@tuta_zettiru
週末のバス停には行列ができていた。押し合うように乗り込んだ車内は人肌に暖かく、狭い通路に並び立つと互いの身体から薄く汗が臭う。不安定な季節だった。風は枝木を冷たく流れ、けぶり咲く桜を千々に散らした。寒いな。あぁ、寒い。まだ春と呼ぶには早いのかもしれない。そんな事を語り合いながらバスを待っていた。吹きすさぶ風に肩を丸める。福富の金色の髪は寒そうに揺れ、金城の被ったニット帽を羨ましそうに見つめていた。今はどうだ。温もった毛糸の、蛇の刺繍をいじりながら金城は息を吐く。身体の内側からほかほかとして暑すぎるくらいだった。兎角冷えやすい頭を守るため冬の帽子を選んだが、間違いだったかもしれない。バス停でのやり取りなど忘れてしまって、そんな事を考える。あつい。まろびでた声に福富も頷いた。凍えていた鼻頭はぬくもりに染まっている。その尖った天辺をなんとなしに抓みかけて、金城はシャツの裾を握った。危ない。どこを見ても他人だらけなのに、こうして声を押し殺して囁き合っていると、二人きりの気分になる。なんとなく恥ずかしくなって、金城は福富を見た。ばちりと音がしそうな程、はっきりと目があう。
「どうした?」
福富は何か言いたげに口を開き、それからぎゅっと唇を引き結んだ。伏せられた睫毛が揺れるのに憂いを感じ、金城はもう一度、どうした、と問いかける。
「金城………」
すまない。喘ぐような声を聞いた瞬間、バスが大きく揺れた。停車の揺れ、なんてものじゃない。大きく、まるで地震が起きたかのように大きく縦に揺れた。いや、跳ねあがった。ぎゃぁ、と悲鳴が上がる。立っていた何人かが転び、痛い、どうしたんだ、地震か! 叫び、泣き、怒る。声が弾ける。金城も膝を打ちつけ、喉奥で呻き声を上げた。
「あ、あれ………」
騒然とした車内に呆とした声が響く。運転手のマイクから流れ出た声だった。各々好き勝手に騒いでいた客の視線が、一斉にフロントガラスに釘づけとなる。何か大きなものが道路を寸断している。潰されたらしい車の残骸があちこちに飛び散っていた。大木が倒れてきたか――――― まさか。木の幹があれほどぬめりを帯びているはずがない。吸盤があるはずがない。意志を持ち、蠢いているはずがない。悲鳴が弾けた。UMA。UMAだ。ここ数日のニュースが脳味噌を駆け抜ける。
謎の未確認生物が世界を騒がせ始めたのは年が明けてすぐのことだった。如何わしい正月特番が血みどろの大惨事となった2054年、金城もまたその番組を見つめていた。Unidentified Mysterious Animal、UMAを追え。特別見たい番組があったわけではない。餅に膨れた腹を擦りながら何となく眺めていた。現実味のない話が兎角嫌いな福富はやたらとチャンネルを変えたがっていたが、ツチノコを探しに行った芸人がツチノコらしき巨大な、しゃもじのような蛇に押し潰された辺りからしんと口を閉ざした。生放送中の事故であった。圧死する人間の悲鳴など聞きたくは無かったと金城は思い、福富の言う通りつまらない音楽番組を眺めていればよかったと餅を吐き戻しながら後悔した。
熊に殺害された人間のニュースは時たま耳にするが、UMAに引き裂かれた人間のニュースが流れるようになるなどと誰が想像しただろう。その番組を皮切りに各地でUMAによる事故が相次いだ。タケノコ採りに出かけた老人がツチノコに捕食されたニュース、スカイフィッシュの群に遭遇した飛行機の墜落事故、モンゴリアン・デスワームの虫害により全滅した村………。
そして今、目の前に迫るのはクラーケンに違いない。一体どこから湧いてきたのか。下水を伝って来たとでもいうのか。車内にいる人間全てが出口へ殺到した。運転手が慌ててドアを開ける。金城もまた福富の手を握り車外へ駈け出そうとした。
「福富!?」
「オレは………行けない………」
掠れた声だった。まさか足が動かないとでもいうのか。車内はからっぽだ。どの座席にも人はいない。金城と福富だけが取り残されている。
「背負ってやる! 行くぞ!!」
「ダメだ、金城。ダメなんだ………」
福富は猶も首を振った。こうしている間にも脅威は目の前に迫っていると言うのに! 腕を引く金城に何度も何度も首を振り、そして福富は絞り出すように唇を震わせた。
「オレは……フェアリープリンセスだから逃げるわけにはいかないんだ………」
何を言っているんだお前は!! 金城は後ろに倒れかけ、寸での所で踏みとどまった。あまりの恐怖に頭がおかしくなっているのか。そうだ、コイツは現実味のない話題が嫌いだった。そういうものは信じない、だ。だが信じなければ死ぬ。金城だって信じたいわけではないが、現に今、目の前にクラーケンがいる!!
