな森の奥だった。
木漏れ日に濾過された優しい夕暮れが、静かにキラキラと降り注ぐ。
静かな、祈りと死者が眠る場所だった。
地面に静かに埋まった、ひとつの墓石の前で、Ⅳは立ち止まった。
「Mutter, ich bin heute bei dir.(母さん、今日は連れがいるんだ)」
Ⅳが、凌牙と璃緒の肩に触れて引き寄せた。
「Ich werde sie vorstellen. Ihr Name ist Ryoga,Rio.(紹介するよ、凌牙と璃緒だ)」
Ⅳを中心に、右に凌牙、左に璃緒。
肩を抱き寄せられた二人は、少しだけバランスを崩して、Ⅳにされるままに引き寄せられた。
真ん中で、Ⅳが穏やかな目で墓石に話しかけた。
「Wo sie zu mir zurückkehren.(コイツらが、オレの今の帰る場所だ)」
おそらくⅣの故郷の言葉で優しく紡がれた言葉を、凌牙も璃緒も、そのときは理解できなかった。
「Mutter,Bitte behalte sie im Auge, genau wie ich und meine Brüder.(だから、母さん。オレや兄貴たちみたいに、こいつらも見守っててくれ)」
だが、Ⅳは、失念している。
凌牙も璃緒も、成績は飛び抜けて優秀。聴いた異国語を、そっくり憶えておくことくらい、容易だということを。
二人で記憶をすり合わせて調べ、後から意味を知ることになるのを。
今のⅣは、気付いていない。
「Sie sind wichtige Menschen, die mein Glück prägen. Ich flehe dich an.(オレの幸せを形作ってる、大事なやつらなんだ、頼むよ)」
穏やかな祈りは森の木漏れ日に溶けて
しんしんと降り積もって、優しく墓石に吸い込まれて消えていった。
◇ ◇ ◇
君と過ごす何年め(Ⅳと神代双子の同居話) | fure-rera(ふれれら) #pixiv https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=10578596