「プリンセスだかプリンスだか知らないが後で聞いてやる! 今は兎に角逃げて、」
「だから、行けないんだ………」
変身ヒロインが敵に背を向けるわけにはいかない。福富は何かを決意した表情でポケットから万年筆をとりだした。天高く掲げ、何事か叫ぶ。途端。
「えっ、え、………うわぁ…………」
黄色を基調としたキュートでポップなドレス姿の福富がそこに居た。レースで膨らんだミニ丈のスカートは膝上12センチ、逞しい太腿がみっちりと覗いている。UMAも充分非現実的だが目の前の福富も非現実的だった。金城は取りあえず眼鏡を外し目の前の現実をぼかした。視力の弱さに万歳三唱、視界が悪くなる変わりに思考が落ち着きを取り戻す。
「フェアリープリンセス……?」
「フェアリープリンセスだ………」
日曜朝8時30分放送枠を狙っているのだろうか。いくらなんでもアブノーマル過ぎないか。もはや車外のクラーケンも轟くような悲鳴も気にならなくなってくる。それよりスカートの中身が気になる。金城は一端眼鏡をかけることにした。ふわふわでロリロリでふりふりである。喉仏が上下する。こいつは厄介だ、どこからどう見ても変態だ。クラーケンから逃げる途中で警察の御厄介になってしまう。頭についているリボンが可愛い。
「なぁ福富………」
「あぁ」
まさかとは思うがクラーケン出現前に言い辛そうにしていたのはコレのことなのだろうか。金城は眼鏡を押し上げると、お前はどう考えてもプリンセスではなくプリンスで変身ヒロインではなく変身ヒーローだろうとどうでもいいことを言った。落ち着いているつもりで存外混乱しているのかもしれない。福富は痛々しい表情で瞼を伏せた。
「実は変身するとちんがなくなる」
「ちんが無くなる!?」
社会現象まで巻き起こしたあの90年代大歓喜美少女アニメ登場普段はアイドル♂な美少女戦士♀たちと同じだというのか!? あのドレスの向こう側に可能性に満ち溢れた宇宙が内包されていると言うのか!?
「胸はないじゃないか!」
「アブノーマルですまない………」
下半身だけがちんではなくまんになった変身ヒロイン。どう考えても日曜朝を楽しみにしていた全国のいたいけな子どもたちが泣いてしまう。喜ぶのは一部の大人たちだけだ。戦く金城の身体が縦に跳ねる。無人車に飽きたクラーケンが此方をターゲットに変えたのだ。なぜ福富が絶対王者福富寿一からフェアリープリンセスジュイチフクトミにならねばならかなったのか、なってしまったのか疑問は尽きないが兎に角、今は逃げよう。金城は福富の腕を引っ張った。頑として動かない。
「ダメだ金城……、一人で逃げてくれ」
「福富!」
「オレは戦わなければ……、変身ヒロインが敵に背を向けて逃げるわけにはいかない」
福富は覚悟を決めた顔をしている。
「すまない、わかっているんだ。クラーケンと呼べば聞こえはいいが要するに海鮮系触手の大御所………、オレのような色物変身ヒロインでは日曜朝8時30分どころかモザイクなし待ったなしの深夜アニメ枠で捕まったが最後イキ地獄なのは目に見えている………」
「なら一緒に逃げればいいだろう! 変身を解け!!」
「ダメだ、オレは逃げない………。オレの背中には全国の少年少女たちの夢がかかっているんだ………辿りたい途も掲げたい右腕もあるが逃げるわけにはいかない」
押し問答だ、埒が明かない。金城は暴力も辞さない覚悟で拳を握りしめた。気絶した体育会系男子を背負って吸盤付き海鮮巨大触手から逃げられるかどうかは分からないが、このまま車内にいたのでは握りつぶされて圧死するだけだ。金城の覚悟を感じ取ったか福富は二、三歩と後退し距離をとった。
「金城、分かってくれ。お前がここにいては満足に戦えない………」
「戦わなければいいだろう、なぜそう戦いたがる………!!」
「お前が住んでいる街を守りたい」
ぐっと息を詰める金城の胸元に福富は飛び込んだ。ぶち、とボタンの千切れる音がする。
「これだけ、お守りにさせてくれ。本当は、卒業の時に貰いたかった。こんなことになるなら、素直にくれと言っておけばよかった………」
金城のボタンを握りしめ、福富、いやフェアリープリンセスは車外へと飛び出した。魔法少女だ!! 歓声が聞こえてくる。
「福富…………」
パンツ、見えてるぞ………。口の中で呟き、金城はへたり込んだ。珍妙な格好に珍妙な言動だが、福富は金城のために戦いに行ったのだ。花のように広がった黄色いドレスとその奥の白い輝きを思い金城は身体を震わせた。救出に駆け回る自衛隊に発見されたのはそれから10分後のことだった。
あれよあれよとされるがまま、遅々として進まぬ車により移送されること二時間。金城は避難場所である静岡駅に佇んでいた。遠く、雷鳴の轟くように、空が赤く光っている。戦っているのだ。オレは何もできないのか。無力に打ちひしがれる金城の背中に、聞きなれた声が刺さった。
「金城!」
「荒北………」
避難して来たらしい。荒北は金城の様子を見ると、福ちゃんは………。そう呟き、赤い空を見つめた。
「あそこにいるんだな」
「知っていたのか」
「あぁ、オレも………同じだからな」
まさか。眼を見開く金城に荒北は笑った。そして第二ボタンの無いシャツを見つめ、舌打ちをひとつ。
「みっともねェ、これ使え」
「こ、これは………」
荒北に投げ渡されたものを受け取り、金城ははっと息を呑んだ。替えのボタン、ではない。それはブローチだった。なんとなく、見た事がある………女児向けアニメ変身ヒロインによくある……………おしゃれブローチだった。既に変身を終え、黒を基調としたドレス姿となった荒北が眉を上げる。
「使うか使わねェかはテメェの勝手だ。強要はしねェ………。使ったら戻れなくなるぜ、このスカートの不安定な着心地からなァ!!」
ちなみにオレはプリンセスの守護戦士枠だからちんはついたままだ!! 衝撃の告白を残したまま荒北は空に消えた。緑色に輝くブローチを見つめ、金城は口を覆う。
「オレが……プリキュアに…………?」
1秒が恐ろしく長く感じられた。空が赤く光る。その轟きに導かれるように、金城はブローチを持った右手を高く天に掲げた。